―第51話 Assault Battery ⑪―
そこは一切の汚れのない、見渡す限り真っ白な部屋でした。
その中央には1本の蝋燭が立っていて、少女はその灯火を見守るのが大好きでした。
でも、その炎はとても小さくて、ちょっとしたことで消えてしまわないか、少女はいつも不安だったのです。
少女は水を一滴も飲みませんでした。
だって、部屋の中に少しでも水があれば、火が消えてしまうかもしれないから。
その部屋には窓も、扉もありませんでした。
だって、風が入ってきたら大変ではありませんか。
ある日、こんこんとドアを叩く音が聞こえました。
……誰なのかは分かりません。
それは美しい少女を捕らえんとする人攫いかもしれない。
あるいは、部屋にこもった少女を心配した両親かもしれないし、もしかすると、ただ石ころがぶつかっただけかもしれない。
だが、別に誰であろうが関係ありません。
少女はただ、こう思っただけなのです。
――揺らさないで下さい。
――この火が消えたらどうしてくれるのですか。
少女は部屋の外へと出ていきました。
壁を叩いていたのは誰だったのか、何だったのかは覚えていません。だって、少女はただ部屋を揺らして欲しくなかったから。
2人きりの邪魔をされたくなかったから。
だから『全部』。
斬って叩いて砕いて刺して打って殴って蹴って突いて割って裂いて撃って殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺しつくしました。
よかった、これでようやく静かになりました。
ほっと胸を撫で下ろした少女は軽やかな足取りで部屋に戻り、そして再び小さな炎を見つめ続けました。
――私には他に何もいらない。
ただそれだけで少女は幸せだったのです。
ゆったりとした動作で白銀の銃口が持ち上げられる。
その先には茫然と立ち尽くす3人。それが何を意味するのかを理解した瞬間、
「伏せろおおおおおおおおおおっ!!」
「!?……主人!!」
飛鳥はおぞましいほどの戦慄を覚え、悲鳴にも近い絶叫をあげた。
ぴくりと肩を震わせ再起動したフランシスカは、拘束していた美憂を突き飛ばし、未だ自失していたままの主人に向け覆いかぶさるように飛び込んでいった。
だが、突然の解放によろめいた美憂の位置がまずい。
あのままでは間違いなく消されてしまう。
それは、クロエが引き金を引くまでの刹那の時間。
飛鳥には閃光の如き決断で一歩を踏み出した。
泥沼の中でもがいているかのように、その一歩は果てしなく重いものだった。
10mの距離が万里に等しかった。
だが、飛鳥はその万里を0にしなければならなかった。
加速を上げていく時間はない――そのための『縮地法』である。
初動から一気に最高速度に到達するための操歩術。
飛鳥のそれは、達人が極めし武術ではなく、二刀による爆発で生じた加速を利用する邪法めいた技ではあるが……しかしそれは瞬間移動と称しても大袈裟ではない、人ならざる魔業であった。
だが、あまりに急激な最大機動に、全身がバラバラになりそうな程の激痛が走る。
肋骨が砕ける、筋肉が千切れ飛ぶ、内臓が破裂する――身体中をかき回される異様な感覚を、奥歯を噛み砕きながら耐えきる。
