―第69話 シャドウ・スターター ②―
久々のクロエ登場にしてヤンデレ大暴走の回。
「ど、どうしたんですか、いきなり……?」
「いいからさっさとここから離れるわよ。……やられたわ、畜生」
ちょっとお花摘みに行ってくるわー、とデリカシーゼロ発言をかましながら、霧乃はクロエの手を引いて会談室を後にしていた。何故自分も連れてきたのかと戸惑うクロエをよそに、霧乃はずんずんと出口へと歩を進めていく。
とにかく、事は一刻を争う。まずは無事にこの場を脱することを考えなければならなかった。会談室から大きく離れ、周囲に誰の目もないことを確認した霧乃は、ポカンとしたままのクロエに耳打ちする。
「いい? 今から話すことは絶対に他のヤツらに聞かれたら不味い内容よ。聞いても大声とか出さないように」
「は、はい……」
「まず、この『天秤会談』が開かれた目的。それはテレジアさんが亡くなったことの報告なんかじゃない……私達2人をおびき寄せるためのものよ」
「おびき寄せる……? いったい誰が、何のために?」
「多分……いえ、間違いなく“傀儡聖女”のクソババァね。アークライトやゲイレールなら、こんな回りくどい真似なんてしないでしょうし」
ここまで説明しても、クロエは何の話をしているのか理解しきれていないようだ。
仕方がない、と言えばそこまでだが……《九耀の魔術師》たるもの、一を聞いて十を知るくらいの洞察力は欲しいところである。
「回りくどい言い方してもしゃあないから、率直に言うわね。……当代の“聖剣砕き”は今、日本にいるわ。それも、つい最近あんたも会ってるわよ」
「嘘……!?」
「こんな時に嘘ついてどうするっての。クラウ=マーベリックよ。ほら、学生寮にいたあの留学生」
“聖剣砕き”の名は、魔術師界の中ではかなり有名なものだ。『魔術師殺しの魔術師』という別名を持つ最強の執行者として、《九耀の魔術師》からも一目置かれているほどである。元々その称号は、“腐食后”テレジアの夫であった魔術師のものだった。しかし、彼の引退と同時に――引退の理由は定かではない――その名は彼の一番弟子に継承された。
その事実は2人も風の噂で聞いていたのだが……肝心の、その一番弟子とやらがどのような人物かまでは知り得るところではなかった。
「クラウが“聖剣砕き”だってのを知ったのもつい最近。あんた達の学園に赴任してすぐの頃よ。私は先代にはよくお世話になってたからね……魔力の波長なんかですぐに分かったわ。本人はあんまり追及してほしくなかったようだったから、なるべくその辺の話には触れないようにしてたんだケド」
それはほんの1ヶ月前のことである。
ちなみに、篠崎美憂が拉致され、飛鳥と刃九朗が彼女の奪還に赴いた際、霧乃が助っ人として考えていたのがクラウだったのだ。結局その時は、クロエの暴走によって有耶無耶になってしまったが。
「そんな……彼が、テレジア様を」
「何かしらの事情があったのは間違いないわね。殺しを楽しむような子には見えなかったし。冤罪である可能性もあるけど……ミストラルが言っていたように、テレジアさんを殺せる『力』を持った人間が彼以外には考えにくいってのも事実よ」
クロエは眉間に皺をよせ、混乱しそうな頭の中を必死に整理しているようだった。
かく言う霧乃も同じだ。霧乃とて、まだこの一連の事件の真相をすべて見抜いているわけではない。
(テレジアさんの死を理由に、ミストラルはアークライトに《九耀の魔術師》の緊急招集をかけさせ、私とクロエを日本から切り離した)
これは確定だろう。クロエに加えて霧乃もこちらに来るのはおよそ想定内だった筈だ。《九耀の魔術師》にとって『天秤会談』出席の優先度はかなり高いもので、もし欠席するのであれば、それ相応の理由が求められる。霧乃は最初欠席するつもりだったが、それにより何かを隠していると疑われては敵わなかったので、渋々参加したのだ。
今回はそれが完全に裏目に出た。先のミストラルの会話運びからして、クラウに嫌疑をかける所までは完全に彼女のシナリオ通りだったに違いない。
(当然、そうなるとがら空きになった日本――というより白鳳市は外部勢力から狙われやすい、無防備な状態になるわけよね)
自意識過剰とは思わない。自分やクロエがそこにいるだけで、世界中からどれだけの抑止力として機能しているのか、理解していない霧乃ではない。
だが、そこまで来てどうしても解せないことがひとつだけある。
(……結局、ミストラルは何が目的なの? テレジアさんの仇討ち? あり得ないわよ。それとも白鳳市の未来技術――SPTに目を付けた? ないとは言い切れないけど……それだけのために、こうもまどろっこしい手段をとるものかしら?)
