―第40話 Nameless Blacksmith ④―
刃九朗の手に握られている白銀色の回転式拳銃“早撃ち”は、文字通り全武装中最速の構築速度を誇る。
鈴風の足から放たれた魔弾の如きボールを迎撃すべく顕現された武装である。
銃弾と見紛う速度のサッカーボールの軌道に合わせて拳銃の弾丸をぶつけることは、刃九朗の演算能力を以てすれば容易いことであり、成功したこと自体には何の驚きも感じなかったが……
(……何故だ?)
拳銃を光の粒子へと還元しながら、刃九朗は戸惑っていた。
何故、能力を用いて武器を呼びだしてまで自分はサッカーボールを迎撃したのか。条件反射に等しい行動だったとはいえ、刃九朗は自分のとった行動に疑問を禁じ得なかった。
「美憂ちゃん!!」
涙交じりの表情で駆け出す鈴風の声。
ゴールポストを通り越し、ぺたんと腰を抜かして座り込んでいる小柄な少女の下へと走り寄っていた。
どうやら、勝負を続行するような雰囲気ではなくなったようだ。
「美憂ちゃん大丈夫!? ごめん、ごめんね、痛いところない? 保健室いかなきゃ、ああでも救急車じゃないとダメなのかな――」
「せ、センパイ!? わたしは大丈夫ですから落ち着いて下さい。大きな音にびっくりしちゃっただけですから」
「でも、でもでも。さっきのはあたしが調子に乗ったせいで……」
2人揃ってあわあわとしているのを、刃九朗は一歩離れたところから見守っていた。
同じく駆けつけてきた男子生徒に、無事だということのみ簡潔に伝えてそのまま下がらせた。あまり大人数で取り囲むものでもないだろう。
「ごめんね……ほんとに、ごめん」
「だから気にしていませんから、顔を上げて下さいよぉ……あ、あなたは」
今にも大泣きしそうな雰囲気で頭を下げる鈴風に慌てふためいていた少女は、どうしようと周りを見渡して――じっとこちらを見つめていた刃九朗と目が合った。
「あの……さっきの、助けてくれた人、ですよね? 鉄砲でボールを撃ってくれた」
「見えていたのか?」
“早撃ち”の名は伊達ではない。
顕現、射撃、格納までの時間はものの数秒であり、たとえ刃九朗の一挙一動に注目していたとしても見えはしない速度の抜き撃ちだ。
人工英霊でもあるまいし、そう簡単に視認されはしまいと思っていた刃九朗は表には出さずとも面食らっていた。
「は、はい……わたしに当たりそうになっていたボールを、あなたが鉄砲で割ってくれたんですよね?」
「ごめんなじゃいいいぃぃぃーーーーっ!!」
「いえ、だからそういう意味で言ったんじゃありませんからぁ! お願いですから落ち着いてぇーーーーっ!!」
むしろ少女の方が泣きそうになっていた。
ひーん! と半泣きになりながら鈴風の背中をさすり続ける様子は、端から見るとどちらが加害者でどちらが被害者なのか分かったものではない。
こちらに助けを求める少女の上目遣いに、刃九朗も頭を悩ませていたが、
「すーずーかー……」
「ぴぃっ!?」
突如、泣きじゃくっていた鈴風の首根っこが、横合いから伸びた手によってぐいと掴まれていた。
完全に2人に気をとられていた刃九朗は、突然現れた影に思わず目を見開く。
「!?……日野森か」
「意外なところで会うな、刃九朗。……ともかく、うちの子が迷惑かけたみたいですまなかった。篠崎さんも」
「いえ、迷惑だなんて……ええと、鈴風センパイ?」
「あい?」
いわゆる猫掴み状態で飛鳥に捕獲された鈴風に対し、立ちあがった少女は優しげに語りかけた。
「本当に、あまり気にしないで下さいね? 私は何ともありませんし、気にしてませんから」
「みうちゃあん……ええ子や、ほんまええ子や」
「まったくだな。……さて鈴風」
「ぐぎょっ!? あの、飛鳥さん、首がちょっと、いい感じに締まってきてるんですけど?」
感動の涙を流す鈴風であったが、それとこれとは話は別、と言わんばかりに飛鳥は首根っこを掴む手に更なる力をこめていた。
きりきりと万力のような音が響き、鈴風は表情を凍らせ、飛鳥は凄惨な笑みを浮かべた。
「俺の言いたいことは、分かってるよな?」
「は、はひ……」
「よろしい。じゃあちょっと人気のないところ行こうかー」
「い、いやん、その台詞なんだかエロい……ギニャニャニャーーッ!? ごめんなさいごめんなさい調子乗ってすいませんでしたぁーーーーっ!!」
ごきゃっ、というとてつもなく嫌な音が鈴風の首から聞こえた気がした。
そして、ずーりずーりと首を掴んだまま飛鳥に連行されていく鈴風は、もうすべてを諦めた表情でされるがままとなっていた。