倒れこもうとしている美憂の凍りついた表情が目前に迫った。
スローモーションで流れていく景色の中で、飛鳥は剣を放り出すと同時に彼女を両手で抱え込み、進行方向を真横に変更。
――ヒュッ。
背中の後ろから、ダーツを投げた時のような空を切る軽い音が聞こえた。
垂直に曲がるという慣性を無視した回避行動により、飛鳥の両手両足の関節が弾けた。
最後の力で美憂を庇いながら背中から地面にぶつかり――刹那の時間は過ぎ去った。
「ひ、日野森センパイ……」
「乱暴なやり方でごめんね篠崎さん、大丈夫?」
「わ、私なんかのことより、センパイが……!!」
覚束ない足取りで立ちあがりながら震える声で答える美憂だったが、その視線は倒れた飛鳥の背中に注がれていた。
どうしたんだろう、と思って彼女の視線を追うと、
「……くぁ」
体の後ろに妙な違和感を感じる……背中の肉が刮げ落ちていた。
アイスクリームをスプーンで掬い取ったあとのように、綺麗にくり抜かれた背中の表面を見た瞬間、飛鳥はようやく全身からの痛覚を受け入れた。
(この程度で済んだのなら、まだまだ僥倖だな……)
身体中を熱さと寒さが行き交い、その上蟲の大群に這い回られるような、痛みを通り越した痛み。
しかし、何が何でも悲鳴はあげない。
痛そうな仕草を決して見せまいと、薄い笑みを顔面に貼り付けてよろよろと立ちあがる。
別に見栄を張りたいわけではなかった。
ただそうしないと、彼女が泣いてしまうと知っていたから。
幸いにも、肉体の再生は始まっている。関節が錆付いてしまったかのように呻きをあげていたが、歩けないほどではない。
「……クロエさん」
さて、最後にもう一仕事といこう。
誰よりも強く、誰よりも弱い。
泣き虫な少女の涙を拭いに、さあ、あともうひとふんばりだ。
「あ……ぁ……」
違う、こんなはずじゃなかったのに、そんなつもりはなかったのに――クロエの心は今にも千切れて消えてしまいそうだった。
意識が真っ白に埋め尽くされる。
寒くもないのに肩が不自然に震えていた。
(私、そんな……どうして……)
慟哭する彼女に対して、理性と言う名のもうひとりの自分が、何故と問う資格がお前にあるのか、ふざけるなよと突き放した。
ああ確かに、彼女の心は怒りに満ちていた。
飛鳥を害するすべての存在に、そして何より、肝心な時に近くにいられなかった自分自身に。
だから壊した。
阻む敵が誰があろうと、問答無用で銃口を向け、極光の渦へと呑み込んでいった。
煩わしく目の前を飛び回るハエの群れ相手に、何の容赦も必要なかった。
人間と虫けらの区別もつかないような、最低で最悪の魔女。
そんな自分が嫌だからと、彼の傍にいるために変わりたいと願ったはずなのに。
怒りに我を忘れただけで、こうも簡単に外道に墜ちる。
「クロエさん」
「――ッ!!」
足を引きずるようにして近付いてくる飛鳥の姿に、クロエは今にも泣きだしそうだった。
謝らなきゃ、謝らなきゃ、謝らなきゃ――でも、真っ青になった唇からは声にもならない音が鳴るばかり。だがこんな時にも、
(いや、いや、いや! お願い、捨てないで、嫌いにならないで、ひとりにしないで!!)