そう、霧乃とクロエを無理矢理日本から切り離してまで、ミストラルはいったい何がしたいのか。ともすれば“黒の魔女”と“白の魔女”両方を完全に敵に回すという、これほどのリスクに対するリターンが思いつかない。
「ミストラル様が良からぬことを企てているのは理解しました。ですが、彼女がここにいる以上、私達で彼女を抑えていれば――」
「……それじゃあ駄目なのよ」
だが霧乃は、“傀儡聖女”が白鳳市を狙う『動機』は分からなくとも、その『手段』を知っている。
『傀儡』という名は、ただの飾りではない。それが意味するところは――
「ふふふ……♪ なぁにヒソヒソお話してるのかなっ♪」
背後から響いたその声に、クロエの総身が急激に粟立った。
「ミ、ミストラル様……」
「2人だけでガールズトークだなんてずるいぞ寂しいぞー♪ ミストもまーぜてっ♪」
大輪の花を思わせるにこやかな表情と弾んだ声。しかしクロエにはそんな彼女が、じわじわと己の身を蝕まんとする食虫花のように思えてならなかった。
――恐ろしい。
“白の魔女”として圧倒的な力を有するクロエだが、今は、眼前の年端もいかない童女を前にして足の震えが止まらなかった。
「ミストだけ仲間外れだなんて悲しいなー、泣いちゃいそうだなー♪ ……ねぇクロエちゃん。優しい優しいクロエちゃんは、ミストを仲間外れになんてしないよね♪ 隠し事なんてしないよね♪ ……何でも話してくれるよね♪」
「あ……ぅ……」
何か返事をしようにも、声にもならない声しか喉から出てきそうにない。
理屈ではない。蛇に睨まれた蛙のように、本能も理性もすべて凍り付いて立ち尽くすことしかできなかった。
クロエは改めて思い知る。同じ《九耀の魔術師》でも、ほんの僅かの邂逅で理解してしまえるほどに――実際にはこれほどの次元の差が存在するのだと。
9人中最弱。嫌が応にも自分の立ち位置を再確認する羽目になるクロエだった。
「そうね、仲間外れは可哀想よねー。そこまで泣いてお願いするってんなら、考えてあげないこともないこともないわよー?」
だが横からの助け舟により、クロエはミストラルからの威圧から逃れることができた。無意識に呼吸を止めていたようで、解放された瞬間クロエは大きく咳き込んだ。
「キリちゃん……それってよくよく聞いたら『考えるつもりはない』って言ってるよね♪」
「あら気付いた? もう、当ったり前じゃない! 今は女の子同士の秘密のお話の真っ最中なのよ? そこにあんたみたいな、年齢詐称のババァを誘ったりするわけないじゃなーい。そんなこと、ちょっと考えたら分かるでしょうに。いよいよ耄碌してきたんじゃない、ミスト、お・ば・あ・ちゃ・ん?」
「バ……ッ!?」
この状況で、まさかの罵倒悪口のマシンガン。驚愕と混乱と怒りでミストラルの顔が青くなったり赤くなったりするのを、霧乃はゲラゲラと高笑いして更に彼女の神経を逆撫でした。
あまりの衝撃的な切り返しに、クロエは唖然とした表情のまま停止。ミストラルは怒りを通り越して何の感情も見せない無表情のまま停止。ひとしきり高笑いした霧乃は、そんな2人の異常を見て、大口を開けたままの状態で停止。
3人の間の空気が加速度的に冷え切っていく。
――1秒、2秒、3秒。
クロエの頬を滑り落ちる汗の感触が、やけにゆっくりと感じられるほどに重苦しい時間が流れていった。
「……オイ、ゴキブリ女。あんま調子乗ってると、全身に『糸』巻き付けて輪切りにすんぞコラ」
数時間にも感じられた静寂を切り裂いたのは、ミストラルから投げつけられた、あまりに殺伐とした言葉のナイフだった。
