―第52話 シャドウ・スターター ①―
3章は今までまともに触れられなかった魔術メインの話。主要人物は一応この章で出揃います。
イギリスの辺境に存在する広大な森林地帯。
黒い霧が森全体を覆い隠し、季節昼夜問わず、森林内部は常闇に覆われている。近隣の村では、そこは『森の魔女』が住むとされ、足を踏み入れた旅人を深き闇の底へと引き摺りこむ、魔の住まう場所――『暗獄の森』と呼ばれていた。
その伝承は、ある意味で正解だった。確かに、その森には魔女がいたのだ。
暗き緑の奥深くには、まるで結界にでも守られているかのように光が溢れる空間があった。直径100mほどの小さな湖――陽光を受けて湖面が鏡のように光り輝いており、妖精が住んでいると言われても納得できるほどに、神秘的な美しさを放っていた。
湖のほとりには、歴史の重さを感じさせる石造りの古城。城と呼ぶには些か小さく、軍事目的というよりは、当時の貴族階級の住居として建造されたものと推測された。
その古城内の一室――結婚式場にも使えそうなほどの大広間の中心には、荘厳な雰囲気を漂わせる円卓が主の如く鎮座していた。仮にこの場所に集った者達が、荘麗な鎧に身を包んだ騎士だったのであれば、正しく『アーサー王物語』――円卓の騎士の再現であったろう。
しかし今、この円卓を囲んでいる男女は、清廉なる騎士とは対極とも言える存在。
――彼等の名は《九耀の魔術師》。魔王、魔女とも定義される、紛う事なき『闇』を統べる者達。
クロエ=ステラクラインの新雪を思わせる真白の肌を、冷たい汗が滑り落ちた。
「ちょっと、アンタ柄にもなく緊張してんの?」
「それは……このメンバーを前に、緊張しない方がどうかしています」
隣の席に脱力してどっかと座りこんだ黒髪の女性――夜浪霧乃のからかいに、クロエは固さが残った口調で返答した。
緊張をほぐす意図も兼ねて、クロエは他のメンバーの様子をぐるりと覗う。
それにしても、円卓に集った者達の格好や様子には、驚くほどに統一性が無い。
例えばクロエは『霊装』でもある純白のコートを羽織っており、白金色の長髪と相まってさながら一国のお姫様のようだ。とはいえ格好自体はセミフォーマルの場であれば充分通用するであろう、嫌みのない気品ある姿だった。
対して霧乃は、上半身はカットソーの上に重厚感ある黒のライダースジャケット、下半身は細身のジーンズと、完全にバイク乗りの格好であった。
(別にドレスコードなんてこの場には必要ないんでしょうけどね……)
それは霧乃以外の面々を見ても明らかだ。
クロエの真向かいにあたる席では、ゴシックロリータと言うのだろうか? あまりに過剰なフリルの飾りがついた、人形に着せるような衣装が恐ろしいほどに調和している小柄な少女が、円卓に両肘を乗せ、退屈そうに唇を尖らせていた。ウェーブがかった蜂蜜色の髪を小さく揺らし、床に届かない足をぷらぷらとさせている。
「…………にゃは♪」
こちらの視線に気付いたゴシック少女が不気味な笑みを投げかけてくる。蛇に睨まれたのような感覚に、思わずクロエの全身に寒気が走る。正直言って、あまり彼女と明確なコミュニケーションをとりたくなかったクロエは慌てて目を逸らした。
(相変わらず不気味な女……)
“傀儡聖女”ミストラル=ホルン。外見上は小学生程度にしか見えないのだが、幼少のクロエが初めて会った頃から見た目が変わっていない。年齢不詳の《九耀の魔術師》である。
そして彼女の隣で双眸を閉じ、微動だにせず立っている男。2mを超える長身に、鋼の如き筋肉。ざっくばらんに切り揃えられた茶髪に、鷹のような鋭い眼光。いかにも高級そうなスーツを着てはいるものの、野生の獣じみた彼の人相には不釣り合いに見えた。
「(ゲイレールも来てんのね。……まぁ、ミストお婆ちゃんが来てるなら当然か)」
「(このメンバーの中では、まだ常識のある方ですよね。人は見かけによらないというか……)」
他の面々に聞こえないように、クロエと霧乃は席をよせてひそひそと話し始める。
