―第49話 Assault Battery ⑨―
「うぅ……ん……」
薄暗い研究室の一角で、篠崎美憂はまどろみの海から浮上する。
――いつの間に眠っていた?
――いや、そもそも何故眠っていたのか?
靄のかかった意識を振り払うように頭を小さく振り、そこで、ここが知らない場所であることに気付いた。
「ん?……ああ、ようやくお目覚めかな。気分はどうだい?」
「え……えと……あれ、ここは……?」
部屋の中央でPCのモニターに向かっていた白衣姿の男性が朗らかに笑いかけてきた。
伸びっぱなしの不精髭にくたびれた服装。いかにもなマッドサイエンティストという印象であったが、不思議と不潔な印象は感じなかった。
草原を思わせる薄い緑かかった髪がやけに美憂の目を惹いていた。
彼の隣には、色素の薄い長い髪を下ろした小さな女の子の背中が見えたが、椅子に座り込んだまま、振り向くどころか微動だにする気配もなかった。
どうにも記憶が不確かだ。
いつものように登校して、昼休みに校庭でサッカーボール爆破事件(?)が発生して見知らぬ先輩に助けてもらい、放課後になって、帰宅しようと校門をくぐった――――ここからの記憶がぷっつりと途切れている。
ともかく疑問だらけのこの状況ではあるが、少なくとも今はまともな状況ではなく、即ち目の前の科学者(らしき人)もまともではないという判断はすぐに下せた。
両手で肩を抱き、警戒した様子の美憂に対し、男は軽い口調で答える。
「ここは僕の家――って言っても分かるわけないよね。『サイクロプス』って言えば分かるかな?」
サイクロプス、サイクロプス……美憂はしゃっきりとしない思考のまま、記憶の本棚を読み漁る。
該当1――昨日やっていたRPGに出てきた敵キャラの名前(ひとつ目の巨人というベタなあれだ)。うん、絶対違う。
該当2――美憂はそれほど詳しくないが、白鳳市郊外にあるAIT社のやたら厳重な巨大工場の名前……だったはず。おそらくこちらが正解だろう。
しかし、そんな巨大施設を『僕の家』呼ばわりできるこの人は何者なのだろうか。
その疑問に答えるべく、男は椅子から大袈裟な仕草で立ち上がる。
「僕はアルヴィンだよ、アルヴィン=ルーダー。これでも名前だけは割と有名らしいんだけど」
「えっと、知らないです」
「…………しがない発明バカとでも思ってもらえればいいよ」
いたいけのない少女のきょとん顔で一刀両断されたアルヴィンは、言い様のない切なさからがっくりと肩を落とした。
篠崎美憂は根っからの文系少女であった。
幾多のSPTの発明者、と言われても「意味が分かりません」と素で返すレベルである。ただの世間知らずとも言うが。
「じゃあ発明バカさん、私はどうしてこんな所に?」
「君けっこう容赦ないね!?」
「だって……人攫いさん相手に、歯に衣着せたって仕方がないでしょう?」
「……へえ」
美憂は冗談めかしたやり取りから、一気に核心へと踏み込んだ。
周囲を見渡し、アルヴィンと会話している内に、少なくとも今がロクでもない状況であることは段々と理解できてきた。
まだ少し頭がぼうっとするが、それ以外に体の不調はなく、着衣も乱れていない。加えて、目の前の実行犯らしき人物からは危害を――今のところは、だが――加える意思は感じられない。
ならば今の自分にできることは、おとなしく震えていることでも、お茶濁しの会話をすることでもなく……
「驚いた。随分と肝が据わっているね、子猫ちゃん」
「私の名前は篠崎美憂です。どうして私を攫うような真似をしたのか、何が目的なのか、どうやったら私を解放するのか……教えて下さい」
『認識』すること。
一切の感情を持たないもうひとりの自分を生み出し、第三者として『彼女』にこの部屋の光景を分析させる。
篠崎美憂は、平凡ないち女学生だ。
飛鳥やクロエのように戦場慣れしているわけでもなければ、鈴風のような図太い勝負度胸を持っているわけでもない。
今時珍しいとさえ言える、内気で奥手な女の子だ。
唯一、美憂という人間を特筆するのであれば――強くなりたいと、誰よりも大きく心の奥底に刻み込んだ者である、ということ。
無力に涙し、大事な人を傷つけ――それでも、それでもあの人は私を護ってくれた。
