―Intermission03 5月31日・前編 ―
「……お、終わった」
テストが。そしてテストの結果が。
5月31日、中間試験終了直後の昼休み。
空は晴天、抜けるような蒼にさんさん太陽が目に眩しい。
しかし、机につっぷして動けずにいる楯無鈴風の心の中は土砂降りの大雨だった。
「おーい鈴風、生きてるかー」
隣の席の飛鳥がちょいちょいと肩を突っついてくるが、反応する気力もない。
そもそもテスト直前だというのに、先週には機械の反乱だの謎の新任教師&転校生(既に謎でも何でもなくなっているのだが)だの、極めつけは可愛い後輩が『サイクロプス』に連れ去られるなど(同じ頃鈴風は、そうとも知らずに霧乃を担いで全力マラソンをしていた)、壮絶なイベントばかりのせいでまともに勉強できなかったのだ。
試験対策を手伝ってくれるはずだった飛鳥も、一連の事後処理でてんてこ舞いになっていたため頼ることもできず。
「で、その騒動を起こした張本人が何食わぬ顔でクラスに溶け込んでるのが、どうしても納得いかないんですけど」
「それは八つ当たりと言うのではないか?」
「真顔でツッコむんじゃねぇよ……!!」
窓際の席でぼうっと空を眺めていた刃九朗だったが、鈴風の呻くような愚痴に対しても律儀に答えるあたりが、この男がこの男たる由縁であろう。
ああ気に入らない気に入らない、と鈴風は愚痴を止める気配がない。
その理由は様々である。
この男、ランドグリーズ暴走の時はともかくとして、『サイクロプス』進入時にはどうしてか飛鳥の相棒的ボジションで戦っていたと言うし。
そして何より気に入らないのが、先日のサッカーボール事件からの繋がりである、刃九朗と美憂の関係だ。
それはまあ、二度も大事な後輩を助けてもらったのだ。その点は感謝している、悔しいけれども。
だが、しかし、鈴風がどうしても納得いかないのが、
「あ、あの……鋼センパイいらっしゃいますか?」
ここのところ毎日、昼休みになればやってくる彼女だ。
小柄な身長とふわふわのボブカットの髪。
小動物じみた愛らしさを無自覚に振り撒く『頭を撫で回したい女子』ランキングぶっちぎり1位の篠崎美憂である。本人は知らない。
いったい何の用だろうか――それは両手に持ったファンシーな柄の2つの包みを見れば否応でも理解できた。
思わず、
「あーあージン君センパイはいいですねー今日もかわいい後輩の手作り弁当ですかぁ? 転校早々手が速いこって! ハッ、このリア充が!!」
カッと目を見開き上体を起こすと、自分でも何を言っているのか分からなくなる程までにやさぐれた。
美憂にとってはお礼の意味もあるのだろう。
この数日ずっとだ。何ともいじらしいではないか。
そしていたいけな少女からの手作り弁当という究極コンボ(何の?)のひとつを前には、いくらクールぶっている鋼刃九朗であろうが、
「はい、今日はセンパイが好きだって言ってたハンバーグ作ってきましたよー」
「ブフォッ!!」
「……飛鳥。言いたいことがあればはっきり言うがいい」
「いや、だって、おま……その顔でハンバーグ大好きって……いや、悪い、くっくっくっ……」
この様だ。さようならシリアス、おいでませコメディである。ああなんて微笑ましい。あと、いつの間にか刃九朗が飛鳥を名前で呼んでいる部分にちょっぴりイラッとした。
それにしてもこの光景……鈴風にとっては、折角自分になついてどこに行くにも後ろにひっついてきた可愛い妹分を、横から掻っ攫われた状況なのである。
「ね、ねぇ美憂ちゃん……悪いことは言わないから、この男だけは止めといたほうがいいと思うナー……なんて」
「……鈴風センパイ」
