―第50話 Assault Battery ⑩―
からくり、と言えるほどの策でもない。
言うなれば、1対1の戦闘を2箇所で行っているという機械側の認識と、2対2という構図を広大な戦場で展開しているという飛鳥達の認識との差異であった。
「俺自身を参考にして造ったのなら、弱点だってお見通しというわけだ」
自分自身との戦いというものは、他のどんな相手よりも明確に想定できる。
先のランドグリーズは日野森飛鳥の性能を上位互換したものであり、面と向かっていざ尋常に――という策も小細工も差し込めない状況下では勝てる道理もない。
そう、ひとりでは勝てないと判断した。
気合いと根性、あと愛とか勇気とかがあれば、誰が相手でも勝てようなのだー!……そんなどこぞの熱血馬鹿の叫びが聞こえた気もしたが、気にしないことにした。
「しかし刃九朗。よく俺の考えが分かったな?」
ともあれ、目に見える障害はこれで排除できた。
目的地である中心部に向けて疾走しながら、飛鳥は並走する刃九朗に訊ねた。
「適材適所というものくらい理解している」
刃九朗は憮然とした態度で応じるが、その声色には確かな闘志の気炎が滲んでいた。
飛鳥も先の連携行動、即興とは思えないほどに鮮やかだったと自賛してもいいと思っていたくらいだ。
あの時、黒のランドグリーズが陽電子砲を放つ直前、刃九朗は道路の脇に転倒していた大型バイク“ナグルファル”に向けて発砲した。
伊達にジェットエンジンなど積んではいない、その起爆性は十二分で、この施設の地盤を揺るがすほどの衝撃を獲得した。
それにより陽電子砲は直撃を避けて地面に激突、蒙々と噴き上がる砂塵と瓦礫の中で、飛鳥と刃九朗は合流。
……後は見ての通りだ。
爆発的機動力による奇襲に対応できない重武装の機兵には飛鳥が。
遠距離からの攻撃手段を持たない空飛ぶ騎士には刃九朗が。
オリジナルを超えることのみに特化した2機には、本人以外との戦闘――それもセンサー類を阻害された上での瞬時の交代だ――には対応しきれなかったのだ。
どうやらあの2機以外に立ち塞がる敵はもう存在しないようだ。
不気味なほどに静寂を取り戻した灰色の街を2人、疾走する。
(あとは時間との戦いか……篠崎さん、無事だといいが)
ここは『工場』なのだ。敵機があれだけで終わりだとは到底思えない。
正直、その辺りの地面が2つに割れて、新たな機動兵器が追加されてきても驚かない。1機いれば30機いるという発想と言おうか――いや、それ以上は考えるのをやめた。
そして懸念はもうひとつ――静かすぎる。
刃九朗はどうしたのか知らないが、飛鳥は伍式・火車掛による飛翔能力で数十機もの機動兵器群を遥か後方に置き去りにしてきた。
(……どうして追ってこない?)
こちらを見失った?
有り得ない、轟音と爆発をこれでもかと撒き散らしておきながら気付かないなど。
あるいは……考えたくはないが。
後続によって殲滅されたか。
「刃九朗、ここから先は電光石火だ。早急に篠崎さんを救出し、ここを出る。道草寄り道、一切厳禁」
「それは承知しているが……どうした、急に」
「いいからその方針を順守してくれ。……この施設ごと消し飛ばされたくなければな」
本気の彼女であれば、数十数百の機動兵器相手だろうが、未来科学の粋を結集した魔城だろうが、ハエを追い払うような気軽さで…………消す。
はっきり言って、飛鳥にはそんな彼女を確実に止められる自信がない。
そして何より、彼女に人殺しをさせるわけにはいかない。
飛鳥は追い立てられるように、走る速度を更に速めた。
張りぼての都市風景を抜けた『サイクロプス』中央区画。天を突くようにそびえ立った高層ビルのふもとに佇む3つの人影に、飛鳥と刃九朗は走る足を止めた。
「Congratulations! よくぞ我が試練を乗り越えた……って感じかな?」
白衣姿の男が芝居がかった仕草で両手を振り上げる。
どうやら彼が今回の事件の首謀者であるアルヴィンのようだ。
蛇のようにひょろりとした、健康的には程遠い長身痩躯。不摂生ここに極まれりといった皺と汚れだらけの衣装。
その典型的な研究者の姿は、沙羅と同類の匂いを醸しだしているが……それよりも。
(変わった髪の色だな。リーシェとそっくりだが……ただの偶然か?)
