―第41話 Assault Battery ①―
「いつの間にしれっとクラスに紛れこんでいた貴様」
「俺に聞くな」
昼休み終了前に、さりげなく2年1組に入り込んでいた転入生に向かい、とりあえず飛鳥はツッコんでおくことにした。
元々素直に学園に来るとは思っていなかったが、クラスの誰にも気づかれずに授業を受け始めた転入生など前代未聞だろう。
先程まで行われていたHRで、担任である霧乃も物凄く微妙な表情をしていたが、結局刃九朗のことには触れずに解散となった。
クラスの連中も彼の存在に気づいてはいたが、明らかに話しかけづらいオーラを放っている刃九朗に近付こうとする者は誰もいなかった。
さて、今日はどうするか。
鈴風は昼休みの騒動を起こした張本人として職員室に連行されていった。
飛鳥もきつく叱ってはおいたのだが、学園内で人工英霊の力を発揮するなど迂闊にもほどがある。
これはかなり――それこそトラウマレベルに――言い聞かせておかないとねぇ、と暗い笑みを浮かべた霧乃に捕まったのだ。
「ねぇ鈴きち。二度とあんな真似ができないように身体を壊されるか心を壊されるか、どっちがいーい?」
「うわーい、どっちを選んでも死亡フラグ確定だー」
すべてを諦めた表情で再びずりずりと首根っこを掴まれてドナドナされていく鈴風を見送った後、飛鳥は校門に向けて歩いていた。
ランドグリーズの解析の進捗を聞こうにも、それに詳しい沙羅は今日は学園を休んで《八葉》にこもっていた。
珍しいことではない。
同じ《八葉》所属の学生とはいえ、学園生活主体である飛鳥とは逆に、沙羅は仕事主体であるというだけのこと。あくまで本業は『科学者』である沙羅は、週に二日も学園に来ていれば多いほうなのだ。
クロエは生徒会の仕事があるようで、リーシェも部活動に精を出している。
フェブリルは暇だからとどこかに飛んで行ってしまった。
一蹴は鈴風にノックアウトされて未だに保健室。
だからといって刃九朗を誘う気にもなれない。お世辞にも友人と呼べる関係ではあるまいし、2人でいったい何を話すというのか。
仕方がないので今日はひとりで帰るか、と校門を通り抜ける。
緩やかな下り坂を歩いていると、道路の端に停めてあった黒塗りの乗用車が視界に入った。後部座席の扉が開く。
「――――な」
車から出てきたひとりの少女。その姿を見て飛鳥は絶句した。
ありえないのだ。
何故『彼女』がここにいるのか、ではない。
何故『彼女』が生きているのか。
他人の空似かもしれない、と飛鳥は改めて『彼女』を注視する。
クリーム色のブレザーに暗色のチェック地のスカート。他校の制服なのだろうか。
だが、新雪を思わせる白色の長髪、紅玉の赤というよりも血の赤を連想させる、睨み付けるように細められた瞳。
忘れるはずもない。つい数週間前、飛鳥と壮絶な殺し合いを演じた少女。
フランシスカ=アーリアライズ。
異世界での戦いにおいて、敵味方問わずに暴虐の限りを尽くした、悪鬼の如き人工英霊。
「お待ちしておりました、日野森飛鳥さん……先日は私がお世話になりましたね」
どこか引っかかる物言いに、飛鳥は疑念と困惑を隠せなかった。
少なくとも相手が《ライン・ファルシア》での戦いを認識している以上、別人という線は消えている。
だが、その台詞はまるで他人事だ。
彼女の様子は、まるで他人が書いた日記を読んで、それを自分の事のように話しているような――そんな奇妙な物言いだった。
「……何をするつもりだ」
なるべく平静を装い、飛鳥は声を絞り出す。
何故ここにいる、何故生きている、先の言葉はどういう意味だ――問いたいことは山ほどあるが、優先事項を間違えてはならない。
ここは学園の前。
白昼堂々、人の往来も多いこの場所で迂闊な行動に出るべきではないし、させるべきでもない。
「ご安心を。私は貴方と事を構えるつもりはありません。私はただ、主人の命により貴方を迎えに来ただけのことです」
「主人?」
