―第56話 セイレーン・ストライク ④―
五行聖祭の開催時期を6月から7月に変更しています。
「雨、止まないねぇ……」
切れ目のない分厚いの雲の天井を、鈴風は憂鬱そうに見上げていた。
天気予報によると、午後には天気が回復していくはずだったのだが、物の見事に外れてしまったようだ。
傘をさして行くのも辛いほどの雨の勢いに耐えかね、今は学園に続く坂道の途中にあるバス停で雨宿りをしていた。
「すいません、楯無先輩。こんな雨の中お付き合いしてもらって……」
「なになに、いいってことなのさ。あたしも部活辞めて暇だったしねー。こんな暇人でも、お役に立てたのなら幸いなのだよ」
同じく隣で雨をしのいでいたクラウの申し訳なさそうな態度に、鈴風はカラカラと笑って答えた。
放課後、飛鳥と一緒に郷土史研究部へと赴いたのだが、この雨の中ひとりで街中を走り回ろうとしていたクラウを見かねた鈴風は、進んで彼の手伝いを買って出た。
仕事そのものは実に簡単なものだった。リストアップされたお店から、五行聖祭に関する何かしらの書類(スポンサーどうこうの話を鈴風はよく分かっていない)を回収してくるだけのものだ。
インターネットやFAXを使えば簡単に済みそうなものを、どうしてわざわざ(それもこんな天気に)足を運んで紙を貰いに行くのだろうと思っていたが、
「この部の伝統みたいなものなのですよ。直接お互いの顔を合わせて話をする――そうやってできる人の繋がりを蔑ろにしたくはないのです」
真散の、とても現役高校生とは思えないような回答に鈴風は脱帽しきりだった。
おそらく、クラウやリーシェに少しでも多くの人との接点を作ってあげたいという思惑もあったのだろう。それは鈴風にも理解できたのだが……
「留学してきたばっかだってのに……クラウ君も大変だ」
「でも、部長のおっしゃったことは正しいですよ。人間、ひとりで生きていけるわけではないんですし、困った時に助けてくれる味方は多い方がいいでしょうから」
苦笑いしながら、何だか意味深に答える後輩の少年に、鈴風もつられて小さく笑う。
(もう警戒はされてないみたい、かな?)
先日の土下座騒動をきっかけに、鈴風はクラウとちょっとだけ仲良くなれた……ような気がする。一方的な思い込みではないと信じたい。
今日は歩きがてら、彼自身の話を聞くこともできた。
出身はバチカン(それってどこですか?)。妹がひとりいて、日本にはその子と一緒に来たそうだ。来日した理由に関してはどうやら訳ありらしく、あまり触れるべきではないようだった。
(……それにしても)
このクラウ=マーべリックという少年。見れば見るほどに綺麗な顔立ちをしている。
紫水晶を思わせる薄紫の髪に、細身の体付き。しかし華奢というわけではない。
元剣道部員の名は伊達ではない。彼のちょっとした所作から、鋼刃九朗のような鉄塊の如く徹底された『剛』の強さではなく、引き絞られた弓と矢を連想させる、しなやかな『柔』の強さが内包されていることを確かに見抜いていた。
「いやぁ、さっきの和菓子屋の御婦人は素晴らしい方だったな! タダでこんなにも甘味を持たせてくれたぞ!!」
「ああ……あそこのおばちゃん、異様に気前がいいんだよね。滅茶苦茶話長いんだけど、最後まで聞いてくれた子には今日みたいに山ほどお菓子持たせてくれるんだよ。あたしもちっさい頃はお世話になったなー」
待合場の座席に座り、リーシェは美味しそうな饅頭や羊羹が入った紙袋を覗きこんでいた。
最後に挨拶しに向かった和菓子屋『香月堂』の店長には、鈴風も何年も前からお世話になっている。
とにかく子供が大好きで、「たくさん食べて大きくなりんさい」が口癖。今日も鈴風達の姿を見た途端に、
「あんらまあ鈴ちゃんじゃないのー! しばらく見ないうちに随分と大きくなっちゃってまあまあまあ! あら、後ろの子達はお友達かしら? こんな雨の中わざわざ遊びに来てくれちゃって、ささ、立ち話もなんだからそこで座ってお茶でも飲んでいきなさい。すぐにお茶菓子も出したげるからー!!」
「おばちゃんおばちゃん! 気持ちは嬉しいんだけど、今日は遊びに来たんじゃないんだって!!」
この様子である。
有無を言わさず鈴風達一行を座敷に座らせ、あれもこれもと大量のお菓子でおもてなしラッシュ。もう帰らなきゃという鈴風の提言を何とか聞いてもらった後も、両手に抱えきれないほどのお土産を持たせようとしてきたが、流石に遠慮して最低限の量にしてもらった。
しかし、さて学園に戻ろうかと外に出た途端にこの大雨である。このバス停から学園までの距離はそう遠くはないが、急ぐ道のりでもないし、無理に進めばずぶ濡れは必至。
「あ、かたつむり」
暇だからと言ってついてきたフェブリルは、待合室の壁をよじ登っていたかたつむりをじっと観察していた。明らかに退屈そうだった。
乱暴に地面を打ち続ける雨粒の音が更にやかましくなる。台風レベルの雨嵐に、無事に帰れるのか少々不安になってきた。
「あの、楯無先輩」
遠慮がちに声をかけてきたクラウの声に振り向く。そんなに委縮しなくていいのにと思いながらも、どうしたのと聞いてみた。
「どうして急に、うちの部の手伝いをして下さったのですか?」
「え?……あー」
どう答えればいいものか、鈴風は腕を組んで考え込んだ。
霧乃に頼まれた飛鳥の付き添いだ、などと正直に話していいものか。魔術がどうこうという話を勘ぐられてしまうかもしれない。
(うーん……でもよく考えたらあたし、魔術について何にも知らないや。なんだろ、ファンタジーものみたいに「ふぁいや~ぼ~る~っ」って言ったら火の玉出せるのかな?)
