―第73話 ソーサレス・ソーサレス ④―
コメディ終了警報。そして食っちゃ寝しかしないフェブリルさんに意外な出番が。
「フェブリルさん……どうしてここに? いえ、てか何やってるんですか」
「いやね? アスカからレイシアを見張ってるように言われたから来たんだけどね?……身動きできないレイシア見てたら、こう、お茶目ゴコロといいますか……」
くすぐり地獄からレイシアを解放したクラウは、このいたずら好きの小悪魔(ホントに文字通りである。いや上手いこと言ったとは思ってないが)を摘み上げ、懇々とお説教をかましていた。
「げほっ、げほっ、けひっ、腹筋が……笑いすぎて、腹筋がめちゃ痛い……」
そんな中、悪夢のような拷問(?)が終わったレイシアは未だに悶絶状態から復帰できずにいた。そんな彼女をビシッと指さし、クラウは柄にもなく声を荒げた。
「いくらなんでもやり過ぎでしょう! 完全に年頃の女の子が出したらいけないうめき声あげてるでしょうが! 一応これから真面目な話しようかと思ったのに、完全に台無しですよ! 見れば分かるでしょこの涎を垂らしただらしない顔! こんな顔相手に普通に会話できると思ってるんですか! むしろこっちが笑い堪えるので精一杯ですよ!!」
「え、あ、うん……すんませんっした」
「クラウゥ……聞いてれば好き放題言ってくれるりゃにゃいにょよぉ……」
どうしてこう、自分とレイシアの間ではまともな会話が成立しそうにないのだろうか。昨日はレイシアが空腹のあまりカレーに飛びついてご破算、今日もこんな様子だ。
というか、何故飛鳥はレイシアの見張り役を、よりにもよって真剣な空気の場を間違いなくぶち壊してくれるこのチビっ子に任命したのか。鈴風やリーシェであればもっとまともな雰囲気にもなっただろうし、仮に2人が一触即発の状況になったとしても助け舟を出してくれそうなものだったのだが。
(多分、この子の前だと完全に気が抜けちゃうから……レッシィが暴れないようにするには、ある意味一番強力なのかも。いや、だからって……)
そりゃあ殺伐とした雰囲気に比べればまだマシなのかもしれないが、だからってこれではいつまで経っても話が先に進まない。
いい加減このコメディ時空から脱却することを心に決めたクラウは、早々にフェブリルにご退場願うことにした。
「ともかく、見張りというなら僕がやりますから。フェブリルさんは飛鳥先輩の所に戻っててください」
少しばかり強い口調でフェブリルに言い聞かせたクラウだったが、その回答は思わぬものだった。
「……それはダメ。だって、2人だけにしたら一緒に逃げるつもりなんでしょ?」
「!!??」
氷の刃で心臓を貫かれたかのような感覚だった。
そんなつもりはない、と言い返そうにも口が開かない。実際、クラウの説得にレイシアが耳を傾けてくれたのなら、そういった行動をとる想定も確かにあったからだ。
「どういう、意味よ……」
バシュッと勢いよく水が噴出される音が聞こえたかと思ったら、レイシアの身体に巻き付いていた縄が一瞬で切断され散り散りになっていた。おそらく魔術で水を圧縮し、ウォーターカッターの要領で縄を切ったのだろう。
難なく自由の身となったレイシアはクラウに詰め寄り、襟元を乱暴に掴んでくる。
「一緒に逃げるってどういう意味よ! お母様を殺したアンタが何ふざけたことを「今はアタシが話してるんだ。ちょっと黙ってて」――っ!?」
抑揚の無い小さな声だったが、人形くらいの大きさの愛らしい少女から放たれる濃密なプレッシャーに、クラウもレイシアも凍り付いたように動けずにいた。
嘘も欺瞞も認めないと、フェブリルの真紅の眼が冷たく光る。
「気付いてないとでも思った? ねぇ、そもそもレイシアには見張りをつけてるのに、どうしてあなたを野放しにしているのか、疑問には思わなかったの?」
「僕をって、それは……」
「アスカはその辺り甘ちゃんだから、面と向かっては言わないだろうし……アタシが代わりに言ってあげようか? クラウ、レイシア。アスカはね、最初から2人を微塵も信用してないの」
いったい何なのだ、この少女は。普段はマスコット然としていて、戦いとは完全に無縁で無害な存在にしか見えなかったというのに。しかしこの豹変ぶり、今では《九耀の魔術師》など歯牙にもかけぬほどに、恐ろしく思えてならない。