先程までの愛らしい言葉遣いからは想像もつかない、殺気を隠そうともしない攻撃的な態度だ。ゴシック調の衣装を纏った姿とはあまりに不釣合いな、猛禽のような鋭い目つきで霧乃を睥睨してくる。
「いちいち遊んでんじゃねぇよ。その様子だと、この会談にてめぇら呼び出したのがオレの策略だってのには気付いてんだろ?」
「……ようやく化けの皮剥がしたわね“傀儡聖女”。そうよ、そうそう。こっちとしても今更腹の探り合いなんて面倒だから、さっさと本音で語りたかったのよね」
不敵な笑みを返す霧乃に、ミストラルは大袈裟に舌打ちした。
2人が目線で火花を散らしている様子を、一歩引いて見守っていたクロエだったが(蚊帳の外に追いやられた、とも言う)今のミストラルに対して、どうにも拭いきれない違和感があった。
口調が豹変したのはまだ分かる。普段の気味が悪いほどにあざとい態度が完全に演技で、今の状態が彼女の地であるのなら、驚きはしたものの納得はできる。
(でも、それだけではないような……)
具体的に指摘するのは難しいのだが……彼女が豹変してからの、ちょっとした仕草や手足の動き。それがあまりに男っぽすぎると言おうか。
表面的な態度だけではない、まるで中身がまるごと別人に挿げ変わったかのような……妙な錯覚を感じ取ったのだ。
「正面から問わせてもらうわ、ミスト。……あんた、今どこにいる?」
奇しくも、その疑問に対する答えが霧乃の口から発せられた。クロエには、その言葉が意味するところが理解できなかったが……
「ん? ああ……そういやテメェはオレの能力を知っていたんだっけか。本来なら教えてやる義理なんてねぇんだが……まぁいい。もう分かってるんだろ? テメェが思ってる通りのところだよ」
「既に日本にも……いえ、白鳳市にも潜り込ませてたってわけね。あんたの『傀儡』――“支配者の繰り糸”の被害者が」
「“支配者の繰り糸”……?」
「あんたの光子魔術展開式や私の黒曜式集積魔術陣と同じ、“傀儡聖女”専用の魔術式よ。こいつは他の人間に自分の意識を投影して、操り人形みたいに動かせるのよ」
「クハッ」
核心を突いた霧乃の指摘に、ミストラルは悪戯が成功した時の子供のような、下卑た笑い声をあげて応えた。
さすがのクロエもここまで来れば、霧乃の懸念するところが理解できた。
つまりはこういうことだ。
白鳳市にある『なにか』を狙っていたミストラルだったが、そこは“白の魔女”と“黒の魔女”が常に目を光らせている地域だ、大っぴらな真似はもちろん、侵入することすら困難だろう。
だが、そこには予め『糸』を付けておいた人間がいたため、2人が日本を離れている隙に、その『人形』を介して目的のための行動を開始したと。
「オレの支配下に入った人間は、操られているなんて自覚すらねぇ。ちなみに、オレが直接意識を操作しない限りはそいつからオレの魔力を感知することも絶対に不可能だから、テメェらにも分からなかっただろうよ。誰がオレの『人形』だったのかはよ?」
「その口ぶりだと……相当に私達の身近にいた人間のようですね」
想像するだに恐ろしい。
要するに、クロエのこれまで白鳳市での生活も、ミストラルに筒抜けになっていた可能性が高いのだ。もしかすると、彼女はクロエを手にかけようと思ったらいつでも出来ていたのかもしれない。喉元に刃を突き付けられたような、息も詰まりそうな恐怖心がクロエの全身を大きく震わせる。
いや、違う。我が身可愛さに震えている場合ではない。
そうなると、最も危険なのは日本にいる飛鳥達だ。クロエ達が抜けて、魔術師のことをまともに理解していない面々など“傀儡聖女”にとっては赤子も同然だろう。
どうするべきか、どうしなければならない?