やっぱり納得いかない、とやんわり離れるように言ってみた鈴風だったが、途端に美憂の周りの空気が凍りつくような気配を見せた。
「邪・魔・す・ん・な♪」
「すんませんでしたああああぁっ!!」
恋ってすごい。あんな内気だった少女がいきなり魔王みたいな殺気出せるまでに超絶進化するんだもの。
条件反射で深々と土下座する鈴風を尻目に、美憂は戸惑う刃九朗の手を引いて教室を後にした。ちなみにこの後、屋上か中庭にでも行けば、絶賛リア充お昼ご飯の風景というものを観賞できる。絶対行かない。
後輩からの手痛い仕打ちに心が壊れそうな鈴風は、
「こ、この傷は美味しいご飯でしか癒されない……あ、飛鳥……おべんと、プリーズ……」
「あ、すまん。今日は作ってない」
「神はいねぇっ!!!!」
この世に絶望したまま床に倒れ込み、そのまま動かなくなった。
くー、と腹の音が教室内に空しく響いていた。
仕方がないので食堂である。
鈴風は飛鳥、フェブリルと共に食券販売機の列に並んでいた。
2029年、世界の科学技術の最先端を行く白鳳市の中心に建つ学園施設とはいえ、餓えた少年少女達の胃袋を支える戦場――食堂の光景はそう変わり映えするものではない。
それにしても、今日も今日とて食堂は大盛況の図を見せている。
券売機の前に向かって伸びる長蛇の列に、鈴風はうんざりしていた。
「うう、やっぱり混んでるなぁ……それにしても、最近お弁当抜き多くない?」
これまでは、飛鳥が弁当を作らない日というのは月に一度あるかどうかという頻度だった。
だがしかし、ここ最近では別段珍しい話ではなくなっている。ほぼ2日に1回は今日と同じような展開なのだ。
「普段は冷蔵庫の中身と相談して、計画的に作ってるんだけどな?……どっかの誰かさんが夜な夜な食いものを漁るせいで材料が足りなかったんだよ」
誰かさん……思い浮かぶのはひとりしかいない。
そう、飛鳥の肩に乗っかって、口笛吹きながら明らかに不自然に視線を逸らしているコイツだ!!
「キーサーマーかぁーーーーッ!!」
「だってだってお腹空いてたんだモン! 空腹に喘いで限界だったんだよ! それでもスズカはアタシを責める気なの!?」
「こいつが食った昨日の晩飯。ご飯3杯、春巻き20本、カニ玉大皿4枚分、それでも足りないと言うから朝飯用の食パンを投入。こいつ2斤丸々食いやがった」
「ア、アタシは悪くないよ! アスカのご飯が美味し過ぎるのが悪いの! そして消化が良すぎるのが悪いの! アタシ悪くない、無罪!!」
「有罪に、決まってんでしょーがああぁぁぁぁぁッ!!」
電光石火の早業で逃げようとするフェブリルを捕獲。そしてバーテンダー顔負けの速度でそのまま上下にシェイクする。
「なんで! そんなに! ちっこいくせに! あたしらの何倍ものメシ食ってんの! っていうかどうやったらそのちっさい腹の中に全部入るのか不思議でならんわ!!」
「じょっ!? まっ、やめてっ、とめてっ、なんか出るっ、出ちゃうからっ!? 口から胃がケロッて出てきちゃうううううっ!?」
想像するに恐ろしい事態が起きそうだったので、鈴風は渋々シェイクハンドを止めた。ちなみに口から胃を出すのはカエルの生態である。
フェブリルは目を回した上軽くえずきながら、フラフラと飛んで鈴風の手から逃げていく。
「……スズカがいじめる」
そしてひしっ! と飛鳥の制服の襟あたりを掴んで告げ口した。何もそんなに涙目になることはないと思う。
「他の人の迷惑になるから、ほどほどにな……」
そんな、ケンカなのかじゃれあいなのか判断が難しい2人の様子に、飛鳥は完全に呆れかえっていた。
そんなこんなで無事に昼食を確保。