自分のことしか考えていない、どこまでも身勝手な心の叫びが本当に嫌になる。
いっそ狂ってしまいたかった。
昔のように、気に入らないものをすべて壊して、無邪気に笑えばいいと。
そうすれば楽になれる、怖がらなくて済む。
「…………あ」
気がつけば、彼の顔が目前にあった。あと一歩踏み出せば触れてしまう、すぐ傍に。
痛々しい姿だった。
制服はおびただしい血の赤に染まり、切れて破れて地肌が見えるほどのボロ切れと化している。そして隠そうとしているつもりなのだろうが、背中の傷は正面とは比較にならないほどに酷いものだというのも分かっている。
彼は何も言わなかった。
責める言葉も何もなく、真紅の双眸が静かに揺れているだけだった。
きっと彼は、クロエの言葉を待っているのだ。
辛抱強く、親が子を見守るように。
歯を食い縛って、痛みを必死に噛み殺してまで、どうして。
(……そんなの)
そんなの決まっている。
――私のためだ。
クロエに心配をかけまいと、悲しみを与えまいとせんがために、吹けば倒れる張りぼてのような虚勢を張っているのだ。
機械兵器を一瞬で消し飛ばせる力があったとしても、絶対に敵わない。
――だって私は、あなたなしでは生きていけないのだから。
嫌われるのが怖い。
愛想を尽かされるのが怖い。
離れていってしまうのが怖い。
ひとりになるのが怖い。
だから……
「ご……ごめ……ごめん、なさい……」
嗚咽まじりで上手く言えなかったけど、それでも。
「はい、許します。だからもう泣かないで下さい、クロエさん」
彼は柔らかな笑顔とともに、ふわりと頭を撫でてくれた。
情けなくって、暖かくって、悲しくて、嬉しくて。
デタラメな気持ちが溢れだしたかのように、ぽろぽろと涙が止まらなかった。
「っく……ひっく……ぐしゅ……」
「ああ、もう……怒ってないです、怒ってないですから泣かないでくださいよ……」
碧玉色の大きな瞳から綺麗な雫が落ちていく。よしよしと優しく頭を撫でてあげながら、飛鳥は小さく息をついた。
普段は常に冷静沈着で毅然とした態度を崩さない、頼れる年上の生徒会長。
しかし、クロエの『本質』をよく知る飛鳥にとっては、最強の魔女であるという以前に、誰よりも臆病で寂しがり屋な女の子だった。
彼女を仔犬をあやすかのような手付きでひとしきり撫でて泣きやませていると、横合いから声がかかった。
「日野森、無事か」
「問題ない。あとは……あれ、篠崎さん?」
美憂を伴って隣に立った刃九朗に相づちを打つ。美憂はあんぐりと口を開けたまま、涙を拭うクロエに視線を向けていた。
「すん……すん……」
「ぽかーん……」
無理もない。
品行方正を絵に描いたような生徒会長様の号泣シーンに、色々とイメージが覆されたのだろう。
……ともあれ、クロエの乱入により、ある意味理想的な展開になったと言える。
こちら側は全員無事。
対するアルヴィンは機械兵器をすべて撃破され、残る戦力はフランシスカひとり。他にも戦力が控えているかもしれないが、無駄であると彼にも理解できたはずだ。
背後にそびえ立つ高層ビルに満月型の空洞ができていた。
ビルの一階部分が、型抜きで綺麗にくりぬいたように貫通されていた。
光子魔術展開式07“月下輝刃”。
飛鳥は過去に一度だけあの『魔術』を見たことがあったが……確かレンズ型の魔力結晶体を正面に創り出し、光の魔力を集束して撃出するという、宇宙戦艦の主砲もかくやというレーザービームだったはず。
よくもまあ五体満足で避けられたものだと、今更ながら飛鳥は身震いした。
「アルヴィン博士。……まだ、やるつもりですか」
飛鳥は言葉遣いを正し、うなだれるアルヴィンへと話しかける。
狂気の科学者は膝をつき、魂が抜け落ちたような顔をしていた。
これ以上、こちらも戦意を滾らせても意味はないだろう。
「……負けだよ。降参だ。煮るなり焼くなり好きにしたまえ」
力無く両手を上げ、降参のポーズをとるアルヴィンに、飛鳥は安堵の息をもらした。
