―第72話 ソーサレス・ソーサレス ③―
一応この章の主人公なのに、今までまともなセリフもなかったクラウ君ようやく出番。
――あの頃の僕は、ただひたすらに信じていた。
――戦って、戦って、戦い続けて。あらゆる敵をこの拳で打ち砕いていくことが、みんなの幸せに繋がってるんだって。
――でも、本当にそうだったのだろうか?
――「これがみんなのためなのよ」って、ただその言葉だけを信じて。それで。
――魔術を究め、力を究め、その果てに愛する家族までもを手にかけて。
――これが幸せ?
――ははは、なんだよそれはふざけるな。大好きだった『お母さん』の血でこの手を汚して、大好きだった女の子に憎まれて。
――僕はいったい何を目指していたんだろう? 僕はいったい何がしたかったんだろう?
――そんな当たり前のことを、僕はもう思い出すこともできそうにない。
「…………ゃん、クーちゃん!!」
「っ!? は、はい!!」
至近距離で鼓膜を揺るがした大声に、思考の海に埋没していたクラウ=マーベリックは反射的に慌てて立ち上がった。
いきなりの覚醒で理解が追い付かない。ぐるりと付近を見渡す。
「あ、あれ? えっと……」
「なにボーってしてるですか? 早くしないとおそばが伸びちゃいますよ?」
ここは学園の食堂で……そう、今は真散部長と一緒に昼食を食べている最中だった。
いきなり大声で椅子を蹴り出し立ち上がったクラウを、周りの生徒達は怪訝な表情で見つめていた。
(迂闊すぎるだろうクラウ……!!)
ぐるぐると頭の中を巡るネガティブシンキングが白昼夢の域に到達していたらしい。一瞬とはいえ意識を飛ばしていたことに、クラウはますます自分の不甲斐なさに嫌気が差した。
今は警戒すべき時だ。いつ何時、自分の持つ『アレ』を狙うミストラルによる襲撃があるのか分からないと言うのに。
「いえ、ちょっと疲れちゃったのかな? 大丈夫です、なんでもないですよ」
「それならいいのてすけど……ねぇ、クーちゃん」
「なんでしょう?」
なるべく笑顔を意識して答えたつもりだったが、真散部長の心配そうな顔を見る限り、全然取り繕えていないようだった。
「レイシアちゃんとは、仲直り出来ないですか?」
「……それは」
クラウが何に悩んでいたのかなど一目瞭然だ。部長は呆れ半分、心配半分の眼差しを向けてきた。
「ねぇクーちゃん。私には今のクーちゃんの気持ちも、レイシアちゃんの気持ちも分かってあげられないのです。クーちゃんとは以心伝心、なんて言えるほど長い付き合いをしてきたわけでもないのですし、レイシアちゃんとは昨日が初対面なのですし。けど……レイシアちゃんの今の気持ちを、ずっと一緒にいたクーちゃんなら分かってあげられるんじゃないですか?」
「……それは、どうでしょうか」
「色んなことがあって、巻き込まれて。2人ともとっても大変なのは理解できるですよ。……けどね?だからって、今自分が何をすべきなのか、どうしたいのか、そんな自分の意思を置き去りにする言い訳にはならないのです」
「何をすべきなのか、どうしたいのか」
真散の言葉を噛み締めるように反芻した。
一度、今の環境や状況を棚上げして考えてみる。自分の意思をーー母国から遠く離れたこの地に逃げるようにやってきてまで、いったい自分は何がしたかったのか。
――本来なら、誰も巻き込むつもりはなかった。
元々クラウがこの地にやってきたのは、レイシアを傀儡聖女の手が届かない場所に誘き寄せるためだった。そして彼女にこの事件の真実を告げ、2人でどこかに隠れて暮らすことが出来れば――そんな淡い期待の下に行動していた。
だが、
(改めてレッシィと言葉を交わしてよく分かった。……レッシィは絶対に、僕を許せない)
許さないではなく、許せない。彼女の立場に立って考えれば簡単なことだ。
確かにクラウとレイシアは姉弟同然の仲として共に育ってきた(歳はレイシアの方が一個上である)。そんな大切な家族の一員が、自分の母親を殺したのだ。
レイシアとて馬鹿ではない。クラウがテレジアを手にかけたのには、何かどうしようもない事情があったことくらいは容易に察しているだろう。
だが……だからと言って、クラウを完全に許すことなど出来はしまい。
(僕を許すということは……それはテレジアさんの死を『仕方がなかった』と割り切ることだ。レッシィにとって、それだけは決して認められない部分なんだろう)
昨日、レイシアと再会したあの時――もし鈴風達がいなければ、クラウは一切の抵抗をするつもりはなかった。殺されてもいいと、そう考えていた。
(でも、その後はどうなる?)
