―第48話 Assault Battery ⑧―
紅蓮と鉄鋼、2つの火花が舞いあがるその様を、男はモニター越しから興味深げに観察していた。
四方を囲むモニターからの光だけが薄暗い研究室を弱々しく照らしている。テーブルの上はキーボードや各種配線、食べかけのピザなどで散らかり放題となっており、これだけでも男の出不精具合が見てとれた。
「主人、ただいま帰還致しました」
「ああ、御苦労さまフランシスカ。どうやら首尾は上々のようだね?」
背後から聞こえた声に、男は振り向きつつ労いの言葉をかけた。
「現時点では、主人の筋書き通りに事が運んでいるかと。あとは――」
「『黒』か『白』、どちらが来るのかなと思っていたけれど……来たのは“白の魔女”殿か。いやはやまったく、恋する乙女とは恐ろしいものだね!!」
「…………」
『主人』と呼ばれた男――アルヴィン=ルーダーは芝居がかった仕草で肩をすくめた。
真剣味も危機感もまったく感じられない彼の様子に、フランシスカは呆れるでも怒るでもなく無表情を貫いている。冗談に反応するくらいの感性――というより気遣いと言うべきか――は欲しかったなぁ、とアルヴィンは石像のように立ったまま動こうとしないフランシスカを見て溜息をついた。
饒舌とまでは言わないが、もう少し何とかならないものか。
「主人。彼女はどうしますか」
フランシスカが肩に担いでいた少女――篠崎美憂に目を向ける。
彼女はぐったりとしたまま、未だ意識は戻っていなかった。
それにしても、真白の少女の細腕で、小柄ながらも人間ひとりを片手で担いでいる光景というのは中々見慣れないものだ。
フランシスカは人工英霊であり『人間』という枠組みを突き抜けた能力を保有している以上、別段おかしな話ではないのだが……若干の物悲しさを覚えたのはアルヴィンの我執だろうか。
部屋の端にあるソファ――普段はアルヴィンの寝床となっているが――に横にしておくようにと指示しておく。
特に拘束はしていない。
彼女がここから逃げられるとは思わないし、たとえ逃げおおせたとしても、それはそれで面白いからである。
「それでは、私は彼らの迎撃に向かいます」
「必要ないよ」
一仕事終え、すぐにまた出動しようとするフランシスカを呼びとめる。
能面のような表情のまま振り向く彼女に対し、
「必要ない。今回は“ラーズグリーズ”の試験も兼ねているからね。侵入者の戦闘能力に応じて、自動的に最適な武装を構築するプログラム――それが果たして、その2人相手にどこまで通用するのか。君も見てみたくはないかい?」
ちょいちょいと、アルヴィンは自分の隣にある椅子を指差す。フランシスカは特に拒否するでもなく、淑女のような仕草で静かに腰を下ろした。
彼女を隣に置いたことに、特に大きな理由はない。
あえて言うなら、どうせ試合を観戦するなら少しでも観客は多い方がいいと思ったくらいか。
……それは寂寥という感情なのかもしれないが、アルヴィンは深く考えるつもりはなかった。
モニターに視線を戻す。
片や地上と空中をかけずり回る高機動戦闘、片や戦法戦術完全無視の全火力による正面突破。それぞれまったく違った手法による戦闘が繰り広げられている。
さてこの戦い、どう転ぶだろうか。
どうやら向こう側も薄々気付いているようだが、あの2体には既に日野森飛鳥と鋼刃九朗――先日、《八葉》で2人交戦していた際の戦闘データを反映させている。
(機械仕掛けの戦士は、果たして英雄と成り得るのか――さあ、彼らは僕の疑問に答えてくれるのかな?)
