―第43話 Assault Battery ③―
乗り込んだ車内は思っていたよりもゆったりとした空間だった。
足が伸ばせるほど、と言うわけではないが、予めリクライニングを動かしており、対面する形で座席についたフランシスカと足がぶつかる心配はなかった。
「到着まで少し時間があります。質問があるならどうぞ」
無表情のまま、事も無げにそんなことを口にするフランシスカの思惑がどうにも掴めない。飛鳥は警戒というよりも戸惑いを強く感じていた。
まずはこの状況を正しく認識する。
飛鳥の隣の席で横たわる美憂に外傷は見られない。呼吸も安定しており、ただ単に眠っているだけのようだ。
フランシスカの背後の運転席には誰もいなかった。
どうやら自動操縦を導入しているようで、極めて安全運転だ。法定速度を守り、信号無視など一切していない。
どう考えてもおかしいのだ、この状況は。
人を拉致して、別の場所に連行する動きだとはとても思えない。
まず、飛鳥にも美憂にも拘束と呼べるようなものはまったくされておらず、なおかつこの位置。
フランシスカよりも飛鳥の方が美憂に近い。
飛鳥は当初、美憂を抱きかかえて外へと飛び出して逃げるための隙を窺っていたのだが……これでは、いつでもできてしまう。
さらに、この車が自動操縦というのも解せない。
今のご時世、無人での乗用車運転は珍しくもない。
現在製造されている車の大半にはこういったシステムは当たり前のように導入されており、飛鳥も日常的にお世話になっている。運転席での操作で手動と自動の切り替えができるようになっており、これによって運転免許を持つ人間がいなくとも車での送迎が可能となった。
ただし、この自動運転、兎にも角にも安全第一なのだ。
どれだけ急いでいようが常に一定の速度しか出そうとしない。まあ、急いでいるとはいえ信号無視や速度超過をしていいわけではないので、当然の話ではある。
だが、繰り返すようだが、この状況には似つかわしくない。
追手がくるかもしれないというこの状況で、こんなにのんべんだらりと走らせていていいものなのか。まるで追い付いて下さいと言わんばかりに。
あまりに隙だらけ、あまりに無警戒。
それ故に、飛鳥は次の一手を打つのを躊躇ってしまう。
……どちらにせよ、窓の外を見やるとまだ街のど真ん中だ。この時点で強硬策に出るのもまずい。
今は相手側の思惑に乗ることにする。聞きたいことを聞いてからでも遅くはあるまい。
「俺達をどうするつもりだ」
「それは、向こうに着いてから主人自らがお話しされるでしょう。私はただ、貴方がた2人を連れてくるようにと指示されただけです」
あくまでも自分はメッセンジャーに過ぎないと、言動と態度が証明していた。強く言及しても答えるとは思えないし、本当に知らないのかもしれない。
仕方がないので質問を変えることにする。
「あの時、お前は俺達が倒したはずだ。……どうして生きている?」
「まず、その認識が間違いです。あの世界で貴方が倒した私は、私ではない」
「別人だと?」
目を閉じたまま答えるフランシスカに、飛鳥は更に疑問を深くした。
確かに、眼前にいる彼女は、ライン・ファルシアで交戦した時の彼女の人格とは似ても似つかない。一卵性双生児と言われたほうがまだ納得できる。
だが、彼女は『それ』も私だと言った。双子は別人である、そうなると……
「私達は、フランシスカ=アーリアライズという『人間』の複製です。貴方が倒した『私』はその内の1体に過ぎません」
「クローンってことか……」
飛鳥の返答に、フランシスカの冷貌がほんの少し崩れたように見えた。
人間のクローンを作る、というのは科学史上でも屈指の命題とされ、同時に最大の禁忌ともされてきた。
それは『命』に対する冒涜――クローンに人権はあるのか、普通の人間との差別、いわゆる奴隷意識が生じるのではないか。
また、架空の話でもよく取り上げられるが、優れた人間――何を以て『優れた』と判断するのか、甚だ疑問だが――の遺伝子を用いて優秀な兵士を作り出すとか、歴史上の偉人の細胞からその本人を『再生』されるといったことも理論上可能らしいが、倫理的な問題で禁じられているのだ。
これは余談となるが、現代日本には『クローン技術規制法』というヒトクローンの作製を禁じる法律が存在し、世界中の国々もこれと同じ意味を持つ法がしっかりと存在している。
倫理的、感情的な問題以前に法的にアウトだったりする。
ただしクローン技術というのはその線引きが結構曖昧らしく、『細胞の複製』という定義であれば、iPS細胞に代表される再生医療も該当しかねないのだ。
『セカンド・プロメテウス』は生命科学にも多大な影響を与えた、ということなのだろう。
