―第65話 シークレット・シューティング ①―
レイシアさんがミステリアスキャラだとでも思った?残念!ただのツッコミ役でした!
「こ、ここは……」
薄暗い部屋の中、藁に似たような香りが鼻を奥をくすぐる感覚と共に、レイシア=ウィンスレットはその意識を取り戻した。ぼうっとした頭を少しずつ回転させながら、今の自分がどこにいるのか、どうなっているのかを確認していく。
どうやらここはどこかの民家の一室のようだ。鼻腔を抜ける草の匂いの正体は、母国ではまずお目にかかれない畳の香りだった。古き良き日本家屋の空気に触れ、レイシアはちょっぴり感動した。
「って感激している場合じゃないわね。それにしても……」
気を取り直して、現状把握。体の節々が鈍く痛むが、大した事はないだろう。両足に力を入れて立ち上がる……立ち上がりたかったのだが、
「……巻き過ぎじゃない?」
首から下に視界をやると、体から足首にかけて何重にも、それはもう何重にも荒縄によってグルグル巻きにされていた。拘束目的とは言え、新種の蓑虫みたいに見えるレベルまで巻き付けることはなかったと思う。
ともかく、今の状況がよろしくないのは理解した。ここは間違いなく『敵』の懐の中なのだろう。なんとかして脱出しなければ。
「ふっ! はっ! ほっ!!」
――びちびち。びちびちびち。
水揚げされた直後の海老みたいに跳ねまわることしか出来なかった。というか滅茶苦茶頑丈に縛られていたので、全身の肉に荒縄が食い込んで相当痛い。何という狡猾な罠か。あがけばあがくほど自分の身体を傷つけていき、そして逃げ出す気力をも奪い去ろうとする作戦か。
だが甘い。季節のジェラート並に大甘だ。この程度で、この水の魔女をどうにかできると思っていたのだろうか?
「立ち上がれないなら……こうするまでよ!!」
――ころころ。ころころころ。
そう、いくら全身が動かなくとも横に転がるくらいわけないのだ! 文字通り、まさしくローラー作戦である。転がる勢いのまま部屋を突き抜け、そのままこの建物から脱出を――
「……うげえぇぇぇ」
しようと意気込んだ矢先に、目が回って酔いました。
駄目だ、これでは脱出できたとしてもこちらの意識が保たない! というかその前に乙女にあるまじき盛大なリバースをしてしまいそうで、レイシアの全身に怖気が走った。
「…………なにやってる?」
すーっと部屋の襖が開いたかと思ったら、そこにはこちらを呆れた顔で覗きこむ赤髪の少年の姿があった。
迂闊だった。これでは誰にも気付かない内に抜け出そうとする計画が台無しである。……あれだけ跳ねて転がって騒いだのだ、そりゃあ気付かれて当然だったのだが。
制服姿を見るに、クラウや鈴風と同じ学園に通う生徒であり、そして間違いなく一般人ではないのは容易に判断できた。
(ん?……ん~? こいつの顔、どこかで見た事あるような?)
直接会って話した事があるわけではない。しかしレイシアはこの少年を知っていた。でもどこで知ったんだっけ、誰だったっけ? とレイシアはうんうんと唸り続ける。怪訝な表情をする少年をよそに、記憶の本棚を読み漁っていく。
なんとなく、なのだが……レイシアは彼の正体を一刻も早く突き止めなければならないという予感を感じていた。そう、ものすごく重要人物というか要注意人物だったような気がしてならなかった。
「悪いとは思ったけど、いきなり暴れられるわけにもいかないから拘束させてもらってる。……一応確認だけど、君はレイシア=ウィンスレットで間違いないか?」
「……ええ、そうよ。でも一方的に知られてるのはいい気分じゃないわね。あんたはいったい何者? クラウやあの突風女の知り合い?」
どうやらこの雁字搦めの縄縛りは彼の仕業らしい。体が動かない以上下手な反抗は拙いと考え、レイシアは彼との会話から出来る限りの情報を聞き出そうとした。
「俺は日野森飛鳥。君の言う突風女――楯無鈴風の、まあ身内みたいなものだよ。別に君に危害を加えようとかは考えていないから、そこは安心してもらっていい」
「こうやって私を捕まえといてどの口が言うんだか……って、あれ? ヒノモリ?」
「?……そうだけど」
聞き覚えが……ある。非常にあった。レイシアの背中をだらだらと冷や汗がつたっていく。
(こ、こ、こ……こいつ! こいつって、『反逆者』じゃないの!!)
