―第37話 Nameless Blacksmith ①―
そこは鋼鉄達の墓標であった。
戦場を席巻し、あらゆる外敵を爆裂四散させるために創造された無機質の刃たち。
しかし彼等は、結局その使命を全うすることなく『用済み』として打ち捨てられた。
その身に戦うための爪牙を持たない人間達は、持ち前の『知恵』を用いて、偽りの爪と牙を造り出した。人類の祖先が石を削って刃としたところから、『武器』の歴史は幕を開けたのだ。
刀剣を鍛え、鏃を削り、戦場の主役が銃火器に取って代わろうとも、『鋼鉄』は常に戦場と共にあった。
もしも、武器に心があるのなら、彼等はきっと誇りを持っていたのだろう。
――我等は人々を守護する剣であり、盾である。
――力無き人間の力になるべく、我等は作り出されたのだ。
21世紀になり、大規模な『戦争』と呼ばれるものは、核兵器という最強無比の軍事兵器を抑止力としてようやく減少していった。
身も蓋もなく言ってしまえば、戦争というものは単なる人材と資源の浪費に過ぎないことに、人類がようやく気付いたからである。
2029年現在において、軍事兵器というものは使われないからこそその意味を為していた。
世界中の人々が、あらゆる武器を捨て去ってみんな仲良く――など夢物語でしかない。疑心暗鬼こそ人間の本領であり、右手で握手をしながら左手にナイフを隠し持つだなんて当たり前だろうに。
そも『セカンド・プロメテウス』以降の軍需高騰の理由とは、世界中の国家が、俺の左手にはお前のよりすごい武器を持っているんだから変に逆らおうと思うなよ、と言外に告げようとしたからに他ならない。
だからこそと、誰よりも強く、速く、堅く、鋭く、雄々しくと――人の欲求は果てしなく積み重なっていき、留まることを知らなかった。
だからこそ、人は省みることをしなかったのだ。
古き機械、弱き兵器に用などない。
そう言って冷遇され、打ち捨てられていった鋼鉄たちの憤激と悲哀がいかほどなのかを。
「ああ、もう。か弱い女をひとりで行かせるだなんて……あんのクソ司教が」
ここで、一月ほど時間を遡る。
イギリスの魔術師団体のひとつである組織――通称《教会》よりの命を受けた夜浪霧乃はその日、闇夜を背にしてとある施設の前に立っていた。
その場所の名前は『エデンの園』。
けして有名ではないが、国内に同名の施設が数ヵ所存在する孤児院である。
孤児院と名乗っている以上、そこは何らかの理由で親を亡くした子供たちを保護する場所として認知されている場所であった。
しかし、それにしては随分と物々しい雰囲気ねぇ――と施設の外観を眺める霧乃は溜息をひとつ。
白で統一された建築物は、成程たしかにそれらしい雰囲気なのだが……なんだってその周辺に高さ5メートル近い防護柵を設置しているのか?
そして建物周辺には、幾人かの警備員の姿。しかしそれらも、プロテクターと自動小銃を標準装備している徹底ぶりだ。
神の名の下に、あらゆるものに救いの施しを――壁面のポスターに描かれた“エデンの園”の概要に、霧乃は嘲笑を抑えきれなかった。
「神はすべてをお救いくださる。祈りなさい、さすれば救いの手は差し伸べられる――――はは、よくもまあこんな台詞堂々と貼りだせるわね、おつむイカれてるのかしら?……もっとも、これを信じてホイホイ入園する奴の方がよっぽどイカれてるだろうケド」
宗教思想が根強く反映されているイギリスでは、そのような美辞麗句など珍しくはないと霧乃は思っていたが……しかし、ここでは完全武装した兵隊が周辺を巡回しており、そもそも子供の姿が誰ひとり見当たらないのだ。
これを孤児院などと、よくもまあいけしゃあしゃあと名乗れたものである。
創設者のセンスを疑うわー、などと呟きながら、霧乃は施設の入り口、厳重な警戒体勢が敷かれている正門に向け、真正面から歩み寄っていった。まったくの緊張感もなく、足音を忍ぶわけでもなく、買い物ついでにふらりと立ち寄るような軽快極まる足取りで。
新人なのだろうか、正門に立つ守衛は不自然なほどにぴんと背筋を伸ばして、表情も随分と強張っていた。
「正門付近、異常ありません」
「了解、引き続き警戒を厳にせよ。……どうやら最近、ここを嗅ぎ回っている魔術師がいるらしい。もしそれらしい奴を発見したら、女子供であろうと躊躇うな。あれは人の形をした悪魔だ」
「りょ、了解しました……」
どうやら、ちょうど見回りの交代時間だったようだ。
引き継ぎに来た警備員からの脅し文句のような警告を聞いて、冷や汗を流しながら受け答えしている様子はなんとも微笑ましいというか、滑稽というか。
……だってそうだろう?
