―第62話 ス二ーク・アンド・ソードダンサー ②―
2章でもちょっぴり触れたチート全否定論、再び。
――ここで、ありふれた御都合主義の話をしよう。
ある日世界征服を狙う悪の魔王が現れて、世界中を恐怖のどん底に陥れました。
そんな中立ちあがったのは、ついこの間までただの村人であった勇者でした。勇者は偶然に光の女神より伝説の聖剣を託された事により、山をも砕く怪力や、光の如き俊足、賢者と評される知啓を身に付けたのです。
そして勇者は、そんな彼に導かれて集まった仲間達と共に、見事悪の魔王を打ち倒したのでした。
勧善懲悪の代名詞のような、いわゆるベタな展開ではあるが、誰もが一度は触れたことがあるであろう御伽話の世界だろう。しかし少々穿った見方をすると、ちょっとした疑問が芽生えてくるのだ。
――聖剣がなかったら、勇者って役立たずなんじゃないの?
聖剣なければ、ただの村人。物語の主人公でも何でもないその他大勢に成り下がってしまう。
それに気付かず、俺はすごいんだぞと信じて疑わない勇者であれば、それはさぞ滑稽極まりないだろう。
それに気付いて、自身の無力さを、ちっぽけさを痛感するのであればまだ救いがある。
だが、中にはこんな勇者がいてもおかしくはない。
――聖剣が無ければ何もできないだなんて、そんなのはただの言い訳だ。そんなものなくたって、俺が勇者と呼ばれるだけの力を身に付けてやる!!
それは勇者と言うより、むしろ愚者と呼ばれる類かもしれない。無駄な努力だ、馬鹿だ馬鹿だと後ろ指を指される類かもしれない。
しかし、これこそが主人公だ。他者や環境に踊らされずに、確固たる自己を持つからこその主役なのだ。
愚者が勇者を凌駕し、馬鹿が天才を打倒する。そうでなくては物語とは面白くない。
日野森飛鳥の駆る精神武装群“烈火刃”は、この豪雨の下では軒並み沈黙せざるをえなかった。
よって、現在の飛鳥は超常的な身体能力を持つだけのただの丸腰の人間に過ぎない……それは飛鳥自身が誰よりもよく理解しているし、数合の交錯により、対峙する蛍にもすぐに看破されていた。
元々緑豊かな山を舗装して作られた通学路だ。道路から一歩逸れれば、すぐさま大小の木々が生い茂る密林じみた空間に戦場を移す事ができる。障害物だらけの地形を利用し、刀の間合いから逃れようとする飛鳥の動きを見ても、その事実は揺るぎ無いと蛍に確信させるには充分だった。
「『炎』の能力というのは難儀なものですね! 天候ごときに簡単に左右されるだなんて!」
嘲笑しながら漆黒の薄刃を振るう蛍の言葉に、飛鳥は舌打ちしながらも心中で同意していた。
飛鳥がこの能力を発現した時点で判明していた、致命的な弱点。いくら異能の炎とはいえ、常に熱を奪われる『雨』という環境下ではその機能をまともに発揮することは出来ない。
分かっていた事だ。そう、最初から分かっていた。
――だから諦めるのか? 雨が降ったら、水の中では自分は無力だと、仕方がないのだと無理矢理に納得するのか?
「まさか」
その弱さを一笑する。
元より、異能に頼らなければまともに戦えない能力者に収まるなど屈辱の極みだ。炎がなくとも、自分には両の拳がある、足がある、考える頭がある。それだけ『武器』があれば上等に過ぎるだろう。
巨大な松の木を、まるでスポンジケーキでも切っているかのように軽々と両断しつつ迫りくる辻斬りに向け、飛鳥はあえて真っ向から踏み込んだ。
「力の差も理解しないままの突撃とは……所詮は匹夫の勇、首を刈られて慚悔なさい!!」
急激な飛鳥の攻めへの転じが、無策のまま、破れかぶれの吶喊に見えたのだろう。若干の失望を交えながら、蛍は寸分の躊躇も見せずに兇刃を飛鳥の首筋へと滑り込ませる。
例え回避されようとも、二の太刀、三の太刀で確実に飛鳥の身体を泣き別れにする。防ごうとも無駄だ。この黒刃によって生半可な防御ごと断ち切って終わりにする。
「お前が、な」
――ズドンッ!!
