―第44話 Assault Battery ④―
油断があった、と言い訳することすらおこがましい。
「行くぞ……!!」
「村雨、迎撃を」
本来であれば、飛鳥は眠ったままの美憂を回収しつつ、車の扉を蹴破って脱出するはずだった。そのために、フランシスカの動向を常に窺い、隙をついたつもりだった。
だが、それは2つの想定外によって阻まれることとなる。
ひとつは、車の上から唐突に発生した濃密な殺気により、ほんの一瞬とはいえ意識を削がれたこと。
そしてふたつ目。
「が、ああっ!?」
眠っていたはずの美憂が弾かれたように目を見開く。眠りから覚めた、といった様子ではなかった。
目覚めた美憂の瞳は虚ろだった。
生気の灯らぬ、人形のような、意思無き双眸。驚愕する間もなく、彼女の両手が飛鳥の首へと絡みつく。
首を締め付ける力自体は大したことはなかったとはいえ、守るべき相手からの突然の暴挙に飛鳥は戸惑ってしまった。
(いったい、これは……っ!?)
美憂に何が起きたのか、その可能性に思い至った時にはすでに手遅れだったのだ。
フランシスカの動きにのみ注視しており、助けるべき相手からの妨害など想定もしていなかった飛鳥は動けなかった。
彼女が外部から操られているという可能性に思い至る前に、本来の美憂では有り得ないほどの剛力で外に向かって投げ飛ばされたのだ。
一瞬、車の外へと投げ出された飛鳥と車内のフランシスカの視線が交錯した。
――残念でしたね。
冷たい笑みを浮かべる白髪の悪魔の声が聞こえた気がした。
海上道路のガードレールを大きく飛び越え、冷たい海へと転落を始める飛鳥を尻目に、2人を乗せた車は悠々と『サイクロプス』の正面ゲートへと走り去っていく。
落下しながら、飛鳥は両手に意識を集中、発現させた烈火の二刀“緋翼”から噴出されるジェットエンジンばりの推進力で一息に飛び上がった。
(しくじった……!!)
何とか海上橋の上に復帰した飛鳥は、相手側にしてやられたことに歯噛みした。
AIT工場区画――という名の鋼鉄要塞である人工島『サイクロプス』の正面入り口前。
飛鳥はひとり、重厚堅牢たる警備網の前に立ち尽くしていた。
旅客機がそのまま通れそうなほどに巨大なゲートの前には、ブーステッドアーマーらしき人型の機動兵器が十数機に、周辺に設置された無数の砲台。
SFに出て来そうな巨大戦艦の甲板上のような、一歩足を踏み入れようものならすぐさま絨毯爆撃が襲いかかってくるであろう異常な警備体制だった。
美憂を乗せた車はすでにゲートを通過した後であり、彼女を救出するには最早強行突破しかない。
遥か後方では、刃九朗が突然に出現した何者かと交戦していると思われるが、助太刀に行くつもりはまったくなかった。
あの男の戦闘スタイルは、単独行動でこそ真価を発揮する。
電磁加速砲をはじめとした戦術兵器を、どのような状況であっても瞬時に運用できる人間兵器。下手に加勢してはあの超火力の巻き添えを喰らいかねないのだ。
それに、あの鉄面皮に協調性を求めるのも酷だろう。
(……あのブーステッドアーマー、どうやら無人機のようだな)
熱源感知の能力を使ってゲート付近の生体反応を確認してみたが、人間の気配がまったくと言っていいほどに存在しない。
どうやら警備システムはすべて無人制御になっているようだ。
――それは好都合だ。
その時、飛鳥はたしかに笑っていた。
美憂を連れ去られ、眼前には軍の一個師団にも匹敵するであろう最新鋭機械兵器による防衛網。思い付く限り最悪の方向に事態は推移しつつある中、飛鳥は確かに笑っていた。
無意識下でかけていた力のリミッターを解除する。