魔術師の頂点にして最強とされる9人の魔王である《九耀の魔術師》。レイシアのような一介の魔術師にとっては神にも等しい存在――そんな魔術神の一角に挑み、そして打ち勝ったとされる男の名であった。
「あ……あ……あんたが、“白の魔女”様を討ち果たしたっていう……」
「殺してなんかないって、人聞きの悪い。……しかし、そうか。俺とクロエさんの事を知ってるってことは……」
「げ」
しまった、余計なひと言で相手にこちら側の情報を漏らしてしまった。考え込む仕草を見せる飛鳥に、レイシアは内心緊張でいっぱいいっぱいだった。
「クラウ君を狙ったことといい、《パラダイム》に狙われている理由といい、君にはいくつか聞いておきたいことがある。……話してもらえるか?」
「お断りよ。あんた達がどういう事情でクラウと一緒にいるか知らないけど、あいつと関わりを持ってる以上、絶対に何も話してなんてやるもんですか」
《パラダイム》とやらが何のことなのか、レイシアには皆目見当がつかなかったが、少なくともクラウ関連のことを軽々しく話すつもりはない。例え脅されても、辱められても、そうそう簡単に敵に情報を漏らしてやるものかと、レイシアは飛鳥から顔を背けて口を真一文字に引き結んだ。
「そうか……なら仕方がない。これだけはやりたくなかったんだが……」
苦渋に満ちた表情で飛鳥が立ち上がる。そのまま部屋から出ていく背中を見送りながら、レイシアは大きく息をついた。
おそらく、これから尋問なり拷問と呼ばれるような事が行われるのだろう。しかも自分は見目麗しい美少女(自称)で、相手は餓えた(何に?)若い男である。どんな鬼畜の所業をされるかは火を見るより明らかだった。
「負けない……絶対に、負けてなんてやらないんだから……!!」
縄の内側で両手をぎゅっと握り、心を強く持とうと奮起する。そうだ、こんなところで朽ち果てるわけにはいかないのだ。自分には為さねばならない『目的』がある。それを果たすまでは――
「「いっただっきまーーーーすっ!!」」
レイシアがそんな高潔な決意をしてから数十分後。彼女が転がっている部屋から襖を隔てたすぐ隣の居間では、大層賑やかな日野森家の晩ご飯が始まっていた。
今日のご飯はみんな大好きカレーライス。待ち切れなかった鈴風とフェブリルは、手を合わせた直後に閃光の如き速さでスプーンを手に取った。
「がふがふがふがふがふがふがふ!!」
「う……ウマー! ウマァーーーーッ!!」
無心でカレーをかきこむ鈴風、ひと口食べるたびに感極まった叫びをあげるフェブリル。がつがつむしゃむしゃと雪崩のように皿の中身を押し込んでいき、そしてコップいっぱいに注がれた――フェブリルはサイズの都合上おちょこで代用しているが――ラッシー(インドの飲み物で、ヨーグルトをベースとしたもの)を喉を鳴らしながらぐいっと一気に飲み干す。
「「おかわり!!」」
ビールを飲んでいるおっさんみたいに、たまらんっ! といった満足げな顔で、コップをテーブルに叩きつけるように置き(しつこいようだがフェブリルはおちょこである)まったく同時に飛鳥に空になったカレー皿を差し出した。
「おお! 鈴風ちゃんとリルちゃんが絶賛するだけのことはあるのですよ~。これは絶品なのです~」
「あ……おいしい……」
真散とクラウにも概ね好評のようだ。2人の口に合ったようで、飛鳥は安堵の息をついた。
「ふむ……具材の火の通りが少々まばらに感じますが」
「う…やっぱりか」
「……まぁ、及第点でしょう。お腹を空かせた子達のために急いで作った割には上出来です」
反面、ナプキンで唇を拭いながら既に食事を終えていた姉は、スピード重視で作ったカレーの問題点をしっかりと指摘してきた。
