―第33話 Be caution with Slapstick!! ①―
暴走するランドグリーズと、鋼鉄兵器を見に纏う男、鋼刃九朗との激闘から一夜が明けた。
「アスカのあほー、ばかー」
「……」
一手判断を誤れば、その瞬間に消し炭になっていてもおかしくなかった死線をどうにか潜り抜け、飛鳥は生きているという実感をしみじみと噛み締めていた。
「おにー、あくまー、ええっと……お、おたんこなすー」
柔らかな陽の光が照らす朝の通学路をゆっくりとした足取りで歩く。
飛鳥の家から白鳳学園までの道のりは、徒歩でおよそ20分といったところ。
小高い丘の上にそびえ立つ学園に通じている緩やかな坂の左右には、青々とした葉桜の並木道が続いていた。
世はすべて事もなし。
どれだけ自分が鉄火と硝煙にまみれた戦いを繰り広げたとしても、穏やかな日常の風景までもが変わるわけではない。
「……がじがじ」
木漏れ日に彩られた朝の道を歩くのが、飛鳥は好きだった。こうやって何気ない自然の光景を好きでいられることが、自分が戦いに染まっていない事の証明になっているような気がするから。
たまには一日、《八葉》も人工英霊であることも忘れて、ただのいち学生としての生活だけを考えて過ごすのもいいかな、などと考えていた。
「…………ひっく」
「だぁぁぁぁぁっ!? ごめんごめん、無視して悪かったから泣くなフェブリル!?」
たまには静かな通学路を満喫したかっただけなのだ。
しかし無視は意地悪が過ぎたようだ。せめて頭に噛みついてきたあたりで反応してあげるべきだっただろうかと飛鳥は反省した。
昨日《八葉》の更衣室に置き去りにしたのを未だに根に持っていたフェブリルは、あれからずっと飛鳥の耳元で思いつく限りの悪口――そのバリエーションは悲しくなるほどに少なかったが――を言い続けたり、頭に噛みついたり。
悪いと思っていながらも、フェブリルは一晩中そんな様子だったため流石に鬱陶しかったのだ。
「……もう無視しない?」
「しないしない。昨日の件も含めて俺が全面的に悪かったよ、ごめんなさい。おわびに今日の夕飯はお前の好きなもの作ってやるから」
「食べ物なんかでつられると思ったら大間違いなんですけど玉子焼き大盛りでお願いしまっす!!」
実に簡単につれてしまった。
泣いた烏がもう笑う。
小さな子供を相手にしているような気分になって、飛鳥は微笑ましい気持ちになった。
それにしても、他の面々が会話に参加してくる気配がない。
どうしたことかと後ろを歩く3人の方へ振り向くと、
「テスト、テスト……かんっぺきに忘れてましたよ。あはは……どうしよ」
「はぁ……またあの忌々しい黒魔女と顔を合わせなければいけないなんて……憂鬱」
「今日こそは、友達できるだろうか……無理だろうなぁ、だって私は金髪不良の『お手付き』だものな……ふふふ」
爽やかな空気に満ち満ちた朝の通学路が、背後の空間だけ完全にどんよりとしたお通夜ムードと化していた。
女3人寄ると姦しいと言うが、あれはどう見ても方向性の違う姦しさだ。
朝食の時から随分と静かだとは思っていたが、どうやらそれぞれ違った深刻な悩みを抱えているようだ。
それにしても……非常に声がかけづらい。
「すごい、すごいよ! あれほどの闇のオーラがあれば、悪魔召喚だって夢じゃないよ!!」
「茶化すなフェブリル。……とはいえ、流石に放ってもおけないよなぁ」
昨日の事件が霞んで見えるほどに、彼女達の問題は深刻なのだろう。
幸いと言うべきか、今の飛鳥には、当面は何か優先してやらねばならない用件などはない。お節介にならない程度に協力してあげようと、小さく拳を握りしめた。
そう決意を新たにしている飛鳥の頬あたりを、これまた深刻そうな表情をしたフェブリルがちっちゃな手でペチペチしてきた。
「ところでアスカ」
「どうした」
「周りの生徒さん達の視線が、やけに敵意に満ち溢れている気がするんだけど……気のせいかな?」
「気のせいじゃないぞ。……いい加減慣れたよ、俺は」
学園が近付くにつれ、同じように通学している生徒達の姿も多くなってきた。
ここから始まるのが、毎日飛鳥の胃を痛くしている風物詩――男子生徒からのやっかみの視線の集中砲火である。
男子生徒に限定されている時点で理由は明白だろう。クロエ、鈴風、リーシェと白鳳学園でも屈指の綺麗どころを独占(少なくとも周りからはそう見える)しているのだから。
異世界騒動の前まではクロエと鈴風、両手に花状態でほぼ毎日登校していたため、嫌が応にも周囲の目を引き付けてしまっていた。そして先日からそこにリーシェが加わったため、飛鳥に向けられる怨嗟の視線が加速度的に増大してしまっていた。
生徒会長であるクロエの人気は最早崇拝の域に到達している。
金髪碧眼の美目麗しい容姿に、折り目正しい物腰と態度。学園行事で彼女が壇上にあがるたびに黄色い大歓声があがることもあった。