何だか嵐のような一幕であった。いったい人気のないところで何が行われるのか興味は――特になかったが。
「あ、あの……」
くい、と遠慮がちに制服の袖を引っ張られた。
いつの間にか、このグラウンドには自分と少女の2人だけになっていたことに、刃九朗は今更ではあったが気付いた。
改めて、少女の方へと目を向ける。自分とは頭ひとつ以上の身長差があり、ぱっちりと開かれた大きな目と幼い顔立ちは、高校生と言うには随分と幼い印象を与えた。
「わたし、1年3組の篠崎美憂と言います。助けて下さってありがとうございました」
眼前の少女――美憂は勢いよく頭を下げ、栗色の髪がふわりと揺れた。
そんな率直な感謝の態度を受けて、刃九朗は思わず一歩後ずさった。
「?……どうしました?」
「いや……」
誰かに感謝されるということ。おそらく、刃九朗にとっては初めてのことだったから。
それは不思議な感覚だった。
全身を、何か暖かいものがくまなく巡っていくような……しかし、忌避感などではない。
少なくとも機械ではありえないこの感覚の正体を、半人半機の男は掴みあぐねていた。
篠崎美憂は内気な少女だった。
自己主張が乏しく、なおかつ小柄な身長であったこともある。いじめにあっていたわけではなかったが、中学までは、いてもいなくても分からない――クラスではそのような存在だった。
美憂にとってはそれが当たり前であったし、特に悲しむべきことでもないと……諦観してしまっていたのだ。
そんな彼女にとって転機となったのが、この白鳳学園に入学してすぐのことである。それはどこの学園にもあるであろう、新入生獲得のための部活勧誘の時期であった。
美憂は当初、特定の部活に入るつもりはなかった。
大きな理由があったわけではない。ただ単に人付き合いが苦手であり、部活に所属する義務もなかったから――それだけのこと。
しかし、そう決めていたのだとしても、主張しなければ伝わることもない。
中には質の悪い勧誘などもあり、おとなしい美憂はそういった輩に目を付けられ易かったのだ。明らかに嫌な表情を浮かべたとしても、結局のところ面と向かって否と言えず、その上男性受けの良い外見をしていた彼女は、特に男子部員から執拗に迫られることも多かった。
「ちょっと待ったぁそこの男子! その子嫌がってるでしょうが、見て分かんないの!!」
そこに現れたのが、当時剣道部に所属していた鈴風だった。
竹刀を振り回しながら群がる男子生徒を追い払う立ち回りは、まるでアクション映画の一幕のようであったと美憂は記憶している。
自分の意思を強く持ち、いつだってぴんと背筋を伸ばし、胸を張って進んでいく背中。おおよそ自分とは正反対の鈴風に憧れて、美憂は剣道部への入部を決意した。
小さな体に、か細い両の腕。
争い事なんて考えたくもない、そんな彼女にとっては剣道というものはあまりにハードではあったのだが、それでも、少しでも憧れの人に近付きたくて。
これはおそらく、そう珍しくもない話。どこにでもありふれていて、別段この場で語るべきものでもないのかもしれない。
しかし、彼女にとっての本当の転機とはその後にこそあった。
4月24日。剣道部に入り、初めての大会が2日後に控えていた日のこと。
それは、内気な美憂にとっては――いや、誰であったとしても途方もなく勇気ある行動だった。
結論だけを言えば実に単純だ。
登校中、赤信号にも関わらず飛び出した少年が車に轢かれそうになり、美憂は咄嗟にその少年を助けるべく身を投げ出した。
そんな彼女の素早い判断により、少年は少しの怪我だけですんだ。
美憂自身も無事ではあったが、しかし後先考えない行動であったのも確か。飛び出した際にまともな受け身など考慮していなかった彼女は、強かに全身をアスファルトの地面に叩きつけられた。
特に酷かったのが右腕だ。病院での検査によると、複雑骨折に加え神経もズタズタだったという。
リハビリ次第で普通に動かせはできるだろうが、激しい運動――それこそ竹刀を握るなどもっての外である、というものだった。
全身の血液が凍りついたようだった。
頭の中が真っ白になる衝撃を受けながらも、美憂はもう竹刀を握れなくなったということを、憧れの先輩や部活の仲間に決して知られるわけにはいかなかった。
心配をかけたくなかったから、というのも間違いではないのだが、それよりも……見捨てられたくない。
剣道部にとって、完全に『役立たず』に成り果ててしまったことを知られたくなかったのだ。
何よりも、美憂は恐れていたのだ。目指していた背中に――楯無鈴風にこう告げられてしまうのが。
――もう、あんたは用済みよ。