流石にここからもう一戦まじえる余裕はなかったし、刃九朗も消耗している。だからと言ってクロエに矢面に立ってほしくもなかった。
「刃九朗、どうする?」
「?……どういう意味だ」
「お前が決めろ」
その言葉に、刃九朗が眉をひそめる。いきなり判断を委ねられて困惑しているようだ。
だが、これは刃九朗の戦いだった。
機械化された意思が自我を持ち、創造主に挑んだ戦いだ。
ならば、その結末も当人に決めさせるのが筋だろう。
「そうか、なら……」
左手の電磁砲をゆっくりと持ち上げ、アルヴィンの心の臓にはっきりと狙いをつけた。
意外、と言えば意外だろうか。
納得しきれない部分もあるが、飛鳥はそのまま彼らの様子を見守ることにした。
「……その前に。ひとつ、聞いていいかな?」
「なんだ」
偽りの父親は疲れ切った表情のまま、まるで懺悔でもするかのように偽りの子を見上げる。
「僕を、恨んでいるかい?」
「……分からん」
不思議な距離感だった。
互いに何を考えているのかが分からなくて、それでも手探りに歩み寄ろうとしている不器用な親子のようで。
飛鳥も、クロエも、美憂も、声も出さずに2人を見つめていた。
「僕にとっての君は、単なる実験機械のひとつに過ぎなかった。……だが、何故だろうね。今は、どうにも君のことが誇らしくもあり、羨ましい」
「羨ましい?」
「自分はどうあるべきなのか、何を為すべきなのか。それを誰かに言われてではなく、自分の力で見出せるのは人間の特権だ。尊き意志の輝きだ。僕にはそれが、随分と眩しく見えて仕方がない」
「後悔しているのか? 俺を……俺達を造り出したことを」
まさか、とアルヴィンは小さく首を振る。
「自分の行いを後悔したことなんてないよ。ただそれは、本当に自分が望んだことだったのだろうか……時折、そう考えることがある」
おそらくは、彼自身にしか理解できない問い掛けだ。
何事にも始まりというものがある。
アルヴィンとて、ただ唐突に人間の心を持つ機械を造りたいと思い至ったわけではないだろう。
本当に、何となくではあったが……飛鳥には、アルヴィンと言う男が決して悪人には見えなかった。
機械を人に近付ける――そのために大勢の人間を巻き込んで。
死者を再起動させるという、命を冒涜するかのような所業も行った。
そうまでして、彼は一途に成し遂げたい『何か』があったのだ。
いったいアルヴィン=ルーダーという男は、何を目指していたのだろうか。
見果てぬ欲望――『夢』の果てに見る光景とはどんなものだったのだろう。
「それでも、概ね満足な終わり方だよ。こうして『結果』も出せたしね。……それにしても、『息子』に幕を引いてもらうと言うのも、中々に感慨深いものだね……」
彼はそう言って大きく息をつき、全身から力を抜いた。
これで話はおしまいだと言わんばかりに。
銃口を向けたまま、刃九朗は沈黙を貫いていた。
相も変わらずの鉄面皮だったが、どこか弱々しい――少し触れれば簡単に崩れてしまいそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「…………め」
静寂が支配する空間に、誰かの声が亀裂を入れる。
少女の声――それは飛鳥の隣に立つクロエでも、美憂でもなく、
「だめええええっ!!」
繰り糸が切れた人形のように、ただ動かなかったフランシスカが、突然感情を爆発させた。
「お願い、お願い、お願い……主人を…………父さまを殺さないで!!」
両手を大きく広げ、『父さま』と呼んだ白衣の男の前に立つ。
誰もが驚愕に動けなかった。
最も彼女を知るアルヴィンでさえも、あまりの予想外の行動に目を見開いていた。
「フ、フランシスカ……何故だい? 僕には君にかばってもらう資格なんてない。ましてや父親などと――」
「知っています! 私たちが、本当のフランシスカ=アーリアライズのために作られた実験動物だって分かってます! それでも、それでも……」
