―第54話 セイレーン・ストライク ②―
超スランプぎみ。
「『セイレーン』?」
事の発端は、飛鳥の後ろに座る『金髪不良』こと矢来一蹴が、珍しくとあるアイドルに熱中しているという話から始まった。
「おう。ここ最近になって突如彗星の如く現れ、そのルックスと人間離れした美声で、一躍有名人になった謎の歌姫!……ってところか」
一蹴だけではない。今、飛鳥達のクラスではその『セイレーン』たる歌手の話題で持ちきりとなっていた。
若者らしい最近の流行よりも、今夜の献立を考えるほうがよっぽど大事な飛鳥にとってはぴんと来ない話だったが、
「え、飛鳥、知らなかったの?……それは、遅れてるどころの騒ぎじゃないよ。流石に世の中の情報に疎すぎだと思うんですが?」
隣席に座る、世間知らず少女鈴風にまでまさかの駄目出しをされてしまったため、本気で落ち込んでしまった。
普段であればそこで話が終わっていたのだろうが……熱血硬派という言葉がよく似合うこの2人までもがそこまで推す歌姫とは、いったい何者なのか。さしもの飛鳥も興味を抱かずにはいられなかった。
「すごいんだよレイシアちゃんって! あ、『セイレーン』って言うのは愛称で、名前はレイシア=ウィンスレット。白鳳市の色んなところに神出鬼没に現れてゲリラライブをやってるんだけど……たしか大きな交差点の近くで歌った時には、周りの車がみんなレイシアちゃんの歌声に聞き入って動かなくなっちゃたんだって!!」
「そ、そうなのか……って顔が近い、暑苦しいから離れろ!!」
人が変わったかのように、手に汗握ってそのレイシアとやらの事を熱く語る鈴風に、若干引いてしまう飛鳥だった。
どうやら、その路上ライブを撮影したものがあるらしい。一蹴がタブレットPCを取り出して再生しようとすると、クラス中の皆が席に群がってきて、一転して大上映会となってしまった。
場所はどうやら白鳳市東部の句芒駅前。大型ショッピングモール『エヴァーグリーン』のある街一番の繁華街だ。
切れ目なく流れる人の波。行き交う車の甲高いクラクションの重奏は、耳を塞ぎたくなるほどに鼓膜に響く。…………だが、
深い深い海の底から いつもきみを見つめていました
(……すごいな。繁華街のど真ん中だっていうのに、彼女が歌い始めた途端、周りの音が全部消えた)
時間が停止したかのような錯覚。人も、車も、周りにいた――彼女の声を聞いたすべてのものが、視線も、耳も、おそらく心すらも奪われていた。
『セイレーン』という異名も納得できる。かつてその歌声で船人達を惑わせ、数多の船を海の底へと沈めていった人魚(出典や時代によっては半人半鳥とも記述される)の名にふさわしく、その鮮烈な旋律は人々を魅了して離さない。透き通った川の流れを彷彿とさせる薄水色の髪も相まって、現実離れした――どこか魔法じみた存在に思えた。
(そういえばこの声、少し前に『エヴァーグリーン』でも流れていたっけか)
ちょうど1ヶ月前、ショッピングモール内でクロエと一緒に聞き入っていた時を思い出す。あの時も、随分と気持ちに染み入ったというか……その後大胆にもクロエと手を繋いだのを思い出し(飛鳥もクロエも恋愛沙汰に関しては初心そのものなので)、つい赤面してしまった。
「ねぇ飛鳥。理由は分からないけどなんでかムカついたから殴っていい?」
「躱して反撃していいなら」
「ふふふふ。そんな舐めた口をきいてていいのかな? 今のあたしを以前のあたしと同じと思ってもらっちゃあ困るね。さぁ、躱せるもんなら躱してみるがいいーーっ!!」
「一蹴。彼女の事について他に何か知らないか?」
「…………無視は酷いと思うんです。てか最近、あたしの扱いがぞんざいな気がしてならないんですけど、気のせいでしょーか?」
拗ねた様子でぶつくさ言う鈴風を軽くあしらいながら、飛鳥はこの歌姫に関する情報収集にあたることにした。
単なる杞憂で済むのならば、それでもいいのだ。しかし仕事柄というべきか、超常現象や人間離れした能力を持った存在に対しては可能な限り情報網を張っておきたかったのだ。
一蹴もそんな飛鳥の意図を察したようで、一転して真面目な表情になる。
「実はあの子に関しては、名前以外まったく分からねぇんだよ。チケットとってライブハウスで歌ってるわけでもなければ、どこかの事務所に入ってるわけでもねぇ。不定期に人通りの多い場所に現れては、ああやってゲリラライブやって、それでいつの間にか――それこそ泡になったかのように消えちまう。一部では幽霊なんじゃねぇかって言われてるくらいだ」
