―第60話 シルフィード・セイバー ④―
地面を叩く雨粒の喧騒、夜の闇に覆われつつある灰色の空。
視覚と聴覚を大いに妨げるこの環境、戦闘行動に入るにはあまりにも――奇策や絡め手をよしとしない、そもそもそんな発想が出ないリーシェにとって――歓迎出来かねる戦場だ。
鈴風は先の戦闘で疲弊していて、続投させるには心もとない。クラウを戦力と数えていいのかどうかは判断しづらいところだが……アテにしていいものではないだろう。
気配からして相手は一人。攻めるか退くかと問われれば――
「真っ向から切り開くまで」
当然無論の攻めの一手だ。あえて言葉に出したその響きが、リーシェの心に鋼鉄の芯を通していく。
ここはもうじき私の戦場だ、離れていろと――鈴風とクラウに小さく目配せする。
弾かれたように駆け出したクラウが気絶したまま動かないレイシアを背に乗せ、更に足を引き摺っていた鈴風に肩を貸して歩き出した。二人分の体重を支えながらもその足取りが微塵も揺らいでいないことから、どうやら彼は細い外見とは裏腹に、かなり鍛えた身体を持っているようだ。
このまま飛鳥のいる学園へと避難して欲しいところだが……下手に別行動をとって敵手に狙い撃ちされる可能性もある。まだ自分の目が届く位置にいてもらった方が対処のしようもあるだろう。
(さて……ようやくこいつの出番か)
周囲への警戒を維持したまま、スカートのポケットに忍ばせておいたものを右手で探り当てる。
取り出したのは長さ20㎝ほどの細長い金属質の物体だ。光沢のあるメタルの表面には『Schwertleite01』と刻印されており、美しさよりも無骨さが強い印象を受ける。
その正体は、奇しくもレイシアの武器と同じ刃無き剣であった。飛鳥が所属する《八葉》、その中の研究開発部署である第六枝団『月読』で発明された最新鋭の護身用武器。
鍔にあたる部分に備えられたスイッチを軽く押す。小さく電子音が鳴ったかと思うと、その柄の先端から蒼白い輝きが伸出し、1m近い刀身を造り上げた。
生まれ変わった愛剣の感触を確かめるように2、3空を切る。
よい仕事をしてくれたものだと――リーシェは握りしめた相棒に気炎の意志を宿らせた。
剣の戦乙女の名を冠するリーシェの新たな武器、その誕生にはちょっとした紆余曲折があった。
この世界にやってきてからのリーシェが最も頭を悩ませていたのが、『戦闘時に如何にして武器を工面するか』という問題だった。武器そのものは彼女が元いた世界から持参している剣があったものの、それをそのまま使うのはどうしても困難だったのだ。
考えてもみてほしい。
日本とは世界屈指の法治国家である。そして仮に、街中で腰に刀剣をぶら下げているような輩がいれば問答無用でお縄になる国だ。それはここ白鳳市でも勿論例外ではなく。
あくまで普段は普通の学生として日々の生活を送りたいリーシェにとっては、これは意外に由々しき課題だった。
飛鳥や鈴風のように、どんな場所でも自分の武器を構築できるのであればともかく、リーシェは精神感応性物質形成の能力を持ち合わせていない。竹刀袋やゴルフケースに剣を入れて持ち運ぶ案もあったが、外に出るたびいちいち背負っていくのかと考えると現実的ではない(仮に無理矢理実行したとしても、職質必至だろう)。
ああでもないこうでもないと悩める騎士の救世主となったのが、先の『月読』、その隊長である(研究開発部の主任と言った方が適切だろうか)来栖夜行であった。
「ふぅむ……要するに、ブラウリーシェ君は今使っている武器をいつでも出し入れできるようにしたいのですね?」
元々リーシェが所持していた剣と鎧一式は、材質等の研究のために『月読』に預けられており、それらの構成金属がリュミエール鋼と呼ばれる新型の相転移金属であることが判明していた。
現在世界中を席巻しているウルクダイトと同じく、粒子レベルでの形状記憶能力を持っており、仮に破壊されても時間経過で元の形に復元できる性質を持つ。AIT社では既に実用化されており、過去飛鳥達が対峙した人工英霊の武装や戦術機動外骨格の装甲などに使われていたようだ。
そこで夜行が発案したのは、リュミエール鋼を普段は粒子化した状態で機器の内部に格納しておき、いざ戦闘になったら刃の形状に再構築できるように設定を施す、というものだった。
そうしてリーシェの剣をベースにして開発されたのが『シュヴェルトライテ・シリーズ』、その試作一号機であった。
柄頭のスイッチには、人間の神経を奔る電気信号認証の回路が組み込まれている。これは個人認識の役目を果たすと同時に、リーシェ自身の意志で展開する剣の形状や性質を操作できるように設定されていた。
この機能には飛鳥の能力武装である烈火刃の発想が大きく反映されており、発展させれば使い手の技術や適性に応じて最適な形の武器として展開することも可能となる。
始まりはリーシェの要望で作られたこの武器。その完成度と汎用性の評価は非常に高く、将来的には量産化して警察や警備会社に支給するという計画が立ったほどであった。
「さあ、こちらの準備は万端だ! 貴様も姿を見せるがいい!!」
……とはいえ、そんな企業側の事情など知らぬ存ぜぬ。
この手に再び剣を携えることのできる喜びと、騎士としての責務。毅然と吼え、リーシェは己に課した『守護者』としての生き方をその身に改めて認識させた。
「……アアチクショウ、うるせェ小蠅がブンブンブンブンと」
そんな純白の誓い、その返礼はノイズ混じりの呟きと同時に放たれた漆黒の羽であった。
蒼の輝剣が閃き、衝突の火花をあげながらその兇刃の悉くを撃墜し尽くしていく。
地面に散乱した黒の風切り羽――薄闇に溶け込むような烏の濡れ羽色をしたそれは苦無であった。随分と時代錯誤な得物ではあるが、リーシェの剣を打ち当ててもなお欠損した様子がない。むしろそのぞっとするような昏い切っ先を見て、リーシェは背筋を小さく震わせた。
だがこの苦無の投射方向から、相手の位置はおおよそ割り出せた。
間髪入れずに疾走を開始。力の比重を両足と――そして背中に集約させていく。
「あれは……!?」
後方からクラウの驚愕の声が飛ぶ。
瞬きの間に顕現されたブラウリーシェ=サヴァンの力の象徴……白亜の両翼を目の当たりにしては無理からぬことか。
リーシェの代名詞とも言える『天使の羽』、その実態は精神力由来の性質を持つ光子推進翼だ。
《八葉》の分析によると、これは鳥のように羽ばたいて飛行しているのではなく、重力を自在に制御する能力によるものであるそうだ。そこに指向性を与えることにより縦横無尽な急加速、急制動を実現している。
敵影は約50m先の街路樹の上に忍んでいる。だがリーシェにとってはこの程度の距離、一足一刀ならぬ一翔一刀の間合いの圏内だ。
樹の真下から急速上昇しての一閃は舞い上がる鷹の如し。裂帛の気刃は怒涛の衝撃を伴って太い幹を縦に両断した。
(かわされた!?)