大粒の涙で顔をぐしゃぐしゃにして、人形だった少女は叫ぶ。
「私たちは、貴方を愛しています!!」
「…………ああ」
飛鳥の口から自ずと声がもれた。
嫌が応にも理解できた。
アルヴィンとフランシスカ――飛鳥達が出会ってきた複製ではなく、本人の彼女だ――の関係。
それはおそらく……いや、言葉にするのは野暮というものだろう。
狂気の科学者は、稀代の天才は。
きっと生命を創りたかったのだ。
「殺すなら、私を殺して下さい。だから、お願い、どうか……」
「下らん」
フランシスカの懇願を、しかし鋼の機人はたった一言で切り捨てた。
美憂がそれに異を唱えんと駆け出そうとしていたが、飛鳥はそれを片手で制する。
短い付き合いなれど、飛鳥も鋼刃九朗という男が理解できていたからだ。
「お前達、帰るぞ」
電磁加速砲を光の粒子に分解した刃九朗は、もうここに用はないと踵を返す。茫然とした面持ちで立ち尽くすアルヴィンとフランシスカに背を向け、すたすたと歩き出していた。
そんな彼に念押しの意味で、飛鳥は意地の悪い笑みを浮かべて問い掛けた。
「それでいいのか?」
「いいもなにも、ここにはもう敵はいない。ここにいるのは……単なる一般人だけだ。武器を向けるべき存在ではない」
「え? ええ? あ、ちょっと、待って下さいよーっ!!」
そのまま足早に立ち去る刃九朗の背中を追って、慌て気味に美憂も駆け出した。そんな様子を見て飛鳥は、呆れ半分、可笑しさ半分の気持ちでひとりごちた。
「天の邪鬼というか、ひねくれてるというか……あれを『人間』と呼ばずに何と呼ぶのかね?」
そうして飛鳥達は『サイクロプス』の正面ゲートから外界へと帰還した。沈みかけた夕焼けの光を見ながら、飛鳥が少しばかりぼうっとしていると、
「お疲れ、弟くん。みんな無事みたいで何よりね」
道路脇に停まっていた1台のワゴン車から、黒色上下のビジネススーツに身を包んだ女性が近付いてきた。
「全身ボロボロですけど、なんとか」
おどけて言う飛鳥に、霧乃は心底安堵した笑みを見せた。
そして、彼の隣で完全に委縮した様子のクロエに向かって、したり顔で話しかける。
「……さて、クロエ。申し開きがあれば聞こうじゃないの」
「ぐ、にゅ……も……あ……」
「ああ~ん? 聞こえんなぁ~!!」
「申し訳ありませんでしたあッ!!」
物凄く『言わされた』感が満載の謝罪であったが、まあクロエにしては上出来でしょ、と霧乃は溜息まじりで苦笑した。
そんな歪んだ(?)師弟関係を暖かく見守りながら、飛鳥は考える。
(それにしても、我ながら情けない……)
クロエの行動は贔屓目に見ても『暴走』と呼んで差し支えないものではあった。
しかし経緯はどうあれ、彼女の乱入がなければ敗北していたのは間違いなく飛鳥たちの方だったのだ。
彼女に戦ってほしくないと願っておきながら、結局『魔女』としてのクロエの能力に助けられたのだ。酷いものだと今更ながら自嘲する。
足りないのだ、絶対的に。
我執を貫くには、それに見合った実力が伴わなければならない。
叫ぶだけなら犬でもできる。誓うだけなら子供でもできる。
だが、実現するにはいつだって『力』が必要だ。
「日野森」
そんな煩悶を察してかは分からないが、刃九朗の声が飛鳥の意識を現実に引き戻した。
「後の処理は八葉に任せる。ここから先の面倒事にまで関わる気はないぞ」
「あ、ああ……それは、そのつもりだが」
背後にそびえたつ鋼鉄の牙城『サイクロプス』。
最初は言い様のない威圧感があったが、今では主と同じく、どこか空虚な印象を感じていた。
これからアルヴィンは、フランシスカはどうするのだろうか。できればもう敵対はしたくないのだが……AIT社との関連もある。一筋縄で終わる話ではないだろう。
しかし、
「刃九朗。……お前、これからどうする?」
今の飛鳥にとってはこちらの方が気掛かりだった。