ミストラルの傍らで執事のように佇む偉丈夫――“岩石狼”ゲイレールであったが、しかしてその姿は『美女と野獣』を彷彿とさせた。
陰口を言われている事に気付いたのだろう、ミストラルがぞっとするような不穏な笑みを浮かべて霧乃に声を投げる。
「キリちゃぁん? 長生きしたかったら、無駄口は慎んだほうがいいと思うゾッ♪」
「あらあらそれはどうも御丁寧に。流石は人生の大先輩、実感こもってますわね」
(ひいいいい)
クロエはキリキリという自身の胃が痛む音を確かに聞いた。2人の魔女がうふふおほほと朗らかな笑いを交わしているが、爆発寸前のダイナマイトにしか見えなかった。流石に割って入る度胸もなく、もう放置でいいかとクロエが諦めかけていたその時、
「――そこまでだ。貴公ら、戯れも大概もせよ」
冷厳なる一声が広間にしかと響き渡った。霧乃もミストラルもその強烈なプレッシャーの投射に口を噤んでいた。
「“征竜伯”様……」
「久しいな“白の魔女”。貴公が召集に応じるとは意外だったが」
そう言いながら、“征竜伯”と呼ばれた男は広間の最奥の席――上座にあたる座席に腰を下ろした。
灰色の髪と瞳を持ち、同じくグレーを基調にしたチェスターフィールドコートを纏った彼は、ゲイレールほど筋骨隆々というわけではないが、それが逆に、研ぎ澄まされた一振りの聖剣にも似た印象があった。
「さて、堅苦しい挨拶など我等の間には不要だろう。さっさと本題に入らせていただく」
「ねぇねぇ、ちょっと待ってよアークライトッ♪ いきなりミスト達を呼びだしておいて、せめて一言くらいあってもいいんじゃないかなッ♪」
周りの反応など意にも介さず話しだす“征竜伯”――アークライトだったが、そこに頬を膨らませたミストラルが可愛らしい(と、きっと本人は思っている)仕草で抗議を入れる。言い方はアレだが、彼女は「てめえこちとら忙しい中わざわざ来てやったのに何だその態度はぶっ殺されてぇのか」と言っているのだ。
「……“傀儡聖女”。私は『無駄』という行為を何よりも嫌う」
「な……何が言いたいのかなッ♪」
「……それを私に言わせる気か?」
「け、結構、結構よッ♪ さぁ、早く会議を始めちゃいましょッ♪」
アークライトの斬りつけるような眼光に、さしもの“傀儡聖女”もただ従うだけしか出来なかった。
しかし始めるといってもまだ5人しか集まっていない。待つ必要はないのだろうか。そんなクロエの疑問を察してか、アークライトが先に答えた。
「残る4人の件に関してもこれから話す。“岩石狼”、貴公も席につけ」
「…………」
ミストラルの従者であるのように直立していたゲイレールだったが、アークライトの鶴の一声を受け、音もなく席についた。
(どうしてこんな事になったのやら……)
つい数日前まで、日本で忙しくも楽しい学園生活を送っていたはずなのに、とクロエは我が身の不幸を呪い溜息をつかずにいられなかった。
『“征竜伯”アークライト=セルディスの名において『天秤会談』の開催を申し渡す』
世界で最も強い力を持つとされる9人の魔術師――通称《九耀の魔術師》のひとりであるクロエ宛に、そんな知らせが来たのはほんの数日前、5月末日のことであった。
『天秤会談』というのは、言ってしまえば《九耀の魔術師》どうしの決め事を作ったり、彼等でしか対処できないような火急かつ極秘裏の事項がある際に開催される集まりである。
例えば、彼等9人の魔術師が結託して悪事を働かないために、所属する国を分散して互いを牽制できるようにするという掟――『天秤協定』の内容を決定したのもこの会議だ。
だが基本的に『天秤会談』とは相当に緊急性の高い内容でない限りは開かれることはない。一時的とはいえ、《九耀の魔術師》が一堂に会するのだ。その際に生じるであろうトラブルやリスクを考えると、おいそれとやっていいものではないのだ。
クロエ個人としては参加に乗り気ではなかったのだが……過去にあったとある事件の影響で、《九耀の魔術師》間での彼女の立場はあまりよろしくない。我を通して不参加を主張しようものなら、どんな制裁が下るか分かったものではないため、渋々霧乃と共に開催地であるイギリスに発ったのである。