警戒を強める飛鳥に対して、フランシスカはただ淡々と告げる。
……おかしい。
あまりに理性的な彼女の対応。それは最初に交戦した時のような機械的な反応でもなければ、餓えた肉食獣にも似たあの狂気も感じられないのだ。
「こちらとしても無用な騒動を起こすのは好ましくないと判断します。貴方が素直に応じて下さるのであれば、ただそれだけで話はまとまりますが」
「その言葉を信用しろと?」
「……生憎、私は貴方と交渉をしに来たのではありません。これは決定事項です」
有無を言わせるつもりはない、とフランシスカは凍てつく眼差しを向けてきた。
出来れば情報を探りつつ、隙を見て《八葉》に連絡を入れたかったのだが、この様子では難しいだろう。
今はまだ人の往来も少なく、端から見ればただ2人の生徒が話をしているだけにしか見えないだろう。
だがこれ以上時間をかけた結果、相手に実力行使に出られるとまずい。
しかし、まだ応じるには判断材料が少なすぎる。
せめて相手側の目的と、フランシスカの他にも近くに敵がいないかを確認したいところだったが、
「貴方に拒否は許されない。彼女がどうなってもいいのですか?」
フランシスカは車の後部座席を指差した。ガラス越しに見える座席には、意識を失って倒れこんでいる女子生徒の姿。
「篠崎さん……!?」
ついさっき、昼休みに顔を合わせたばかりの後輩である篠崎美憂が、そこにいた。……どういう意味なのかは問うまでもあるまい。
しかし、何故彼女なのか?
飛鳥と美憂の交流は数えるほどしかない。
あくまで、元・部活の先輩後輩の関係であった鈴風経由で何度か会話しただけであり、飛鳥個人としての接点は無いに等しい。
フランシスカとしては誰でもよかったのかもしれないが……状況から推測するに、彼女が人工英霊であったことが関係しているのかもしれない。
ともかく、これで飛鳥は選択肢など存在しないということを嫌というほど理解した。
「分かった、そちらに従おう。どこへなりとも連れていくといい。……だが」
車の扉に手をかけて乗り込む直前、飛鳥は赫怒をこめた視線で白貌の少女を刺し貫いた。
「……後悔するなよ」
その言葉にフランシスカは目を細めるだけで、そのまま車に乗り込んだ。
ちらりと背後を見て小さく口を動かす。
今はここまで。自分にできることはこれ以上はないだろう。
あとは……
(本当に、嫌な予感ばかりよく当たる。……俺の言った通りだろう? なあ、刃九朗)
飛鳥達が乗り込んだ車が学園から離れていく様子を、刃九朗は少し離れた場所から観察していた。
遠巻きでも2人の会話ははっきりと捉えることができた。そして、何故飛鳥が応じざるを得なかったかも。
本来であれば、この場で武装してあの白髪の女を狙撃するなり爆破するなり考えていたが、敵側が人質などという古典的極まる手段をとっている以上、得策とも思えない。
それに車が出る直前、飛鳥はこちら側にメッセージを残していた。
(後からついてこい、か)
理由は単純。
この場で戦闘を始めては、周辺への被害は免れない。ならば車を追い、気兼ねなく戦える場所に入った時点で切り込めばいいだけのこと。
特別足が速い車にも見えない。
刃九朗の『足』ならば、多少距離が離れてもすぐに追い付ける。
そのため、まずは携帯電話を手に取り、唯一入っているアドレスにコールした。
『あん? アンタからかけてくるなんて珍しいわね。こっちは今ちょっとごうも……教育的指導してる最中で忙しいんだけどー?』
いま拷問って言った、言ったよね!? などと聞き覚えのある悲鳴が電話の後ろから聞こえてきたが気にも留めない。
今は漫才の時間ではないのだ。
「手短に言うぞ。日野森が何者かに連れていかれた。学園内にも被害が及ぶかもしれん、警戒しておけ」
刃九朗の言葉を受け、向こう側の空気が急激に冷え切ったように感じた。
『……分かった、こっちはこっちで対応する。あんたは』
「すぐに追う」
