―第57話 シルフィード・セイバー ①―
26話以来の綾瀬姉さん登場。この章では飛鳥との姉弟漫才もちらほら見られます。
不自然な空間だった。
嵐と言っていいほどの強風によって、横殴りの雨が乱暴に窓ガラスを叩いている。だというのに、
(外からの音が聞こえない。これも『魔術』の一種と言うわけか)
カラオケボックスのような防音施設とは訳が違う。この部室だけが、まるで周囲の空間から切り取られているかのようだ。
「今、この部屋には『人払い』の魔術をかけてあります。あまり他人に聞かれてはまずい話ですからねー?」
深刻な話であるというのに、相も変わらず真散の口調は脱力感を誘う間延びしたものだった。まあいきなり、はっきりしゃっきりとした話し方になってもかえって不気味だが。
「……それで? 俺に頼みごとというのは?」
「まあまあ、そう慌てずに。それをお話する前に、まずは『魔術』というものに関して、飛鳥くんがどれほど理解しているのかを確認しておきたいのです」
真散の言葉を受け、飛鳥は一考する。
それは、こちら側の『手札』をどこまでさらすべきか、であった。
真散が魔術師であったことは、霧乃から話を聞いていた時点で半々くらいの確率で想定していたため、大して驚いてはいない。
それよりも問題は、飛鳥がどれだけ『魔術という世界に足を踏み入れているのか』を彼女が知っているのかどうかである。
結論から言うと、飛鳥は『魔術』そのものに対する知識は多くないのだが……過去、クロエや霧乃といった最強クラスの魔術師との関わりで、かなりの深みに踏み込んでいるのは自覚していた。
加えて、飛鳥自身が人工英霊という、魔術師とはまた異なった常識外の存在であるということ。
いくら昔からの付き合いとは言え、飛鳥は真散に自身のそういった事情を話したことはない。
いったい真散はどこまで知っているのだろうか?
(人工英霊や九耀の魔術師のことを迂闊に話して、「えっ? 何の話ですかそれ」とか言われたら洒落にならんしな)
相手側の思惑も、この駆け引きの最終的な着地点もなにも分からないこの状況だ。下手に提示した情報がどんなリスクを生み出すか知れたものではない。そして、いくら彼女が《教会》とやらに所属する魔術師だとしても、霧乃が言っていた通り「速攻でぶっ飛ばす」わけにもいかず。
隠し事をしたままは気が引けるが、今は『無知』を演じる他なかった。
「魔術と言っても……それじゃあ何か? 水無月さんは「さんだーぼるとー」って言ったら雷落とせるとでも?」
世間一般の『魔術』の解釈とはこういうものだろうと、飛鳥はおどけて言ってみた。……本人は気付いていないが、鈴風とまったく同じ発想だった。
「それだけで成立するようなら、今頃世界は魔術師だらけでしょうねー。魔術というと分かりにくいでしょうから言い換えましょうか……『占い』や『お呪い』と聞いたらどうでしょう?」
「ああ、つまり――神頼みか」
どうやらこの解釈で正解だったようだ、真散は感心したように小さく手を叩いた。
「そうなのです。人工英霊と違って、魔術師っていうのは別に『自分自身』に何かしらの力が備わっているわけではないのです」
どうやら真散は、飛鳥が人工英霊であることを承知しているようだ。その上で、飛鳥は改めて会話の組み立てを考え直していく。
「例えば……この雨を晴れにしたいと考えた場合、人工英霊の能力次第では、雨雲を丸ごと吹き飛ばしたりだとか、天候を操作することが出来るかもしれない。……けれど魔術師には、自力でそんな事をする力はありません」
窓の外を見ながら話す真散につられて、飛鳥も雨の空に目線を移す。
飛鳥の『炎』の能力は水との相性が最悪であるため、彼女の言うような芸当は出来ないが……確かにそういった力技が可能な人工英霊がいてもおかしくはない。
「こういう時、魔術師はどうするのかと言いますと……『てるてる坊主』を作るのですよ」
「てるてる坊主て……」
思わずツッコンでしまう飛鳥だったが、どうやら真散はいたって真面目のようだ。
「この場合におけるてるてる坊主とは、つまり『天気を晴れにしたい』と言う意志を地球に伝達するするための媒体なのですよ。占い師の水晶玉や、それこそ御伽話に出てくるような魔法使いが持つ杖と同じ意味なのです。……飛鳥くんは、バタフライ効果という言葉を御存知ですか?」
「蝶の羽ばたきが、将来的にどこかで竜巻を起こす要素になるっていう……?」