では私は、助けられたまま、護られたまま、このまま泣き伏せていていいのかと。
『力』なんてない。
だからといって諦めたくもない。
そうだ、彼女もよく言っていたではないか。
(ここで逃げたら、女が廃る)
そんな彼女に恥じないように。
あなたはあたしの自慢の後輩だよって、胸を張って誇ってくれるような私になりたい。
美憂は身体の震えを力づくで押し留め、射抜くような視線でアルヴィンに問いかけた。
「……わかった。そうも真っ直ぐな目を向けられては、僕も真面目に答えなければならないか」
飄々とした雰囲気を捨て双眸を針のように細めたアルヴィンに、美憂の背筋が震える。
しかし退かない。目を逸らしはしない。
「まず、僕は君個人に対してはもう何も求めていない。この場で大人しくしてもらうだけで大助かりだ」
攫って来たくせに用などない――あまりに斜め上からの回答に、美憂は一瞬頭が真っ白になった。
だが、安堵してはならない。
「もう、ということは、すでに目的は達成しているんですね?」
アルヴィンが感心した表情を向けてきたことから、どうやら正解らしい。
「君の役割とは、言ってしまえば釣りの餌なのさ。魚が食いついたあとに、わざわざその胃袋から回収しようだなんて思わないから安心していい」
薄く笑みを見せるアルヴィンは、これが釣果だと背後のモニターを指差した。
点灯しているモニターは計4台。
ひとつはこの施設の入り口だろうか、トラックどころか大型旅客機でも悠々と通り抜けられそうな巨大な門の画面。そしてその周りには無数のガラクタ。爆発炎上しているものから、寒気がするほどに鮮やかな切り口が目立つ、真っ二つになった奇怪な形の戦車など。
そして他の3台では、テレビでしか見たことの無いような戦闘光景が繰り広げられていた。
銃弾が四方八方乱れ飛び、火炎が建物や道路を舐め尽していく。
そこに垣間見えた、重機鋼鉄が暴れ回る鉄火場にはあまりに場違いと言える、生身の人間が2人。
「日野森センパイ……? それに、あの人は」
「正直、人工英霊の彼だけでもここに誘致できれば及第点だったのだけど、おかげさまで思いのほか大漁だったよ」
炎の刃をその手に、ジェット戦闘機どうしの追いかけ合いを展開する日野森飛鳥と、全身に凶器を纏い、銃弾と電火が入り混じった破壊の洪水を解き放つ鋼刃九朗。
何故ここに? という疑問は不要だろう。
アルヴィンの言からして、彼らは自分という餌によって釣られた者なのだから。
「先程言った通り、僕は発明家だ。あまり専門的な話をしても難しいだろうから詳細は省くけど……僕は色んなロボットを造ってきたんだよ。では、ここで質問だ。篠崎くん、優れたロボットってなんだと思う?」
「その質問に何の意味が……?」
「大有りだとも。これはそもそも、その回答を示すための試験なんだから」
試験、というのはモニター上で起きている破壊活動なのだろう。
画面ごしだから実感しづらい部分もあるが、あの場で繰り広げられている暴力、破壊、殲滅の意志。
砂で作った城を崩すかのような気軽さで、地面や建物が決壊されていく。
2人と2機、人型の怪物達による破滅の波濤は見るものすべてを戦慄させた。
美憂の目には、それはごく単純な力――暴力というものを追求して争い続ける戦いに生きる者の姿に見えた。
「ああやって、人殺しをするための機械を造っているんですか……」
「うーん、ちょっと違うかな? 破壊や殺戮というのは、あくまで手段であって目的じゃあない。……僕はね、世界に認めさせたいだけなんだよ。彼らは、僕たち人間がいなくたって生きていけるんだって」
アルヴィンは両手を広げ、高らかに宣誓する。
美憂にはその言葉の意味ほとんど理解できなかったが、少なくとも、完全に壊れていると確信するには充分だった。
「人は有史以前から『武器』というものを作り、利用してきた。その始まりは生きるため――素手では獲物を狩ることができないから、石を削って槍やナイフなんかを作ったわけだ」
評論家のような口振りで語り始めるアルヴィンからは、何やら複雑な感情が見え隠れしているようだった。
誇り、狂気、それと……悲しみ、だろうか?