「まず、残る4名に関してだが……」
アークライトは揃った面々の顔をぐるりと一見した後、そのまま説明を始める。
手元には、特に書面による資料があるわけではない。会議とは言っても、『天秤会談』では情報を極限まで秘匿するため、一切の記録媒体の使用を禁止していた。
「“太公望”は行方知れず。元より奴は放浪者だからな。“金蛇姫”は自身が管轄する《教会》から離れるわけにはいかんらしい。“夜狩王”は……最初から来るとは思っていなかった。奴は自分の国から出た試しなどないからな」
《九耀の魔術師》としては、クロエは僅か1年の新参だ。今しがた名前が出た“太公望””金蛇姫””夜狩王”の3人にはまだ会ったことがない。それぞれが魔王・魔女と称されるほどの伝説を残しているので、少なくともどれほど恐ろしい存在なのかは理解しているつもりではある。
だが、クロエが気にしていたのは残る1人。人格破綻者だらけの人外の集いでありながら、クロエが唯一、尊敬と信頼の念を抱いていた人物。
「では“腐食后”――テレジア様はどちらに?」
既に血縁者がいないクロエにとって、隣の席で興味なさげにふんぞり返っている夜浪霧乃は――甚だ不本意ではあるが――『姉』と呼べる存在であり、“腐食后”テレジア=ウィンスレットは『母』であった。そもそも、クロエがこの会議への出席を了解したのも、そんな母親代わりの彼女が来るという点があったからこそである。……だからこそ、
「“腐食后”は、逝った」
「――――――――――――え」
表情ひとつ変えず、ただの連絡事項としてさらりと答えたアークライトの言葉が、クロエには一瞬意味が分からなかった。
逝った? 逝ったとは何だ? どうして彼女はここに来ない――来ることが出来ない?…………死んだ?
「……詳しく聞きたいわね。テレジアさんは、いったいいつ、どこで、誰に殺された」
未だ事実を受け止めきれず茫然としているクロエをよそに、霧乃はあくまで冷静さを保ったまま会談の中心人物に疑問を投げかける。しかし、アークライトがその問いに答える前に、
「あらぁ~♪ 「殺された」だなんてキリちゃん、そんな迂闊なこと言っちゃあ駄目だぞッ♪ テレジアちゃんはずっと前から体の調子がよくなかったみたいだしィ、ミストが思うに彼女、もう限界だったんじゃないのかなッ♪」
やれやれとでも言いたげな、わざとらしい笑みを浮かべたミストラルが割りこんできた。こうなると、売り言葉に買い言葉である。
「病気や不調でくたばるような人が《九耀の魔術師》やってるわけないでしょうが。……あと、私はそこのムッツリ男爵に聞いてるんであって、アンタに意見を求めた覚えはないわよ……ミストお婆ちゃん」
「…………てめぇも後を追わせてやろうか、ゴキブリ女」
「『地』が出てるわよ、クソババア」
このまま取っ組み合いの喧嘩――むしろそれで済むなら僥倖だろうが――に発展しそうな2人であったが、
「やめよ」
灰色の魔王の目がある限り、そのような狼藉は許されない。首元に断頭台の刃を突き付けれたかのような殺意の顕現に、魔女達は皆沈黙した。そんな中でも、もう一人の魔王である“岩石狼”ゲイレールは、『岩石』の名の如く無言と不動を貫いていた。
「続けるぞ。今回の議題とは、彼女の『死因』と、空席になった“腐食后”の座をどうするか。この2つだ」
「死因、ですか……?」
震えまじりの声ではあるが、クロエは少しだけ自失の状態から回復していた。今は感情的になる場面ではなく、冷静冷徹に物事を見極める時だ、と自身に言い聞かせる。
「何故テレジア様が亡くなったのか、理由は定かではないのですか」
「確定ではない、というレベルだがな。……これは“黒の魔女”、貴公の読みが正しい」
アークライトはそのくすんだ灰色の瞳を“黒の魔女”――霧乃に向ける。やっぱりか、という彼女の感情を押し殺した呟きを、隣に座るクロエは聞き逃さなかった。
