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―第4話 Trial Taker―

 古今東西、炎とは『力』の象徴だった。


 火を吐く竜、炎を司る神、天使や悪魔――あらゆる伝承、神話、幻想譚において、炎を操る超常的な存在は語られてきた。

 有名どころでいえば、聖書に登場する四大天使の1人、『神の炎』ウリエル。

 他にも日本の神話に登場する火之迦具土(ひのかぐつち)や、インド神話においてはアグニ、ローマ神話のウルカヌス(ヴァルカンとも呼称される)などなど。

 有象無象を合わせれば、炎を司る存在など掃いて捨てるほど連想できるだろう。それだけ『炎』とは、人類にとって身近な『力』の象徴であり、『畏怖』であり、『神』の象徴であったのだろう。


だからこそ(、、、、、)、既に人類は炎を知り尽くしている。

 今時、たかだか発火能力(パイロキネシス)程度では、何の脅威にも成り得ない。

 炎の勢いをいくら増したところで、水をかければ消沈し、燃焼させる空気がなければ存在できない。

 実際、世界中に出現した人工英霊にも『炎』を現出させる能力者は数多く存在したが、弱点があまりに明確だったためもっとも容易に(、、、、、、、)制圧されたという。

 故に、炎の人工英霊たる日野森飛鳥は『失敗作』と位置づけられていた。




 それ故に。

 彼は自分自身の力に『反逆』した。


「――ハッ!!」


 両手に掌握された双子の剣を交差させた。

 攻撃対象である劉功真の右腕は特殊合金製の戦闘用義手である。

 最先端技術によって鋳造されたその『兵器』は、達人の刃でもミサイルランチャーでもかすり傷ひとつ付かない装甲をもち、放たれる豪拳は、肘部に内蔵された圧縮水素推進装置により弾丸を超える速度での射出を実現。劉自身の剛力と相まって、対戦車ライフルにも相当する破壊力を誇る。


 そんな反則的な武装を所有する劉に対し、飛鳥の得物は二振りの細身の刃。

 劉の拳と正面から衝突させれば間違いなく枯れ枝の如く折れ飛ぶだろう。


「……チィッ!!」


 しかし、劉はその圧倒的優位にありながら衝突を回避した。反撃のための回避ではなく、純粋な『逃げ』の一手として大きく後方へ跳んだのだ。

 苦々しい顔で、脈動するように紅く明滅する双剣を睨む劉。彼の行動判断は決して臆病ではなく、むしろ妥当であった。


 “烈火刃”が弐式(にしき)緋翼(ひよく)


 現在飛鳥が使用している一対の赤熱剣(ヒートブレイド)の銘である。

 飛鳥の炎、“緋々色金”によって錬成された超高密度の炎熱結晶体であり、熱量の圧縮率によって刀身の表面温度は0度から10000度以上にまで自在に設定する事ができる。

 また剣自体も『翼』の名を冠するほどに軽く鋭く、鋼鉄程度の装甲なら瞬時に一刀両断し、それ以上(、、、、)の装甲であれば熱火の刃で灼き斬る(、、、、)まで。

 それはまさしく鳳凰の翼。

 神も、魔も、正義も、悪も。

 等しく断絶し、等しく焼殺する烈火の太刀だ。


「不遜……不遜である! それほどの力を持ちながら何故我等に歯向かうか!

 “人工英霊”の存在意義は只一つ。力無き旧人類(、、、)を排除し、新たな人類の地平を築くために戦い続ける――その使命を放棄し、あまつさえ我等に抗う貴様の存在を認める訳にはいかぬ!!」


「何が使命だ。……だったら問うぞ、劉功真。誰かを殺すと言う事は、いつか自分が殺される覚悟を持つという事だ。貴様にその覚悟はあるのか、たとえそうだとしても、自分の『使命』とやらを貫き通す信念はあるのか?」


「……愚かなり。我等が主より賜りし使命は、それ即ち『神意』である。覚悟だと、信念だと? そんな下らない感情、人工英霊になったその日からとうに捨て去っておるわ!!」