「しかし、だ。歴史が経つにつれ、『武器』に対する目的というものは大きく変わってきた。武器が振るわれる先は、今や常に人間だ。引き金ひとつであっさりと命を奪い、究極、スイッチひとつで国を丸ごと焼き尽くすことだってできる」
武器は人を殺すために存在する。
悲しいながらも、それは確かに有史以来から続いてきた、変えようのない真理だった。
「分かるかい? 日々の糧を得て、ただ生きていくための武器であれば、それこそ石作りの槍と弓さえあればよかったんだ。それがただ、人間の勝手な都合で同族殺しを強要されたり、相手に奪われればいとも簡単に味方に牙をむく。造り手としては、それがどうにも腑に落ちなかったんだよ」
「なんですか、それは……それじゃあ、あなたは、武器が可哀想だとでも言いたいんですか」
「その通り! だから僕は、ただ人間に利用されるだけの武器を、機械を救いたかったのさ!」
それは稀代の天才であり、同時に最悪の夢想家が辿り着いた結論だった。
自我を持つ兵器――それは指示を受けて行動するのではない。
自ら考え、決定し、行動するという人間を必要としない兵器を造り出した。
「戦いたい相手と戦い、殺したい敵を殺す。そういった『欲望』を抱いた戦機たちは、いずれ世界中の戦場を席巻する。正義や悪の名の下に『英雄』として歴史に名を刻むために!!」
英雄の条件とは、大衆に讃えられる『欲望』を抱き、それを完遂した者にこそ与えられる称号だ。
仮に1体の兵器が自分の意思で戦場に乗り込み、一機当千の活躍をしてのける――さあ、ここに人間の英雄と何の違いがあろうか。
殺したい、助けたい、守りたい、なんだっていい。
そんな確固たる『欲望』を抱いた上で戦地に立てば、さあ、後は殺せば殺すだけ機械仕掛けの英雄が誕生することだろう。
「もう人間に使われるだけの奴隷である必要はない……それを人工英霊、半人半機、そして『魔女』という最強クラスの人間に打ち勝つことで証明する。これは、兵器が自由を掴むための戦いなのさ!!」
これこそが、アルヴィンが“ラーズグリーズ”の対戦相手といして日野森飛鳥を指名した最大の理由だった。
人工英霊だけなら、それこそ手持ちの戦力でもよかったのだ。だが飛鳥をこの戦場に誘導すれば、高確率で彼と親しい『強者』を一緒に釣り上げることができる。それは魔術師勢力の頂点とも言える《九耀の魔術師》、しかも2人もだ。
自由と言っておきながら、しかしあまりにもひとりよがりなアルヴィンの妄執に、堪らず美憂は叫んだ。
「さっきから聞いていれば勝手なことばかり……それで機械たちが手当たり次第に罪もない人を手にかけたりしたらどうするんですか! それに、あなた自身だって殺されちゃうかもしれないのに!!」
ロボットによる人類への反逆――そんな内容の映画があったことを思い起こす。 話を聞く限り、アルヴィンの造る機械兵器達にはロボット三原則など考慮されてはいないのだろう。ただあるがまま、思うがままに破壊と暴力を振り撒くのでは、機械とか人間という枠組み以前にただの害悪だ。
しかし、彼はそれすら承知の上で、
「うん、そうだね。……何か問題でもあるのかい?」
何故そんな当たり前のことをわざわざ聞くのか、まったくもって理解できないと――平然と聞き返してきた。
その凍りつくような純粋さに、美憂の頬から冷や汗が伝った。
全身の細胞がこの男に対して危険信号を響かせている。これ以上ここにいてはいけないと、理屈でも直感でも理解した。
(けど、私ひとりだけ逃げて――本当にそれでいいの?)