飛鳥は音楽業界について詳しくなどないが……あれだけの歌唱力で、かつ大勢の人間が評価しているのであれば、間違いなくあらゆる音楽事務所から引く手数多だろう。とはいえメジャーデビューするつもりなどなかったのかもしれない。しかし、そんな考えの持ち主がわざわざ繁華街のど真ん中で歌ったりするものだろうか? 『多くの人に自分の歌を聞いてほしい』という意図がない限りは絶対にしない筈の行動をだ。
そして何より、彼女の歌そのものに対しても些か疑問が残る。
動画で歌っていた曲は、どちらかというと落ち着いた曲調だったのだが……拡声器も伴奏もなく、本当に肉声だけで繁華街の喧騒をああも切り裂けるものなのだろうか。歌姫に見入っていた人々――近くをすれ違う通行人ならともかく、高架上から見下ろす観客、交差点で停車していた車の乗客もだ。目測でも半径約50m圏内の人間が余さずその美声に釘付けになったのだ。
とはいえ、ここは未来科学の先進を行く白鳳市だ。もしかするとマイクロサイズの拡声器などを使っていた可能性もある。
(……だが、それはない気がする)
こと音楽に関して、『生』で聞くより勝るものはない。重厚なオーケストラが、コンサートで直接聞くのと音楽プレーヤーの音源とでは比較にならないように。
これはきっと理屈などではなくて、電子機器を通した歌声では、この動画のように道行く人を悉く魅了しきることは出来ないのではないか。
……と、言うより。この人魚姫の歌にはそんなものは邪魔でしかない、本来の力を発揮する妨げになる――そう思えてならなかった。
「考えすぎじゃない?」
と、小難しい話は基本スルー少女鈴風さんに一刀両断された。
「いや、まあ自分でもそう思うけどな……」
飛鳥とて、自分が疑り深い性分だというのは理解している。しかし、だからと言って無頓着でいられるのかと言うとそういうわけでもないので、結局ひとりで云々と考え込んでしまうのだ。
「アスカ、スズカ。しばらくは我々の部を手伝ってくれるのか?」
飛鳥の2歩ほど前を歩くリーシェが後ろを向いて尋ねてくる。
そんなこんだで何事もなく一日の授業が終わった飛鳥達4人は、リーシェが所属する郷土史研究部へと向かっていた。
「ああ、霧乃さんにも言われてるし。それに、リーシェが普段どんな活躍してるのかも知りたかったからな」
「ほ、ほぉう……いい度胸ではないか。私の八面六臂の大活躍を見て、精々腰を抜かさないようにするのだなっ!!」
両手を腰に当ててふんぞり返るリーシェだったが、よく見ると全身が小刻みに震えていた。その様子を見た飛鳥は、思わず隣の鈴風に耳打ちする。
「(これは……あれか。授業参観の時の子供の心境か)」
「(だろーねぇ。リーシェって見た目の割に蚤の心臓だから)」
男らしい口調、毅然とした態度に凛々しい容貌。どちらかというと女の子受けしそうな彼女だが、内面は意外と繊細だったりする。
目標は友達百人。でも極端に人見知りで飛鳥達以外と話そうとするとやたらと言葉を噛み、テンパってしまう。
『頼りになるのかならないのか判断が難しい子』……これが、日野森家一同のブラウリーシェ=サヴァンという女性に対する見解である。
「よぉしいくぞお前達! 分からない事があったら何でも私に聞くといいぞ!!」
そう言って若干早足になるリーシェ。そんな興奮と緊張が入り混じった背中を、飛鳥は微笑ましく見守りつつ、再び思索にふける。
(それにしても、ウィンスレット……ウィンスレット、ね。ただの偶然か?)
クロエと霧乃の留守中に急に台頭してきた、レイシア=ウィンスレットという歌姫。飛鳥は何の根拠もなしに、彼女から『魔術』の匂いを感じ取ったわけではない。
(“腐食后”テレジア=ウィンスレット……あの人と同じ名字だから、というのは考えすぎかね)
推理と呼ぶのもおこがましい。ただのこじつけだ。
それでも、だ。わざわざ霧乃が警告を残していったくらいなのだ。ならばこじつけだろうが深読みだろうが、常にあらゆる最悪の可能性を想定しておくのが自分の仕事だろう。
(魔術師達が一斉蜂起して街中でバイオレンスパーティーだなんて、笑い話にもならん)
そんな飛鳥の思案を掻き消そうとするかの如く、降りしきる雨がより一層強く窓を打ち付けていた。
「…………お腹が空きましたー」
そして頭上にへばり付くフェブリルの力無い呟きが、そんな飛鳥の真面目な雰囲気をすべてぶち壊した。