―第45話 Assault Battery ⑤―
ギリシャ神話に登場するパンドラとプロメテウスには、実は結構密接なつながりがあったりします。そもそもパンドラの箱はプロメテウス作だし、パンドラはプロメテウスの弟の嫁だし。
AITの技術の粋が結集されていた要塞、『サイクロプス』の警備体制は間違いなく世界最高峰である。
『セカンド・プロメテウス』という革命を起こすほどの超々最先端の――むしろ未来のと評するべきなのかもしれない――科学技術の情報を奪取すべく、世界中の数多の人々がありとあらゆる手段を以て、この障壁を突破せんと画策していた。
中には、凄腕のハッカーを雇用してまでAITの社内情報を奪い取らんとする企業もいたのだが……すべてが失敗し、報復されている。
そもそもAITの技術力は電子ネットワークにおいても既存のものよりも約70年以上は先に進んでいるとされているのだ。勝負にすらならないのは自明の理というわけである。
直接潜入して盗み出す、というスパイ映画さながらの出来事もあったそうだ。……だが、結果は語るまでもあるまい。所狭しと配備された機械兵器群によって、綺麗にゴミ掃除されてしまっただけだ。
それでも人々は、身の丈に合わないと分かっているはずなのに、AITが持つ技術をその手にしようと躍起になっている。
(その中にあるのがロクでもないものだとしても、求めずにはいられないわけか……まるで『パンドラの箱』のようだな)
人工英霊を生み出す実験で両親を失った飛鳥は、いわば『セカンド・プロメテウス』の被害者だ。よって、SPTに対しては基本的に懐疑心を持っている。
そんな飛鳥にとって、血眼になってSPTを求める人々の姿とは、たとえその中身が悪意に満ち満ちたものだとしても、開けようとするのを止められない――黄金の箱に心奪われたパンドラのようだった。
(俺に批判する資格はないか。今まさに、力づくで抉じ開けようとしているんだし)
別に殺戮兵器の設計図なんて欲しくもないが、とひとり呟きながら、鉄機が群がる箱の入り口へと身を躍らせた。
その途端、飛鳥の全身を赤い斑点が埋め尽くした。飛鳥を包囲する数十の無人機からのレーザーサイトの光だった。
これは、少しでも動いたら蜂の巣にしてやるぞ――という警告なのだろうか。
流石は警備用。
問答無用ではなくきちんと段階を心得ているらしいと少し感心した。……だが無視だ。
意にも介さず歩き出した飛鳥の前に、1体の巨人が立ち塞がる。
全長は飛鳥の身長のちょうど2倍といったところ。アースカラーの塗装に、両腕に備え付けられたバルカン砲、右肩には長砲身のリニアカノンと、その姿は正しく『四足歩行する戦車』。
ブーステッドアーマーのコンセプト通りとも言える人型機動兵器が、それらすべての武装の口径を一斉に飛鳥に向ける。……だが止まらず。
その憮然とした振る舞いに腹でも立てたのだろうか? 鉄巨人は弾かれるように全身の武装を解き放った。
至近距離から無数の弾薬がばらまかれ、リニアカノンの一閃により地面ごと一直線に薙ぎ払う。生身の人間相手には過剰が過ぎるほどの大火力、消し炭すら残らないレベルの一斉放火であったが――
「……こんなものか」
攻撃目標の声が頭上から聞こえたことに、心なき筈の鋼鉄兵の動きが驚愕したように停止した。今頃システム内はエラーメッセージで真っ赤であろう。
思えば、ここまでの飛鳥の戦いは制約が大きいものばかりだった。
誰かを守りながらの戦いであれば、常に護衛対象に危害が加わらない前提の立ち回りが必要であったし、ランドグリーズの迎撃の際にも、搭乗者を傷つけないよう細心の注意を払っていた。
そして敵側の人工英霊とて同じ人間なのだ、どうしても命を奪う事に躊躇してしまう。
反面、現状はそれらのいずれをも満たしていない。
破壊と蹂躙に罪悪感を感じる必要がなく、周囲に気を配って戦う必要もない。
正真正銘、全力で暴れても問題ないのだ。
緋翼の剣を召喚し、そのふたつの刀身を深々と機兵の胴体へと突き立てた。
瞬間的に3000度近くにまで到達した極熱の刃の前には、特殊合金製の装甲であっても瞬時に融解、両断される。バターでも切るかのように容易に切断された哀れな鉄機から声なき断末魔が聞こえた気がした。