カチリ、と頭の中のスイッチを切り替えた。
全身から荒ぶる熱波を迸らせ、飛鳥は無数の銃口が待ち受ける戦場へと一歩踏み出した。
「では、参ります」
着物姿の辻斬り――村雨蛍が一言呟いた瞬間、その姿は蜃気楼のように視界から消え失せていた。体重移動や筋肉の収縮といった一切の予備動作もなく、蛍の疾走はトップスピードへと至っていた。
刃九朗は脳内の『保管庫』より『対武芸者用戦闘マニュアル』を参照――先の移動手段を“縮地法”と断定する。
それは、制止状態から最大速度へと至る過程をいかに無視するのか――『加速』という概念を突き詰めた果てに到達する超加速走法。
(日野森も似た技を使っていたが……性質はまるで別だな)
飛鳥の縮地法は、炎の推進を利用した爆発的な加速。
最大加速は他の追随を許さないが、基本的に直線的な動きしかできないようで、案外軌道は読みやすい。
対して蛍は、後付けの推進力を持たない代わりに、あらゆる体勢から縦横無尽に超加速を放つ。
最大速度は大したことは無い(あくまで超人レベルの主観)のだが……電磁加速砲を見切って撃ち落とすほどの反射神経と運動能力は脅威と言える。
ガトリング砲を破棄し、比較的小回りの利く重機関銃を形成、一斉射。蛇を丸呑みにするかのように、同じく展開されたベルトリンク弾薬がみるみるうちに機関銃の腹の中に消え、そして撃ち尽くされていく。
「なかなかに苛烈なアプローチですね?」
二挺合わせて秒間百発は下らない徹甲弾乱舞を、蛍は左右に身を躍らせ、あるいは抜刀術にて叩き落とし、少しずつ、だが確実に刃九朗を必殺の間合いに捉えるべく距離を詰めてきた。
一発が戦車の装甲をも貫通する徹甲弾を何度も弾いておきながら、蛍の持つ漆黒の刀身は破壊されるどころか、欠けひとつ見当たらなかった。
AIT社製、特殊戦技者用試作軍刀――“レイヴン・シール”は、『誰が使っても、誰に使っても、絶対に損耗することのない武器』というコンセプトの下に作られている。
ウルクダイトを発展させた新型合金であるリュミエール鋼製の刀の刃渡りは約90cm、炭素結合クラスの硬度であれば豆腐のように切り裂くことも可能で、仮に刃が欠けたり折れたりしても、時間経過により自動修復するという化物じみた一振りだ。
唯一の欠点と言えば、30kgというその超重量だろうか。
一般的な鉄製の打刀が平均約1kgであることを考えれば、それがどれほど異常値であるかはお分かりいただけるだろう。
普通の人間であれば、そもそも両手で持つことすら不可能な領域の鉄塊であるため、量産は見送られていたのだが……
(通常の刀剣では有り得ない大質量斬撃。……人工英霊なら造作もないということか)
ピシ、ピシ、という音が刃九朗の身体中から何度も鳴る。
頬の皮が裂け、肉を斬られる音だった。
これにより、すぐに蛍の持つ魔剣の本質を見抜いた刃九朗は、引き金を引く指に更なる力をこめた。
間合い、という概念で戦術を組み立てる事自体がまず間違いだった。
戦鎚をも凌ぐ質量で放たれる抜刀術は、刃状の暴風を生み出す。
過去、楯無鈴風の戦術において鎌鼬の不可能性を論じたが、それは自然現象的に発生した風では切断力が足りないからであった。
逆に言えば、鍛え、研ぎ澄まし、最大速度でで作り出した大気の流れとは、それ即ち風の刃――鎌鼬として成立する。
「月並みな言葉ですが……私に斬れないものはありませんよ? 風を斬り、鉄を斬り、距離という概念すら斬り……人を斬るために昇華された、我が“村雨流抜刀術”の前に、斬れないものなど許されません」
それこそが人工英霊・村雨蛍。