画面の奥で奮戦する2人の先輩は、自分のために戦っている。そんな彼らを置き去りにしてそそくさと……だなんて、恥を知るべきではないか。
アルヴィンはそんな美憂の葛藤を嘲笑うかのように、
「さて、そろそろ決着がつくころかな。……どうやら僕の子供達が押しているようだね。ああ、折角だから彼らの死体は極力壊さずに回収して欲しいな。人工英霊の検体はいくらあっても足りないし、『鍛冶師』も製造してからどれほど変化したのか見ておきたい」
実験動物が増えることを喜び逸る、研究者としての愉悦を見せた。
少女の全身が小刻みに震える。
嫌だ、負けるな、怖い、諦めるな、逃げたい、泣くな――滅茶苦茶になった感情の波を抑えきれない。
そして、その決壊寸前の防波堤を、
「ああ、そういえば……君も人工英霊だったね。一度肉体を変異させておきながら、元の人間に立ち戻った事例というのも珍しい。ついでだ、君の内蔵にも興味が湧いてきたし――」
「――――ッ」
大音量の爆発音と、視界を真白に染め上げる光の瀑布が覆い隠した。
太陽が墜ちる。
灰色の大地を光の瀑布が埋め尽くしていく。
人間の視覚と聴覚をことごとく奪い尽くすであろう白の閃光と破壊の轟音の中、黒の弓兵は一切の油断などなく――油断など、できるはずもなく――敵機の生存を確認していた。
漆黒の装甲を持つランドグリーズ、その胸部ジェネレーターから発せられた陽電子砲は、確かに敵対象である鍛冶師に向けて放射された。しかしその直前、ランドグリーズの足下の地面が小さく揺さぶられたことにより、その照準が少しばかりずれてしまったのだ。
それにより、本来直撃コースであった筈の雷電の一撃は下方に逸れ、刃九朗の少し手前の地点に着弾したのである。
月面の陥没痕もかくやといった破壊の痕を残すほどの衝撃により、周囲の建造物も軒並み崩壊。舞いあがった砂塵と散り散りになった瓦礫片が空間を灰色に染め上げていた。
倒しきれなかったとはいえ、相手側の銃撃は完全に停止している。先の衝撃で致命的な損傷を受けていることは容易に『分析』できた。
しかし、このままとどめをさそうにも、爆発直後であることと瓦礫や塵が飛び交っている影響で、各種センサーが殆ど機能しない。
だが、それは些細な事だ。
砂の煙幕が晴れ、敵対象をカメラアイで直接視認してから確実に仕留めればいいだけのこと。
最大火力の一撃により熱暴走しかけたジェネレーターを緊急冷却しつつ、再び全身の銃器を展開しようと駆動――――できなかった。
《!!??》
人工知能が異常事態を検知する。
冷却しているはずの自身の反応炉の熱量が、異常に増大していた。
原因を分析――その必要はなかった。
カメラアイの視界を下に向ける。
展開されたままの胸部発射口から伸びている、真っ赤な刃。
「あまり、人間様を舐めるなよ」
背後から刺し貫かれた、その事実をあくまでも淡々と認識したのを最後に、黒の機兵は全機能を停止した。
そんな僚機の撃墜を、赤のランドグリーズは100mほど離れた中空から目撃していた。
それぞれの敵対象の武装構成、身体能力は正確に把握していた。
火力、装甲、機動力、すべてにおいてそれぞれの相手を圧倒できるだけの性能値を記録していたのだ。それがどうしてああも簡単に――――ズドンッ!!
《――――》
聞き慣れない音を観測したのと同時、陽電子反応炉からの出力が一瞬で0になった。
原因を解析、解析、解析――error。
当たり前だ。
心臓をぶち抜かれて、解析もなにもあったものではない。
彼方の砂塵が晴れ、視界の先に見えるは、電光が奔る銃剣の切っ先。
「さらばだ、兄弟」
爆発四散する紅蓮の騎士。
そんな『彼』を弔うかのように、魔弾の射手は小さくそう呟いた。