世にも珍しい若草色の髪が飛鳥の意識に引っ掛かりを覚えさせた。
染めているようには見えないし、何よりリーシェと同じ色というのが気にかかる。
偶然の一致と片付けていいものか判断に迷ったが、今は考えていても仕方がない。
彼の半歩後ろには侍従の如く佇んでいるフランシスカの姿と、
「セ……センパイ!!」
彼女に両手を掴まれ、動けないでいる美憂がいた。彼等がビル内部に引きこもらず、外に出てきているのはこれ以上の破壊活動を控えさせるためか、それとも降参の意志表示か。ひとまず、無事であったことに飛鳥は安堵する。
さあ、問題はここからだ。どうやって彼女を助け出すか。
人質という手段は、古典的でありながら絶対的な攻略法が存在しない。
こちら側と美憂までの距離は約10m。一息で到達できる距離ではあるが……人工英霊であるフランシスカが控えており、アルヴィンも何を隠し持っているか知れない。
踏み込むべきか、飛鳥が思案していると、
「心配しなくても、彼女はすぐに解放するよ。……ただその前に、答え合わせといこうじゃないか」
「答え合わせ?」
「君も気になっていることだよ。そこの『鍛冶師』――今は鋼刃九朗かな? 彼がいったい何者なのか。そして、君たち《八葉》が造り出した“ランドグリーズ”がなぜ制御不能になったのかも、ね」
「……やはり、貴様の仕業だったか」
この事件の種明かしをするつもりらしい。
あまり悠長に時間はとれないが、力づくで行って美憂に危害が加われば目も当てられない。
今は話を合わせることにした。
「道理で《八葉》製の“ランドグリーズ”と、さっき俺達が破壊した兵器の形状が似通っていたわけだ。一昨日の戦闘、見ていたのか」
「そうやって言われると覗きの趣味があるみたいで些か不本意だけど……まあ、正解かな。確かに、君らが戦った“ラーズグリーズ”はその時の戦闘データを基にして造ったものさ。――じゃあここで質問だ。僕はどのようにして、君達を戦わせたのかな?」
「それは“ランドグリーズ”と……俺と刃九朗が戦った原因、ということか」
一昨日に起きたランドグリーズ暴走事故。
そして、飛鳥と刃九朗との間に起きた不自然な闘争意識の引き上げ。
その両方が自分の手によって誘発されたものであるとアルヴィンは明言した。
この質問に答えたのは飛鳥ではなく、
「先の俺達に似せた機械の戦い方で概ね予想はついている……お前は、俺達を競わせたかったのだな?」
機械と人間の狭間を往く男からであった。
刃九朗が返答したことがそれほど予想外だったのか、アルヴィンの顔に驚愕の色が垣間見えた気がした。
そんな動揺を隠すかのように小さく咳払いし、稀代の天才科学者は語り出す。
「ブーステッドアーマーに搭載されたos“グラディウス”には、ちょっとした仕掛けがあってね……普段は、人が乗り込んでその動作をサポートするための回路に過ぎない。しかし、搭載された機体にとって明らかな強者が現れた時には、操作系を奪い無人兵器としてその相手を打倒するという指令系統を組んでいたのさ」
外部からの遠隔操作ではなく、内部誤作動――沙羅達の調査で判明した結果はそういう意味だったのか、と飛鳥は納得できた。
だが『強者』というのはどのように推し量るのか。
その答えは昨日のクロエの発言が明らかにしていた。
『しかし、ランドグリーズは随分と執拗に鈴風さんを狙っていたように見えましたね』
あの場における『強者』というならクロエと霧乃、《九耀の魔術師》の2人がぶっちぎっていたのだ。
しかし、実際に制御不能になった“ランドグリーズ”が狙ったのは飛鳥と鈴風のみ。
クロエもまったく狙われなかったわけではないそうだが、それは彼女の攻撃に対する単なる防衛機能だったのだろう。
「人工英霊――というより、“祝福因子”を検知するとああなるわけか」
「十把一絡げの強者では何の『経験』も得られないし、そもそも『強さ』というものは存外数値化しにくい。腕力さえあれば強い、とは限らないわけだし? その点、人工英霊は分かりやすい。たとえ変異前が病弱な子供だろうと、心の弱い少女だろうとね」
「……っ!」
美憂の背中が小さく震える。
もしかして、彼女は覚えているのだろうか?