「よく解った。……つまり貴様は『主』とやらの言い付けがないと何も出来ないただの(いぬ)か」


「――コロスッ!!」


 激昂し、稲妻の如き神速で踏み込んでくる劉の拳は掠めるだけで致命傷になる。いくら灼熱の双刃を持つとはいえ、正面衝突は分が悪い。

 ……ならば対処は単純だ。正面からにさえ当たらなければいい。

 戦車砲の如く繰り出される拳打の濁流を、横合いから刃を当ててほんの少しだけ逸らす。


「ぬぅっ!? 小手先の技でちょこまかと!!」


「動きが単調に過ぎる。見切ってくれと言わんばかりだな?」


 逸らされた拳は飛鳥のすぐ側面を通り過ぎ、空を切るばかり。

 まるで劉の拳の方が飛鳥を避けたがっているように見える、奇妙な攻防だった。

 本来、剛力、敏捷性、耐久力、反射速度すべてにおいて、人工英霊とただの人間の間には、埋めようのない潜在能力(スペック)の差が存在する。

 それ故に、劉は単純な膂力(りょりょく)による正面突破をするだけで大抵の戦局を制する事が出来たのだ。

 しかし、今の(、、)日野森飛鳥の戦術核は『技』と『速度』にある。


「疾ッ!!」


 回避に徹していた飛鳥が反撃に転じる。

 拳の乱撃を縫うように紅の軌跡を走らせる。狙いは右肩、厄介な鉄腕の接続部を目掛け――――斬!!


「な、に……!?」


 一閃の下に、斬り飛ばした。

 ガシャン、と機械仕掛けの義手が地面に激突する音に劉は唖然としてしまっていた。


 断花流(たちばなりゅう)孤影術こえいじゅつ蜃気楼(しんきろう)”。


 剣術における『後の先』の技術を、超人域の見切りによって発展させたカウンターの一撃に、劉は一瞬何が起きたのか理解できなかった。


「キ、貴様、キサマアアァァァァ!!」


 そして一瞬の後、嫌が応にも理解する。

 生まれて初めて、自分は敗北を味わったのだと。

 常に格上相手の戦いを想定して磨かれてきた飛鳥の戦術と、格下の人間相手との戦闘経験しかなかった劉。

 その差は歴然であった。

 バッサリと断ち切られた右肩からは血液が一滴たりとも出ていなかった。

 切断面は完全に機械そのものであり、劉功真の肉体の大半が生身のものではない事を証明していた。


「……終わりだ。さあ、覚悟を決めて燃え尽きろ」


「おのれぇ……我が使命がこのようなところで潰えるなど認められぬ! かくなる上は……」


 右肩を押さえながら周囲を見渡す劉の視線に入ったもの――鈴風の姿を確認し、にやりと笑う。飛鳥もその視線に気づき、急いで劉を止めようとするが。

 落ちていた義手から光が迸る。

 単調な電子音が鳴り響いたかと思うと、突如爆発し周囲を砂塵で覆い尽くした。


「きゃあああああ!!」


「セ、センパイ!?」


「くっ……しまった!!」


 爆発したとはいえ、その衝撃は微々たるものだった。

 むしろ本命はこちら――砂埃で視界が効かない中、鈴風の悲鳴が木霊する。

 飛鳥は独楽の様に回転、緋翼の剣風で砂塵を吹き飛ばすが視界には既に劉と鈴風の姿は見当たらない。彼女を人質に逃走を謀った事は明白だった。

 負傷したクロエや美憂ではなく、五体満足だった鈴風を狙ったのは彼女がこの場にいる人間の中で最も無力(、、)だったからであろう。凶荒しながらも理にかなった判断に、思わず飛鳥は歯噛みした。

