―第53話 セイレーン・ストライク ①―
一応1章ごとにライトノベル1冊分と想定しているので、各章の頭には簡単な人物紹介を入れてます。
「食費を削らなければならない」
日野森飛鳥の宣告に、賑やかだった食卓は水を打ったように静まり返った。
炎を具現化させたかのような紅蓮色の髪に、同色の瞳。見る者によっては威圧感を与えかねない容貌ではあるが……今は朝食時である。ヒヨコのアップリケがついた黄色のエプロンを身に付け、左手にはふんわりと焼き上がったばかりのオムレツが入ったフライパン。この場にいる3人の欠食児童の胃を満たすべく奮戦している主夫の姿であった。
「むぐむぐ……マジしゅか」
筍とピーマンの炒め物を咀嚼しながら亜麻色の髪の少女が答える。お行儀が悪いぞ、と飛鳥に窘められたため一旦飲み込むことに集中し始めた彼女は楯無鈴風という。
鈴風はこの家の住人ではなく、すぐ近所に住む飛鳥の幼馴染なのだが、ここ日野森家にほぼ毎日のように食事をたかりにきていた。
「がつがつがつがつがつ…………アスカ、おかわり!!」
そんな話など馬耳東風で、全長15㎝ほどの人形みたいな少女が満開の笑顔で空になった茶碗を持ち上げてくる。そんな食い意地を隠そうともしないチビッ子に飛鳥はぴしゃりと言い放つ。
「フェブリル……『居候、三杯目にはそっと出し』って言葉、知ってるか?」
「分かりません!!」
知っていたら苦労はしない。分かってはいたが飛鳥は頭を抱えたくなかった。
神秘的な銀色の髪に、一見するとボロ布にしか見えない漆黒のローブ。悪魔の頂点に立つ存在である、自称・『魔神』フェブリルは一向にやってこないご飯のおかわりに痺れを切らし、ぶーたれ始めた。
「こんなんじゃたーりーなーいーっ! アタシは育ち盛りなんだよ、成長期なんだよ? しっかり食べないと大きくなれないんだよ!!」
「お前、それでご飯何杯目だ?」
「五杯目だけど?」
テーブルの上で手足をじたばたとさせながら猛抗議するフェブリルにどこから突っ込むべきか、飛鳥は本気で悩んだ。いくら食ったところでそのポケットサイズの体が大きくなるものなのか、そして五杯分もの米がお前の体のどこに入っているのか、など。
「…………うう」
そんなやり取りの中、自分もおかわりしようと思っていたのだろうか。もうひとりの居候が手に持ったお茶碗を中途半端な位置で停止させて、気まずげな表情を見せていた。
「ア、アスカ……それは、やはり、私のせいなのか。こっちの世界に来てからろくすっぽ戦うこともせず、タダ飯ばかり喰らっている私がいるからなのだな……」
「いや、リーシェはまだいいんだよ。食べるって言っても人並みだし。うちが今金欠なのは99%がたこのチビスケのせいだから。そんなに落ち込まなくていいから」
彼女の若草色の前髪から涙目になった双眸が覗き、飛鳥は慌ててフォローを入れる。
モデル顔負けの長身に、可愛さと凛々しさが同居する美貌。異世界《ライン・ファルシア》からやってきた『騎士』の少女、ブラウリーシェ=サヴァン――リーシェはずぅんと肩を落としてうなだれていた。
……本来であれば、更にもうひとり留学生の少女がいる筈だったのだが、彼女――クロエ=ステラクラインは、現在遠く離れたイギリスの地に発っている。よって今は、この4名による食卓なのだ。
「飛鳥、やっぱりあたしもお金出そうか? そもそも、毎日タダ飯喰らいしてるのはあたしもなんだし」
「……あー、そこまで深刻なレベルじゃないから気にすんな。それにお前に飯食わせてるのは、おじさんとおばさんへの日頃の恩返しって意味もあるんだ。恐れ多くて金なんか取れるか」
鈴風の提案は有難いものではあったのだが、楯無一家には子供の頃からずっとお世話になってきたのだ。家族同然の間柄に金銭を差し挟みたくはなかった。
食費の問題に関しても、事実上フェブリルひとりを何とかすれば解決する。今までが甘やかしすぎだったのだ。心を鬼にして…………せめてご飯は毎食二杯までにしてもらえれば、何とかなると飛鳥は考えていた。結局鬼にはなりきれなさそうだ。
「あっ……フギャアーーッ!?」
カタン、という食器の音と共に、突然フェブリルが絶叫し始めた。何事かと見てみると、どうやら納豆が入った小鉢をひっくり返してしまったようだ。