どんなに小さな空気の流れでも、時間の経過によって思いもよらない効果に発展するという現象である。
「自然現象――というより、あらゆる物事に絶対はありません。必ず『可能性』という無数の枝葉が存在しているのです」
ここで真散は一旦言葉を切った。そしてこちらに意地悪そうな笑みを浮かべてくる。後は自分で考えてみろ、ということらしい。
バタフライ効果をより噛み砕いて表現するのならば、自然現象――それこそ明日の天気など――というものは、ありとあらゆる要因によって絶え間なく粒子や量子が変動して起きているのだから、100%の予測なんて出来はしない。仮に天気予報で「明日は晴れでしょう」と言っていたとしても、何かしらの要因で雷雨になるかもしれない。
「……なるほど。大方言いたい事は分かってきた。つまり魔術とは……自分に都合のよい『可能性』を手繰り寄せるものなんだな」
「何と言いましょうか……飛鳥くんは先生泣かせですよね。理解が早過ぎるというのも、何だか複雑なのです。自分で言うのもなんですが、かなり難しいレベルの話をしたつもりなのですよ?」
正解には違いなかったようだが、先生役である真散はどこか不満げだった。確かに、これが普通の学生相手であれば、頭を悩ませたのだろうが……飛鳥は《八葉》で、人工英霊の能力やSPTの原理の解析などに携わった経験がある。そこでの解説が、案外この魔術の話に共通する部分があったため、真散が驚くほどにすんなりと理解できたのである。
「さっき俺が冗談半分で言った『雷を落とす』というのも同じ原理で可能なんだろ。天気が晴れていようが曇っていようが、『雷が落ちるかもしれない』という可能性が少しでもある限り、その可能性を引っ張り出して実現するのが『魔術』というわけだ」
「そーですー、その通りですー。……正直がっかりなのですよ。もっと困ったり慌てたり動揺する飛鳥くんが見れると思ってましたのに……すらすらすらすら看破しちゃって」
「ええい、いじけんな面倒臭い。期待に添えなくて申し訳ないが、さっさと話を続けてくれ。魔術についてはもういいから、さっき言ってた《教会》とかいう組織や、俺に何を頼みたいのか――――ん、あれ、ちょっと待て」
指先で机に『の』の字を書いて不貞腐れる真散をよそに、飛鳥はちょっとした異変に気付いた。
飛鳥の人工英霊としての能力――あらゆる炎、熱を自在に制御する“緋々色金”。その応用として、飛鳥は周辺にいる人の気配を熱源視覚化して探知することが出来る。
「水無月さん、一応確認なんだが……その『人払い』というのは本当に機能しているんだろうな?」
部室の端に隠すように貼り付けられていた、一目には解読できない文様が書かれた縦長の紙を指差す真散だったのだが、
「大丈夫ですよ、このお札を使ってしっかりと…………って、ああっ!!」
気になってお札を二度見した彼女は、急に素っ頓狂な声をあげた。
そう、人払いの術がちゃんと機能しているのならば、有り得ないのだ。飛鳥の探知には、真っ直ぐこの部室に向かう反応がひとつ、確実に引っ掛かっているのだから。
そしてこの気配、飛鳥には嫌と言うほど覚えがあった。
「入りますよ。……ん? 飛鳥、お前もいたのですか」
ノックもなしに扉を開けて入ってきたのは、どう考えてもこの部室には場違いにしか見えない和服美人。
「ね、姉さん……」
「ここでは理事長と呼びなさいと何度も言っているでしょうが。いい加減覚えなさい、この愚弟」
藍染めの着物、椿の簪、鋭い眼光。
飛鳥の姉にして、白鳳学園理事長――日野森綾瀬である。そしてしゃがみこんでお札の様子を確認していた真散は、
「あ、これよく見たら『人払い』じゃなくて『防音』の呪符だったのですよー! あはは、こんなうっかりさんじゃ魔術師失格なのですよー…………あれ、理事長?」
「水無月、お前はそんな所で何をやっているのですか」
理事長の切り裂くような視線を向けられ、カタカタ震えて動けなくなっていた。
「人払いだとか、魔術師だとか……随分と面白そうな話をしていたようですね? 実に――ええ、実に興味深い」
「あ、あ、あわわわ……」
無理だ。もう逃げられない。
真散の想像以上のへっぽこ魔術師っぷりと、最悪のタイミングで登場した綾瀬理事長。
既に話がグダグダになりそうな雰囲気が満載であった。
(それにしても、鈴風達はまだ帰ってこないのか? 流石に心配になってきたが……だが、ここですぐ連絡入れようと思うから、俺は過保護って言われるのかなぁ?)