それぞれ、飛鳥は日替わり定食(ご飯、味噌汁、サバの煮付けにお漬物という王道セット。300円)、鈴風は鬼盛りカツ丼(並盛、大盛、特盛の更に上を行く、山脈の如きカツ、カツ、カツ。これで並盛とお値段変わらず350円。採算取れているのだろうか)、フェブリルは冷蔵庫漁りの罰としてコッペパンのみ(購買の不人気ランキング不動のナンバー1。手渡されたフェブリル、この世に絶望した顔をしていた)である。
食事が載ったトレイを持ったまま食堂全体を見回すが、ほとんどの席が埋まっていた。
流石に立ったまま食べるわけにもいかず、鈴風達が立ち往生していると、
「おーーーーいっ! 飛鳥くーーんっ! 鈴風ちゃーーんっ! こっちなのですよーーーーっ!!」
「あれ? 真散さんだ」
少し離れたテーブル席から、小柄な女子生徒がこちらに向かって大きく手を振っているのが見えた。
くせっ毛の髪をポニーテールにし、満開の笑顔を見せる彼女――水無月真散の姿に気付いた鈴風は、喜び勇んで彼女の下へと近付いていった。
「ささ、どうぞどうぞなのです。やっぱりご飯は大勢で食べた方が楽しいのですよ」
「おお……ねぇ飛鳥、神はここにいらしたよ。あたしのささくれだった心を癒してくれる楽園はここだったんだよ」
「ささやかーな楽園だこと。……あれ、クラウ君も一緒か」
「こんにちは、先輩方」
4人掛けのテーブルには、もうひとり相席している男子生徒の姿があった。
深い紫紺色の髪を後ろで束ねた、線の細い少年だ。確か『すずめ荘』で何度か会ったことがある、と鈴風はここ最近の記憶を掘り出していた。
クラウ=マーべリック。
今年4月に入ってきた留学生で、水無月真散率いる、今ではリーシェもお世話になっている郷土史研究部に所属する物好きな子だ。
ここで鈴風は首を傾げた。
昼休み直後から姿が見えないリーシェだったのだが、同じ部活仲間である真散たちとも一緒でないとなると、いったいどこに行ったのだろうか。
「リーシェは一緒じゃないんですか?」
「あー、リーちゃんなら……」
言い淀んだ真散の言葉を引き継いで、隣に座るクラウが苦笑混じりに説明し始めた。
「さっきまで一緒だったんですけど……矢来先輩、でしたっけ? 金髪の。あの人を追いかけたきり戻ってこないんです」
「……ど、どゆこと?」
ほんの数分前の話である。
鈴風たちと同じく弁当が無かったリーシェは、真散、クラウと共に食堂で待ち合わせをしていた。
「ふんふふ~ん♪ 今日は天ぷらそばだ。揚げたてだっ、できたてだっ♪ おっきなエビさんが、早く食べろと誘惑してくるぞー♪」
どでかい海老天が魅力的な天ぷらそば(驚異の200円。しつこいようだが本当にこの値段で成り立っているのだろうか)を厨房のおばちゃんから受け取り、ほくほく顔で席を探し始めた。
これでも彼女、転入当初はクールビューティーで通っていたのだが、喜色満面で丼からはみでんばかりの海老天に見惚れている姿からは、そんな面影など微塵も感じられない。
「ご機嫌だねぇリーちゃん。……でも、いつもは飛鳥くんのおべんとなんですよね? それに比べれば――」
「いやいや。お弁当はお弁当、食堂めしは食堂めしなのだよ」
「食堂めし……?」
ふふん、と鼻を鳴らして答えるリーシェに、真散もクラウも何と言えばいいのやら困ってしまう。
普段食べている飛鳥の弁当も絶品ばかりなのだが、食堂でしか食べられない味というのもあるわけで。
鼻腔をくすぐる鰹ベースの出汁の香りに、リーシェは思わず小躍りする。
それにしても、彼女の本当の経歴を見知っている人間がこの場にいれば、口を揃えてこう言うだろう。
――お前、この世界に何しにきたの?
