―第61話 ス二ーク・アンド・ソードダンサー ①―
騎士と暗殺者の戦いの舞台は地上から空中へと推移していた。
飛行能力は決してリーシェだけの優位性ではない。相手も何らかの能力で空中移動を可能としている以上、頼れるのは己自身の技と、この手に担った蒼銀の刃のみ。
「逃がさん!!」
「チッ……」
軽業師のような所作で中空を蹴り間合いを遠ざけようとする鴉だが、リーシェはそれを看過することなく両翼の機動力で追いすがる。苛立ちを隠さず舌打ちする黒の忍者。その様子からして、どうやら奴は接近戦は不得手である、と看破できた。
これはリーシェの推測となるが……鴉の戦闘スタイルは徹頭徹尾『暗殺者』としてのそれなのだろう。
最低限の武器と、体の動きを阻害しない作りの黒のボディスーツ。下卑た笑い声が聞こえなければ、この場にいる誰もが彼の存在に気付かなかったであろう高い気配遮断能力。これは、いかに相手に気付かれずに、一方的に殺害できるかを突き詰めた戦闘形態であろうと言える。
そもそも鴉の動きからして、リーシェの剣撃を躱しているというよりは、慌てて飛び退いているという表現が正しい。どうやら正面切っての接近戦は不得手なのだろう、執拗なまでに逃げの一手を崩そうとしない。
――だが、それを知って安堵できるわけではないのだ。
この得手不得手の算段は、そのままそっくり反転してリーシェ自身にも適応される。
武器は長剣一振りのみ。人工英霊と違い、どこからともなく未知の兵器を繰り出せるわけではない。そして空中機動という最大の武器も、飛び道具相手にはとことん相性が悪いときている。
つまりこの戦い、距離を詰めている限りはリーシェの独壇場だが――刃が届かぬ間合いをとられた瞬間、形勢は一息で逆転されてしまう。
(考えるな……攻め続けろ!!)
故に、リーシェはここで『考える』ことを放棄する。一瞬の空隙が即絶命に繋がるという確信に近い予感を感じたため、今はただ一心に前進による猛攻に特化させていた。
「ハアアアアァッ!!」
「ケッ、鬱陶しい羽付き女だなァオイ!」
唇を歪ませつつ後退の一手をとる鴉、その不快な面ごと両断せんと刃を振り下ろすが――予期していた手応えは一向に訪れない。
――馬鹿な、おかしい。
先の一太刀、間合いも速度も絶対に回避不可なものだった筈。いや、そもそも……目の前にいた鴉はどこに消えた?
まるで狐にでも化かされたかのように忽然と姿を消した黒影に、リーシェは目に見えて狼狽した。
(あの一瞬でどうやって……本当に『ニンジャ』だとでも言うのか、奴は!?)
煙に巻かれたという表現以外に、この状況を説明できない。斬り付けた途端あっという間に姿をくらますなど、以前に飛鳥の家で見た時代劇の住人である『ニンジャ』の技としか思えなかった。
まさか奴は現代に生き残った忍者の末裔か何かなのだろうか? そんな事を割と本気で考えてしまうリーシェだったが、
「実は五つ子だった……そんな訳ないか」
周囲を睥睨すると、そこには既に5人の鴉によって形成された、翼の騎士の包囲網が完成されていた。
「「キヒ、キシシ……なァに鶏みたいな間抜け面さらしてんだ騎士サマよォ」」
ガラスを引っ掻いたような音声が何重にも耳朶を叩くのは、不快を通り越して不気味の一言だった。
一見してどれが本物なのかは判別できそうにない。だがリーシェは動揺する様子もなく、ただ握りしめた蒼刃を腰溜めに構え、両の翼を折り畳み調息する。
「何人増えようと関係ない。本物も偽物も、構わず全員斬り捨てる!!」
一喝、そして疾走。一気に解放された白翼がもたらす超加速で、突き刺さる5つの視線に向け斬りかかった。
《パラダイム》の人工英霊・鴉が保有する固有能力――それは分身の術……などという陳腐なものではない。いや、そういった芸当が出来るという側面は確かに存在するのだが、当の鴉本人に言わせれば、そんなものと一緒にするなと憤慨ものである。
――以前にも説明したことだが、人工英霊となった者には大きく3つの能力が付与される。
1つは、身体能力の爆発的な向上。……これは今更解説するまでもないだろう。力・技・速度、そのすべてにおいて常人には及びもつかない領域に一足飛びで到達している。
2つ目が、精神感応性物質形成能力。単純に言えば、脳内で思い描いたものをそのまま現実世界に具現化させる、あまりに荒唐無稽な力。複雑で緻密な物質の形成はほぼ不可能という欠点はあるものの……時と場所を選ばず、望んだ武装を呼びだせるのは戦術上大きな脅威と言えるだろう。