今まさに、その魔術師とやらが目の前を通り抜けていったというのに。
「~~♪」
黒曜式集積魔術陣――オブシディアン・クラスタと称される、“黒の魔女”たる夜浪霧乃のみが行使し得る黒魔術。
仮に、真っ暗闇の空間の中に一点だけ光る場所があれば、当然人の目線はそちらに向く。
逆に、とても明るい空間に一か所だけ真っ暗な場所があったとしても、人は中々そこには目を向けないものだ。
――私は影であり、闇であり、黒である。
人は無意識の下に闇を遠ざける。
現在霧乃は、自身の存在を『夜の闇』の一部であると周囲に認識させることによって、一種の隠行を実現していた。
今の霧乃を知覚できるとすれば、視覚に一切頼らずとも彼女の気配を正確に探知できるほどの直感力を磨き抜いている者か、あるいは夜の闇などものともしない、圧倒的な光輝を放つ者か。
少なくとも、暗視ゴーグルや赤外線探知ごときで捉えられるような術ではない。
霧乃は一切の危機感を感じることなく、鼻歌交じりで白亜の城へと足を踏み入れていった。
「……ま、概ね予想は付いてたけどね」
建物内にまでは警備の目は入っていないようだった。
リノリウムの床をかつかつと踏みならす音だけが、無人の廊下に響いていた。廊下の硝子窓ごしから見える光景に、霧乃は無意識に舌打ちした。
予想通りと言うべきか。ここは、少なくとも孤児院などではなかったのだ。
隔離研究棟とでも呼ぶべきその区画の一室では、多くの少年少女だったものが診察台に横たわって――いや、昆虫の標本のように磔になっていた。
何と言うことではない。
ここは、霧乃にとっては飽きるほどに目撃してきた『人体実験』の現場であったのだ。
体の大半が機械化した少年、下半身を別の動物に挿げ替えられた少女。
この空間に生命の気配は全く無く、すでに手遅れである事実を否応なく霧乃に突き付けた。
しかし霧乃は悲哀や悔恨といった感情など一切出すことなく、子供達の骸を、まるで出来の悪いインテリアでも見るような目で一瞥するのみ。
もっと早く駆けつけていれば……など机上の空論ですらない。
そもそも、世界中にこれと同じような光景があとどれだけあるというのか。いちいちこの程度で悲観にふけっていては、あっという間に心が潰されてしまうのだ。
10分ほどこの区画をぐるりと探索をしてはみたが、研究材料となった子供達以外には目立ったものは発見できなかった。
……もういいだろう。
《教会》に連絡して“聖堂騎士”の一個師団でも派遣してもらい、早々にこの施設を制圧してしまえばいい。
「胸くそ悪いわね、まったく……いっそ“腐食后”お抱えの“聖剣砕き”でも連れてきて、跡形なくブッ飛ばしてもらおうかしら?」
携帯端末を取り出そうとした霧乃だったが、そこでふと視界の端にエレベータの扉が目に入った。どうやら地下に通じているらしい。
見せたくないものほど奥深くに隠すものだ。
そう考えると、きっと地下にはもっとろくでもないものがあるのだろう――諦観にも似た心境のまま、霧乃はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの電子パネルには階層は記載されていなかったが、体感的には地下30階といったところだろうか。自動扉が開け放たれ、心なしか息苦しさを感じながら、霧乃は警戒を強めていた。