これは飛鳥自身も気付いていたことである。本来なら、じっくり時間をかけて具材を煮込みたかったのだが、腹を鳴らして涎も拭かずに待ちぼうけていた腹減り少女達を見て、そんな悠長な事も言っていられなかったのだ。そこも含めて完全に見抜いていた綾瀬の慧眼は流石と言えた。
(こりゃあ、姉さんに追い付けるのはまだまだ先の話になりそうだ……)
今でこそ、日野森家の家事全般を取り仕切っている飛鳥であるが、元々料理を含め、あらゆる家事の技術はこの姉から伝授されたものなのだ。
いつか必ずこの澄まし顔をした姉が手放しで絶賛するような料理を作ってみせる――飛鳥にはそんな秘めたる野望があるのだが、この様子では中々に壁は高い様子。より一層精進しなければと、飛鳥はひとり決意を新たにした。
「…………ねぇ、ちょっと」
「アスカアスカ!今度はご飯大盛りでね!!」
「相変わらずちっこいくせによく食べる……ほら、大盛りな」
「ちょっと、ねぇ……ねぇったら」
「それにしてもホント美味しいのですよ〜。この程よい辛さの中にあるほんのりとした甘さ……はっ!これはまさか、隠し味にハチミツを入れてるのですねっ!!」
「お、いい線いってるがちょっと違うな。実は少しだけメープルシロップを入れたんだ。ハチミツよりも上品な甘さが出せるんだよ」
「……………………おい」
「あの、日野森先輩。よろしければこのカレーのレシピを教えていただけませんか?妹にも食べさせてあげたい……」
「もちろん。分量さえ間違わなければ簡単に作れるから、ぜひ妹さんにも振舞ってやるといい」
「アンタらわざとやってんのかぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
隣の部屋でそんな団欒を延々と見せられ続けていたレイシアの堪忍袋の緒がついに切れたようだった。渋々といった様子で飛鳥は蓑虫モードのレイシアの正面にしゃがみこんだ。
「アンタらすぐ側に捕虜ふんじばってるってのに、なぁに能天気にメシかっくらってんのよ! こちとらいつ尋問されるかと思ってヒヤヒヤもんだったのに!……察しろ! 私とアンタらのこの温度差を!!」
「そんなこと言われてもだな……今はもう夕飯時だったし」
「優・先・順・位! おかしいでしょうが! なに? アンタの中では魔術とか私がクラウを狙った理由よりも、今日の晩御飯の方が大事ってわけ!?」
「……………………うーん」
「真剣に悩んでんじゃないわよおぉぉぉーーーーーっ!!」
レイシアからの怒濤のツッコミに、飛鳥、ちょっぴり感動。どうにも周りがボケキャラばかりでツッコミ要員が不足していたのもあって、打てば響くレイシアのこのツッコミには飛鳥の心の奥底を震わせる何かがあった。要するに、
(やばい、こいつからかうの超面白い)
これほどまでに弄りがいのある人物もそうはいまい。飛鳥は内心で爆笑しそうになるのを必死に押し殺していた。
「あぁ、悪い悪い。……それで? そろそろ話してくれる気になったのか」
「絶・対! アンタにだけは教えてやるもんか!!」
完全にからかわれていたのを察したレイシアは、般若のごとき形相で飛鳥を睨みつけてきた。
はっきり言って彼女から情報を聞き出すには完全に逆効果である。ブチ切れ寸前で今にも暴れ出しそうだ。まさか本気で彼女をからかっていたわけでもあるまいし、気になったクラウは隣の鈴風に耳打ちする。
「(あの……鈴風先輩。日野森先輩はどうしてあんな馬鹿らし――いえ、回りくどいことを?)」
「(あ、あれは……飛鳥の家に代々伝わる『おしおき術』のひとつ……!!)」
「(え?……お、おしおき?)」
どうやら鈴風は飛鳥の思惑に気付いたようで、何故か強張った表情でプルプルと震えだしていた。意味の分からなかったクラウは再び鈴風に問いかけようとするが、
――ぐきゅゅゅゅゅゅう!!