人斬りという目的を達成するがために、人以外のあらゆるモノを切断するための魔業を体得した異次元のサムライ。
壊しがいのある玩具を前にした童女の笑みを浮かべる蛍に、刃九朗は対抗するように小さく口角を上げた。
「そうか。だったら、これはどうだ?」
武装構築パターンを面制圧型に変更。
両脚、両肩に武装を追加。連装擲弾砲“ガルムブレイズ”、四門一斉射撃。
地獄の番犬による咆哮――海上道路を埋め尽くす炎、炎、炎。
逃げ場のない業炎の息吹による広域制圧。
いかに万象切り裂く魔人の一刀でも、斬撃である以上攻撃は『線』。
『点』の攻撃である銃弾は容易に叩き落とされたが、火焔障壁という『面』であればどうか。
「残念。火力が足りませんね」
炎の壁を完全に無視して、蛍は刃九朗の目前にまで迫っていた。着物の一部になったかのように全身を這いまわる炎の蛇を意にも介さず、必殺の距離へと到達した女剣士が薄く笑った。
(まだまだ甘いということか。人間相手の戦術など物の役にもたたんな)
腰溜めからの抜刀――いわゆる居合の構えで踏み込まれた蛍の踏み込みが、地面に小さな蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる。
そして一薙ぎ――空間ごと断絶していると錯覚させられるような高密度高速斬撃が、刃九朗の胴体を両断するべく奔った。
回避など不可能。
速度という土俵ではそもそも勝負にならないのだ、最初からその選択肢は捨てている。
「これは!?……電磁石ですか、厄介な」
そう、最初から弾幕を突破されることなど目に見えていた。
故に、あえて撃たせた。
刃九朗の意図に気付いた蛍は全身を粟立たせ、慌てて後方へと飛び下がる。
そして、その逃げの一手を見逃す『鋼鉄』ではない。追いたてるように重機関銃を一斉射。
「当たりませんよ!!」
瞬間移動でもしたかのように、射線上から蛍の姿が再び消失する。
しかしその動きは攻撃に移るための一手ではなく、明らかに焦りの混じった緊急回避のそれだった。
蛍の放った超合金刀には砂鉄のようなものが纏わりついており、その切れ味の大半が殺されていたのだ。
刃九朗の武装構築には、彼の体内で精製された金属粒子が材料として使用されている。
本来、刃九朗の戦闘スタイルは遠距離からの高火力による一方的な殲滅戦であるが、どうしても接近戦にならざるを得ない場合は、身体の周辺に電磁石化させた金属片を散布することにより一種の磁力障壁を作り出すのだ。
外部からの電磁波干渉やレーダーによる探知を妨害する電子撹乱が主目的の機能だが、飛鳥との戦いや今現在のように、敵側の金属製の武器に接着して機能不全を起こす効果もあった。
刃九朗にとって幸いだったのが、蛍の得物が軍刀一振りであったということ。その武器さえ封じてしまえば、蛍は刃九朗に対する攻撃の手を失うこととなる。
一斉射撃も面制圧も通用しない相手に対して取り得る唯一の策――肉を斬らせて骨を断つ。
思ったよりも成果は大きかったようだ。
再び20mほどの距離をとり……だが、それでも勝機があるとは言えない。
あくまで潰したのは相手の攻撃力のひとつに過ぎず、未だこちらの銃火器では蛍に対しなんらダメージを与えていない。
そして何より刃九朗を焦らせるのが、精神感応性物質形成能力。
飛鳥と同じく、自前で武器を作り出すことができる人工英霊である以上、彼女がまだどれだけの手札を持っているのか底が知れなかった。
(火事場の馬鹿力でどう化けるか知れんのが人工英霊の厄介な面だ。あまり時間をかけたくはないが……どうする?)