それは、ちょっとした好奇心だった。
あらゆる武器兵器とは、戦争のために造られたものである……当然だ。
では歴史上の戦争において、そういった兵器自体が英雄的な存在として讃えられたことが無いのは何故か。
アルヴィンはふたつの仮説をたてていた。
ひとつ、それは『道具』であるため。
アルヴィンがその基礎理論を確立したブーステッドアーマーの設計思想として『人間そのものを兵器として運用する』という考え方がある。これは、他の機械兵器とどう違うのか。
既存の兵器とは、基本的に画一的な運用法しか存在しないものだ。
例えば拳銃であれば、引き金を引いて銃弾を撃つ、という以外の使い方が存在しない。鈍器として直接相手に殴り付ける、という手法もあるにはあるが……本来の用途とは程遠い。
武器兵器に限らず、『道具』というものは総じてそういうものだ。
人が使うためには、それぞれの用途というものをはっきりさせないといけない。ペンは書くもの、ナイフは切るもの――そうやって役割を決めておかないと効率が悪い。
これは、道具とは人が使うためのものである、という極々当たり前の道理があるからだ。
文字を書きたいからペンはあり、物を切りたいからナイフはある。
人間の体ひとつでは出来ないことを補うため――そういった人の欲求に応じるために道具とは存在し、必要とされなくなれば廃棄される。
とどのつまり、人が使えない道具に存在価値などない。
「人に必要とされない限り、その存在を許されない――それはそれは、随分と残酷な話だとは思わないか?」
『道具』という定義からの脱却――アルヴィン・ルーダーが造り出してきたモノ達には、等しくそういった理念がこめられている。
人間と同じ、あるいはそれ以上の行動パターンを可能にしつつ、自ら思考し、決断する。
人間にできないことを、人間がいなくとも可能とする。そんな『人型の機械』というものを造ったのも、人間に使われるだけの存在であってほしくはないから。
そしてふたつめ。
これは実に単純、死なないからだ。
古今東西、英雄と呼ばれた者の共通点とは命を燃やしつくしたことにある。
かの15世紀フランスの戦乙女ジャンヌ・ダルクは、魔女裁判によって火刑に処された。
幕末の英雄、坂本竜馬は明治維新まであと一歩というところで兇刃に倒れた。
戦って、戦って、命尽きるまで戦い続け……そして、死して初めて英雄となったのだ。
つまり翻って言えば、死を恐れぬ者、命無き者には英雄の資格などないということになる。
アルヴィンには、それがどうにも納得いかなかったのだ。
――ならば問おう、命とは何ぞや?
赤い血が流れていればいいのか、心臓が脈動していることこそが『生』という定義なのか?
では仮に、人間の心臓も脳も機械に挿げ替えたら、それは既に死人なのか?
死力を尽くして戦っても、幾千幾万もの民を、その身を呈して救ったとしても。
魂が鋼鉄である限り、結局は打ち捨てられる運命だというのか。
アルヴィン=ルーダーは見てみたかったのだ。
自らが造り出した鋼の子供達、彼等が行きつく可能性を。
そして、それを推し量るための試金石が、今この『サイクロプス』に集いつつあった。
火焔の嵐が舞う。
百花繚乱の炎熱が、飛鳥の視界を赤々と埋め尽くす。
繰り広げられているのは、鎧袖一触の撃剣舞踏。
飛鳥は可能な限り相手から距離をとりつつ、回避に専念していた。
(くそっ……レーザーブレードというのがこれほど厄介とは――!!)