地雷が起爆したかと錯覚させるような巨大な炸裂音と、噴き上がる土砂。そして一瞬ではあったが、今確かに大地が震えた。
「震脚!?」
飛鳥が強かに大地を踏み抜いた衝撃は、およそ通常の武道家が行う震脚(あるいは踏鳴)とはその技の規模も意図も隔絶していた。
刹那の間とは言え、局地的な地震を引き起こした爆発力と、視界を遮る砂塵により、蛍の太刀筋には僅かばかりではあるが揺らぎが生じていた。飛鳥はその空隙を見逃すことなく、右の掌で刀身を側面から軽く叩く。瞬間、刃に触れた手の平に違和感を覚えたが、ここでは無視する。必要最低限の動作で襲い来る刃を捌き、踏みしめた左脚を起点として円を描くように全身を駆動させる。
「得物がないと思って侮ったな……!!」
旋風の如き一連の動作、これにより飛鳥は体勢を崩した蛍の背面に滑り込み、すかさず左の裏拳をその無防備な背中に見舞う。
「なかなかに芸達者ですね」
しかし、人斬りの笑みを消すには至らず。飛鳥の動きを予期していた訳ではないだろうが……想定外でもないと言わんばかりに、涼しげな表情を崩さない。
圧倒的な死の予感が電気信号となって全身に伝わり、飛鳥は反射的に打ちこむ拳を急停止させ――同時に、眼前を疾風より疾き蹴脚が通り過ぎた。
天を突くかのように地面と垂直に振り抜かれた蛍の一蹴は、戦いでなければ見惚れてしまうほどに見事な挙動であり、バレリーナにも似た優美ささえ感じられた。しかしそれを見て二歩、三歩と後退して構え直す飛鳥にとっては、目の前で処刑台の刃が滑り落ちてきたような心地だった。
「つっ……!?」
一拍の間を置いて、右手から放たれる鋭い痛み――それは先程日本刀を捌いた時に感じた違和感の正体。右手に目をやると、手の平がぱっくりと裂け、おびたただしい鮮血が流れていた。幸い深手にはなっておらず、人工英霊の自然治癒能力ならば一晩も経てば元通りになるレベルだ。
だがしかし、あの時飛鳥は確かに刀の側面、腹の部分にしか触れていなかったはずだ。それがどうして、こうも鮮やか過ぎる切り口を残すような切断力を持っていたのか。
体勢を戻し、くつくつと含み笑いを漏らす蛍を警戒しつつ、飛鳥はひとつの仮説を脳裏に描いた。もしこれが正解なら、飛鳥が蛍に対抗できる術は限りなく零に近付いてしまうのだが……
(やってみるか)
推測だけでは対策も立てられない。自身の仮説が正しいのかどうか『検証』すべく、飛鳥は再び無手のまま突進を開始した。
「馬鹿のひとつ覚え……? いえ、これは」
先の震脚のこともある、次は何を繰り出してくるのかと、興味半分警戒半分で蛍は再び神速の一閃を打ち放つ。腰溜めからの抜き打ち――様子見の一太刀目とは違う、正真正銘の『最速』の一刀だ。さあ今度はどうやって対抗してくるのか、飛鳥の挙動に着目すると……既に懐に入られていた。
声にならない驚愕。自分の間合いを読み違えてしまったのかと、蛍の頭の中は混乱と屈辱がないまぜになっていた。
――接近戦における最重要項目とは、即ち『間合い』である。
刀が拳よりも強い――その論理は、別に武器の殺傷力の差などではなく、単純に『攻撃範囲の広さ』によって定まっている。思い切り伸ばした拳より、思い切り伸ばした手に握られた刀の方が先に相手に届くというのは小学生でも分かるだろう。
それに加え、相手に向かって踏み出される一歩。剣道の世界ではこれを一足一刀とも言うが、要するに『一歩の距離』+『武器の射程』の長さが各人における『間合い』となる。
(そんな……! さっきとは『一歩』の距離が違い過ぎる!?)