しかしてツッコミ役はこの瞬間には不在であり、何も知らない真散とクラウは微笑ましげに美食騎士の上機嫌な様を見守っていたのだが……
「あ、わりい」
足取り軽やかなリーシェだったが、注意力散漫だったことが災いした。大柄な男子生徒の背中にぶつかってしまい、そばが入ったトレイを取り落としてしまったのだ。
「――――――――――ッ!!??」
丼はプラスチック製だったため、落ちて割れることはなかったのだが……中身は盛大に床にぶちまけられてしまった。
リーシェは完全に忘我したまま、天ぷらそばだった生ゴミを茫然と見つめていた。
そこに、ぶつかった男子生徒――矢来一蹴が、
「あ、あー…………すまん、大丈夫だったか? けど、けどな? 周りも見ずに歩いてたお前もお前「黙れ」えぇ……」
人混みの中で踊りまわっているのが悪い――という正論を伝える前にリーシェが爆発した。
「また貴様なのか……そうやって、いつもいつも貴様は、私からすべてを奪っていく……!!」
「いやいやいやいや今回ばっかりは不可抗力だろ!? っていうか俺はこれまでお前に対して嫌がらせでどうこうとかまったく考えたこともないからな! 完全にお前の被害妄想だからな!?」
「黙れと言ったぞ……今度という今度は我慢ならん! エビさんの仇だ、貴様はここで露と散れぇ!!」
反射的に腰へと手を伸ばしたリーシェだったが、今は剣を持っていないことに(今さら?)気付いた。
ちょっと恥ずかしげに咳払いした後、気を取り直して、
「こほん。……とりあえず殴らせろ!!」
「りーふーじーんーだああぁぁぁぁ!!」
荒ぶる怪鳥の如きポーズで金髪不良の男へと飛び掛かったのだった。
「――で、2人してどこかへ走り去っていったんです。止めていいものなのか、僕にも分からなかったもので……」
「……ねぇ飛鳥。あたしにはリーシェが何を目指しているのか分からなくなってきたよ」
クラウから事の顛末を聞き、鈴風はリーシェの行く末が本気で心配になってきた。彼女は騎士から美食家に転職するつもりなのだろうか(どちらも職業と呼んでいいのか微妙だが)。
隣に座る飛鳥はサバ煮を食べる手を置き、割と深刻そうに頭を抱えていた。
それは清廉潔白な騎士のキャラ崩壊に対してではなく……
「フェブリルといいリーシェといい……どうして揃いも揃ってそこまで食い意地張ってんだ……」
「かみつきっ、かみつきっ! うぅ、味がない……せめてジャムかバターが欲しいんですけど」
「却下だ馬鹿者。少しは薄味に慣れなさい」
どうやら、隣で明らかに不満げな表情でコッペパンにかじり付いていたフェブリルも含め、異世界組が日野森家に来てからエンゲル係数が鰻登りになっているらしく、家計が真面目にピンチらしい。
しかし鈴風は思う。
それもこれも、飛鳥が不用意に餌付けしたことによって、無駄に舌が肥えたからではなかろうかと。
「バイト、やらないと駄目だろうか」
「え、そこまできついの?」
日野森家の家計を一手に担う専業主夫・飛鳥の苦言に、鈴風は疑問符を浮かべた。
飛鳥の姉である綾瀬はこの学園の理事長だ。
そもそもこの白鳳学園は彼等の曽祖父が設立したものらしく、理事長の座は第々受け継がれてきている。
つまり結論から言えば、飛鳥はいいとこのおぼっちゃんなのだ。
実際、飛鳥の家は『お屋敷』と呼んでいいほどに広くて立派な建物なのである。
「言っておくが鈴風。別にウチは金持ちでも何でもないからな? 俺の普段の生活見てたら分かるだろうに」
「……それもそだね。お金持ちだったら、毎日のようにスーパーのタイムセールで、近所のおばちゃん達と血で血を洗う争いなんてしてないよね」
「血で血をって、そんな大袈裟な――」
「クラウくん、それは直接見てないから……主婦の恐ろしさというのを知らないから、そんなこと言えるんだよ」