人工英霊のことを――かつて自分がそうであったことを。あるいはアルヴィンから聞かされたか。
おそらく前者なのではないか、と飛鳥は感じていた。
薄々ではあるが、彼女が人工英霊として利用されたあの始まりの日。
その前後で彼女の心の在り様と言おうか、何か強い『芯』が構築されたように思えたからだ。
それは、今日の昼休みに鈴風をなだめていた時や、今の彼女が恐怖に屈していないという点からも読み取れた。
「……だが、それは俺と日野森を戦わせた理由にはならない。いったいどうやって――いや、そもそもお前は、俺の何なのだ?」
刃九朗が一歩踏み出し、全員の視線を集めた。
ランドグリーズの暴走は、あくまで決められたことに過ぎない――これは分かった。
だが精神操作などできるわけでもなし、飛鳥と刃九朗の衝突にまで繰り糸を垂らすことなどできるはずがないのだ。
少なくとも飛鳥にはそんなことをされた覚えなど微塵もない。
「『鍛冶師』、君は薄々感づいているんじゃないのかな?」
「…………」
それは鋼刃九朗という男の存在意義に対する問い掛けだった。
刃九朗の表情に変化はないが、短いながらも戦線を共にした飛鳥には理解できた。
――認めたくはない。
――だが、認めないと前には進めない。
刃九朗は、そんな複雑な感情を心の奥底で噛み締めるように、
「お前が、俺を造ったのか」
すべての核心を口にした。
――マシンナリー・レジェンド。
機械をただの『道具』という枠組みから脱却させるためにアルヴィンが立案したという人造英雄計画。
外部からの命令系統ではなく、あくまで自分自身で判断し行動する。ロボットに自我を与え、人に成り変わる存在に昇華させる。
それは見果てぬ人の夢。
『科学』を司る者にとってはひとつの到達点でもあるだろう。
彼は造り出そうとしていた――鋼鉄の魂を。
機械に人間と同じ『命』を宿すための手法として、アルヴィンが考え出したのが『人間と機械を限りなく同一化させる』というものだった。
人の精神、人の魂。
それは単なる理論値だけで示すことは極めて困難であり――そもそも可能かどうかさえ不確かだ――一から十まで機械的に構築するのは不可能と断じた彼は、2つの方向性から計画を推し進めていった。
ひとつは、機械を人間に近付ける方法。
これは、人間の姿形や思考形態を可能な限り機械で再現するという方法だ。
そしてその過程で誕生したのがブーステッドアーマーであり、“グラディウス”osである。
またosには、二手二足での動作や人が搭乗した際における動作判断のデータを収集し、アルヴィンの下へと蓄積させるという役割があった。
この2つを世に公表することで、世界中の工業や戦場での実戦検証を行ってもらい、人と同じ行動判断ができる機械を造り出そうとしたわけだ。
そしてもうひとつは、その逆――人間を機械化するという方法。
人間の生命はどこに宿るのか。
諸説あるが、最も一般的とされるのが『脳』と『心臓』だろう。
そこでアルヴィンは、死んだ人間の脳と心臓を機械で補い、蘇生させた。
そしてその半人半機をあえて野に解き放った。
人の精神とは赤ん坊の時点で完成しているわけではない。
外界と接触し、あらゆるものを見て、聞いて、感じて。
そうして自己の在り方を形作るものなのだ。
その過程を機械化された臓器に体験させていき、人の心を習得させる。
これは人間の器の中で機械の命を育てる、という発想であった。