そして3つ目。これは個々人によって異なる特異能力。飛鳥ならば炎、鈴風なら風の制御というように、おそらく各人工英霊の精神性(要するに個性)を反映したものとなっている。
こうやって並べると、人工英霊とはとことんまでに埒外の怪物であると判断できるのだが……しかし、逆に言えばこれだけなのだ。
いついかなる状況でも武器を自己調達できる馬鹿力の兵士――3つ目の能力に目を瞑るのであれば、戦略的な人工英霊の立ち位置とは『補給を必要としない、少しばかり強力な一兵卒』という域をでない。
だが……いやだからこそ、他の誰にも代替不可能な『3つ目』こそが最重要視される。
敵として相対するならば、まずはその未知の能力を警戒しなければ何が起きてもおかしくはないし、当然人工英霊自身も、この最大級の手札をそうそう簡単に敵に晒すことはしない。
これは飛鳥と鈴風の方が異質なのだ。飛鳥の場合は、1年以上前から《パラダイム》を始めとする様々な武装勢力と交戦していたため、既に隠蔽しきれる状態ではなかったからなのだが……鈴風の場合は単なる考えなしである。
――さて、ここでの論点とは即ち、鴉が持つ特殊能力の『正体』である。
ただ単に『自分の分身を創り出す』だけのつまらないものでは決してない。それを言うなら、飛鳥とて熱量操作能力の延長で、紅炎投影なる『分身の術』を習得しているのだ。鴉の能力がこれひとつと決めつけるのは早計に過ぎるというものだ。
――よって、この戦い。
ブラウリーシェ=サヴァンは、この能力のカラクリを解き明かす事。
鴉はこの能力の正体を掴ませない事。
このたったひとつの『情報』をめぐっての勝負となるのだ。
雨水を吸った衣服とは、思ったよりも全力疾走においては『重し』となってしまうようだ。飛鳥は舌打ちしながら、せめてマシになるようにとシャツのボタンを全て開け放つ。
緩やかな下り坂を一切の加減なしで駆け下りていく飛鳥だったが、吹き付ける突風の発生源に近付くにつれ、概ね戦場の様子も察しがついてきた。
(鈴風の力が随分と弱まった代わりに、リーシェの気配が一気に強まった。それともうひとつ……)
感じた覚えのある、粘ついたどす黒い殺意――これはどうやらフェブリルの言っていた魔術師ではなく、
(鴉か。人選からしてまだ小手調べってところか)
敵襲撃者の正体を見極めたところで、飛鳥は少しばかり走るスピードを緩めた。
鴉に対して、大した脅威性を抱く必要を感じなかったのもあるが……それよりも、自分の心配を先にすべきだと思い至ったからである。
「殺気を隠そうともしないか。俺が思ってたよりも随分と過激な性格だったんですね……村雨先輩?」
正面、道路の中心で待ち構える女生徒の影に、飛鳥は完全に足を止めて問い掛けた。
「あなた相手に不意を突こうなどとは思いませんよ、烈火の君」
日本人形を連想させる、綺麗に切り揃えられた鴉の濡れ羽色の髪から雨粒がするりと滑り落ちる。
全身が水濡れになっているのにも一切構わず、蟲惑的な笑みを向ける。そんな黒髪の少女――村雨蛍からは、学生とは思えないような年齢不相応な艶を感じさせた。
そんな光景に、飛鳥は女性としての魅力や情欲を抱くことなどなく、むしろ背筋が震えそうなほどの寒気を覚えていた。
可愛らしさと凛々しさが同居する容貌の内側に、確かに感じた修羅の気配。そして、左手にだらりと構えている漆黒の日本刀が放つ昏い輝きに。
「事情は鈴風から概ね聞いていますので、俺から先輩に投げかける言葉はひとつきりです」
「あら、何でしょう?」
すぐさま武装を召喚したいところだが、残念ながら今回は丸腰で通すしかない。両手の拳を握りしめ、一歩を踏み出す。
余計な問答に意味はなく、敵対は既に決定事項。よって、
「そこをどけ」
「どかせてごらんなさい」
会話はそれきり、言葉は無用。飛鳥は両足のバネを一気に解き放ち、弾丸の如く疾駆。
そして蛍は薄笑いを浮かべたまま、黒刃の切っ先をゆるりと上げた。小さく孤を描く刃の軌道に、飛鳥は言い様のない悪寒を感じたが……奥歯を強く噛み締め弱気を押し殺す。
能力は使えず、しかも剣の達人に対して素手で挑むという無謀。分が悪いにも程があるのは重々承知している。
――だが、この程度の逆境を乗り越えられないようでは日野森飛鳥は成り立たない。
だからこそ、挑む。万象斬り裂く兇刃に、熱火を宿した裸の拳で真っ向から挑んでいく。
「さあ、楽しい『死合い』に致しましょう?」
「上等だ……火傷で済むとは思うなよ!!」