その光景を思い出すだけで、鈴風の顔は思わず真っ青になってしまう。
いや、本当に壮絶なのだ。つい先日も鈴風はそんな彼の買い物に同行していたのだが……
『今日のタイムサービス! 卵1パックなんと1円でーす!!』
「ちょっとあんた達ジャマ!」「ぐごがっ! 肘が、肘がモロに鳩尾に……」「あら加賀美さんの奥様、それは私が先に目をつけてたんだけど?」「目をつけただけで自分の物になるとでも? オホホ、矢来さんの奥様はジョークがお得意でいらっしゃいますわね?」「ちょっ!? ダメダメ引っ張ったら、卵が割ーれーるーっ!!」「ねーねーアスカー、お菓子買ってー」「100円までな!!」
狭いスーパーの一角で繰り広げられる、主婦達による大乱闘。押し合いへし合いだなんて言葉も生温い。
人混み掻き分けお目当ての品をゲットしようとしても、四方八方から打撃の嵐が猛襲してはじき出され、卵が割れても知った事かと力づくで奪い合う。そしてそんな阿鼻叫喚などどこ吹く風とお菓子売り場に直行するフェブリル。手伝えよ。
こちとら超人・人工英霊であるのに、まるで奥様方に勝てる気がしない。……と、言うより実際力負けした。
もう日本の主婦さえいれば世界の平和は保たれるのではないかと、わりと本気で考えた鈴風だった。
……話が逸れたが、今は日野森家の家計の話だ。
バイト、と聞いて鈴風は気になったのだが、
「《八葉》からお給料もらってないの?」
たしか飛鳥は、《八葉》の中のチームの隊長さんだったではないか。
まさか慈善事業でもなし、それに曲りなりにも体を張る仕事なのだ。給料はたんまり出そうなものだ。
「貰ってないわけじゃないんだがな……」
そこで飛鳥は困惑顔で言葉を濁してしまう。
どうやらあまり追求すべきではないようだ、と鈴風はすぐさま察した。
「よかったら、わたしがどこか紹介しましょうか?」
真散もそれを感じ取ったのだろうか、横合いから声を滑り込ませてくる。
彼女の人脈の多さは鈴風や飛鳥も知るところだ。郷土史研究部の活動で街中を巡っているし、何より真散自身の人柄もあって、一部地域ではちょっとしたアイドル的存在でもある。
「お願いしても?」
「いいですともー! 飛鳥くんが頼ってくれるだなんて滅多にありませんからねー。ここは先輩にどんと任せるがいいのですよ」
えっへん、と胸を張る仕草ひとつとっても愛らしい。小さな子供が精一杯大人っぽく振舞おうとしているような姿を見て、鈴風は和やかな気持ちに包まれた。
そのまま飛鳥と真散は、バイトの日取りや条件の話で盛り上がり始めた。
さっきまでテーブルの上でコッペパンを貪り食っていたフェブリルは、いつの間にか飛鳥の胸ポケットの中で健やかな寝息をたてていた。
なんだか取り残された気分になった鈴風は、同じく手持ち無沙汰になっている様子の後輩の少年に話しかける。
「……ね、ねぇクラウくん。クラウくんはどうして日本に来ようと思ったの?」
「え!? ど、どうしてか、ですか……?」
しまった、いきなり突っ込み過ぎただろうか。
話の接点が欲しかっただけの質問だったのだが、クラウが明らかに狼狽し始めてしまった。
「あ、いや別に無理に答えなくてもいいからね!? ちょっと気になっただけだからね?」
「……楯無先輩」
鈴風は慌てて必死にフォローを入れようとするが、クラウからの固い声で制されてしまう。
まずい、もしかしてこの話題は地雷だったのだろうか。
「先輩はいったい、どこまで御存知なんですか?」
「………へ?」
彼が急に真剣な面持ちになったかと思ったら、どうにも要領の得ない質問をされてしまった。
クラウの問い掛けの意味がまったく理解できない。そして何より、
(どうしてそんなに、あたしに敵意を向けるんだよ!?)