この二方向の実験から、人間をデータ化し、完全なる機械人類を生み出す。
それこそがアルヴィン=ルーダーが追い求める科学幻想の極みであった。
「なるほど……俺は、いやこの体の持ち主は既にいないのだな」
幽鬼の如き虚ろな眼差しで、刃九朗は呟く。
機械仕掛けの心臓に手をやり、力無く俯いていた。
「どうなんだろうね? 今の君の意識が、あくまで内部機器によるものなのか、それとも一度死んだ『彼』が蘇った続きと言えるものなのか。……後者だと実に助かる。その方が貴重なデータだからね」
それは命に対する冒涜以外の何物でもなかった。
ただデータとしての価値があるかどうか。
罪悪感など欠片も持ち合わせず、アルヴィンは刃九朗に向けて言い放った。
「ひどい……!!」
拘束されたままの美憂がアルヴィンに非噴の叫びをぶつける。
「ひどいとは心外だな。そもそも、僕がいなければ彼は死んだままだったんだよ? だったら少しでも命の恩人のために役立ってもらおうと考えるのは普通だろう? 感謝されるならともかく、非難される言われはないね」
間違いなく、本気で言っている。
そんなアルヴィンの狂気に当てられてか、飛鳥は吐き気で表情を歪ませた。
しかしまだ疑問が残る。
刃九朗はともかく、飛鳥にまで戦いを強制できた能力。
そして、いくらSPTの先駆者とはいえ、機械による『死者蘇生』など可能なのだろうか。……いや、まさか。
飛鳥は最も身近な可能性に思い至った。
「ああ、ちなみに……彼は人工英霊としての側面も持っている。これは僕としても予想外だったんだけどね。機械の人工英霊化って他に類を見ないらしいよ」
「“祝福因子”の検知だけでなく、干渉もできたわけだ……」
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
超人的な再生能力を付与する“祝福因子”であれば、確かに死滅した脳細胞を復活させ、心臓の脈動を取り戻すことも可能だろう。
そして刃九朗にも“グラディウス”osと同じく、祝福因子を探知して『挑戦』するという命令が組み込まれていた。
その上、人工英霊化によって刃九朗の精神――この場合は命令系統と言うべきか――を反映した能力を追加。
データしか存在しない筈の武器兵器の具現化、そして敵人工英霊との戦闘をより高い精度で行うという命令により、相手の“祝福因子”に干渉し『戦え』という命令を送る能力が発現していた。
だから、刃九朗の目の前にいた飛鳥は極端に闘争本能を刺激されたにも関わらず、遠くにいた鈴風では、わずかに引っ張られる程度の違和感しかなかったわけだ。
これらの能力はあくまで刃九朗の自意識ではなく、機械からの命令に過ぎない。
だから形成させる武装は常に決まった形のものであり、かつ無意識に展開されていた、ということなのだろう。
彼自身に心当たりがなかったのも無理からぬことと言えた。
「いやはや“祝福因子”ってすごいよねぇ。あれのおかげで、僕も命を作り出すなんていう馬鹿げた夢を見ることができたわけだし」
「……?」
アルヴィンの物言いに、飛鳥はどこか違和感を覚えた。その言い方だと、彼は“祝福因子”がどういうものなのか分かっていないことになってしまう。
(いや、待て。どうして俺は“祝福因子”がAITが造ったものだと思ったんだ? あんなデタラメな産物、人為的に造れるものだとは思えないのに……?)