楯無鈴風という人間を少しでも知る者ならば簡単に分かることだ。
彼女がこのような戯言など言うはずがない、むしろそういった歪んだ考えを誰よりも嫌う少女なのだと。
大怪我で心身ともに弱っていたのもあるのだろう。たとえそうだとしても……だが、もしも、と考えてしまうのだ。
だからこそ、付け込まれた。
ここより先は、飛鳥やクロエ達も知るところだ。
《パラダイム》の人工英霊であった劉功真の手により“祝福因子”を埋め込まれるも、力を制御しきれずに暴走。
元に戻るために彼の手先となってクロエや鈴風を襲撃した――これが始まりの日である4月25日のことであった。
(……この人も、鈴風センパイや日野森センパイと同じなのかな)
表情を固くしている刃九朗を見上げながら、美憂はぼんやりとこれまでの事を思い起こしていた。
人工英霊と呼ばれる存在に成り損なってからの記憶は、とても曖昧で靄がかかっていた。
だが、少なくとも理解できることがあった。
あの日、自分は鈴風と飛鳥に命がけで助けられたということ。
普通の人間が立ち入ってはならない危険な領域に、先輩達は立っていること。
そして、
(そういえば、あの時も鈴風センパイ、泣きそうになってたっけ)
楯無鈴風が自分のために、怒って、泣いて、立ち向かってくれたということ。
嬉しさと、申し訳なさと、情けなさがごちゃまぜになって、美憂は彼女に何と言っていいのか分からなかった。
しかし退院し、学園の生活に戻った矢先に、鈴風が退部するということを聞いた。
理由ははっきりとしていないらしいが、美憂には何となく理解できた。
彼女は『戦う』道を選んだのだ、と。
先のシュートの力を見てほぼ確信に変わった。
常人では有り得ない膂力に、不自然に発生していた烈風。
『あの時』の自分にほど近い存在になったのだと結論づけていいのだろう。
(なにか、私にできることはないのかな……)
そもそも彼女が何と戦っているのか、そもそも困っているのかどうかすら分からない。自分がただしゃしゃり出ても迷惑にしかならないかもしれない。
それでも、お節介だとしても、美憂は彼女から受けた大きな恩に報いたいと思っていた。
「む……大丈夫か。やはり負傷していたか?」
「え、あ、いえいえ!? ごめんなさい、少し考え事をしていただけで」
刃九朗の声を受け、美憂ははっとして思考の海から抜けだした。
時計を見ると、もう昼休みも残り僅かだ。
他の生徒は既に教室に戻っているようで、そろそろ急がないと遅刻してしまう。そう思って走り出そうとした美憂だったが、踵を返したところで踏みとどまる。
「あの……お名前を伺っても、いいでしょうか?」
命の恩人の名前をちゃんと聞いておきたい。
そう考えた上での発言だったのだが、人見知りの激しい(特に男性相手には顕著な)美憂にしては随分と思いきった行動だった。
「あ、ああ……鋼刃九朗だ」
さっきまでは名前の通り、鋼鉄そのものといった無表情だったのが、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。
どうやら見た目ほど怖い人ではないようだ。
どうやら鈴風とは知り合いのようだが、話を聞くにも時間がないし、あまり詮索していいものではないのかもしれない。
しかし、それでも一言だけ伝えておきたかった。
「ええと、鋼センパイ、でいいんでしょうか……あの、鈴風センパイのこと、どうか嫌いにならないで下さい。センパイはすごく負けず嫌いで、すぐに熱くなっちゃいますけど。それでも、すごく素敵な人ですから」
まくしたてるように言う美憂に刃九朗は一瞬面食らったようだったが、少しばかり考え込む仕草を見せると、無言で頷いた。
「ありがとうございますっ!! あ、もう授業始まりますよ、急ぎましょう!!」
「ん、いや、俺は……」
「むむ、もしかしておサボりですかー? ダメですよそんなの、さあさあ行きましょう」
困った様子の刃九朗の大きな背中をぐいぐいと押しながら、予礼が鳴り始めた学び舎に向けて走り出す。
初対面の、それも男子の先輩に対して、かなり恥ずかしいことをしているなと自覚はしていた。けれど、そのまま何も言えずに俯いて走り去る、といったことをしたくはなかったのだ。
――少しずつでもいい。弱い自分を変えていこう。
――何ができるか分からないけど、こんな自分のために泣いて、怒って、笑って、そして手を差し伸べてくれた人がいる。
――だから私は、そんな人達とまっすぐに向き合えるように。
――私が私に胸を張れるように。
――明るく強い私になるために。
――これはほんの小さな一歩だ。