今回の一件で、鋼刃九朗がこの街にいる理由は消滅したと言っていい。
自分が何者で、何のために生まれたのか。その疑問はもう晴れたのだから。
「さっきも言った通り、俺は『武器』だ。戦いこそが生きる理由であると心得ている。……そして、貴様には借りができた」
最後の方の言葉だけ随分と尻すぼみだったが、それでもはっきりと飛鳥の耳には届いていた。
進入時にも使用していた大型バイクを再び顕現させ、刃九朗は背を向けたままアクセルを大きく噴かす。
「あ、あの、鋼センパイ!!」
慌てて近付いてきた美憂の声に、刃九朗は視線だけを向けて応じる。
「また明日、だ」
「!!……は、はい! また明日、学園で!!」
夕陽に照らされてよく見えなかったが、おそらく彼の顔は真っ赤だっただろう。
照れ隠しかのようにアクセルを強く回し、鼓膜を揺るがす轟音と共に走り去っていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、美憂は元気よく手を振って見送っていた。
「……よし。それじゃあ帰りましょうか。リーシェとフェブリルがお腹すかせてるでしょうし」
「あー……ごめん。悪いんだけど先に帰ってもらってていいかな?」
大きく背伸びをして、さて帰宅だ――と言うところで、気まずそうな顔をした霧乃から待ったがかかる。
言わずとも彼女の考えを察した飛鳥は、きょとんとした様子のクロエと美憂をワゴン車に押し込み、小さく頷いた。車には自動操縦の機能があるので、免許を持たない学生だけでも問題ない。
「ごめんね、私のことは心配しなくていいから。……明日、また学園で」
そう言って、霧乃は開け放されたゲートへと足を向かわせていった。
「それじゃあ、俺達は帰りますか。…………篠崎さん?」
「あわわわわわわ……」
霧乃を見送り、車に乗り込んだ飛鳥だったが、そこでは何故かクロエの方を見て全力で怯えきっている美憂の姿。
「あの……多分なんですけど」
寒さに震えるハムスターのように丸まって動かない彼女を見ながら、物凄く気まずそうにクロエが手を上げる。
「4月にあったこと、覚えているんじゃ……」
それは、つまり。
自分が人工英霊になりかかったこととか。
鈴風が身を呈したこととか。
あと……
「あの時、私色々とやりすぎてしまったもので……」
「あぁ……」
飛鳥は直接見ていないが、鈴風経由で大よその経緯は聞いていた。
『いや、あれはドン引きだったね! 間違いなく精神から殺しにかかってたね!!』
と、鈴風が引き気味に語るほど、クロエが美憂を痛めつけてしまったことを。
ともかくこのままでは気まずい事この上ない。
結局、美憂を家に送り届けるまで、2人は必死に震える彼女の警戒を解くために、謝ったりとなだめたりと忙しなかった。
「……しばらく見ない間に、随分とみすぼらしい格好になったもんね」
「……やあ霧乃。来てくれないかと思ってたよ」
「相変わらず、まだ馬鹿なことやってんのね。……諦めるつもりはないのかしら?」
「まあ、ね。君の『弟』と僕の子供たちにも色々と言われたけれど……僕は、彼女を諦めない」
「私は、あんたに謝らなきゃいけないのかしらね。私がちゃんとあんたの傍にいて、あんたを止めていれば」
「同じだよ。たとえ誰が何と言おうと、僕は決して止まらなかっただろうさ。……むしろ、謝るのは僕の方だろう?」
「改めるつもりのない謝罪なんざいらないわよ。……ま、これからは私もこの街にいるから、存分に道を踏み外すといいわ。きっちり腕づくで止めてやるから」
「ははっ……《九耀の魔術師》にそう言われたら、命がいくつあっても足りないよ」
「そうならないように努力なさい。……私じゃあ、あんたの研究を手伝うことはできないケド……行き詰った時に、ヤケ酒くらいは付き合ってあげるわよ」
「そうか、それは嬉しいね。…………本当に、嬉しいよ」
「っ……こんな程度でいちいち泣いてんじゃないわよ。……バーカ」