もしかして自分は、とてつもない勘違いをしているのではないか――すべての前提が覆りそうな疑念に飛鳥は思考の海に溺れそうになるが、今は棚上げすべきだ。頭を振って思考から追い払う。
「ま、こんなところで種明かしは終わりというわけさ。……ああ、そうだ『鍛冶師。君はもう用済みだから好きにしていいよ。だって敵であるはずの人工英霊と結託し、なおかつ創造主である僕に歯向かおうとしたわけでしょ? おかげでいい戦闘データは取れたけど、はっきり言って君……欠陥品だよ?」
「…………」
生みの親からの一方的な放逐に飛鳥は頭が煮えたぎりそうになるが、隣の刃九朗のあまりの無反応さに気付き、声をかけようとした。
「………何なんですか」
そこに少女の呻くような、しかしはっきりと芯の通った声が響いた。
「篠崎さん……?」
先程までうつむいたまま動かなかったはずの美憂が、怒りや悲しみをごちゃまぜにして雄々しく叫んだ。
「いったい何なんですか、さっきから聞いていれば勝手なことばかり!……ちょっと発明バカさん!!」
「は、はいなんでしょうか!?」
そのあまりの豹変ぶりと物言いに、アルヴィンも思わず敬語で返した。
そんな様子に飛鳥は唖然とし、彼女を後ろで拘束していたフランシスカは、無表情のままではあるが驚愕を隠しきれず目を見開いていた。
「あなたは命を作ろうとして頑張ってたんでしょうが! そんなあなたが命を大切にしなくてどうするんですか! 子供ができて、でも逆らってばかりだからもう出てけだなんて、それでも『親』ですか!!」
「いや、僕は親なんかになったつもりは――」
「はぁ!? 何ですかその無責任さは! さっきからさんざっぱら命がどうだの機械を救い出すだの調子のいいこと抜かしておきながら、ちょっと手のかかる出来事がおきただけでそれですか! 何ですか、お腹を痛めたわけじゃないから僕には関係ないですーとか思ってるんですか!? そんなんでよくもまあ偉そうなこと言えたものですね、ちゃんちゃら可笑しいですよ!!」
「えぇー……」
「それと鋼センパイが欠陥品って言ったこと、訂正して下さい」
憤怒で顔を真っ赤にし、圧倒的な舌鋒でまくしたてていた美憂だったが、急に冷静な語り口になってアルヴィンに謝罪を求めた。
困惑のあまり声にならないアルヴィンに向かって、彼女は朗々と告げる。
「今日、センパイは私が怪我をしそうなところを助けてくれました。私と鋼センパイはそれが初対面で、その時少しお話をした、ただそれだけの関係です」
そう、たったそれだけ。
友人と呼べるような関係でもない。
一目惚れ、だなんて甘酸っぱい感情が入り込んでいたわけでもないだろう。
本当に、ほんの数時間前に名前を知ったばかりのただの顔見知りだ。
「……それだけのはずなのに、センパイは二度も私を助けてくれた!」
偶然、気紛れ、成り行き――彼がここに立っている理由はそんなところなのだろうか。
本人ですら自覚しきれていないようだが……それが無意識によるものならば、
「そんな命の恩人を、優しい人を悪く言うのは絶対に許しません!!」
助けたい、護りたいという志を、当たり前に持っているということの証左に他ならない。
それは決して機械が発する電気信号が導いた行動などではない。
美憂は叫び、飛鳥は思う。
その掛け値なしの意志こそが、鋼刃九朗が誰よりも人間であることを示す心の輝きであるのだと。
からから、からからと。
錆付いたまま動かなかった歯車が、ようやく回り始めた。
「……そうか、これが俺か」
刃九朗はうつむいていた顔を上げ、隣の男を見やる。
やっと気付いたか、と呆れたようでもあり、嬉しそうな眼差しをこちらに向けていた。
正面に立つ少女に目を向ける。
彼女は眦に涙をためて、自分の代わりに泣いて、怒っていた。
「不思議なものだな。さっきまで勝ち負けなど、自分の命などどうでもいいと思っていたが……どうにも今は、勝ちたくて仕方がない。生きたくて仕方がない」
現金なものだ、と鋼の心臓が自嘲するように小さく軋んだ。
記憶もなく、為すべき事の標もないまま世界に生まれ落ちた機械の赤子にとって、これまでの生とは、地図も方位磁針もないまま見果てぬ荒野の中心に置き去りにされたような感覚だった。
風に吹かれる葉っぱと何ら違わない。
どこに向かえばいいのか分からずに、ただ無為に歩き回ることしか出来なかった。
だが、美憂がボールに当たりそうになったあの時、彼は既に『標』を見つけていたのだ。
その手に握った拳銃は、いったい誰のためのものだったのか?