テレジアもクラウも、『家族』が1人残らずいなくなって、それで彼女はひとりぼっちになってしまう。
本当にそれが、レイシアの幸せに繋がっているのだろうか?
「……違う」
「クーちゃん?」
どうやら声に出ていたらしい。部長が首を傾げて問いかけてくる。
思考の海から帰還し、僅かばかりではあるが自分の考えを整理できたクラウは、頭の中の重しがとれたような心地だった。
「部長、ありがとうございます。おかげで僕がやるべきことが、少しだけですけど、分かってきた気がしまーーーーん?」
アドバイスをくれた真散にお礼を告げようとした矢先、ふと外から感じた覚えのある気配を察知した。
「また、雨……?」
先程まで晴れやかだった青空が、急速に分厚い雨雲に覆い隠されていく様子に、クラウは一抹の不安を覚える。
別段おかしな光景ではない。今日の天気予報では曇り時々雨だったし、周りの生徒達も特に気にした様子はない。「傘忘れちゃった、どうしよ〜」「今日もグラウンドでサッカーの練習できそうにないなー」といった憂鬱ぎみな言葉が聞こえてくるだけだ。
(あの雲……間違いない。あれは魔術によるものだ)
しかし“聖剣砕き”としての意識に切り替えたクラウは、あの灰色の雲から感じられる魔術の気配を見逃さなかった。
「部長、すいません。少し用事を思い出したので先に戻ります」
「え?そ、そうですか?あ、まだコロッケ残ってるですよ…………って、行っちゃったです」
真散の返答を聞くことなく、クラウは弾かれたような速さで食堂から飛び出していった。
ポツンと取り残された真散部長は、何がなんだかと言った様子で1人寂しくちゅるちゅると伸びきったお蕎麦をすすることしか出来なかった。
(レッシィの血筋やその力を狙う輩は大勢いるんだ。だったら、そう簡単に、僕の為すべきことは終わったりなんてしないんだ!)
クラウは部室棟に向けてひた走りながら、自分のとるべき行動というものを構築し直していた。
今の今まで、罪悪感に押し潰されたまま思考放棄をしていた影響か、急激な意識の活性化に身体が追い付いていないようだ。まだ頭の中はグチャグチャで、戦いから離れて数ヶ月は経っているせいで、全身が錆び付いてしまっているかのようだった。
(けど、今はまず――!)
――あらゆる脅威からレイシアを護り抜く!
今はそれだけ心に刻んでおけば充分、あとは野となれ山となれ。
あの日テレジアの命を奪った時点で、最早クラウに退路などない。痛みや苦しみ、憎しみといった負の感情から逃げることなど出来ない。
クラウは懐からひとつの石を取り出す。手の平にすっぽりと収まるくらいの、透き通った薄紅色をした石だ。鮮血の赤にも似たこの石こそが、傀儡聖女が欲して止まない『ブラッドストーン』である。
(これを渡せば、ミストラルは素直に退いてくれるだろうか……いや、ダメだ。そんなことをすれば、僕は本当にテレジアさんに顔向けできなくなる)
“腐食后”テレジア=ウィンスレットの魔力が集約された――心臓が結晶化してできたこの石を渡すことは、即ち彼女の命をドブに捨てるのと同義だ。
そして、そんなテレジアの血を引くレイシアもまた、傀儡聖女に狙われて然るべき存在なのである。
杞憂で終わればそれでいい。だが取り返しのつかないことになる前に、レイシアの下へと辿り着く。
周りに人の目がない事を確認、両足の接地面に意識を集中する。
「“終末幻想”・術式起動」
その言霊が、“聖剣砕き”の能力――クラウ=マーベリックの魔術師としての力の引き金であった。
4階建ての部室棟が見えてきた。そして同時に隠し切れない『魔』の気配がより濃密に感じられた。
雨を操る魔術――そう聞いてピンと来るのであれば、もしかすると他に気付いた人もいるかもしれない。だが同じ魔術師である真散にも分からなかった以上、自分以外に今の異常事態を察知できている人間はいないと考えるべきだ。
(レッシィ……!)
