―第74話 ソーサレス・ソーサレス ⑤―
回想編その2。
「あの娘はどうにも周囲の環境に精神を引っ張られがちだからな。あの気持ちにムラのある部分をなんとかすれば、もっと魔術師として大成できると思うのだが」
「性根が真っ直ぐなんですよ、レッシィは」
愛娘に対する叱咤かと思いきや、実は単なる親バカだった、なんてのはいつものことだ。
隣を歩く大魔術師“腐食后”テレジア=ウィンスレットのそんな話に適当な相槌を打ちながら、クラウは夜のバチカンの風を感じていた。
“聖剣砕き”の称号を先代から継承してからこっち、テレジアの警護(というより話し相手)の役目は専らクラウの役目となっていた。
「反面、君はどんな時も揺るぎないねぇ。流石はフリストが手塩にかけて鍛えただけのことはある」
男のような口調で喋るテレジアは、水の蒼を連想させる透き通った髪をなびかせた。
フリストとはテレジアの夫でありレイシアの父親。そしてクラウにとっては魔術の師――即ち、先代の“聖剣砕き”である。
元来“聖剣砕き”とは、『魔術師殺しの魔術』を究め抜いた者に対し贈られる称号であり、その稀有な特性を生かし代々《九耀の魔術師》の側近として名を遺してきた。フリスト以前の“聖剣砕き”がどんな人物であったのか、そもそも自分が何代目に当たるのか。正直なところ、クラウはあまり興味を抱かない――というより、どこか他人事として捉えていた。
「……なんで、僕だったんでしょうか。他にも“聖剣砕き”に相応しい方はいくらでもいた筈なのに」
テレジアに向けてではなく、むしろ自分自身への問いかけ。冬の終わりの空に、白んだ息が溶けていく。
唐突な話だった。つい2ヶ月ほど前、年が明けてすぐの頃だった。
フリスト=M=ウィンスレットは、一切何の前触れもなく姿を消したのだ。自室の机の上に、『次代の“聖剣砕き”にはクラウ=マーベリックを指名する』とだけ記された置き手紙だけを残して。
元々放蕩癖のある人物であり、魔術師としての力量も《九耀の魔術師》に匹敵するとまで言われた超一流。そのため大した捜索がされることもなく、しばらくしたらふらりと戻ってくるだろうと、誰もが楽観的に考えていたのだ。
「さて、その真意は君を指名したフリストのみが知る、と言ったところだろうが……だが、私が彼と同じ立場だったとしても、きっと君を推薦しただろうね」
「買い被り過ぎです」
卑屈ともとれるクラウの態度にも、テレジアは柔らかな笑みで応じた。だが――いや、やはりと言うべきか――その笑顔にほんの僅かな陰が差し込んでいたのを、クラウは気付かないフリなど出来なかった。
フリストが失踪してから一月後のことだ。
サン・ピエトロ広場に通じる大通りの中心で、彼は物言わぬ抜け殻となって発見された。
外傷も、毒を盛られたような痕もない。まるで、いきなり生命のスイッチが切れてしまったかのような――糸の切れた操り人形の如く、その活動のすべてを停止していた。
誰が、いったい、何のために――様々な憶測が飛び交ったが、結局何の手掛かりも得られないまま時は過ぎた。そもそも死因すら不明なのだ。《不滅の潔刃》総出による必死の捜査も身を結ぶことなく……テレジアからの『捜査中止』の指示が下ったのが、つい先日の話である。
葬儀は家族内だけの、簡潔なものだった。テレジアもレイシアも、一粒の涙も流すことなく、淡々と。
そんな2人が何を思い、夫と、父と別れたのか。遠巻きに見守ることしか出来なかったクラウには測り知ることもできない。
それに、父親代わりでもあった師との離別だったのにも関わらず――心が波立つことすらなく、ただ『死んだ』という事実のみを単なる文字列でしか認識できなかった自分に途方もなく嫌悪した。
(我ながら酷いものだと思うけど……)
最後に涙を流したのはいつだったか。いや、そもそも最後に悲しいと感じたのはいつのことだっただろうか。
つくづく思う。自分は“聖剣砕き”になど――いや、誰かに評価されるに値する人間ではないと。
クラウ=マーベリックには、既に血の繋がった家族はいない。
クラウはイタリア郊外の小さな村に生まれ、幼少の頃は魔術とは無縁の、平和な生活を送っていた。
だが彼が6歳のころ、村の中で不可解な事件が起こる。
最初は村一番の物知りだった老婆だった。ある日を境に忽然と姿を消したのだ。