「俺は『武器』だ。力無き者達の盾であり、刃であり、弾丸だ」
『武器』の存在意義とは何であろうか?
それは戦って、戦って、戦って……そうやって、誰かを助けるためだ。
守るべき人を戦わせないためだ。
だから自分はここにいる。
助けを求める誰かがいる限り、鋼刃九朗には『使命』がある。
「ああ、やっぱり君は欠陥品だ。人の心を習得するどころか、『機械』としての自我に目覚めるなんて!!」
そう言って頭を掻き毟りながらも、アルヴィンはどこか愉しげな様子だった。
「その子を離してもらおうか。これ以上、こんな下らん妄想劇に関係のない一般人を巻き込むようなら……たとえ親でも容赦はせん」
「容赦しない、だって? アハハ、随分と人間らしい物言いじゃないか!!」
機械仕掛けの子供が、呵々大笑する生みの親を視線で射抜く。
許さない――生まれて初めての感情の吐露が、こうも苦々しいものだとは刃九朗も思いはしなかった。
「予定変更だ、フランシスカ! 展開中の“ラーズグリーズ”部隊を全機集結させたまえ!!」
しかしそんな苦みも、脳から鳴り響く危険信号によって打ち消された。
中空に出現した電子モニターにフランシスカが目をやると、何やら通信らしきものを行い始めた。
飛鳥と刃九朗は揃って歯噛みする。
たった2機だけでもあれほどまでに苦戦を強いられたのだ。それが部隊単位で襲来するとなると、流石に勝機が見出せそうにない。
「僕の持論は間違っていなかったわけだ! さあ、実験再開といこうか『鍛冶師』。今度はスクラップになるまできっちり追い詰めて……そして、更なる情報の輝きを見せてくれ!!」
「……日野森、お前は彼女を確保しろ。隙は俺が作る」
そう、適材適所だ。
火力に優れる刃九朗がここに残って注意をひき、その間に飛鳥が美憂を救出して離脱。
現状とれる最善手はこれ以外あるまい。
「いや、必要ない……」
「なに?」
諦観に近い発言をする飛鳥に刃九朗は戸惑う。
反論されるならともかく、必要ないとはどういうことか。
「主人。ラーズグリーズ残38機――――既に全滅していますが」
『…………は?」
アルヴィンは失念していた――いや、侮っていたのだ。
「ああ、ようやく見つけました。探しましたよ、飛鳥さん」
もうひとりの役者がどういった存在だったのかを。
「そんな、まさか、有り得ない……“ラーズグリーズ”は人工英霊をも圧倒する性能なんだぞ! しかもそれを一個小隊レベルでぶつけて、無事で済む存在なんているわけがない!!」
超人を凌駕する戦闘機械。その大軍を、腕の一振りで消し去るような魔の所業が存在することを。
くすんだ灰色ばかりが支配するこの空間で、彼女だけは煌く光輝を身に纏う。
「では……あなた方全員、皆殺しです」
その時、間違いなくこの場にいた全員の脳が、心臓が、あらゆる機能が停止していた。
透明な笑みを浮かべ、白金の髪が見惚れるほどに美しくたなびく。
天使、と呼ぶ者もいるだろう。
それはあながち間違いではない。
彼女の名は“白の魔女”――アンヘルとは、即ち『Angel』。
死を運ぶ天使、それこそが彼女を冠する称号である。