 すぐに追いかけようとした飛鳥だが、痛々しげに右手を押さえるクロエの姿を見て踏みとどまった。


「クロエさん、大丈夫ですか?」


「ごめんなさい、足を引っ張ってしまって……私は大丈夫ですから、早く鈴風さんを」


「勿論です。……クロエさん、沙羅先輩への連絡を頼めますか、その傷と、あと彼女も診てもらわないと」


 そう言って半身を起こしていた美憂に目を向ける。飛鳥の視線にびくり、と身を震わせる美憂。


「あの、わ……わたしは」


「事情は後で聞くよ、えっと……篠崎さん、だよね? 大丈夫、俺達の仲間が来てくれるからその怪我もなんとかできると思う」


「違うんです、そうじゃなくて! わたしは鈴風センパイに酷いことをして、だから……!!」


 美憂の傍にしゃがみ込んで優しく労ってくる飛鳥の声に耐えきれなくなったのか、悲痛な表情で彼女は叫んだ。

 しかし、


「俺はその場面にはいなかったから詳しくは分からないけど。それでも鈴風は君を庇って戦おうとしていた、君を傷つけられて怒っていた。……信じていたんだよ、篠崎さんを」


「日野森センパイ……」


「鈴風がそこまで信じたんだ、だったら俺も君を信じるよ。……クロエさん、後はお願いします」


 飛鳥の言葉に美憂は俯き、声を殺して泣いていた。

 その姿に何だか安心した飛鳥はゆっくりと彼女に背を向ける。


「飛鳥さん」


「…………」


 言葉は無く、ただクロエと視線を合わせた。


 ――どうかご無事で。


 緋翼二刀の切っ先を背後に突き出し、刀身から焔が渦巻く。

 その爆発を推進力に変え、戦闘機の如き加速で飛翔(、、)した飛鳥をクロエは揺るぎ無き信頼に満ちた瞳で見送った。






「おのれ……おのれおのれぇ! 『魔女』の討滅はおろか、あの反逆者に不覚をとるとは……なんたる屈辱!!」


「このっ! 離せ、離せって言ってんでしょうが!!」


 鈴風を脇の下に締め上げるように拘束し、屋上まで逃走してきた劉は憤慨しながら左手に持った端末で何やら操作を行っていた。

 全身をじたばたと動かし必死に劉の拘束から逃れようとするが、手負いであってもそこは超人たる人工英霊、鋼の如き肉体は少したりとも揺らぎはしなかった。


『――劉功真の信号を確認。状況報告をお願いします』


 劉の持つ端末から女性の声が発せられた。

 抑揚のない少女の声は、機械による電子音声と勘違いしてしまいそうな程に無機質なものだった。

 腕の中で暴れまわる鈴風を無視し、劉は端末ごしに少女に向かって叫んだ。


「報告など後だ、いいからさっさと『転送』しろフランシスカ!!」


『了解しました……座標確認、転送準備開始します』


 怒鳴り散らす劉の声に僅かたりともトーンを乱す事なく淡々と応じる少女――フランシスカの声。

 転送、というキーワードに鈴風は硬直してしまっていた。

 このままでは間違いなくまずい、と首を上に劉に向かって鈴風が叫びかけた。


「ちょっ!? あんた、いったいあたしをどうするつもり!!」


「知れた事、お前はあの男の弱点のようだからな……精々役に立ってもらうぞ、女」


 嘲るようにくぐもった笑いをもらす劉に鈴風の表情が屈辱に歪む――それは決して恐怖ではない、自身の内から滲み出ようとしている恐怖という感情を必死に抑え込み、怒りでコーティングして心が折れそうになるのを防ぐ。


「はん、使命とか偉そうなこと言っときながら、結局はただの臆病な卑怯者じゃない」


「……このままその首、へし折ってもいいのだぞ」


 鈴風の辛辣な言葉に劉は目に見えて苛立っていた。

 冷徹な瞳に押し負けることなく鈴風もまた睨み返す、それが今の自分に出来る唯一の戦いだと知っているから。

 突如、熱風が屋上に吹き荒れる。

 風の吹く方、フェンスの向こう側から躍り出たのは深紅色の飛翔物体。


「鈴風ッ!!」


「ぁ……飛鳥ぁぁっ!!」


「むぅ、しつこい……この火喰い鳥めがぁっ!!」


 両手の二刀から噴出される炎は火の鳥の翼のよう。頭上から強襲する飛鳥を、劉は忌々しげに、鈴風は歓喜の表情で迎え入れた。

 烈火刃は高密度の熱エネルギー体である。なれば単純な話、そのエネルギーを一方向に解放、噴射すればロケットエンジンと同じ現象を獲得するのだ。

 その爆発的なエネルギーによる推進力は、たかだか5階建の学園の屋上程度なら一足飛びで到達できた。

 