「“腐食后”が死んだと思われるのは約1ヶ月前。彼女が保有していた『魔女の鉄槌』――“リア・ファイル”の絶対防御を貫通し、心臓が抉り取られていた」
母と慕った女性のあまりに残酷な殺害方法に、クロエは憤怒と悲哀が精神に雪崩れこんで吐き気すら催したが、歯を思い切り噛み締めて今は耐える。
『魔女の鉄槌』とはその名の通りではあるが、魔女――即ち女性の魔術師が所有する道具、いわゆる『魔法使いの杖』のようなものである。ちなみに男性魔術師の場合は『神働器』と呼称される。
魔術師としては一人前の証でもあり、専門の鍛冶師や呪い師によって作られる彼女達の相棒。クロエの場合は、白銀の二挺銃剣“クラウ・ソラス”がそれに該当する。
「“リア・ファイル”の障壁をぶち抜くって……そんな事、本当に可能なのかしら?」
霧乃の疑問も尤もだ。
テレジアが所有していた『魔女の鉄槌』――“リア・ファイル”は聖石とも呼ばれ、外部からのあらゆる『悪意ある干渉』を撥ね退けるイージスの盾であった。仮に、クロエが最大出力で――街が軽くひとつ地図から消えるくらいだろうか――彼女に攻撃したとしても、煤ひとつ付ける事はできまい。
どういった原理で防御しているのかは、説明が長くなり、なおかつこの場ではあまり関係がないので別の機会とするが――少なくとも破壊力の問題ではなく、通常の方法では絶対に破壊できない障壁なのだと認識してもらえればいい。
「我々魔術師の攻撃方法では、まず不可能であろうな。だからといって、銃や爆弾といった近代兵器でどうにかなるものでもない」
「じゃあ、どうやって……」
魔術でも科学兵器でも攻略できない鉄壁の要塞を攻略にするに足る要素とは何か。少なくとも、物理的光学的な『力押し』では不可能だと言う事は、ここにいる誰もが承知している。
「“腐食后”は自身の屋敷内で殺害されていた。我々でも容易に突破することは出来ない魔術的防衛機能が幾重にも張り巡らされていた、あの要塞じみた屋敷でだ。……そんな中で、誰にも気づかれずに彼女を手にかけたというわけだ。余程優秀な暗殺者と見える」
「九耀の魔術師でもまず無理でしょ、そんなの」
霧乃は両手を振り上げて、降参だと言わんばかりに後ろにもたれかかった。
クロエはそんな霧乃の口調にどこか不自然なものを感じていた。普段の彼女なら、少ない情報からでもあらゆる可能性を見出し斬り込んでいくものだと思っていたのだが……どうにも頭ごなしに否定しているように見える。
(……焦っている?)
ぐでんと脱力した姿勢でありながら、彼女の表情からは僅かばかりの動揺が見え隠れしているように感じられたのだ。
「ねぇねぇッ、ミストひらめいちゃったッ♪ それって……『あの子』だったら簡単に殺せたんじゃないのかなッ♪」
「聞こうか」
『あの子』という言葉が出た瞬間、霧乃は唇を苦々しく歪めていた。
「屋敷の防衛も、テレジアちゃんの『身内』にまでは作用しないよねッ♪ そして“リア・ファイル”の絶対防御を唯一貫通できる『能力』を持った子を……ミスト、ひとりだけ知ってるよッ♪」
それは“腐食后”の愛弟子であり、右腕とも言われた存在。魔術師達にとっての天敵とも呼ばれる力を持つ、『魔』を否定する魔術師。
純粋無垢な『悪意』を剥き出しにして、小さな魔王はその名を告げた。
「“聖剣砕き”――テレジアちゃんを殺せるのは、あの子以外にはありえないよねッ♪」
これは予兆などではなく、すでに始まっていたのだ――後に、“黒の魔女”夜浪霧乃はそう語った。
この会談の数日後、日本のとある地方都市で大規模な魔術災害が発生する。
これまで数百年の間、魔術というものは歴史の表舞台に決して立たず、『隠者』としての役割を全うしていた。しかしその均衡は錆付いた鍵前のように、あっけなく壊れて落ちる。
――役者は集いつつある。魔界より来たる風が、世界を小さく、しかし確実に激動へと導いていく。
やたら新キャラ出ましたが、まだ本編にはほとんど絡まないキャラばっかなんで別に覚えなくていいです。今の所はミストラルが少しばかり関わる程度ですね。