それだけ伝え、霧乃の答えを聞く前に通話を切った。
これで飛鳥が危惧していたであろう学園側への被害は霧乃達が何とかするだろう。
よって、これより追跡行動に移る。自分の2本の足で追いかけてもいいのだが、おそらく、逆に目立つ。
(『保管庫』検索。武装装甲車両“ナグルファル”を選択、構築開始)
刃九朗の体内より『精製』された金属粒子を基にして、脳内に蓄積された約300もの武器兵器の設計図に従い、それを『再現』する。人工英霊の精神感応性物質形成能力とは似て非なる能力。
人工英霊の武器は、使用者の想像力次第で千変万化する、いわば唯一無二のものだ。理論上どんなものでも構築可能な反面、複雑な機構を構築するには多大な情報処理能力と精神力が要求される。
対して刃九朗の武装は設計図通りのものしか作れないという欠点こそあるが、構築に対しての消耗がほぼ存在しない。
大型兵器となるとある程度制限もあるのだが、事実上、無尽蔵の武装構築が可能となっている。
散布された粒子は設計図通りに展開、接合。各部位を形成するパーツに姿を変え、まるで見えざる手が働いているかのように刃九朗の目の前で組み立てられていく。
そして、完成したのは漆黒に彩られた大型バイクだった。
“ナグルファル”とは、北欧神話に登場する、巨人や死者の軍勢を乗せた船の名に由来する。
死者の爪で造られたとされる禍々しき銘を冠する武装車両、ただのバイクである筈もない。
小型化に成功した最新鋭のジェットエンジンにより時速500キロを軽く超え、電磁力を利用した姿勢制御機構であるリニアスタビライザーなど、あらゆる場所、あらゆる環境においても『最速』を叩きだすための機構が満載されている。
安全性など微塵も考慮されていないこのバイク、暴れ馬と称するのも生易しい。普通の人間が手綱を握ろうものなら、慣性の法則によって即地面か壁の染みに早変わりすることだろう。
エンジンには既に火が入っていた。
獲物を前にした狼の如き駆動音を響かせるモンスターバイクに、刃九朗は制服姿のまま(当然ヘルメットなどありはしない)騎乗した。段階加速など知りはしない、一息にアクセルを全開にする。
瞬間、凄まじい爆発音と共に周辺の空気が激震した。
荒れ狂う大河の激流の中を走っているようだった。
目まぐるしく後ろへ駆け抜けていく乗用車のテールランプ、街路樹の緑とアスファルトの灰色。放たれた無数の矢のように前から流れてくる車の数々を、“ナグルファル”は危なげなく躱しながら縫うように駆け抜けていく。
一度ハンドルの切り替えをミスするだけですぐさま肉塊と化す状況の中、刃九朗はただただ冷静だった。
そんな中、ふと思う。
何故自分は、こうも躊躇いなく飛鳥達の助力に向かっているのか。助ける義務などない、自分には関係のない事のはずなのに。
日野森飛鳥という男に対して思うところは、実はそれほど存在しない。
あるとすれば、先日の《八葉》襲撃において面倒をかけたことに対する『借り』があるくらいか。未だに、何故あのようなことをしたのか自分でもよく分かっていないのだが。
そうなると……あの巻き込まれた少女だろうか。
篠崎美憂。先ほど一言二言会話をしただけの、ただそれだけの間柄。
だが、その時に見た彼女の笑顔がどうにも頭から離れない。
ありがとう、という言葉が刃九朗の心の奥底に突き刺さって抜けそうにない。
今こうやって自分が戦場に赴こうとしている理由としては、もしかするとそれが一番強いのかもしれない。
(……まあいい。どの道、今の俺にできるのは戦うことだけだ)
全身で大気を切り裂きながら、刃九朗は一際強くハンドルを握りしめた。
これより先は戦場だ。
ならば、あらゆる感情は雑念にしかなり得ない。
求めるはただ勝利のみ。
そのためには、最も効率的な行動、戦術を計算し、それをただ冷徹に――機械のように実行する。
頭の中のスイッチを切り替えるように、刃九朗の脳は徹頭徹尾戦うための知能として機能を開始した。