とことんまでに分が悪い――大きくしゃがみ込む。
直後、頭上すれすれを通過した白光の軌跡に、飛鳥は心臓を掴まれたような心地だった。
飛鳥の戦術核である『断花流孤影術』には、対剣士を想定した戦法が数多く存在する。
これまで劉功真やリーシェ相手にも駆使していたが、カウンターの一種である“蜃気楼”や、武器を当てて相手の攻撃をいなす“揺”がそれである。
しかし、あの陽電子の剣には通用しない。
あの紅蓮の機兵――“ラーズグリーズ”が放つプラズマの刃は、紙一重の間合いで躱したとしてもその激熱で即時に蒸発させられてしまうため、通常よりかなり広めに間合いを保たなければならない。
“蜃気楼”で敵の攻撃の隙を測ろうにも、どうしても大周りな立ち回りをしなければならないので、チャンスが掴めないのだ。
そして実体のない刃、というのも厄介だ。
相手の太刀筋を逸らそうにも、そもそも触れられないのだから。いわばあの武器は、極限まで圧縮されたガスバーナーの炎のようなもので、烈火刃で受け止めようとしてもするりと通り抜けてしまう。
しかも、こちら側の武器は綺麗に真っ二つにした上でだ。
防御もカウンターも通用しない反則じみた武装に対し、飛鳥にはともかく逃げ回る以外の選択肢などなかったのだ。
あるいは、肉を斬らせて骨を断つ。思いつくのはこれくらいか。
(ある程度のダメージは覚悟の上で、というのも悪手だろうな)
だが、ラーズグリーズを構成する装甲材を見て、飛鳥は嫌な予感が拭えなかった。
飛鳥の烈火刃は、刀身の温度を最大約10,000度まで上昇させることができる。これは太陽のプロミネンス現象に匹敵する超高熱で、大抵の金属であれば容易に溶断できるレベルだ。
しかし懐に飛び込む以上、求めるのはあくまで一撃必殺。
だが、異世界で対峙した方のフランシスカが行使していた蜘蛛の八脚――“ブラックウィドウ”の装甲を、烈火刃は瞬時には抜けなかったことを思い出す。
“ラーズグリーズ”の装甲が彼女の武装と同程度の硬度を持つ場合、一撃では倒しきれない可能性が極めて高い。
よって、接近戦は無謀と言えた。
(定石としては、エネルギー切れを待つか、遠距離からの攻撃で仕留めるかだが――)
思考をフル回転させながら、飛鳥は建造物が密集する区画を縫うように走り逃げる。
建造物、と言っても外見はただの巨大な柱のようなものだ。
灰銀色で統一された、窓も扉もないただの大きな模型が立ち並ぶ光景は、子供の玩具にありそうなミニチュアの街――その住人にでもなったかのようで、飛鳥は汚泥を呑んだかのような気分になった。
両手に握った緋翼の推進爆発により、飛鳥は垂直に上昇。10階建てのビルに相当する高さの柱の上まで一息に飛び上がる。
数秒もしないうちにあの灼熱の騎士は追い付いてくるだろうが、若干の空隙は稼げた。
意識を自身の内側へと向ける。
さあ、俺はあいつに勝てるのかと、日野森飛鳥自身の『可能性』に問い掛けるために。
――こちらの体力と、相手側のエネルギー。尽きるのはどちらが先か?
――間違いなこちら側と言える。疲れ知らずこそが機械兵器の利点であり、何よりこの場所が相手の陣地であることを忘れてはならない。
――現状の能力で、敵機体を完全撃破は可能か?
――リスクを問わなければ、可能と回答できる。現状の最大火力武装である烈火刃・陸式であれば、一撃必殺も実現できるだろう。しかし、構築、発動までの時間を考慮すると推奨できない。
――即ち、今のままでは勝てない。
――そう、勝てない。
――ならば、どうする?
獅子の咆哮を思わせるような、陽電子反応炉のエンジン音が鼓膜を直撃し、飛鳥は意識を急速に復帰させた。
既に電子の光刃は横薙ぎに放たれており、防御も回避も絶望的な間合いだった。物言わぬ機兵のカメラアイが小さく明滅する。
「殺った…………とでも思ったか?