まあ、飛鳥なら造作もなくやってのけるだろうが(とはいえ、そんなアホみたいな呼び声は出さないだろうが)。
魔術を行使する人物に関してはクロエや霧乃が身近にいたとはいえ、実は鈴風、実際の魔術を殆ど目にしたことがない。先月のランドグリーズ迎撃の際に、クロエの拳銃から放たれた光線のようなものや、霧乃が飛鳥の影の中に隠れていた現象くらいか。
(そもそも霧乃さんからは、クラウ君達を魔術師の手から守ってほしいと言われただけで、クラウ君が魔術を使う人だとは限らないんだよね。……ぐぬぬ、ならどうしてわざわざ口止めなんかしてきたんだろ。なんかもう考えるのが面倒になってきた)
彼等に勘ぐられることなく、さりげなく護衛する……そんな腹芸じみた行動は苦手なのだ。
それに隠し事や騙し事を抱えたまま友達づきあいをするだなんて、楯無鈴風の性分には決して合わない。と、言うわけで。
「いやぁ実はあたし、君たちを悪い奴らの手から守りに来た正義の味方だったのですよ!!」
「………………へ?」
テヘッ! と小さく舌を出して冗談めかしてぶっちゃけました。
まさかの斜め上からの回答に、クラウは目を点にして固まってしまっていた。そして背後にいたリーシェとフェブリルは「こいつ何言っちゃってんのー!?」という表情で硬直していた。
(……あ、あれ、無反応?)
…………静寂が、痛い。
雨の音しか鼓膜に響いてこないこの空間。芸人がだだ滑りした時のような空気に、鈴風は嫌な汗を流していた。
大丈夫、大丈夫なはずだ。ちゃんと『魔術』というワードを入れずに正直に回答できたではないか。
だから後ろの異世界組ふたり。普段はボケ役のくせして、こんな時だけ可哀想な子を見るような目を向けないでほしい。普段は君たちにそんな視線が向けられているんだよ?(特に飛鳥に)と全力でツッコみたかった。
「……先輩は、まさか」
「え?」
目が点状態から復帰したクラウは、怪訝な表情でこちらに向かって何かを問いかけようとする。だがそれは、
「――見つけたわよ」
土砂降りの雨の中にも関わらず、何故かはっきりと聞き取れた――そんな澄んだ声によって掻き消された。
いつの間にか――この4人中の誰にも気づかれることなく――道路の中心に、傘もささずに、少女がひとり。
「あ、れ……? あの、あなたって、まさか」
鈴風はその少女の姿に見覚えがあった。
半袖のカットソーの上から、複数の大型フラップポケットが付いた軍用ベストを羽織っており、下はスキニージーンズにスニーカーとかなり活動的な(男っぽい、とも言える)服装だ。その格好自体は特におかしくもなんともないのだが……
薄い青色の髪が、降りしきる雨と一体化しているかのように見えた。クラウが紫水晶なら、彼女は水宝玉だろうか。水の精霊――そんな表現が最もしっくりくる、この世ならざる幻想的な美貌を持った彼女の名を、鈴風はよく知っていた。
「『セイレーン』……? あなた、レイシアちゃんでしょ? いつも街中で歌ってる」
つい今朝に映像で見たばかりなのだ、見間違えようがない。
今話題の時の人との接触に興奮を隠しきれない鈴風ではあったが、今はそんな場合ではない。
いつまでも雨に打たれていては彼女が風邪をひいてしまう。こちらに来るように呼びかけようとして――あれ、と首を傾げた。
(濡れて、ない?)