「フェブリルさん……いったい君は、何者なの」
「アタシはアスカのためなら何だってやる健気な使い魔だよ。それ以上でもそれ以下でもない。……だから、アタシはアスカにとって少しでも害になる要素のある人間は、絶対に見逃さない」
「害って、僕はそんな」
「無いとは言わせないよ? そもそも、その傀儡聖女とやらが襲ってくるっていうのはクラウとレイシア、あなた達2人がここにいるからだよね?」
失念していたわけではない。確かに飛鳥達を巻き込む形を作ってしまったのは、自分が逃亡先をこの白鳳市に決めたからだ。無論、罪悪感もある。
だが、それは昨日飛鳥にも謝罪しているし、彼もその点を気にした風ではなかった。クラウとしては、あの時点で飛鳥との間にわだかまりが無くなったと認識していたのだが……
「もちろん、そのことに対してクラウが何も感じてないとは思ってないよ? でもね……それであなたはどうするの? 大勢の人間を危険に晒しておきながら、クラウはどうにかしようとは思わなかったの?」
「…………あ」
そうだ。ここまで聞いてようやく、フェブリルが自分に対して憤っている理由が分かった。レイシアも気付いたようで、バツの悪い表情で俯いている。
要するに、クラウもレイシアも自分のことしか考えていなかったのだ。
片や復讐、片や逃亡。2人の目線には、最初から最後までお互いの姿しか見えていなかった。その過程で傷付いた人、傷付くであろう人のことを蔑ろにして。
「危ないことなんだし、無理強いするもんじゃないけど。……けど誰かの信用っていうのは。言葉や態度だけじゃない、常に行動することでしか得られないものなんだよ」
反省すればいいわけじゃない。謝罪して、許してもらえれば解決するわけでもない。その事実に対して、どう行動すべきなのか――それをはっきりと示さないことには、信用など得られる筈もない。
信用されていないのも当たり前だ。
自分の所為で《九耀の魔術師》が攻めてくる、自分はレイシアを助けたいけど、街のことは皆で何とかしてほしい。そう無責任なことを言っているのだから。
レイシアも同じである。クラウに復讐するために、無関係な鈴風達までもを倒そうとして、それに対する何の償いも見せていない。
そんな申し訳なさに顔を歪ませる2人を見て、フェブリルは苦笑混じりで呟いた。
「……2人とも、やっぱり根はいい子なんだね」
「「え?」」
「なんでもないよ~♪ さぁ、アタシの言いたいことはここまでだよ。ここからどうするのかは、2人できちんと話しあって決めること! それじゃあアタシはお腹がすいたので、食べ物を探しに旅に出るのだっ!!」
そう言ってビシッと敬礼のポーズをとったフェブリルは、空きっ腹を抱えながら部室から飛び去っていった。
状況がよく分からないまま取り残された格好となった2人。だが少なくともフェブリルの気遣いで、見張りの役目まで放棄して2人きりの時間を作ってくれたのだろう。ふわふわと浮かんで小さくなっていく背中に、クラウは心の中で感謝した。……本当にお腹がすいただけかもしれないが、クラウはそう思うことにした。
「レッシィ」
ならば、この時間を無駄にはできない。クラウは俯いたままのレイシアに一声かける。……だが考え事をしているのか、反応がない。どうしたものかと思っていると。
「…………せんよ」
「え?」
「一時休戦って言ったのよ!!」
いきなりの大声で思わずビクッとしてしまうクラウだったが、その返答自体にはもっと驚いた。
「悔しいけど、確かにあのチビスケの言うとおりよ。自分の都合ばっかり考えて、周りのことなんて全然考えてなかった。……それにあの傀儡聖女が来るってのに、あんた如きにかかずらってる場合でもなかったわね」
レイシアはひとり納得したようにうんうんと首を上下に揺らしていた。そういうことであれば、こちらもきちんと伝えておくべきだ。
自分の意思を、これからへの決意を、一言一句誤魔化すことなく。
「レッシィ、僕は戦うよ」
「クラウ?」
「傀儡聖女――ミストラル=ホルンと、そして君を狙っているらしい《パラダイム》とかいう組織と。僕の力がどこまで役に立つか分からないけど……飛鳥先輩達だけに戦ってもらうだなんて出来ないから。これ以上、誰も悲しい目に合わせたくはないから」