次の日には村に越してきて間もない若夫婦が。その次の日にはクラウが最も仲良く遊んでいた隣の家の男の子が。
狭い田舎だ、このただならぬ異変は瞬く間に村全体に広まっていく。凶悪な殺人鬼が村に潜伏しているのではないか、それでどこかの民家に隠れて、村人たちを一人一人攫っては殺しているのではないか。そんな憶測が飛び交い、5人目の被害者が出た頃に、ようやく警察がこの山奥の寒村に駆け付けたのだ。
捜査は難航した。行方不明になった人達は誰一人として発見されず、村の家屋を一件一件、地下や屋根裏に至るまで調べたが、そんな噂に出るような凶悪犯が隠れている形跡すら見つからない。
(あぁ、それはそうだろうな)
そんな警察や村人達の徒労を、幼いクラウは一切の感情を宿さぬ瞳で見つめていた。
彼はこの神隠しにも似た事件の顛末を知っていた。知っていてなお、警察に伝えようとはしなかった。……いや、伝えるという発想がなかったと言うのが正しい。
そこからまた1週間が過ぎた。
村人の消失は収まる気配を見せず、次の被害者になることを恐れて、誰もが家の外から出ないようになった。
そんな静まり返ったゴーストタウンにふらりと立ち寄った人物。それが“腐食后”テレジア=ウィンスレットだった。
「ねぇ、そんなに慌ててどうしたの?」
「クラウ、お前は外で遊んでいなさい。…………どうするのよ、あんな大物が来るなんて聞いてないわよ!!」
「俺だって知るか! まさかよりによって《九耀の魔術師》に嗅ぎ付けられるとは……! 早くここから逃げるぞ。ガキは置いてけ、邪魔にしかならん」
テレジアの来訪を知った2人の男女は、火の付いたような慌てようだった。息子を放置したまま荷物をまとめ、必死に逃げる算段を考えていた。
当然だ。一連の神隠しの犯人はこの2人だったのだ。
今までは気付かれる筈もないと高を括っていたが、今回は相手が悪すぎる。2人のような外法の魔術師が捕まった際の末路など目に見えていた。
「おやおや、どうしたんだいそんなに慌てて。夜逃げとは穏やかじゃないね?」
しかして、相手は『魔』の頂点に君臨する存在。そんな行き当りばったりの逃走劇を見逃すほど愚かでもなく。
「……《教会》からの脱走者か。やれやれ、“金蛇姫”の所は余程下の管理が疎かと見える。まさかこんな辺境にまで隠れ潜んでまで、禁忌の研究に手を出すだなんてね」
前触れなく自宅へと踏み込んできた蒼髪の女性が苦々しく言い放つ。
その絶対上位の覇気に身動き一つとれない両親をよそに、テレジアは家屋の地下室へと向かっていった。どうやら人払いの結界を張っていたようで、その影響で誰もこの地下室に近づこうともしなかったのだろう。道理で今の今までばれなかったわけだ。
「やはり、か」
地下室の中では死の狂宴が繰り広げられていた。
6m四方の小部屋の、壁や天井の至る所に夥しい血液がぶちまけられていた。床には仄暗く輝く不可思議な紋様――魔方陣の図式がびっしりと描かれていた。
「なるほど、見るにどうやら送還術式――人間を生贄にするあたり、悪魔召喚でもやろうとしたのかな。……まったく、こんなおざなりな術の組み立てでまともに成功するわけないだろうに」
おおよそ、教会にある禁書の内容を目にして、それを自分達で再現してみたくなったのだろう。
人の生命と引換えに、魔界の悪魔と契約する――だなんて、あまりに古臭すぎる内容だとは思わなかったのだろうか? 魔方陣自体もまるで滅茶苦茶なもので、下手をすると暴走して、この村がまるごと木端微塵になるような大惨事になるところだった。
最悪の事態になる前に発見できたことは不幸中の幸いか。しかし、
「それでも、無為に喪った人々の命が報われるわけではない……!!」
元より、魔術組織からの脱走者に対する罰は生死問わずである。一切何の躊躇も必要なく、テレジアは2人の愚者に裁きを下した。
「え、あぁあぁ……おれの、おれのからだが、くさっちまう……」
「じにだぐない、おねがい、だずげ、だずげ……」
“腐食后”の名の由来でもあるテレジアの魔術。
対象の生命力を増幅し、癒すことも。逆に全身が腐り落ちるほどに生命力を吸い尽くし、土へと還すことも可能とする神技。“創生樹”の前に敵は無し。
ミイラのように体中の活力を枯渇させた男女は、倒れ伏すと同時、跡形もなく風化して大気の中に消えていった。
「……ん?」