滝のような雨の中、彼女――レイシア=ウィンスレットの身体には濡れた痕すらない。目をこらしてよく見ると、落下する水滴が彼女に触れる瞬間に、まるで意志でもあるかのようにぐにゃりと曲がっていた。
視線が交錯する。……まるで大蛇に睨まれたかのような感覚に、鈴風の全身に震えが走る。これに近い感覚を、鈴風はここ最近になって何度か経験していた。
――殺意。
明確な敵対意志、お前を殺してやるぞという言外の意志表示。
分からないことだらけの状況ではあるが、目の前の彼女が『危険』であるという点だけは容易に結論付けられた。
「いったいどこまで逃げたのかと思ったら、まさか“九耀の魔術師”のお膝元だったってんだから恐れ入るわ。おかげで探し出すのに随分苦労したわ」
レイシアの視線は、鈴風の隣――驚愕で凍りつくクラウへと向けられていた。どうやら2人は知り合いのようだ。それも、あまり歓迎したくない間柄の。
「……レッシィ、僕は」
「気安くその名で呼ぶんじゃないわよ!!」
憤怒を爆発させた薄水の少女に、紫紺の少年は伸ばしかけた手を止めた。
「裏切ったのはアンタの方なのよ……! アンタが全部、何もかもぶち壊しにした! だってのに、アンタはこんな島国でのうのうと暮らしている。こんなのって、ないわよ……」
クラウへの憎悪を爆発させるレイシアだったが、最後の一言だけ、苦悶と悲哀を絞り出すような涙まじりの声色だった。
鈴風の頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響く。
――心せよ。戦いは既に始まっている。
「“ウィリタ・グラディウス”」
その名と共にレイシアの右手に出現したのは、刃のない剣。鍔の部分に、強烈な蒼の輝きを放つ宝石が埋め込まれていた。
「水霊招来――!!」
そしてその叫びは、この世の法理を捻じ曲げる『魔術』の顕現だった。
「うそ……なに、これ」
そのありえない光景に、鈴風は愕然としながら視線を周囲に泳がせる。
雨が、停止していた。
無数の水滴が、中空に浮いたままぴたりと動かなくなったのだ。まるで時が凍りついたかのよう。
「……やっぱり、こうなっちゃうか」
「クラウ君?」
この状況に狼狽することなく、クラウは諦めたかのように呟いた。
ここまでくれば、鈴風は嫌が応にも察することができた。
霧乃が懸念されていた『魔術師』の襲撃。それこそが今であり、目の前のレイシア=ウィンスレットであるということに。
「……リルちゃんゴメン。ちょっとひとっ飛びして飛鳥を呼んできて」
「え、で、でも」
「いいから。ここはあたしとリーシェに任せて」
今は悠長に携帯電話を出していられる状況ではないのだ。
リーシェの背後に隠れていたフェブリルに小声で伝える。小さな悪魔はしばらく困惑の顔をしていたが、無言で小さく頷くリーシェを見て、意を決して飛び出していった。
「海神の怒りをこの手に」
その直後、レイシアの魔術は更なる変化と発展を見せた。
停止していた雨粒が、彼女の意志に応じたかのように――実際、従っているのだろう――彼女の手にある刃無しの剣に向かって殺到する。渦潮にも似たうねりと咆哮を轟かせ、ついに『それ』は姿を現した。
「水の、蛇……?」
圧倒的大質量の雨水を媒介とし、レイシアの剣――“ウィリタ・グラディウス”の刀身を形作ったのは、全長10mはあろうかという半透明の大蛇の化物。お前らなど何の造作もなく一呑みにしてやるぞ、と水より出でし魔物はその大顎を開け放った。
彼女の怒りを体現したかのごときその威容。だが怯むな、逃げるなと鈴風は自身を叱咤する。
「アンタだけは、私が絶対この手で裁く。さぁ覚悟を決めなさい、クラウ=マーべリック……いえ、“聖剣砕き”!!」
「レッシィ!!」
クラウとレイシア、2人の絶叫が曇天に木霊する。
そして大蛇の魔刃は、鈴風達のいるバス停もろとも押し潰す勢いで一気に振り下ろされた。
奇跡。
禁忌。
聖なるもの。
邪なるもの。
――魔術。
進化への道程を、意志の力を見出す――この物語を紐解くためには、決して避けて通ることの出来ない概念。
そんな魔術の理に触れるため、ここでひとりの少年の話をしよう。
彼は魔術を信奉していた。だがその意志は否定され、彼は魔術に絶望することになる。
第三幕は、『魔』を以て『魔』を砕く――矛盾した精神を抱き拳を握った、そんな不器用な魔術師のお話。
やっとこクラウとレイシアが本格参戦。