―第46話 Assault Battery ⑥―
これみよがしに開け放たれた正面ゲートに向かい、2人の男は歩き出した。
向こう側からはこちらの動向など丸見えだろうし、中途半端に警戒したところで既に意味はない。
何が来ようが返り討ちにすればいいだけなのだから、踏み出す一歩に今更躊躇いなど必要ない。
「ん? 通信……?」
飛鳥は今、右耳の裏に小型の通信端末を取り付けている。
これは断花重工製の超小型衛星電話であり、空が見える場所であれば地球上のどこにいようと通信出来る代物である。いつ《八葉》からの緊急連絡が入ってもいいようにと、余程のことがない限り飛鳥は常にこれを身に付けていた。
誰だろうかとスイッチを押し、通話をONにした瞬間、
『弟くん! おーとーうーとーくーーーーんっっ!! 聞こえてる? 聞こえてるなら返事しなさい可及的速やかにハリーハリーハリー!!』
キィーーン! といきなり耳元から響いた絶叫が鼓膜を猛連打し、飛鳥は思わず耳を塞いでしゃがみこんでしまった。
その様子を見た刃九朗は、意にも介せず、
「先に行くぞ」
と、再び馬鹿でかいバイクに跨り、猛スピードでゲートを通りぬけていった。
別に連携して行動する気もなかったので、先に行くこと自体は問題ないのだが……さっきまで折角息が合いそうになっていたというのに、と飛鳥は少し残念な気持ちにはなった。
『ゴラァーッ! 聞こえてんのかって言ってんでしょうが! 聞こえてるなら聞こえてる、聞こえてないなら聞こえてないってきっちり答えんかい!!』
「無茶言うなや」
場の雰囲気ぶち壊しの霧乃の大絶叫に、飛鳥は律儀にツッコんでしまった。
『なんだ聞こえてるんじゃない。実は違う人に繋がってるんじゃないのかって内心冷や冷やだったわよ』
「そんなわけ……ってああ、霧乃さん機械音痴でしたもんねぇ」
正直、相手が霧乃だったことよりも、彼女が衛星電話などというハイテク機器を使っていることの方が驚きだった。
何せ1年前に会った時には、テレビ番組の録画もまともに出来ないような人だったのだ。……多分今もできないのだろう。
それにしても、どうして霧乃がこの回線を使えているのか。
断花重工が独自に打ちあげた衛星コンステレーションによって成り立つこの回線網は、《八葉》本部、及び隊員同士が緊急時に使用するホットラインとなっており、外部からの接続は不可となっているはずなのだ。
「霧乃さん、今《八葉》にいるんですか?」
『そーよ。弟くんが攫われたって言うから大急ぎでこっちまで走ってきたのよ。探そうにも居場所分かんないし、連絡とろうにも繋がらないから学園から全力疾走で!!』
そういえば、とポケットの中を探ってみたが……どうやら普段の連絡に使う携帯電話をあの車の中に落としてしまったようだ。
それにしても、全力疾走と言う割には霧乃の声には疲労の色が感じられない。 飛鳥が車に乗せられてからまだ30分程度しか経っていないというのに、どうやって……と思ったが、答えは霧乃の後方から聞こえてきた。
『ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……み、みず……みじゅを……』『楯無さんも災難でしたわねぇ、まさか学園から先生背負って走ってくるなんて。……しかしあの距離を30分もかからず走破するなんて、世界狙えるんじゃないですの?』『わかんない、ですけど……それにしても、霧乃さん、思ってたよりも重かったから……それで休みなし全力は、きっつい…………っぷ!?』『ギャーッ! コイツリバースしかかってますわよ! っちょ、ダメ、ここで吐いたら承知しませんわよーっ! ちょっと衛生兵、衛生兵ーーーー!!』
「…………」
『…………あによ。言いたいことあったら言ったらいいじゃないの』
「アンタ鬼か」
と、あちら側の状況は概ね把握できた。
鈴風の尊い犠牲に合掌しつつ、真面目な話に戻る。
『『サイクロプス』とは、こりゃまたドギツイところに殴りこもうとしてるわねー』
「これは篠崎さんを助けられなかった俺のミスです。何かあったとしても、これは俺個人の暴走としてもらえれば《八葉》にも霧乃さん達にも害は及ばないかとは――」
『それ以上戯けたこと抜かしたら本気で怒るわよ』
霧乃の怒気を孕んだ冷たい一声に、飛鳥の背筋が石を埋め込んだかのように固まる。
いつもの飄々とした雰囲気とはまるで違う。
怒りや悲しみといった生の感情を、一切取り繕うことなく声に乗せて。
『確かに私は立場上、あんまり目立った動きはやりづらいわよ?……けどね、私は大事な『弟』が危ない目にあってる状況で知らぬ存ぜぬを貫く薄情者なんかになるつもりはないわよ』
「…………」
『何でもひとりで片をつけようとするな。自分ひとりが傷付いたらそれでいいだなんて考えてんじゃないわよ。弟くんが傷付くことこそが一番辛いって、そう思ってる奴がいることを忘れんじゃないの』
それは、平穏な生活を捨ててまで、飛鳥に追い付こうと走り始めた少女のことであり、飛鳥のために自分の持てるすべてを捧げる覚悟をした少女のことでもあった。