しかし、手応えは無し。
そのまま上空へ飛翔したリーシェは両翼を大きく広げ地上を俯瞰する。だが、兇刃の主の姿はなし。
あの一瞬でいったいどこに逃れたというのか……その回答は、
「……ハッ、この程度かよ。純正の人工英霊が聞いて呆れんぜ」
「なに!?」
リーシェの背後――すなわち彼女の更に上方から叩きつけられた。
困惑する暇などなく、背中に衝撃。大空の覇者は無残にもアスファルトの地面に叩き付けられ、肺腑の空気が残らず吐き出される。
空の支配者が空の戦いで遅れをとる、その屈辱を噛み締めながらリーシェは――おそらく生まれて初めての経験だろう――相手を見上げた。
「貴様……何者だ」
先の苦無による先入観も手伝ってか、その第一印象は『忍者』という他なかった。
闇と同化するかのように首から下を覆う黒のボディスーツに、腰にぶら下げられた無数の刃物。そして翼や推進機器もないというのに浮いている……というより空中に立っているとしか言いようのない摩訶不思議な光景。
顔立ちと小柄な背丈からして12、3歳程度の少年に見えた。だが幼い顔つきでありながら、その双眸は餓えた獣を思わせるようなどす黒い殺意と狂気で満たされていた。
「アーアーつまんねェ下らねェ面白くねェ。あの火噴き野郎以外で、ようやくまともに楽しめそうなヤツが出てきたかと思ったら……てんで雑魚じゃねェか。蛍のヤロウめ、テキトーぬかしやがって」
宙に立ったまま、頭の後ろで手を組んで悪態をつく漆黒の少年。風邪引きの時のようなガラガラの声色だが、おそらく声変わりの途中なのだろう。だがそこに微笑ましさなど微塵も感じず、むしろそれが少年の破綻ぶりをより際立たせていた。
「チッ、まあいいや。……おい、そこの羽付き女。一回しか言わねえぞ? あそこでのびちまってる魔術師の女を置いて、さっさと消えな。そうすれば今回だけは見逃してやらァ」
黒の忍者は、離れた場所でこちらを覗っていたクラウの方向――厳密には彼が背負っていたレイシアに向け、さも面倒臭そうに親指で指した。
「なんだと……」
一方的な申し出と、完全に侮られているという事実に、リーシェは憤慨を露わにした。
すぐにでも斬りかかりたいところだったが、こんな時こそ冷静な思考を絶やしてはならないと自戒する。
謎の襲撃者、その素性は彼の言葉の端々でおおよそ推測できた。
「貴様、《パラダイム》の人工英霊か」
「……へェ?」
血気盛んに襲いかかってくると思っていたのだろうか、少年は少しばかり感心の色を見せた。
『火噴き野郎』とは、ほぼ間違いなく飛鳥のことを指しているだろう。そして『蛍』という名……
「お前……蛍先輩の仲間なのか!」
後ろの鈴風も気付いていたようだ。クラウの支えを解き、一歩前に出て叫びかけた。
――村雨蛍。今朝方話題に出たばかりだ。同じ部の仲間であった筈の鈴風を欺き、そして傷付けた憎き人工英霊。
「別に隠すつもりもねェがな……オレは鴉。お察しの通り、テメェらが大好きな『悪の組織』の一員ってわけだ、クカカッ!!」
心底相手を馬鹿にした哄笑をあげて、少年――鴉は後ろに組んだ両手を解き、無造作に前へと浮かす。
脱力しきっているようにも見えるが、リーシェも鈴風も、それが鴉なりの臨戦態勢であることは容易に判断できた。
「そうか……ならば私には退いてやる道理も、ましてや貴様を逃がしてやる道理もない。……覚悟してもらおうか」
リーシェは両手で剣を握りしめ、切っ先を後ろに下げる――いわゆる脇構えで迎撃の体勢を整える。
「お約束の回答どうもありがとうよ。だったら……」
鴉はそこで一旦言葉を切り、口元を裂けるほどに吊り上げ絶叫した。
「斬って斬って斬り刻んで……鱠にしてやらァッ!!」
――第二死合、開始。白光の翼と闇黒の影が、夕闇の空に無数の火花を散らす。