部屋全体に猛々しく響いた炸裂音が、その答えを物語っていた。
よーく考えてみよう。部屋中に充満する、食欲をそそるスパイシーな香り。そして眼前では満足げにカレーを頬張る人達の姿。
「あ……アンタ、まさか最初からこれが狙いだったって言うの!?」
恐怖に顔を引きつらせたレイシアに、飛鳥は悪魔じみた凶悪な笑みを浮かべてこう答えた。
「ようやく気付いたようだが、もう遅い。この空間はもう君にとっては地獄に等しいはずだ」
そしてこれが極め付けだと、飛鳥はうつ伏せになったレイシアの目の前に、よそったばかりのカレーの皿を――ほんの少しだけ距離を離して――そっと置いた。
もうダメだ。これ見よがしに美味しそうな一皿を置かれては、もはやレイシアの理性(というか空腹)も耐えられるはずもなかった。
「あ……あぁああぁぁぁーーーーッ! 食べたいっ! 食べたいのに手が動かない! もう犬食いでもいいから食べてやるわよって、あぁっ! ギリギリの所で皿に届かない! この鬼! 悪魔! こんなの人間のやることじゃないわよ!?」
「さぁて、君が情報を全部吐くまでこのカレーはお預けだぞ。……ふふ、いつまでもつのか楽しみだな?」
「……こ、こんなことで、私が屈するとでも……ジュルリ」
「レッシィ、涎がすごいことになってる」
「その名で呼ぶにゃっていっひぇるれしょ……ぶっひょろしゅわよ…」
精一杯クラウに凄んでみせるレイシアだったが、だらだらと口から零れ落ちる涎のせいでまともに呂律が回っていなかった。
そう、これこそが飛鳥の真の狙い。カレーの芳醇な香りと視覚効果で極限まで食欲中枢を刺激したうえで、でも負けを認めるまでは絶対に食べさせてやらないという悪魔の所業。人間の三大欲求のひとつをここまで攻め抜かれて、屈しない者など存在しない。
「そう、あれこそ日野森家に伝わるおしおき術がひとつ。人呼んで『スパイシー断食地獄の刑』なんだよ!!」
「……そのネーミングセンスはさておき、なのですけど」
「そんなことでレッシィが口を割るとは思えないんですが……」
クラウと真散は呆れた様子で苦笑するしかなかった。というか、さっきまで大真面目に戦ったり喋ったりしていた飛鳥の豹変ぶりに結構引いていた。
「む、これでもまだ落ちないか。……なら、最終手段だ。フェブリル〜」
飛鳥は奥の手として、レイシアとのコント――もとい、尋問の様子を手に汗握って見守っていたフェブリルに向けて非情極まりない指示を投げかけた。
「あのカレーが最後の一皿だ。…………食ってよし」
「いやっほぉーーーいっ!!」
「だあぁぁぁぁちきしょうが! 分かった分かった分かりましたわよ! 全部話す! 全部喋るからお願いだからそのカレー食べさせてぇぇぇぇーーーーーーっ!!」
「「お、落ちたぁぁーーーーーっ!?」」
『セイレーン』レイシア=ウィンスレットーーカレーの前に陥落。このあまりにも馬鹿馬鹿しい逸話は、その後彼女の末代までの恥として長く語り継がれたとか継がれてないとか。
「もぐもぐ……しあわせ……」
そして全く会話に参加していなかったリーシェさんはカレーを味わうことに集中しきっており、それは大層ごきげんだったという。