全身の関節を必死に動かそうとするも、すでに脳にあたる部分は蒸発していた。機能を停止し崩れ落ちる巨大な鉄屑を背に、飛鳥は更に歩を進める。
進路上に立ちふさがる鋼鉄の兵士達による、無数の銃火がその道を彩っていく。硝煙と火花でむせ返りそうな花道を、飛鳥は獣じみた獰猛な笑みを浮かべながら駆け抜けていった。
チェーンソーが取り付けられた右腕を大きく跳躍して回避。アスファルトを掘削する不快な金属音を眼下に機兵の頭に着地、そのまま脳天に刃を付き立てる。駆動を失い倒れこむ機兵を足場に、そのまま次の標的へ。
次に目の前に立ち塞がったのは、全身を重装甲で覆った、まるでアルマジロのような外見の機械兵だった。
構わず緋翼で斬り付けるが、その湾曲した装甲に弾かれてしまう。
ならばと、武装を変形。真正面から赤鱗の拳を激突させる。――破砕音、装甲を打ち破り内部へと到達。そこから炎を噴出し、内側から何もかもを融解し尽くした。
撃滅を確認後、周囲の機兵達からの一斉射撃が飛鳥を襲うが、再び大きく飛び上がり回避。その場に残ったアルマジロ型の機兵は、哀れ蜂の巣となって爆発四散した。
武装を大型剣・破陣に変形。
落下の勢いそのままに、手近な機兵を脳天から一息に両断する。
次々と機兵を、舞うように撃破していく姿はさながら死の舞踏。嬉々として炎を振るう姿は血飛沫に笑う死神を彷彿とさせた。
「あとは……」
入口付近の機兵たちはほぼすべて撃破した。
残るは隔壁からこちらを執拗に狙ってくる砲台どもだが、迎撃しようにも距離も高さも随分と離れている。力押しで接近して一基ずつ斬り落とすことも可能だが…………どうやら必要ないようだ。
「……ようやく追い付いたか」
紫電を纏う鋼鉄の矢が、飛鳥の背中越しに放たれていく。圧倒的火力による援護射撃により、壁面の機動砲台は次々と爆破されていった。
射撃地点から砲台まで100m近い距離があったはずなのだが、それを全弾外すことなく、しかもバイクで疾走しながらやってのける男の神業に、飛鳥は思わず舌を巻いた。
「流鏑馬の心得もあったのか?」
「何の話だ」
荒馬のような排気音を嘶かせながら、刃九朗を乗せた大型バイクは飛鳥の隣で停止した。制服はボロボロだったが、刃九朗自身はほとんど無傷のようだ。
……これには少し安堵していた。
本番はこれからだというところでリタイアされては堪らないからだ。
バイクから降りた刃九朗と2人、分厚い鋼鉄の壁を前に並び立つ。
「日野森、失敗したのか?」
「お互い様だ。ともかく、これで俺達に選択肢はなくなった」
「……そのようだ」
視線を交わして、互いの状況、これから為すべき事を確かめ合う。
そう、ここまで来てしまった以上、小細工でどうこう出来る領域は過ぎ去っている。
美憂は隔壁内部へと連れ去られ、道中には間違いなく圧倒的兵力の機械兵器群が手ぐすね引いて待ち構えている。
おそらく、この展開も『主人』とやらのシナリオ通りなのだろう。そうなると、美憂を救出するには『主人』及びフランシスカとぶつかることは避けられそうにないが。
「誰が相手であろうと関係ない」
氷のような無表情で、しかしその声からは確かな激情が感じられた。
なかなかどうして熱い男だな、と飛鳥は小さく笑った。
では、意見も一致したところで始めるとしよう。
ここより先は男の戦い。
硝煙と火花、銃弾と撃剣、意地と信念。
自分達の持つあらゆる存在を、とことんまでにぶつけに行こう。
「「正面突破、あるのみだ」」
なんとも、拍子抜けな結末だった。
昂ぶった熱を冷ますように、村雨蛍は大きく息を吐いた。
「命がけの戦いこそ、力ある者の本懐であるはずなのに……」
戦闘続行を拒否し、大型バイクで走り去る刃九朗の姿はすでに視界に入らない距離まで走り去っていた。
正面ゲートには無人機による防衛網が敷かれている、全力で走れば追い付けるだろうが……興が冷めてしまった。
どちらにせよ、蛍は最低限の仕事はこなしたのだ。
フランシスカ=アーリアライズ――正確には、彼女の『主人』に当たる人物からの依頼で、無事に日野森飛鳥を送り届けるための護衛という仕事を。
これ以上、ここにいる理由はない。
このまま《パラダイム》に報告し、帰還してもよかったのだが……
(どうせなら、日野森さんを味見してからでも遅くはありませんよね?)