「うあー……」
「うわ、ひっどい絵面に……」
思わず鈴風が嫌そうな声をあげた。無理もない。頭から納豆を被って、全身がそれはもうネバネバまみれになっていたのだ。粘ついた音を鳴らしながらテーブル上を徘徊する姿は、まるで新種の妖怪みたいだった。
流石に放置は可哀想なので、飛鳥はひょいとローブの襟部分をつまんで持ち上げる。
「ぎもぢわるい……」
「だろうよ。ほら、風呂場いくぞ。着替えも用意してやるから」
半泣き状態のフェブリルを連れてそのまま脱衣所へと向かう飛鳥を、残る鈴風とリーシェは何ともなしに見送ったのだが…………数秒の逡巡の後、気付く。
「あ、あれ、あれぇ……? なあスズカ、さっきの光景が何だかひどくおかしいものに思えたんだが、私、変だろうか?」
「………………………ちょっと待てやそこのロリペド変態野郎がああぁぁぁーーーーーーッ!!」
「ちょ、まておま、何のはなおぶゴォッ!?」
その後、脱衣場に到着した飛鳥の側頭部に嵐を纏ったドロップキックが炸裂し、首の骨が不自然にひん曲がるほどの衝撃を受けつつ風呂場の壁面に大激突した。主人公が絶対に出しちゃ駄目だろ的な断末魔と共に。
ちなみに、飛鳥は着替えを置いたら戻るつもりで、流石に洗ったり着替えを手伝うつもりなど毛頭なかった。そりゃそうだ。
「お前な、少し考えれば分かるだろうに……」
「いや、飛鳥って変なところで天然だからさ。赤ちゃんのおしめ替えるような感覚で、そのまましれっとリルちゃんの服脱がすかもと思ったんだよね」
濡れ衣で変態扱いしたあげく謝るそぶりすら見せない鈴風の頭を、飛鳥は一瞬本気でひっぱたいてやろうかと思った。とはいえ左手には学生鞄、右手には傘があったので思っても実行出来なかったが。
6月に入り、梅雨も本格化してきた。雨粒が不規則に傘を叩く音は、まるで大勢の人間が下手くそなタップダンスを踊っているようにも感じられた。
ちなみに、飛鳥は雨がどうしても好きになれなかった。洗濯物が乾きにくいから、という主夫の発想丸出しの理由ではあるが。
「~~♪」
そんな飛鳥の肩の上では、替えの服に着替えたフェブリルが上機嫌に鼻歌を歌っていた。彼女が喜んでいる理由を知っている飛鳥は、それを見てなんとも微笑ましい気持ちになった。
フェブリルが着ているのは、飛鳥達と同じ白鳳学園の制服――そのミニミニバージョンである。みんなとお揃いがいい、という彼女たっての希望で、飛鳥が夜なべして作った傑作であった。そのことを鈴風とリーシェに話すと、物凄く微妙な顔を返された。……仕方がない、と言えば仕方がないのだろう。客観的に見れば、大の男が人形に着せる洋服を自作しているわけだから、自慢する気にもなれない。
「そういえば、クロエ先輩と霧乃さんっていつ戻ってくるんだろ?」
「向こうでの用事次第だから、はっきりとは分からないらしい。……と言っても1週間以上にはならないだろ」
学園に続く緩やかな坂を進みながら、飛鳥と鈴風はここにいない生徒会長の事を話題にしていた。
白鳳学園生徒会長であるクロエと新任教師である霧乃は、《九耀の魔術師》という世界最強クラスの魔術師である。
数日前、2人の下に《九耀の魔術師》による緊急会議――のようなものの招待状が送り付けられてきたのだ。出席は義務、というわけではないそうだが……その時のクロエの様子を見るに、出ないと色々と厄介事があるようだった。霧乃もそんな彼女を心配してか、一緒についていくことにしたそうだ。
しかしここで、いくつかの心配事が浮上した。
「クロエさん、大丈夫だろうか」
「…………そんなに、先輩のことが気になるの」
ほぼ無意識に飛鳥が呟くと、隣の鈴風が露骨に不機嫌そうな顔になった。その理由を問うと間違いなく藪蛇なので、飛鳥は気付かないフリをして答えた。
「そりゃあ、な。ひとりで国家戦力に喧嘩売れるような人間が9人も集まるんだぞ? トラブルが起きない方が不自然だろ」
飛鳥はクロエ、霧乃以外の《九耀の魔術師》の内、何名かと会ったことがある。正直言って、お近づきになりたいとは思わない類の人種だった。