砂鉄状の金属粒子がハリネズミの針毛のように付着している軍刀の刀身をじっと見つめる蛍を前に、刃九朗は次の一手を模索する。
『保管庫』内の戦術マニュアルを参照しても対処法がない以上、この場を切り抜けるために頼るべきは、自分自身の発想と閃きのみだ。
「ふふ……流石は『鍛冶師』と言うべきでしょうか? なかなかどうして斬りがいのある……」
一刀両断の確信をもって振り抜いた抜刀術を防がれた――殺人剣を究めた蛍にとっては、そのプライドをへし折られたも同然の事態だった。
だが、そんなことよりも『辻斬り』は、惜しみなく自身の力と技を行使しきれる相手と巡り合えたことに歓喜していた。
『人を斬る』という結果を追求しているのではない。
無抵抗の相手や雑魚をいくら斬ったとて、蛍の渇望は満たされない。
「やはり、死合いとはこうでなくては。背筋が震えるほどの死線を何度も潜り抜け、殺意の逢瀬を幾度となく交わした上で、互いの命を喰らい合う。……そう、そうですとも! これこそが私の生きる理由、存在価値そのもの。これこそが、私を今生きていると実感させてくれる唯一のもの!!」
蛍は眼前の死の恐怖に完全に酔いしれていた。
人は、死の間際にこそ最も生命を輝かせる。だからこそ、村雨蛍は常にギリギリの死地を求めていた。
一方的な殺戮などに興味はない。
斬って、斬られて、互いに血を流し、生きたい生きたいと希いながらの殺し合いを。
結果、蛍自身が死を迎えたとしても何ら問題はない。
それこそが生きた証。極限まで命を燃やしつくした上で死ぬ、その瞬間のために私は刀を振るうのだと。
初恋に胸を躍らせる乙女のように、私を愛してと囁き続けるのだ。
「貴方にも分かるでしょう? そう、私達と同じ、戦うために作られた存在である貴方ならば!!」
「……下らんな」
憮然として呟いた刃九朗に、蛍の哄笑が凍りついた。
狂乱する乙女の純心を目の当たりにしても、しかし、鋼の心を持つ男には決して届かない。
「そんなに死にたければひとりで死ぬがいい。戦いこそが存在理由――そんな貴様の妄言に付き合うほど暇ではないのでな」
「く、くく……まるで自分は違うとも言いたげですね? それほどの破壊兵器を自在に操っておきながら、それは戦うためのものではないとでも?」
「ああ、違う」
本性を暴こうとする蛍の言葉を、刃九朗はぴしゃりと否定し尽くした。
不快感と不信に顔を歪ませる殺人鬼に、冷たき鋼鉄は告げる。
「俺にとって戦闘行動とは『手段』であって『目的』ではない。為すべき事を為すために、俺は銃を手に取っているに過ぎない」
「為すべき事、ですって? 機械化された思考形態のくせに、どんな大仰な使命があるというのですか?」
「あるとも。戦いを終わらせるという使命がな」
淡々と。
しかしはっきりとした意志表示に、蛍は驚愕で全身を震わせた。
――この瞬間を待っていた。
大型ビークル“ナグルファル”の排気音が蛍の背後から鳴り響く。打ち捨てられていたはずの鋼鉄の荒馬の再起動に、蛍の思考はすぐには追い付かなかった。
走り出した大型バイクに轢かれまいと、蛍は無心で飛びよけた。
遠隔操縦にも対応している“ナグルファル”は、轟音を撒き散らしながら主の下へと馳せ参じた。
「な……逃げるつもりですか!?」
追いすがろうとする蛍に対し、刃九朗は最大級のアクセルで返答した。
前輪を大きく浮かせながら、鋼の騎馬はものの数秒で辻斬りの凶手を振り切った。
そう、元より刃九朗の『目的』は蛍の打倒などではない。
要救護者の確保、その後安全を確保しつつ脱出。
それが、最も効率よく戦闘を終結させる方法であると判断したがために、刃九朗は蛍と決着をつける必要性を感じなかったのだ。
刃九朗を含め、あらゆる兵器とは戦うための『手段』として作られている。
だが、古来より人々は何故戦おうとしたのか、何故武器を取ったのか。
――生きるためだ。
――守るためだ。
――そして何より、誰も戦わせないためだ。
矛盾の徒だと、笑いたければ笑うがいい。
それでも、これこそが『鍛冶師』という武器の『作り手』である鋼刃九朗が持つ、たったひとつの『使命』なのだ。