こちらに氷刃のような鋭い視線を向けられる理由が分からなかった。
警戒とも言えるのだろうが、彼の目は明らかに「これ以上踏み込んだらただではおかない」と言外に主張していた。
ともかくこのままではいけない。こういう時は下手に戸惑うのではなく――
「ごめんなさい!!」
全力で謝り倒せ!!
テーブルに思い切り頭をぶつけ(寸止めする余裕なし)あらん限りの声で叫ぶ。
落ち着いて話を聞くとか、こちらの主張を伝えようとするのはその後だ。
今は何がなんでも『自分は敵ではない』ということをはっきりと伝えなければ。
勢いあまってかなりの大声で謝ってしまったため、クラウどころか食堂中の人間が揃ってこちらにきょとんとした顔を向けてしまっているが、仕方あるまい。
「え、ちょ、ちょっと先輩!? ダメですって何やってるんですか頭上げて下さい! みんな見てますから!!」
「いーや! クラウくんが許してくれるまであたしは机に頭突きし続けるね! 御所望なら土下座もお見せしますがいかがでございましょうか!!」
ガンガンガンガンガン!!
苦行僧にでもなったかのように、猛烈に何度も頭をテーブルにぶつけてぶつけて誠意を見せる。もう完全に謝罪の方向性を見失っているが。
「わ、分かりました、分かりましたから! 何もかも僕が悪かったんで、お願いですからその間違った修行法みたいな真似を止めて下さい! 痛ましい以前に恥ずかしいんですってぇーーーーっ!!」
流石にクラウも泣きそうな声で止めに入った。
ちなみに、飛鳥と真散は全力で目を逸らして他人のフリをしていた。薄情にも程があった。
放課後になり、鈴風は部活棟に続く廊下をひとり歩いていた。
『――あの子にも複雑な事情があるのです。察してもらえるとありがたいのですよ』
昼休みが終わる直前、鈴風は真散との別れ際にそんな一言を告げられた。
鈴風の体を張った謝罪によりクラウと険悪なムードになるのは阻止できたが、結局微妙な雰囲気のまま別れてしまったのがどうにも気掛かりだった。
(……このままにするって言うのも、何だか気持ちが悪いし)
鈴風は自他ともに認めるお人好しだ。
クラウに対しても含む所があるわけではなく、ただ今のままだと自分も彼もすっきりしないだろうから、という理由だけでもう一度改めて謝りに行こうと考えていた。
だが同時に気にもなる。
クラウが日本に来た理由。
それを追求されることに対して、彼はどうしてあれほど警戒の色を見せたのだろうか?
(やっぱりあたし、とんでもなく視野が狭いんだろうな)
自分は、楯無鈴風という女は、馬鹿で鈍感で配慮が足りない女である、と本当に痛感する。
もう少し言葉を選んでいたら、クラウをああも不愉快にさせることはなかったのではないか。
それについ1ヶ月前まで、身近な存在である飛鳥やクロエが、非日常の住人である人工英霊や魔女であったことに気付かなかったこともある。
気付かなければならないことに気付けず、いつか本当に大事なものを取りこぼしてしまわないかという、漠然とした不安が確かにあった。
(飛鳥やみんなが危ない目にあっていたとしても、あたしはそれに気付かずのうのうと過ごしてしまいそうで、いやだ)
だったら自分は走るしかない。
知らなかったからといって、誰かを傷つけてしまったり、助けられるはずの誰かを救えないのが嫌だから。
考える前に動く。
とどのつまり、楯無鈴風にはこれしかない。そんな気持ちが後を押して、少しだけ早歩きになる。
「……あれ?」
部活棟の入り口前に、見覚えのある人影が立っていた。日本人形を思わせる艶のある黒髪、一振りの刀のようにぴんと張った細い長身。
「楯無さん」
鈴風の姿に気がつくと、彼女――剣道部部長、村雨蛍はやんわりとした笑みを浮かべた。
結局のところ、楯無鈴風はまた気付けなかったのだ。
飛鳥やクロエ、身近な人間が知らぬ間に争いに身を投じていたように。
争いを呼ぶ者が、ずっと以前から、自分のすぐ近くで悪意の牙を砥ぎ続けていたことに。