飛鳥はその事実に驚きこそすれ、今の科学技術であれば人間のクローンが秘密裏に作成されていてもなんらおかしくはないと納得できた。
クローンでも人工英霊になれるのか、という疑問もあったが……今はあまりこの話を掘り下げても仕方がない。
「じゃあ次だ。……お前は《パラダイム》なのか? それともAITの手の者なのか」
「中々に的を射た質問ですね。戦うことしか能のない人工英霊かと思っていましたが……少々、評価を改めるべきですか」
「いいから答えろ」
今回の敵は《パラダイム》という一組織なのか、それともAIT社という一大企業との衝突になるのか。
飛鳥も霧乃が考えていたのと同じ危険性を想定していた。
「どちらとも言えるし、どちらとも言えない、と回答しておきましょう。心配しなくとも、今私と敵対したところでAITによる報復などありはしませんよ」
こちらの心中を読み取ったかのようなフランシスカの回答に、飛鳥の背中に冷たいものが走った。
相手側はこちらのアキレス腱を完全に理解している。その上で、このような暴挙に出たということだ。
いつの間にか、飛鳥達を乗せた車は高架上の道路を走っていた。
現在、白鳳市から西方向――白秋駅を越え、AIT本社を中心とした、世界最高峰の科学技術が結集されたコンクリートジャングルを眼下に収めることができた。
(ん……AIT社に向かうんじゃないのか? このハイウェイで行けるところと言えば、白鳳市外か、あとは……)
飛鳥は頭の中で白鳳市の全体マップを開く。
記憶通りであれば、このハイウェイが繋いでいるのは、東西南北の各駅方面と市外のみを繋ぐものだったはず。少なくとも、AIT社に直通するようなルートはなかったはずなのだが……
(市外に出るルートにはたしか、白鳳市産の最新技術を不用意に外部に流出させないために、随分と物々しい検閲があったよな。まさか人攫いしておいて、堂々と検問に突っ込んでいったりはしないだろうから……)
ではいったいどこに? という飛鳥の疑問は、すぐに氷解することになる。
三股に分かれた連絡通路に差しかかり、無人の運転手が選んだ道を見て、ようやく理解した。
「白鳳西第三ジャンクション……そういうことか」
「どうやら説明は不要のようですね。私達が向かっているのは、AIT社工業開発区画として建造された場所――」
「『サイクロプス』か……!!」
それは白鳳市南西部の海上に建造された人工島。
圧倒的な先進技術を持つAIT社は、そういった技術の秘匿性の高さにおいても名高い。
研究、開発、製造、流通という商品の生産ラインを、一部たりとも外部に流出しないよう、すべて自社内で賄うために建造されたのが、『サイクロプス』と称される超巨大工場だ。
『サイクロプス』は、見る人にとっては宝島にも見えるだろう。
未知の科学技術の粋があのひとつの島に結集されているのだ、世界中の組織が血眼になってあの内部の情報を探ろうとしている。
そして、それらを阻止するために、『サイクロプス』には防衛力があった。
(まずいな……今の俺にとって、あそこは『工場』というよりは『監獄』だ。だがこれで、誰が、何のために俺を連れてこようとしているのかは読めてきた……)
一度中に入ろうものなら、まず無事に外に出ることはできまい。
だからこそ、手遅れになる前に勝負に出なければ……海上道路に差しかかり、正面に『サイクロプス』の威容を捉えたその時、
「!!……間に合ったか」
「どうやら、釣れたようですね」
サイドミラーに映る漆黒の影――さっきまで豆粒ほどの大きさだったのが、一呼吸の間に稲妻の如く接近してきた大型バイクに跨る鉄騎兵の姿を確認した瞬間、飛鳥とフランシスカは同時に動いた。
「今だっ!!」
「村雨、迎撃を」
眼前、約1kmにそびえる鋼鉄の要塞。
片道二車線の海上道路、車の往来はまったくと言っていいほど存在しない――周辺被害を考慮する必要のないギリギリの場所がここだった。
(奴ならば、女ひとり抱えて脱出など造作もあるまい。……故に)
刃九朗は、電磁加速砲剣“ヴァイオレイター”の銃口を、前方を走る車の中心に向けた。
一撃必殺。
ただの乗用車など――仮に対象が装甲車だったとしても同じだが――紙切れ同然に貫通、爆裂四散できる電磁火砲の一閃だ。
飛鳥や美憂を巻き込んでしまうかもしれない、という心配はしていなかった。
奇妙な信頼だった。
重要なのはタイミング。
飛鳥が美憂を連れ、車から飛び出す瞬間を見計らってトリガーを引く。
左手を砲剣に接続しているため右手一本での操従であるが、照準がぶれて狙いを外すなど、鋼刃九朗にはありえない。空気抵抗、射撃時の反動、その程度は脳内で瞬時に計算できる。
時速300kmに迫るスピードに一気に距離を詰める。切り裂かれた空気の悲鳴が鼓膜を打った。
(動くか……?)