一角の剣士となれば、そういった間合いの長さを瞬時に読み切り、一方的に自分の間合いで立ちまわることも可能なのだが――蛍はそれを読み違えてしまった。
否、正確には読み違えたのではない。急激に延長した飛鳥の『一歩』が、蛍の計算を狂わせたのだ。
その正体こそ、断花流孤影術“瞬幻足”。
中国武術には『寸勁』という技法がある。最小限の動作で最大の威力を叩き出す技であり、至近距離の敵を僅かな動きで吹き飛ばしたりも出来る。もしかすると発勁という呼び名の方が一般的かもしれない。
瞬幻足はその技術を足技に適応させたもので、原理だけ言えば実に単純だ。足の裏から地面に向かって勁を放ち、その反動で通常よりも速く、長い一歩を踏み出せる一種のロケットスタートだ。
それにより刀の間合いを一足跳びに乗り越えて拳の――自分の間合いへと持ちこんだ飛鳥は、蛍の右手首を手刀で打ち据える。
「くあっ!?」
その衝撃と痛みで刀を持つ手が緩んだ隙を逃さず、飛鳥は刀の柄頭を掌で押しこむと、いとも簡単に蛍の手から黒刀が滑り落ちた。蛍は苦し紛れか左からの蹴りを放ってくるが、飛鳥はあえて躱さず同じく蹴脚を放ち弾き返す。飛鳥はその反動で再び距離をとりつつ、地面に落ちた刀を奪取した。
刀を正眼を構えつつ、飛鳥は先程蛍に触れた手と足の状態を確認する。どうやら予想は的中していたようで、右手と先程の蹴りでぶつけ合った左脚がざっくりと切り裂かれていた。
「……今の動き、そういうことですか」
打撃をぶつけられた右手を左手で押さえながら、蛍は苦渋を滲ませた顔で飛鳥を睨みつける。
「その武器を奪取しつつ、なおかつ私の『能力』に見当をつけるために先程の蹴りを避けなかった」
飛鳥は無言を貫き、それを肯定の回答とした。
村雨蛍の固有能力――それは『自分に触れた存在を悉く切断する』というものだ。蛍の全身から手に持っているものに至るまで、どこであろうと触れた瞬間に……スパッ。文字通り、その身を刃とする凶悪極まりない能力だ。
そして飛鳥の炎とは違い環境に左右されない能力でもあるため、恐れるべきか羨むべきかと、飛鳥は思わず苦笑した。
だが蛍の刀がこちらの手に渡った事で形勢は動いた。武器持ちと丸腰の構図が入れ替わったため、一見すると飛鳥の方が有利に思えるが……
「……随分と余裕だな?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。刀を奪われ、その切っ先が私に向けられて、今にも切り裂かれてしまいそうで……ああどうしましょう、体の震えが止まりません」
そんな言葉とは裏腹に、蛍が浮かべたのは恍惚の笑み。まるで自分が悲劇のヒロインだと思って陶酔しているようだ。
嫌な予感しかしない。元より人工英霊である彼女にも精神感応性物質形成能力は備わっているのだ。持参した刀などなくても、いくらでも武器を自己調達できる彼女にとっては、この程度はなんら問題にならない。
「さあさあ続けましょう! これで条件は五分と五分。私と貴方で思う存分斬り合いましょう、血を流しましょう、殺し合いましょう!!」
村雨蛍の理性の仮面はすでに剥がれつつあった。雨に混じって微かに香る血の匂いが、蛍の内に眠る獣の枷を解き放とうとしていた。
五分と五分などどの口が言うのか。飛鳥が万全な状態だったとしても、はっきり言って勝てる自信がない。相打ち覚悟ならばやれなくもないだろうが、今の飛鳥が選ぶべき選択肢でないのは確かだった。
唇が裂けてしまいそうなほどに凄絶な笑みを浮かべゆっくりと近付く狂人を前に、飛鳥は淡々と告げる。
「生憎俺は急いでるんだ。女の子を雨の中待たせてるんでな」
これが返礼だと言わんばかりに、近くの巨木を刀で一閃。メキメキと周囲の木々を巻き込みながら蛍の頭上目掛け倒れこむ松の木を、
「ふふふっ」
避けも防ぎもせず、蛍は棒立ちの体勢のまま断った。その隙に飛鳥は身を翻し、深い森の緑の中へと駆けていった。
ここでの優先目的は鈴風達の救援であり、蛍の撃破ではない。このまま彼女を捨て置くのも不安を掻き立てられるのだが、だからと言って今の状態で挑むにはあまりにリスクが大きすぎると判断した。
全力で木々をすり抜けながら、飛鳥はちらりと後方を見やる。……追ってくる様子はないようだ。撒いたのか、それとも見逃されたのか。
もし自分の能力がもっと融通の利くものであったならば、とついつい考えてしまう。
「無い物ねだりして意味がないなんて、分かり切ってるんだけどな……」
周りに誰もいないからこそ、飛鳥はそんな弱音をふと漏らした。だがその考えは唾棄すべきものだ。大きく首を振ってその弱さを振り払う。
幸いにも、武器は調達できた。艶のない炭黒の刀身。明らかに鉄製とは違うその重量。柄の部分に刻まれた文字を見て、飛鳥は僅かながら驚いた。
「『RAVEN SEAL』?」
英語であれば聞き慣れない響きだったが、これは日本語ならば『小烏丸』だ。
これは単なる偶然なのか、それとも製作者が意図したものなのか。もし後者であれば、なんとなく『彼女』との関連性が見えてくる気がするのだが、今は考えても詮無き事だ。
今は駆ける、ただただ駆ける。戦うためではない、ましてや殺すためでもない。
戦いを一刻も早く終わらせるための戦いをするために、少年はもうひとつの戦場へとひた走る。