レイシアの目の前で母親を殺した自分に、そんな台詞を吐く資格などないのかもしれない。だが……それを言い訳に、今できることを否定したくはなかった。
そんなクラウの決意に、僅かばかりでも感じる部分があったのだろう。
「…………いいわ。言ってやりたいことは山ほどあるけど、今は飲み込んであげる。甚だ不本意ではあるけれど……私もあんたと同じ考えよ。少なくともミストラルを何とかするまでは、共同戦線を張ってやってもいいわ」
ぷいっと顔を背けて居丈高に言い放つレイシアは、復讐で変わってしまった彼女ではない、クラウが昔からよく知っているレイシア=ウィンスレットだった。
思わず感極まったクラウは、レイシアの手を両手で包み込みぶんぶんと上下に振り回した。
「ありがとう、ありがとうレッシィ! 本当に嬉しいよ!!」
「んがっ!? ちょっ、馴れ馴れしく触んじゃないわよ! 私はまだあんたを許したわけじゃないんだからね! ミストラルを倒したら、次はあんたの番なんだかね! そこんとこ勘違いすんじゃねぇっての!!」
顔を真っ赤にしながら手を払いのけられてしまった。
無論、承知している。遅かれ早かれ、クラウは本当の意味で、真正面からレイシアと向かい合わなくてはならないのだ。
「うん、分かってる。この一件が終わったら、ちゃんと決着をつけよう。誰にも邪魔をされないように、僕と君と、2人だけで。……約束する」
「この野郎、狙って言ってんじゃないわよね……?」
端から聞いていれば、まるで愛の告白かプロポーズの約束を取り付けているような言い回しなのだが、本人にはまったく自覚がなかった。
レイシアは全身から力を抜いて、大きな溜め息をついた。
「……それで? そもそも傀儡聖女はなんだってあんたや私を狙ってきてるワケ? あんたやあの『反逆者』ばっかりが物知り顔ってのもムカつくんだけど?」
「『反逆者』?」
「……あんた、もうちょっと情報ってもんにアンテナ張りなさいよ。知らないの? 今から1年ちょっと前、ここ日本で“白の魔女”クロエ様がご乱心されて大量破壊をやらかした事件、あったでしょ?」
「ああ、結局原因は分からずじまいだったっていう」
当時のクラウはまだ“聖剣砕き”ではない、ただの修行中の魔術師だった。クロエのこともその事件も、人づてに聞いただけで特にクラウが関わったことはなかった。
凄惨な事件だったと聞いている。日本の地方都市を一夜にして火の海と化し、大勢の死者が出たそうだ。多くの魔術師が彼女を食い止めるため日本に向かったが、生きて戻ったのは全体の一割にも満たなかったという。
「そう。それで、そんなクロエ様の暴走を単独で止めたのが、あの日野森飛鳥――魔術界に人工英霊という未知の存在を知らしめた超重要人物ってわけ」
「そんなに凄い人だったんだ……」
「私も驚いたわよ。《九耀の魔術師》に勝って――噂じゃそのまま自分に服従させたってくらいの実力の持ち主が、まさかあんな普通の学生だったなんてね」
昨日の戦いを見る限り、確かに強いことには違いないが《九耀の魔術師》を制するほどのものとは思えなかった。もしかするとまだまだ力を隠しているのかもしれない。底の知れない人だと戦慄を隠せなかったが、同時に味方であるならこれ以上頼りにできる人物もそうはいまい。
少し話題が逸れてしまった。思い直したようにレイシアが手を叩く。
「ってその話は今はいいのよ。そんなことよりミストラルの目的よ。言っちゃなんだけど、私は魔術師の中でもいいとこ中の上くらいの実力しかないわ。傀儡聖女が私をピンポイントに欲しがる理由って言ってもピンと来ないんだけど?」
「それを話すということは、同時に僕がテレジアさんを殺した理由を話すことになる。……それでも、聞く覚悟はある?」
「……ええ」
真実から逃げるつもりはないと、力強い瞳で見返してくるレイシアを見て、クラウもようやく決心がついた。昼休みが終わる予鈴が鳴ったが、気にかけている場合ではなかった。
あの惨劇の夜。クラウ=マーベリックとテレジア=ウィンスレットの間に何があったのか。
この一連の事件の始まりとなった出来事を、ぽつりぽつりと語り始めた。