コンクリートや鉄筋がむき出しになった壁や床に、20m以上の高さはあろうかという天井。薄暗くはあるが、ここが野球ドームが丸ごと入りそうな程の広大な空間であることは理解できた。
また、ここには人の気配――生死問わずである――はまったくない。
隔離研究棟の時のようなむせかえる血の匂いもなく、ただ鉄と埃の匂いが鼻についた。
どうやらここは武器格納庫のようだ。
暗闇の中、しばし周辺の気配を探っていたが、どうやら動体反応は無い様子。警戒を解いた霧乃は、周囲を見渡しながら奥へと歩を進めた。
「戦争でもおっぱじめるつもりなのかしらね、ここの人間は」
ここには大小様々な銃火器が所狭しと並べられていた。
しかし、軍隊で使われている仕様のものはひとつとしてなく、この兵器群が完全に独自の体系で製造されている事が見て取れた。
しかし、この格納庫内で特に目立つ――というよりこのスペースの大半を占領しているのは、狼を模したような四足歩行の兵器やブーステッドアーマーといった大型の機動兵器群だった。
間違いなくこの格納庫内で数百は存在している。
仮に一斉に起動して地上に上りでもすれば、イギリスの街は一夜にして火の海と化すだろう。
さらに、これらに導入されている技術を見るに、建造したのはAIT社である可能性が極めて高い。新型兵器の開発実験でもしていた場所なのだろうか。
「ん?……なに、あれ」
引き続き探索を続ける霧乃の目に一基の装置が映った。
棺桶にも見えるその装置には、絡み合う蛇のように数十本のケーブルが乱雑に接続されていた。電気は通っているようだが、使われなくなって相当時間が経っているのだろう、装置を動かすコンソールには目に見えて埃が積もっていた。
霧乃が何気なく液晶パネルに触れると、それを合図としたように機器が起動した。もしかして罠だったのかと霧乃は肝を冷やすが、周囲の兵器群が動き出す様子はない。あくまで眼前の装置の電源が点いただけのようである。
立ち上がった液晶画面に雨嵐のごとく表示される情報、あまりに目まぐるしくアルファベットと数字が入り乱れていたため、読み取れるのは断片的なものだったが……
「particle、duplicate……Tubalcain?」
トバルカインと言えば、旧約聖書に登場する人物で『鍛冶』を司る神の名である。何らかの通称だろうが、これは眼前の装置のことを示しているのだろうか?
しかし、作られたものに対して、鍛冶師などという作り手の名を付けているというのは何かの皮肉なのか。少々不自然にも思えた。
「こうなってくると気になるわね。……解体するか」
霧乃は暗闇の中でひとり、物騒な呟きをもらした。
棺桶のようで揺り籠のようでもある装置、ともかく中身を拝んでみなければ始まるまい。
本来なら応援を呼んでから調査させるなり、危険を及ぼす前に一息に破壊するといった行動が正解なのだろうが、知的好奇心が先に立った霧乃の頭からは、そんな常識的な発想など消し飛んでいた。
ともあれ、力技でこじ開ける前に可能な限り情報は確認しておきたい。
機械知識のない霧乃は勢い任せでテキトーにコンソール上のパネルに触れてみた。
「……………あ」
バシュン、と圧縮された空気が放出される音と共に、装置が大きく展開し始めた。
霧乃は慌ててパネルを操作するも、開放がキャンセルされる様子はない。
まあ開ける手間が省けて良かったわー、と自分に言い訳しながら、霧乃はこの世界に産声をあげんとする『何か』に向け鋭い視線を走らせた。