目をこらして車内の様子を見やると、飛鳥が動き出そうとする気配を感じ取れた。
今だ――引き金を引く指に力をこめたその瞬間、
「……ふふっ」
車の上に、女が立っていた。
いつの間に――刃九朗は驚愕に背筋を凍らせるが、その時点ですでに紫電の銃弾は放たれていた。
誰であろうと関係ない。
どちらにせよ、出てくるタイミングがあまりに愚かしい。
あれでは“ヴァイオレイター”による雷電の一撃の前に、車もろとも消し飛ぶだけだろう。
だが、キィィン! という金属音がその前提をすべて吹き飛ばした。
一瞬、何の音なのか分からなかった。
しかし、状況だけ見ればすぐ理解できた。女が携えていた一振りの刀剣、それがすらりと抜き放たれている。
(まさか……電磁加速砲を、斬ったのか?)
即ち、あの女は、音速を遥かに凌駕する弾丸を見切ったということになる。
それには弾丸の射線を正確に捉える動体視力、反射神経。そして何より、音速よりも速く剣を振り抜くだけの身体能力がないと成立しないのだ。
だが、刃九朗には忘我している暇はない。何故なら、
「あら? ぼうっとしていると……首が飛びますよ?」
「――――!!」
彼女の顔が、すでに刃九朗の鼻先に触れんばかりの距離に到達していたからである。
……首筋からひんやりとした感触。
それが何かを確かめる前に、半ば条件反射で思い切りハンドルを切った。
「おっと」
「ちぃっ……」
300キロ越えのスピードで疾走していた状態で無理に動かしたのだ。当然、バランスは保てなくなる。
モンスターバイクは独楽のように高速回転し、慣性の法則に従って刃九朗と女は弾丸並のスピードで放り出された。
軽石のように何度も地面に叩きつけられたあげく、道路端のガードレールがひしゃげるほどの衝突でようやく停止した刃九朗に対し、女は軽業師のようにひらりと道路の中心に降り立っていた。
通常なら大事故である。
しかし刃九朗は、制服こそボロボロになってしまったが肉体へのダメージは皆無だった。
埃を手で払いつつ立ちあがった刃九朗は、改めて未知の襲撃者に視線を向ける。
機動性などまるで考慮していない、薄紅色の着物姿に整った顔立ちに艶のある長い黒髪、さながら日本人形のようだ。
しかし、そんな手弱女にしか見えない容貌でも、左手にだらりと構えた緩やかな曲線を描く細身の刀剣と、細められた両の目から感じられる昏いナニかが、彼女の『本質』を言外に示していた。
刃九朗が彼女に抱いた第一印象は、
(鬼女めが……)
油断も余裕も許されない。
日野森飛鳥と同等、あるいはそれ以上の脅威として認識した。
「さて、と……急な割り込み、失礼致しました。無粋だと分かってはいましたが、なにぶん仕事ですもので」
「ふん……人外風情が礼や粋を語るか。人工英霊というのは、総じて変人揃いなのか?」
「あらまあ、初対面で随分と嫌われてしまったものですね。ふふっ」
両手に武装を展開しつつ戦闘態勢をとる刃九朗に対し、女は手で口元を押さえながらくすくすと笑うばかり。
友人と世間話に興じているような態度に、刃九朗は最大限に警戒した。
気を取られてはならない、瞬きをしてはならない、自身の感情にさざ波をたててはならない。
眼前のサムライ女の一挙一動から、刹那でも意識を逸らした瞬間、首を飛ばされていてもおかしくないのだ。
「それでは、立ち合いを所望してよろしいでしょうか? 貴方もこのまま引き下がるつもりなどないのでしょう?」
女の問い掛けに、刃九朗は形成した回転式機関銃の先端を向けることにより肯定の意思を示した。
三日月形に唇を歪ませ、穏やかな表情の仮面から隠しきれないほどの狂気をのぞかせながら、女は名乗った。
「《パラダイム》所属、『辻斬り』村雨蛍と申します。是非とも……楽しい死合いにいたしましょう」
撫子の微笑みを修羅の狂笑へと変えて、『辻斬り』の兇刃が鋼を断つべく放たれた。