焦燥と恐怖心が邪魔をして、クロエは普段の冷静な自分が発揮できずに歯噛みする。
「ま、大人しくここで1週間ほどのんびりしていけや? そうしたら、オレは別にテメェらには何もしやしねぇんだからよ」
「……ちっ」
にやにやと不快な笑みを浮かべるミストラルに、霧乃は打つ手なしと悟ったのだろうか。小さく舌打ちし、視線を逸らす。
そんな霧乃の敗北を認めた姿に満足したのか、ミストラルは外見相応の少女らしい仕草で可愛らしい微笑をこぼした。
「うんうん、物分りのいい子はミスト大好きっ♪ 心配しなくても、ミストは戦いなんて大の苦手だから、キリちゃんが心配するようなことにはならないよっ♪」
「どの口が言うのかしらね、この悪女が」
「悪女じゃなくて魔女だもんっ♪ ……ただ」
いつぞやに、霧乃がクロエに対して言っていた憎まれ口をそのまま再現したあたり、彼女の『目』は本当にクロエ達のすぐ傍にあったのだろう。クロエは戦慄するあまり、両手で肩を抱きしめて必死に震えを抑えようとする。
目に見える強さではない。己の生殺与奪を完全に握られている――そんな感覚が拭いきれずに、クロエの精神は恐慌状態に陥っていた。
「ただね♪ むこうの方からミストの邪魔をするようなら、どうなっちゃうか分からないかも♪ そうねぇ……特にあの男の子」
が、次にミストラルの発した一言が、クロエ=ステラクラインの引いてはならない『引き金』を引くことになった。
「紅い髪が綺麗なあの子……ヒノモリアスカ、だったかな♪ ああいう頭の切れる子はほっとくと後々面倒だから、もしかすると壊しちゃうかもねっ♪」
――イマ、コノオンナハナントイッタ?
瞬きの間もなく、全身の震えが止まる。代わりに全身を駆け巡るのは、絶対零度の『殺意』の血潮。
「……ねぇ、クロエちゃん♪ だんまりなんてつまんないぞー♪」
小さく呼気を吐く。この一刹那に、術式の構築・展開・発動までの全シークエンスを完了させる。
“クラウ・ソラス”召喚完了と同時に光子魔術展開式04“天蓋穿つ滅輝の柱”最速展開。照準合わせは不要、正面にさえ撃てばまず当たる。動作は単純、だらりと下げたままの右腕を振り上げるだけで完了。
「ほらほらこんな時こそスマイルだよっ♪ スマーイル、スマ――――――――――――――――い、ひ?」
幾百幾千もの魔術方程式の情報処理を、一度の瞬きの時間で完遂できるからこそ可能。
括目せよ――いや、括目する時間も与えない。これぞ人類史上最速にして最大威力の『早撃ち』。
「か、ひ、ぎぃ…………!?」
左半身を丸ごと消し飛ばされたミストラルは、自分の身に何がおきたのか理解できずに、死にかかった獣のような呻き声をあげる。
光子魔術展開式04“天蓋穿つ滅輝の柱”は、周辺空間に降り注ぐ太陽光の反射方向を強制的に変更、クロエが指定した座標に一点集中させるものである。
理科の授業で、太陽光を虫眼鏡に通して集束させることで紙を燃やす実験をした経験はおありだろうか? この魔術は、いわばその実験を『魔術的に』突き詰めたものだ。
クロエが行った手順としては、まず敵対象を中心にドーム状にレンズを展開。その後、イギリス全土に降り注ぐ太陽の光の照射角を0.01秒だけ掌握し、ドームレンズに向けて一斉に照射するよう操作した。
イギリスの国土面積243,600㎢分の照射熱を、たったひとりの人間に超圧縮してぶつけたのだ。それによって生み出された瞬間熱量はもはや天文学的な領域だろう。
「あ、あんた……相変わらずえげつない技使うわね……」
「これでも慈悲をかけたつもりですよ? その気なら、とっくに彼女の全身を蒸発させてましたので」
「っ…あ、あづああああっああああいぎああああぁあああっ! イダイ、アヅい、イダイィィィィィッ!?」
まだミストラルには聞きたいことがある。よって一息には殺さず、照準を少しばかりずらして半分だけ身体を消し飛ばしたのだ。
かろうじて人としての原型を残しているミストラルだが、肉と神経が灼熱で焼き尽くされる感覚に絶叫することしかできないようだ。
「……はぁ、この程度でまともに喋れなくなるなんて、想定外でした。これでは情報を聞き出そうにも難しいですね。……ねぇ、霧乃さん?」
「え、えぇ……そう、ね」
「なんだ……私と同じ《九耀の魔術師》だから、どれほどのものかと思いましたが……思っていたより雑魚でしたね」
本当に、さっきまで恐怖で震えていたのが馬鹿らしくなる。偉そうにしている奴ほど、こうやって軽く身体を潰してやるだけで簡単に心が折れる。
(まったく。少しは飛鳥さんを見習ってほしいものです)