陽電子の刃は、棒立ちになった飛鳥の胴を綺麗に素通りした。
ぐにゃり、と朧に揺らぐ飛鳥の姿は、紅炎投影によって創り出された熱分身だった。
熱量を持つ虚像である紅炎投影は、視覚的電子的様々な方向性の索敵をことごとく騙しきる。
ほどなく炎の影は霞のように消え去りはしたが、これで十二分。
「切り札を切るにはまだ早い――あとは、即興でどこまでやれるかだが……」
“ラーズグリーズ”から大きく離れ、ビルを模した柱から柱へ飛び移りながら、飛鳥はもうひとつの戦場に目を向けた。
互いに地に根を張ったように動かず、ただただ正面から炸薬と電光とぶつけあう重戦機たちの戦場へ。
鋼の嵐が荒れ狂う。
地面には空薬莢が雨霰の如くばらまかれ、擲弾筒の爆発により、轟音と共に跡形なく吹き飛ばされる。
堅牢なる防衛施設の屋台骨を揺るがすほどに、大小ありとあらゆる銃火器によって繰り広げられる鋼鉄の宴。
地震、火災、雷が共演する人工災害の中心で、刃九朗はただひたすらに引き金を引き続けていた。
(このままでは、押し切られるか……)
回転式機銃の右腕、電磁加速砲の左腕、両肩両脚の擲弾砲塔。
刃九朗が瞬間的に生み出せる、最大火力を追求した武装構成であっても、こんなものかと黒の弓兵は更に更にと火線を強めていく。
愚直なまでの力押しというものは、その実、下手な戦法よりよっぽど理に適っている。
間断なき砲火の洗礼の前には、刃九朗のアドバンテージである武器の即時換装を行う余裕がまったくない。
刃九朗がほんの1秒でもそれに時間を裂いた瞬間、間違いなく相手の猛爆に呑み込まれて肉片も残るまい。
こちらの武装には再装填が必要ないというのが唯一の救いではあるのだが……
(とはいえ、相手の弾切れを待つ余裕もない。……どうしたものか)
身動きのとれない袋小路に追いやられながら、刃九朗は冷静に焦燥した。
こちらの弾幕は少しずつ突破されつつある。
業火の障壁を掻い潜り、刃九朗の四肢を冷たい金属弾が削り取っていく。火力、装甲、共に劣勢。
これは単に相性の問題だ。
いくら刃九朗が無数の武器を扱うとはいえ、戦術的な立ち位置は『完全武装した歩兵』の域を出ない。大型の戦車や戦闘機に対して正面からやり合うという前提からして誤りであったのだ。
増長していた、と言われれば否定できない。
なまじ刃九朗が保有する武装群は、生半可な機動兵器を紙切れ同然に撃墜できる性能を持っている。人工英霊相手にも、その豊富な火力による力押しというのが最も単純かつ効果的であったため、戦法・戦術というものを殆ど考慮していなかったのも事実だ。
そういう意味では、先日の飛鳥の戦い方はお手本のようなものだ。
斬撃、打撃、飛び道具の使い分けに加え、分身による撹乱。また、武器だけに頼らず小手先の体術も習得している。
正直、飛鳥があとどれくらいの手札を隠し持っていたのか見当もつかない。
「さて、向こうも痺れを切らしてきたか」
黒のランドグリーズは銃撃の嵐の勢いを一切弱めることなく、その胸部装甲が花弁を開くように展開される。その内部から、陽電子のスパークによって極小の太陽が創られようとしていた。
思わず険を滲ませる。
あの輝く球体の意図など考えるまでもない。
……当たれば終わる、それだけだ。
――覚悟を決める。
元より、自分の命に執着する理由などない。
死ぬのが怖いとも思わない。
意味もなく生まれ、理由もなく戦い、存在意義すら見いだせないような、人間にも機械にも成りきれない男だ。
結局のところ、この戦闘に対しても、勝とうが負けようがどちらでもいい。
――本当に?
待て、待て待て。
だったらどうして、鋼刃九朗は今ここに立っている?
思考を放棄するな。
疑問を疑問のまま終わらせるな。
そもそもこうやって悩むこと自体が、お前にとって大きな意味を持っているのだといい加減気付け!!
銃を握ったことは、飛鳥を追いかけようとしたことは……そして、誰かを助けようと思ったことは、決して無意味なんかじゃないぞ!!
「――っぐ!!」
砕けんばかりに歯を噛み締める。
電磁加速砲を握る手に、渾身の力をこめた。
「死んで花を咲かせられるほど……俺はまだ、生きてはいない!!」
生への渇望を、勝利への執念を――ただの機械では絶対に抱くことができないはずの『意志』を、この咆哮に乗せて。