 しかし(、、、)それでも遅すぎた(、、、、、、、、)


「……ふははは! どうやら時間切れのようだな、お前との決着はいずれまた果たすとしよう!!」


 劉と鈴風の周囲に展開される電子の光、それと同時に陽炎の如く揺らぎ始める2人の姿。

 その現象を飛鳥は知っていた。


「空間湾曲!? 逃げる気か!!」


「飛鳥……あすかぁぁぁっ!!」


 縋るように鈴風が両手を前に突き出す、飛鳥も全力で加速し、その手を掴もうと必死に手を伸ばすが……




『――――準備完了、転送します』




 無情にも響く電子音。

 二人は粒子の光の中に消えていき、飛鳥の手は空を切った。


「――――ッ!!」


 その勢いを殺せないまま墜落。コンクリートの床を大きく抉りながら、受け身もとれずに流星の如く落下した。

 ……全身の痛みを無視して立ち上がる。先程まで雪彦と交戦していた空間には、今は自分以外存在しない。

 ――間に合わなかった、助けられなかった。

 その事実が飛鳥の心身に重くのしかかる。


「…………クッ!!」


 思わず地面に拳を叩きつける。地震でも起きたかのような衝撃を伴い大きく陥没、巨大な蜘蛛の巣状の亀裂を形成した。

 嘆いている暇はない、後悔している暇はない。悔やむならまず行動すべきである、負の感情を理論で覆い隠し平静を保とうとする飛鳥に、


「――荒れているな、飛鳥君」


「なっ――――!?」


 突如屋上に響く男の声。驚愕する飛鳥、つい先ほど屋上には誰もいない(、、、、、)と認識したばかりだというのに!!

 だが、男は最初からずっとそこに立っていたかのように、極々自然に飛鳥の正面に佇んでいた。


「リヒャルト=ワーグナー……!!」


「名を覚えていてくれて光栄だよ、日野森飛鳥君。こうやって直接話すのは7年ぶりかな?」


 そう微笑んで近づいてくる金髪の男、リヒャルト。

 高級感のあるチャコールグレーのスーツ、30代前半程度と思われるその端正な顔立ちからは、どこか得体の知れない、近付き難いものが感じられた。


「それにしても、しばらく見ない間に随分と研鑽を積んだようだ。あの当時はとるに足らない存在だと思っていたが……いやはや全く『進化』とは素晴らしいな。今の君は、まさしく私の思い描いた人工英霊(エインフェリア)を体現している存在と言ってもいい!!」


「…………」


 まるで戯曲めいた仕草で、手を振り上げ喜びを表現するリヒャルトに対し、飛鳥は最大級の警戒態勢をとっていた。

 

「何故貴様がここにいる。ついさっき、貴様の部下(、、)は尻尾を巻いて逃げだしたところだぞ」


 当然だ。眼前に立つこの男こそが、飛鳥を含む“人工英霊”の生みの親であり――飛鳥の、そして世界の『敵』なのだから。

 何故この場面で現れたのか、その理由は皆目見当がつかない。しかしこのまま見逃すつもりはない。構えをとる飛鳥に対してリヒャルトは、


「まあ待ちたまえ。私は別に戦いに来たわけではない」


「今更何を……!?」


「私はね飛鳥君。君に『試練』を授けに来たのだよ、遥かな高みに登ってもらうためにね……7年前、君に植え付けた『種』がようやく芽吹こうとしているのだ。私は先の戦いで実感した」