人工英霊として『辻斬り』の本性を剥き出しにした蛍が浮かべた凶暴な笑みからは、かつて剣道部主将として強く凛々しくあった面影など微塵もない。
この戦いに楯無鈴風が参加していなかったことを、幸運と言うべきか、不運と言うべきなのか。
大事な後輩の幼馴染を、これから斬殺しに向かうというのだ。
彼女は悲しむだろうか、怒りに震えるだろうか。
いや、正義感の強い彼女のことだ。
「きっとなにかの間違いだ」とか、「あたしは先輩を信じてます」とか、そんな日和った言葉をぶつけてくるに違いない。
「そんな彼女の目の前で愛しの幼馴染を嬲り殺しにする、というのも中々に素敵なシチュエーションなのですが……まあ、贅沢は言えませんね」
そう何気なく呟いた瞬間――――心臓を握り潰された。
「か……ぁ……!!??」
全身を怖気に震わせながら、蛍は自分の胸に手を当てる。
……錯覚だ、心臓は動いている、潰されてなどいない。
背後から感じた有り得ないほどの『殺意』の投射により誤認した死のイメージに過ぎない。
(な……なにが、いったいなにが……!?)
流れ落ちる汗が止まらない。
全身に無数の針を突き刺されたかのような幻痛に悲鳴をあげてしまいそうになる。コツ、コツ、と背後から近付いてくる足音が、そのまま死を宣告するカウントダウンに思えてならない。
逃げろ、絶対に振り返らず、なりふり構わず全力で脱兎の如く走って逃げろと理性も本能も完全に意見を一致させていた。
だが、
「動くな」
『彼女』は、村雨蛍という殺人を究め抜いた剣鬼を、その狂気の魂を、その一言で屈服させた。
蛍とて、もうすでに数えきれないほどの戦場を経験している。
幾多の死線を潜り抜け、生死の境界を何度も経験し、その積み重ねを経て、今ここに立っている。
古強者と言うにはまだまだ若輩ではあるが、それでも考えられる限りの死の恐怖と対峙し、それに打ち勝ってきた――むしろそれを悦びに転化できるほどに――と自称している。
だが現実に、蛍は今恐怖していた。
逃げ出すどころか、膝を折り、地面に手をついて動けないでいた。
それは蛍の意思に関係なく、肉体が『彼女』に対して無抵抗であるということを――私はあなたに屈服するという意思表示であった。
俯いたまま、顔を上げることができない。
もし万が一にでも『彼女』と視線を合わせてしまったならば、と思うと震えが止まらない。
「…………」
足音が止まった。
体を丸めて恐怖におびえる蛍のすぐ隣で、『彼女』の視線が突き刺さるのを感じる。
その無言の弾圧に、
「っ、……ふ、っグえぇ」
踏み潰された蛙のような無様な声とともに嘔吐した。
恥も外聞も屈辱すらも、蛍の頭からは完膚なきまでに消し飛んでいた。
今彼女の心中を占めているのは、死にたくないという恐怖心などでは決してない。
はやく楽になりたい。
いっそ殺してくれと叫び出したかった。
磔にされ、生きながらに標本にされる昆虫のような心地だった。
「…………」
再び、『彼女』は歩き出す。生温い風が蛍の頬をゆっくりと撫でていった。
足音が遠ざかる気配を感じ、何度も何度も深呼吸した後、ようやく蛍は顔を上げた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!!」
遠ざかる『彼女』の背中が完全に消え去るのを確認すると、蛍は血を吐くように大きく空気を吐き出した。
全身をくまなく流れる血液の熱が、生きていることを実感させる。まるで先程まで心臓が止まっていたかのような感覚だった。
いや、本当に止まっていてもおかしくなかった、と蛍は戦慄していた。
「あれが《九耀の魔術師》……『魔女』だというのですか」
未だに全身の震えが止まらない。
『彼女』――クロエ=ステラクラインによって刻みつけられた未知の恐怖は、人を超えた存在である人工英霊ですら耐えきれるものではなかった。
それは、決して覆せない力関係というものを如実に示していた。
いくら強大な力を持った蟻がいたとしても、人間の前では、すべて同じ蟻でしかないという、ごくごく当たり前の事実として。
蛍は学園で何度かクロエと会話したことはあったが、その時の彼女は何の変哲もないただのいち学生であった。
《九耀の魔術師》であることは予め知らされてはいたし、その力がどれほど脅威であるのかも理解しているつもりではあった。
だが、蛍はこの邂逅でクロエに対する認識を大きく改めなければならなかった。
――あれを人間と同じと思ってはならない。
――人間と認めてはならない!!
『サイクロプス』に背を向け、敗残の兵は歩き出す。
じわじわとこみあげてきた恥辱と屈辱を、奥歯が砕けそうなほどに噛みしめながら。