霧乃はともく、クロエは冷静そうに見えて案外沸点の低い激情家の一面もある。口論の末に、イギリス全土を巻き込んだ魔術大戦勃発……という線を冗談と切り捨てられない。
とはいえ、その場にいない飛鳥がやきもきしたところで、どうにもならない問題だ。それよりも、今の自分達の状況を心配すべきだろうか。
「村雨先輩も人工英霊だったとはな……」
「うん……いつもの部長とは別人みたいだった」
人工英霊――“祝福因子”と呼ばれる未知の物質を体内に投与され、驚異的な能力を獲得した超人。飛鳥と鈴風も、それぞれ炎と風を支配する人工英霊であるが、飛鳥はそんな異次元の魔人達を統率する組織である《パラダイム》と明確な敵対関係にある。
だが数日前、かつて鈴風が所属していた剣道部の部長であった村雨蛍が突然、その組織に所属する『敵』であると宣言してきたのだ。
(今こちらは《九耀の魔術師》という最強の味方を欠いた状態だ。奴らが何かアクションをおこすとすれば、この瞬間を逃すとは思えないが……)
鈴風と接触した後、蛍は学園から姿を消しており、その足取りはつかめていない。嫌が応にも警戒するというものだ。
飛鳥は学生の身分でありながら、民間の治安維持組織《八葉》に所属する身だ。流石に警察で対処できるような事件にまで首を突っ込む気はないが……人工英霊のような異能の存在による犯罪に対しては、飛鳥やクロエといった『同類』でなければ対処しきれない事が多い。
常時気を張っているわけにはいかないものの、いつ戦いがあってもいいように心構えだけはしておきたかった。
(それに、霧乃さんが言ってたことも気になるしな……)
魔女の2人がイギリスに発つ直前、飛鳥は霧乃からちょっとした相談を受けていた。
「弟くん。私らがいない間なんだケド……出来る範囲でいいから、郷土史研究部に顔出してやってくれない?」
「どうしました、急に?」
「……魔術絡みで厄介事に巻き込まれるかもしんないのよ」
他言無用よ、と霧乃は強い口調で釘を刺してきた。
郷土史研究部の面々――と言っても、リーシェを除けば2人しかいないのだが――を狙う魔術師勢力が存在するらしく、霧乃とクロエの目がこの白鳳市から離れている間に危害を加えるかもしれない。霧乃達と同じ《九耀の魔術師》の動きであれば嫌でも目立つらしいのだが、一言で『魔術師』と言ってもピンキリだ。魔術を使う者、その枝葉末節に至るまで把握できているわけではない。既にこの街に潜伏している魔術師も存在するのだろう。
「特に《教会》と名乗る奴がいたら問答無用。速攻でぶっ飛ばしなさい、絶対敵だから」
見敵即殺とは物騒なことを言ってくれる、と飛鳥は動揺した。
「《九耀の魔術師》どうしってね、基本的に仲悪いのよ。隙あらばいつでも寝首をかいてやろうって考えてるくらいにね。……で、この白鳳市って所は科学技術の頂点とも言える場所だし、更に弟くん達も含め、最も多くの人工英霊が存在する街でもある。外側の人間から見たら、ここはあらゆる世界最先端の『力』が集結しているるつぼなのよ」
手勢を使って悪さをはたらく魔術師がいても何らおかしくないのよ、と霧乃は面倒そうに溜息をついた。
「難しいこと頼むようだけど、部の2人には護衛目的ってのは伏せておいてね。色々と訳ありなのよ…………さて、そろそろ行くわよクロエ。いつまでも不貞腐れてないで」
「あ、あぁーーーーっ! 飛鳥さん、何かあったらすぐに連絡して下さいねーっ! すぐにでも飛んでいきますからーっ! あ、あとお土産もちゃんと買ってきますんでーっ!!」
そう言い残し、ひらひらと手を振りながらクロエを引き摺っていったのである。
(それにしても、水無月さんとクラウ君が魔術の関係者か)
もう自分の周りには、『一般人』と定義できる人間はいないのではなかろうか。そう考えると、絡む人すべてが何かしらの騒動の種を抱えているように思えてきた。
「……愚痴言ってもしょうがないか。ほら鈴風、リーシェ、少し急ぐぞ。このペースだと遅刻しそうだ」
「「はーいっ!!」」
綺麗に揃った2人の元気いっぱいの返事に、飛鳥は思わず笑みをこぼした。
雨足は強くなる一方だが、そんな障害なにするものぞと走り出す。今日もまた、異能者達が織り成す予測不能の学園生活が始まろうとしていた。