飛鳥もそれに気付かないほど厚顔無恥を貫いているわけではない。
いつか、本当の意味で彼女達と向き合わなければならないと理解もしている。
だが、それでも。
「それでも、俺にはこうすることしかできませんから」
申し訳なさや、心苦しさを押し殺し、きっぱりと言い放つ。
誰が何と言おうと、この意志を否定するわけにはいかない。
守るべき人を守るために、自分が傷付くことを厭うようでは、日野森飛鳥という人間が成り立たない。
スピーカー越しに大きな溜息の声が響く。
『そう言うとは思ってたけど、ね。弟くん……1年前のこと、まだ引きずるつもり?』
「ええ。忘れるつもりも、なかったことにするつもりもありません。……これは俺の『義務』ですから」
「……そう」
飛鳥が戦うと決めたのは、間違いなくあの飛行機事故がきっかけであったが……戦わなければならないと、飛鳥が己に課したのは、1年前。
あらゆる犠牲も無力も許容せず、ただ最良の結末を妥協してはならないと決意した。
所詮はひとりよがりの、益体のない心理に過ぎない。
これ以上、この場でどうこうと主張する気はなかった。
そんな飛鳥の心境を察してか、霧乃はその話を掘り下げるつもりはないようだ。理解のある姉の気遣いに心の中で感謝と謝罪をしながら、飛鳥は通話を切ろうとするが――
『ああ、ちょい待ちちょい待ち。『サイクロプス』に乗り込むなら、いくつか言っとくことがあるのよ』
むしろこっちが本題なのよ、と慌てた口調でそれを止めに入った霧乃の声。
科学という概念とは真逆の立ち位置であろう魔女が、機械技術の粋を集めた要塞である『サイクロプス』について有益な情報など知っているのだろうか。意外だなと思いながら耳を傾ける。
『まず、そこには人間はひとりしかいない。……アルヴィン=ルーダー。弟くんも聞いたことあると思うケド?』
「アルヴィンって……『セカンド・プロメテウス』の立役者じゃないですか!!」
戦術機動外骨格然り、ランドグリーズに内蔵されていたOS“グラディウス”然り、機械文明の異常発展を作り出した天才科学者。
確かにアルヴィンはAIT社所属の技術者と言われているが……ただの一度もメディアに顔を出したことが無いことで有名であり、今どこで何をしているのか、そもそも実在するのかさえ謎とされる人物でもあったのだ。
だが、冷静に考えてみれば納得もできる。
彼は、言ってしまえばSPT――超未来の科学という金の卵を産み出す鶏だ。
誰もが彼の『頭脳』を追い求めているというのに、おいそれと表舞台に立つわけにもいくまい。
「では『サイクロプス』とは――」
『そゆこと。SPTの開発やら研究やらを行っているのも違いないんだろうケド……あそこは元々、アルヴィンひとりのために造られた巨大なシェルターみたいなもんなのよ。……牢獄かもしれないケドね』
電話越しの霧乃の声には、痛みに耐えているような、なにかを懐かしんでいるような――複雑な感情が見え隠れしているようだった。
何故彼女がそれほどまでに『サイクロプス』のことを、というよりアルヴィンのことを理解しているのかは、あまり触れるべき事柄ではないように思えた。
ともあれ、この情報は大きい。
民間人を巻き込む可能性がないというだけでも随分と動きやすくなるし、フランシスカが言っていた『主人』がアルヴィンの事を指しているとほぼ確信も出来た。
『アルヴィンが弟くんや篠崎さんを連れてこようとしたのも、十中八九、人工英霊の力を研究するためでしょうね。今の状況――弟くんを分断したのも折り込み済みなんじゃないかしら?』
同意する。
あえて穴だらけの拘束で離脱を促したのも、美憂が急に操り人形のように飛鳥に危害を加えようとしたのも、車の上にいつの間にか控えていた迎撃者も、すべて最初から飛鳥に戦わせるつもりで仕込んでいたとも考えられる。
「あれ? ……だったら、どうして俺なんだ?」
人工英霊に対するデータが欲しい、というアルヴィンの思惑は理解できたが――そもそも自分側の陣営にフランシスカという人工英霊がいるというのに、何故、あえて飛鳥を狙う必要があったのか。
それに、単純に研究目的による『協力』であれば、それこそ《パラダイム》所属の人工英霊でもいいはず。劉功真の例もあるし、起用するのであればそちら側から派遣した方が合理的にも思えるのだが――
『ん……確かにね。効率どうこうではなくて、弟くん相手でないと得ることができない何かがあるのか……』
2人して考え込むが、結論が出る気配はない。
結局のところ、虎穴に入ることでしか分からないことだろう。
別に『サイクロプス』内の全敵勢力を倒さなければならないわけではない。あくまで主目的は美憂の救出だ。
とはいえ、下手に時間をかけて相手側の防衛網は厚くなる一方だろう。最速最短での救出、及び離脱が望ましい。
『あと、もうひとつ……むしろこっちの方が大事――というか問題なのよ』
これまでとは打って変わって、奥歯に物が挟まったような物言い。
……何故だろうか?