「篠崎さんを“人工英霊”にしたのは貴様か!!」


「いいや、それは私の預かり知らぬところだ。劉の独断だろう……本来の今日の目的はあくまで『魔女』、クロエ=ステラクラインの捕縛(、、)だったのだが……自分の思い通りに動く手駒が欲しかったのだろう、それでおめおめと逃げ帰るのだから使えん男だ。あの恥知らずめ」


 皮肉にも、それは劉が美憂に対して言ってのけた言葉だった。クロエが目的だった事は飛鳥にとっては今更驚く事でも無い、今日が初めてという訳でもなかったのだ。

 

「……霧谷雪彦も、貴様の差し金だったのか」


「そうとも言えるし、違うとも言える。少なくとも、彼が君と戦おうとしたのは紛れも無く彼の意志だ」


 従っている、と言われたほうがマシだった。では、雪彦は自分を殺したがっている(、、、、、、、、)というのか。


「……さて、質問はそこまでだ。そろそろ始めようか」


 パチン、と指を鳴らすリヒャルト。瞬間、上空より気配を感じた。


「――なっ!?」


 ――突如、落下音が炸裂する。

 リヒャルトの背後に落下した高さ4メートルほどの物体、これは石板だろうか?光沢のある漆黒色の表面には複雑怪奇な文様――魔法陣、という表現がしっくりくるような――が所狭しと刻まれており、人工的でありながら人の手では決して造り得ない神秘性を感じさせる。オーパーツと呼ばれるような代物だろうか、と飛鳥は推測した。


「我々はこれをモノリスと呼称している――何の捻りもないネーミングではあるがね」


 モノリスの文様が不気味に光りだす。そしてその光が石板全体を覆い尽くしたかと思うと、そこから奥行きのある空間が繋がっていた。

 この光景に飛鳥はようやく理解する。この『モノリス』はただの石板ではない、これは門だ。


「ご理解頂けたようだね。この扉の原理は我々にもまだ解明しきれていないのだが……どうやら時間や空間に干渉出来るものらしい。……ここまで言えば分かるだろう?」


「ああ……」


 つまり、空間(、、)を捻じ曲げて移動した鈴風と劉のいる場所に繋がっている可能性が高い、ということだ。

 リヒャルトの思惑は依然不明だ。

 どうして自分を導くような――少なくとも助ける(、、、)、ではないだろう――行動をとるのか。しかし、危険はあれどもこれが罠である可能性は極めて低いと飛鳥は判断していた。それは、自分の知るリヒャルト=ワーグナーという男がそんな姑息な真似をするとは思えないから、という奇妙な信頼からくるものだった。