あれは彼女からの『救難信号』だ。
クラウは両脚のバネを最大限に駆動。同時に接地面に向けて術式を施す。
「――ハッ!!」
極限まで引き絞られた弓と矢のように、クラウは地面から射出された。単なる身体能力の高さだけでは証明できない、あり得ない高さと速さの跳躍――それは磁石どうしの反発現象に酷似していた。
『人間の足ではどんなに鍛えても、4階建ての建物を飛び越えることはできない』――その常識を粉砕する。
今クラウが行使した魔術を端的に示すと、こういう形になる。
――魔術とは即ち、固定観念への反発である。
これはクラウに限らず、魔術を志すあらゆる者に共通して言える真理だ。
太陽光を収束させ弾丸として放つ。影の中に潜り込んで身を隠す。雨水を操り武器とする。さて、人間にそんな芸当ができると思いますか?
できる訳がない。常識で考えろ。正常な者ならそう言う答えを返すのが当然だ。
……だが、「もしかすると」「やってみないと分からない」一部にはこう考える人もいるかもしれない。
ここが、普通の人間と魔術師を分かつ分水嶺である。
そして常識を疑った者こそが、初めて魔術という道の扉を叩くことを許されるのだ。
これこそが魔術の基本であり、クラウの術式“終末幻想”はその基礎をとことんまでに突き詰めた魔術モデルである。
目の前にあらゆる不可能性を提示した上で、その悉くを否定・粉砕する――これは千差万別の魔術式の中でも、極めて異端の仕様となっている。
「これくらいの距離……!!」
郷土史研究部の部室は4階の角部屋だ。その窓の縁をめがけ手を伸ばす。
――跳躍高度、概算でも15m超。
通常ならば難なく届く距離だが、ブランクがある状態では少々危なっかしく思わず背筋を冷や汗がつたった。
「レッシィ!!」
心臓の動悸を抑えつつ、クラウは部室の窓を開け放ち中へ踏み込んだ。
今のレイシアは飛鳥の手でぐるぐる巻きにされているのだ。彼女が本気を出せば引き千切ることもできるだろうが、かの《九耀の魔術師》を目の前にしてそんな余裕があるとも思えない。
どうか無事でいますようにと、神にも祈る気持ちで――
「ほ~れほ~れぇ! ここかぁ? ここが弱いんかぁ?」
「あひひゃはひゃひゃひゃひゃふへひゃははひゃっ! ちょっ、お願い、お願いだからもうやめてっ、わたしくすぐられるの弱いって、さっきから言ってたぎゃひゃはへひゃひゃひゃひゃぶはひゃしゃひゃはははははは!!」
――盛大に頭からずっこけた。
簀巻き状態にされたレイシアは、まぁ取りあえず無事だった。奇声をあげながらビチビチと活きのいい魚みたいに跳ね回っているのは何事かというと……
「今度は足の裏行ってみようか~♪ そ~れうりうり~♪」
「だひゃっひゃひゃはひゃひゃひゃひゃひゃもうむりもうだふひひひゃっはははふはは!!」
レイシアの足元あたりにぷかぷか浮かんで、両手で持った猫じゃらしで足の裏をくすぐっていたフェブリルの仕業だった。
「もうだめ、じぬ、わらいごろざれちゃう……………へ? くりゃう?」
笑いすぎで完全に呂律もまわっておらず涙目なレイシアが、ようやくこちらに気付いたようだった。
色々と言いたいことがあって、でもどれから話すべきか浮かんでは消えていくばかり。……だが、まずは一言。これだけは物申しておくべきだ。
「さっきまでの真面目な空気を返せ」