彼は違う。彼だけは違った。
どれほど傷を与えても、どれほど圧倒的力の差を見せつけても。決して屈することなく立ち上がってきたあの勇姿を、目を閉じるだけで鮮明に思い起こせる。単純な力の差だけでは計り知れない、そんな彼の『強さ』と高潔な志に惹かれたからこそ、クロエは飛鳥に心酔しているのだ。
芋虫のように地面をのたうち回るミストラルの髪を掴んで、自分の目線まで持ち上げる。超高熱の余波で、半分以上が炭化していた毛髪がボロボロと抜け落ちていく様は、見ていて滑稽だった。
「いつまで豚みたいに叫んでるんですか、耳障りです。せっかく生かしておいてやったのですから、速やかに知っていることすべて話してくださいませんか?」
「ギ…ご、ごんな、こんな真似して、日本にいるヤツらが、どうなってもいいとでも――イギヒィッ!?」
――ブツリ。
普段の口調をかなぐり捨てて、血走った眼で憎悪を剥き出しにするミストラルの姿があまりに不快だったので――残った右目に容赦なく銃剣の切っ先をねじ込んだ。
ああ、もういい。どの道、真っ向から敵対すると意思表示してしまったのだ。馬鹿正直に情報を教えてもらえると期待しても時間の無駄だろう。
「この状況でよくそんなことを……と思いましたが、今ここで貴女の肉体を消したところで、別の『人形』に意識を映せるのでしたね。なので、これだけ伝えておきましょう」
文字通り血涙を流し、絶命寸前の少女の耳元に冷徹に凄絶に――そっと囁く。そう、これは宣戦布告だ。
「もし飛鳥さんに手を出してみろ……! 貴女がどこにいようとも、何人いようとも、ひとりひとり、確実に追い詰めて……そして刻んで差し上げます。『いっそ殺してくれ』と、そう言いたくなるほどの恐怖と、絶望をね」
「そ、そんなセリフで屈するなん―――――――」
それ以上の会話が成立することはなかった。
いまだに遠吠えをやめようとしない“傀儡聖女”の残る肉体を、再度の“天蓋穿つ滅輝の柱”の銃撃によって余さず塵と化したからだ。
「……あんたには駆け引きってものができないのかしらね」
背後からの呆れた声に、クロエは肩をすくめて苦笑する。
それはだって、仕方がない。ミストラル自身に思うところはないが、飛鳥に害を為すと分かった以上、絶対に生かしておくつもりなどなかったのだから。
そんなクロエの思考を、大なり小なり理解はしていたのだろう。諦めたように小さく息をついて――霧乃は気をとりなおしてこれからの動きについて告げる。
「クロエ。あんたは先に日本に帰りなさい」
「私だけでですか? 霧乃さんは?」
予想外の提案に、クロエは周囲に垂れ流しにしていた殺意の波動を引っ込め、困惑の眼差しを霧乃に向ける。
「“征竜伯”と“岩石狼”をそのままにもできんでしょうが。経緯はどうあれミストラルを倒しちゃったんだから、そのままはいそうですかと解放してくれるわきゃないでしょ」
「それは……確かに、そうですが」
「別にあいつらとドンパチするとは限らないわよ。これほどの騒ぎを起こしてんのに、2人とも何のアクションも起こさないのも気になるしね」
確かに、とクロエは首を傾げる。
曲りなりにも《九耀の魔術師》どうしによる衝突が、今この場で起きているというのに、まったく駆け付けてくる気配がない。
加えて、あの2人の魔王はミストラルとは違う。存在そのものが、クロエよりもずっと上位のものであると言おうか――戦わずとも、勝てる気がしないと確信させるほどの彼我の差を、たった一度の顔見せだけで感じていた。
衝突を避けられるのであれば、それが最もベターな選択であった。
「分かりました。……しかし、本当に私も戻らなくて大丈夫ですか?」
「変な気まわさなくてもいいわよ。どうせあんたは腹芸とか苦手そうだし、あの場にいても話がこじれそうだわ」
ケラケラと笑って見せる霧乃だったが、その顔からは確かな不安が見て取れた。……しかし、それを指摘するのは野暮が過ぎるのというものだ。
気付かないフリをして、クロエは霧乃に背を向けて、屋敷の出口へと歩き出す。
「……ちゃんと、帰ってきますよね?」
「誰にもの言ってんのよ。元バカ弟子に心配されるほど、私は落ちぶれてないっての。……あんたこそ、下らないヘマやらかさないように。ひとりで暴走しないで、弟くんの言うことにちゃんと従うのよ」
「あなたは私の母親ですか……」
互いに軽口を叩きながら、2人の魔女はそれぞれの戦場へと進みだす。
これが今生の別れなどであるわけがない。だからいつも通り、普段通りの態度のまま、クロエと霧乃はまったくの逆方向へと足を踏み出した。