「さて、どうする?」


「……決まっている」


 目の前の男を放置するのは危険だ。だが鈴風の救出は何よりも優先すべき事柄だ。

 リヒャルトを一瞥し、『扉』に手をかける。抵抗は全くなく、ずるり、と扉の向こう側に吸い込まれていく。


「それでは少年。――――よき旅路を」


 リヒャルトはそう言わずにはいられなかった。彼の心境はまるで、旅に出る子供を見送る父親のようだった。そんなリヒャルトの声は飛鳥には聞こえていない。


「その道は君に何をもたらすのだろうか。更なる進化か、かけがえのない存在か。それが何であれ、君が果てなき道を歩むための『力』になる事を祈っているよ」









 飛鳥が扉を潜っていった後すぐに、モノリスは光を失い機能を停止した。即ちこの道は一方通行、飛鳥の退路はすでに断たれたのだ。


「……行ったか」


 リヒャルトの背後から現れる人影。彼が一歩踏み出すたびにこの空間の気温は加速度的に低下しているのだが、リヒャルトはそれに気をとめる様子はない。


「ああ……しかしよかったのかな、君も行かなくて?」


「構わない。この程度で終わる奴なら、もとより意味などない」


 雪彦はそう言い放ち、モノリスに背を向ける。

 ――既に、自分と飛鳥の進む道は完全に分かたれている。それを言外に示しているようだった。


「なかなかに辛辣だな君は。……おや、どうやらお客様のようだ」


 予期せぬ来訪者に、リヒャルトは悠然と笑い、雪彦は驚愕をもって迎え入れる。


「よう、お前ら……なにこそこそ悪巧みやってんだ?」


 来訪者の名は、高嶺和真。

 一歩踏み出すたびに、滾る裂帛の闘志が大気を震わせる。

 冷静冷徹を旨とする雪彦でさえ、その荒ぶる戦意を前に無意識に身構えてしまっていた。

 氷結刃を形成――間違いなく叩き潰される。そんな負の予感を振り払い、音も無く切り込もうとするが、


「止めておきなさい雪彦君。彼は今の君に勝てる相手ではない」


「そういうこった。俺が用事があるのはこいつだけだからよ……」


「……クッ」


 リヒャルトの制止の声に和真も同調する。正対することさえ忌避させる和真の闘気を前に、リヒャルトはあくまで平然だった。それほどまでに、自分と彼ら二人との力の差は圧倒的なのだと、雪彦は本能的に理解してしまった。


(化物どもが)





「で、てめえ……飛鳥をどこへやった?」


ここではないどこか(、、、、、、、、、)、だよ。……心配かね、彼が?」


 ゴキゴキと指を鳴らしながら恫喝するような声で問いかける和真を、リヒャルトは平然と受け流す。

 予想通りの馬鹿にした(、、、、、)答えに、和真は凶暴な笑みを浮かべる。


「――ハッ! 馬鹿言ってんじゃねえ、アイツはそんな柔な奴じゃねえよ。真面目に答えるつもりがねえならそれでもいい……どの道、てめえを叩き潰すのは決定事項だ」


 そう言い放ち、拳を強く握る。

 全身を捻じり、いつでもリヒャルトの顔面を殴り飛ばせるように攻撃態勢を整える。

 技巧があるわけではない、洗練されているわけでもない。ただただ単純に、目の前の相手をブン殴る事のみを追求した乾坤一擲の構え。

 高嶺和真は“人工英霊”などではない。

 正真正銘ただの人間だ(、、、、、、)

 その頭に、世界最強の(、、、、、)という言葉が付く以外は。


「フフ……君との戦いもこれで何度目かな? 楽しくはあるのだが、私としてはもう少し優雅な立ち合いを所望したいのだがね」


「怪物集めて戦争おっぱじめようとしている奴の台詞とは到底思えねぇな。心配しなくてもこれで(ケツ)にしてやっから、安心してボコられやがれ」


 理性も本能も立場も感情も、何もかも。

 高嶺和真を構成するありとあらゆる内的及び外的要素が、悉くこの男を殴り倒して地獄へ叩き込めと叫んでいる。


「そうもいかないのだよ。私には重要な使命がある。今更命など惜しくはないが……人類を『進化』の(くびき)から解き放つその時まで、私は世界になくてはならない存在なのだから」


「口の減らねえ野郎だ……二度とその口開けなくしてやらあアアッ!!」


 踏み出した脚が地面を砕く、一気に間合いを零まで爆縮させ、拳がリヒャルトの顔面目掛けて飛ぶ。

 破城鎚の如き渾身の拳を、リヒャルトは無造作に突き出した左手で受け止める。

 ――衝突!!


「相変わらずの馬鹿力だな……! しかし、所詮君はここまでだ。君では決して私を打倒するに至らない、決してね……」


「上等だこのクソ野郎……そのにやけ面、今すぐ歪ませてやらあぁぁっっ!!」


 拳の乱打は重機関砲の一斉射撃のような爆音を轟かせていた。

 二人の拳が衝突するたび、地面は陥没し、ひび割れ、ありとあらゆる破壊を振り撒いていく。

 超人“人工英霊”を更に凌駕した存在――まさしく『超越者』同士の攻防を、雪彦は一歩も引く事なく目に焼き付けていた。

 今の自分ではこの二人の足元にも及ばない。

 だが……だからこそ、越えていかねばならない。自分が目指すべき地平は、目の前の二人のさらに先。すべてを越えたその先にこそ存在するのだから。


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