そんな飛鳥の心配は、半分は正解であり――
「……まったく急に、危ないじゃないのさ」
そしてもう半分は、無用のものであったと言える。
荒れ狂う水の大蛇は、瀑布となってバス停を直撃し粉々に粉砕。アスファルトの地面を強烈に抉り取った水流の爪痕からして、人間の生存は絶望的であった…………並の人間なら。
「あんた、いったい何者? 魔術的な力は感じられない。ってことは……」
この破壊水撃を演出したレイシアは、自分の攻撃が突風で流されたことにすぐに気付いた。
最初は“聖剣砕き”たるクラウの仕業かと思ったが、どうやらもっと無理矢理な迎撃法のようだ。
爆裂四散した水流が消え、迎撃者の姿が露わになる。
両手両足に装着された翠玉色の装甲。右手に携えた、明らかに何らかの仕掛けを隠しているであろう機械槍。
「人工英霊……! 驚いたわ、まさかもう手駒に加えているなんてね。私を迎え撃つ準備は万端って意味かしら、クラウ?」
「うるっさい!!」
嘲るような口調でクラウを責めるレイシアを、翠玉の主が一喝する。
「いきなり攻撃してきたかと思ったら、意味の分からないことをグダグダグダグダ……あたしは友達を――クラウ君を助けようとしただけだよ。変な言い掛かりはやめてほしいな」
「知ったことじゃないわね。私はその男に裁きを下すべく、ここに来た。邪魔するってんなら、あんたも一緒に水死体にしてやるわよ」
殺意を剥き出しにし、レイシアは少女を睨みつけるが――動じる気配はない。どうやら荒事には慣れている様子。ならば――
「だったらあの世で後悔することね。……魔道結社《不滅の潔刃》がひとり、レイシア=ウィンスレットよ。あんたも名乗りなさい」
いざ、尋常に。どんな相手であろうと、戦いとあらば正面から堂々とぶつかり合うべきだ。
魔術師が騎士道精神などと、下らない美意識かもしれないが……どうやら相手もレイシアと同じ考えらしい。獰猛な笑みを隠そうともせずに、応じてきた。
「あたしの名前は楯無鈴風。あんたがお察しの通り、人工英霊だよ。そうと分かって向かってくるなら覚悟はいいってことだよね?……気を付けなよ、あたしの槍は嵐を呼ぶぞ!!」
「上等! この水神の濁流で、まとめて押し流してやるわ!!」
互いの闘志に呼応するが如く、それぞれの武器を大きく振るい、同時に駆け出す。
――水よ砕け、嵐よ吹け。立ち塞がる敵を、その力ですべて薙ぎ払え!!
そうしてここに、水神対風神、女と女の戦いの火蓋が切って落とされた。
鈴風とレイシアの掛け合いは超書きやすい。だって考え方がすごい単純なんだもの。