ふと、テレジアは自分を見つける一対の視線を見つける。
入口の扉から半身だけを覗かせ、こちらを窺っている少年だった。先の男女の子供であることはすぐに思い至った。
どうしたものか悩むテレジアだったが、少年の様子を見て背筋が凍り付く。
目の前で両親が死んだというのに、悲しみも、怒りも、一切の心の機敏を見せようとしない。とても血の通った人間とは思えない表情。
ガラス玉のような無機質な輝きの瞳を見ていると、テレジアは居ても立っても居られなくなった。
「すまない……!!」
泣くこともできない少年の代わりに、テレジアはとめどなく涙を流した。そして少年の小さな体を強く抱きしめ、うわ言のように謝罪の言葉を繰り返す。
両親を殺したこと? いいや違う。
この少年は心が死んでいる。テレジアが謝罪したのは、魔術なんてものに関わってしまったためにこんな目に合ってしまった少年の理不尽に対してだ。
禁忌に触れ人格が破綻した両親。そんな両親の手によって半ば日常的に目に刻むこととなった残虐な死と血に彩られた光景。物心ついた頃からそんな環境で暮らしてきて、まともな精神でいられる筈もない。
――魔術界の頂点に立つものでありながら、この手で救える人間どころか、その魔術によって不幸になる人間のなんと多いことか!
テレジアは己の無力を呪った。そして誰かの幸福に繋がると信じて探究し続けた魔術が、これほどに誰かを傷付けていることに涙した。
「君、名前は?」
「……クラウ」
少年――クラウの名前を、深く胸に刻み込む。
自分ひとりにできることなどたかが知れている。それは《九耀の魔術師》という立場であっても同じことだ。この手が届く距離なんて、本当に僅かなのだから。
それでも、だから。今、自分の手の中にいる無垢な存在を放ってはおけなかったのだ。
「クラウか、いい名前だ。……なぁクラウ、君さえよければ、私の『家族』になってくれないか?」
「君は人の痛みや苦しみを、誰よりも理解してあげられる子だ。“聖剣砕き”はあらゆる存在に破壊をもたらすもの。だから、君が一番相応しいと思ったんだ」
フリストも同じ考えだったろうよ、とテレジアは夜空を見上げながら呟いた。
クラウには増々もって理解できない答えだった。
自分が、他者のそういった感情に対して特別敏感であるとは思えないし、そいてそれが“聖剣砕き”に相応しい理由になるのかどうかも解せない。
だが自分の『母親』がそう言うのだ、クラウは納得いかない部分はあるものの、その疑問をひとまず飲み込むことにした。
「任命されたからには、しっかり役目は果たすつもりです。それがテレジア様への恩返しになるのなら」
「気持ちだけ受け取っておくよ。……クラウ、君は『恩送り』って言葉を知ってるかい?」
「恩送り、ですか……?」
テレジアは人差し指をぴんと立てて得意げに言う。
「受けた恩をその人に返すんじゃなくて、別の誰かに送ってあげることさ。……私はね、もう君からたくさんの大切なものを貰っているよ。だから、これからは私じゃない他の誰かのために、その力を使いなさい。優しさを、慈しみを注いであげなさい」
そうやって、たくさんの人と人との間に優しさの連鎖を作るんだよ、とテレジアは言葉を締めくくった。それはとても素敵なことだと、クラウは胸の中が暖かくなった。
こういう人なのだ、テレジア=ウィンスレットという女性は。
魔術師とは、皆が求道者だ。
己を磨き、己を高め、誰も到達したことがない遥かな領域へと昇華する。大小の差はあれど、要するに自分勝手でないと魔術師は務まらない。
そんな中、テレジアは常に他者のための魔術師であろうとしている。
《不滅の潔刃》を結成したのも、魔術によって不幸になる人を少しでも減らしたいという願いによるものだったし、それは彼女に救われたクラウ自身が一番よく実感している。
誰もが畏怖する《九耀の魔術師》でありながらも、そんな彼女を『聖女』と慕う者も少なくない。同じ《九耀の魔術師》である“黒の魔女”や“白の魔女”もテレジアに共感し、打算抜きの信頼関係を構築している。
だからこそ、そんな掛け替えのない存在である彼女を守護することこそが、今の自分に課せられた大役なのだと、クラウは一層決意を新たにするのだった。
恩送りという言葉は、作者が最も好きな言葉のひとつです。どこかで出せないかなーと思ってテレジアさんに使ってもらいました。