今はほんの少しの情報でも黄金に等しいというのに、全力で聞きたくないと飛鳥の本能が訴えていた。
『今、クロエがそっちに向かってる』
そして、その予感は的中する。
遅かれ早かれこの一件については彼女に伝わるだろうと思っていたのだが、それにしたって早過ぎる。
クロエにばれるとまずい理由としては、霧乃と同じく彼女が《九耀の魔術師》であることによる影響力の問題もあるのだが、それよりも――
『しかも、完全に頭に血が上ってる状態でね。……どうする? あの子と合流したら『サイクロプス』の攻略も随分楽にはなるだろうケド』
「いえ……できれば、クロエさんには戦ってほしくありません」
こと飛鳥の危険に関しては誰よりも過敏であり、彼の敵とみなした相手に対しては一片の容赦もしないクロエのことだ。
本気になった彼女の力がどれほど恐ろしいものなのか――嫌というほどに知っている2人だからこそ、この状況における最大の懸念事項が何であるのか、言わずとも理解できた。
しかも、とある事情《、、、、、》で、クロエは飛鳥の居場所であれば必ず察知できるため、この場所が分からないという可能性はありえない。
それに――どちらかというと飛鳥にとってはこちらの方が本音なのだが――単純な我儘として、できる限りクロエを戦いや死というものから遠ざけたかったのだ。
出会った頃のクロエの表情――人を殺すことを何とも思えなかった魔女の眼差しを思い起こす。
炎と血飛沫の赤の中で、壊れた人形がくるくると踊り続けていたあの惨劇の光景を、飛鳥は今でも昨日のことのように思いだせる。
自分には、そんな狂った魔女を人間にした責任がある。
これ以上、クロエの手を血で染めさせるわけにはいかない。
「それに、俺だって男ですから。女の子の力をアテにするだなんて情けないにもほどがあるでしょう?」
例え、戦力としてはこの上なく信頼できる人物だとしても。自分には及びもつかない、《九耀の魔術師》という人の枠を超えた存在だったとしても。
これは、日野森飛鳥の意地なのだ。
『……そっか。弟くんにとっては、あくまでもあの子はひとりの女の子なわけだ』
そんな男の子の矜持を聞いて、霧乃は淡く笑った。
すぐに追いかけるから無茶するんじゃないわよ、という霧乃の激励で通話を終了させた。
正面の巨大な鉄の門へと向き直る。
閉鎖される気配は一切なく、機械兵器による迎撃もない。おいでおいでと手招きされているようだった。
ともかく急がなくてはならない。
霧乃には悪いが、彼女が駆けつけるまでに決着をつけることになる。
確かに飛鳥の言葉であれば、クロエは一も二もなく聞き入れることだろう。
だが、目の前に飛鳥に敵対の意思を表明しているものがいる限り、必ず彼女は躊躇わずに魔女としての力を行使する。
《九耀の魔術師》がその強大な力を振るう――それにより甚大な被害が出た場合、彼女を取り巻く環境は劇的に悪化することは目に見えている。
ただでさえ、今のクロエが送っている平穏な学園生活も薄氷の上に成り立っているのだ。
この一件を引き金として、彼女の力を狙う勢力に利用されてしまうことになってしまったら、きっと飛鳥は自責の念に耐えられない。
改めて確認すると、今回の勝利条件とは、クロエが合流する前に美憂を救出して『サイクロプス』を脱出する。
あるいは施設内の敵勢力をすべて無力化した上で戦闘行動を終結させておく――この2つのいずれかとなる。
「よし……行くか」
刃九朗にかなり遅れをとってしまった。少しでも巻き返すべく全力で地を蹴り走り出す。
求めるのは『完全勝利』、ただそれだけ。
刃九朗も、美憂も、そしてクロエも。皆が無事に、笑って帰れるように。
主の決意に応えるかのように、両手の紅剣は一際輝く炎を放っていた。