巷ではクロエファンクラブ(当然非公式)なるものまで設立されているとか。
クロエほど熱狂的な人気を博しているわけではないが、鈴風もまた男子から人気があるらしい。絶世の美女であるクロエと並んでいるのが多いために印象は薄れがちだが、彼女もまた抜群の美少女なのだ。
竹を割ったようなさっぱりとした性格で、誰とでもすぐに打ち解ける彼女の明るさの前には、思春期の男子であれば大抵は勘違いしてしまう。
リーシェもまた転入直後から注目を浴びている。
一蹴が引き起こした偽彼女発言により多少は沈静化したものの、普段の凛々しい態度の裏に見え隠れする、内気で人見知りな一面に悩殺される男が未だに後を絶たない。
「一時期、登校は別々にしようと提案したこともあったんだよ」
「しなかったの?」
「言った瞬間、クロエさんが号泣した」
「うわぁ……」
「やはり、私がお傍にいては御迷惑なのですね」「本当に、本当に生きていて申し訳ありませんでした」などとネガティブ発言を虚ろな瞳でうわごとのように繰り返すのだ。
特に、飛鳥達と同居を始めてからの彼女は精神的に不安定で、色々と危なっかしくもあったために目を離せなかったというのもある。
そのあたり、生徒会長に就任してからは随分とマシにはなったのだが、それでも基本的に彼女の思考は飛鳥中心に廻っている。
彼女がそうなったのは、少なからず飛鳥にも責任があった。
突っぱねることなんて絶対にできなくて、だからといって彼女のすべてを受け入れるというのも、飛鳥にとっては極めて『重い』選択なのだ。
そんなどっちつかずの考えで、飛鳥はクロエと一定の距離を保とうとしている。我ながら酷い女たらしだな、と飛鳥は自嘲ぎみに笑った。
「余計なお世話かもしれないけどさ……それってアスカがはっきりすれば解決する話なんじゃないの?」
「分かってる。けどそう簡単にもいかない問題なんだよ、これがな」
フェブリルに言われるまでもないことだ。飛鳥とてそこまで朴念仁を演じるつもりはない。それでも、あと一歩を踏み出せないのは単なる『甘え』なのだろうか。
もし自分にクロエしかいなかったのであれば、そう悩みもしまい。
だが、そう考えるたびに鈴風の顔が飛鳥の脳裏をちらかせる。それは《ライン・ファルシア》で、彼女の気高き決意を聞いてしまったから。
――絶対に追い付くから。
――何があっても、ずっと一緒にいてあげるから。
嬉しかった。……しかしそれよりも、悲しさと申し訳なさで胸がいっぱいだった。自分のせいで、鈴風にそう決断させてしまったのだから。
「どうして俺なんかにそこまでって、何度も思うけどな」
「難しく考え過ぎじゃないのかなぁ……?」
否定できなかった。
単純な話『クロエと鈴風、どっちが好きなの?』と言われているようなものなのだ。
飛鳥の性分なのだろう。
自分の行動や決断には、常に『義務』と『責任』が伴っている。
義務とはよく鎖に例えられるが、ならば飛鳥の恋愛観はどれだけ雁字搦めなのだろうか。
そんな煮え切らない飛鳥の態度を見かねたフェブリルが、呆れたように大きく溜息をつきながら一言物申した。
「他に誰も言わないだろうから、あえてアタシから言わせてもらうね…………このヘタレ」
「忠言どうもありがとうよ、フェブリル…………やっぱ今日はお前だけごはん抜き」
「さっきと話が違うよ!? っていうかそれはあんまりにも大人気ないと思うんですけど!?」
耳元で声高に抗議する使い魔の叫びを聞き流しながら、飛鳥は学園の門を通りぬけた。
言葉には出さないが、フェブリルなりの気遣いに飛鳥は心の中で感謝していた。今すぐとはいかないが、遅かれ早かれはっきりさせないといけない問題には違いないのだから。
「――と、言うわけで今日からこのクラスの担任になった夜浪霧乃よ。ヨロシクゥ!!」
今度胃薬を買いに行こう、飛鳥は切実にそう思った。
飛鳥達が所属する2年1組の担任は、昨日付けで別の学校に転勤になったのだそうだ。……作為臭満々の報告に、飛鳥は大人の世界の汚さを垣間見た気がした。
ともかく飛鳥は理解せざるを得なかったのだ。
もう自分に安住の地などないということを。
昨日彗星の如く現れた噂の美人先生が担任になったということで、クラスの男性陣(飛鳥と一蹴以外)は明らかに浮き足立っていた。
「一応専門は考古学なんだけど、大抵の教科は担当できるから聞きたいことがあれば何でも聞いてね…………ちなみに今は彼氏無し、スリーサイズは上から86・56・88ね」
「かれっ――!?」
「すっ――!?」
ありがちな質問を先周りで撃墜しながら、女教師霧乃は手短に自己紹介を終えた。
「さて、それじゃあ早速授業……の前に。来週には、皆お待ちかねの中間テストが手ぐすね引いてお待ちかねしているわけだけど」
「う」
隣の席の鈴風から小さな呻き声がもれた。
飛鳥がちらりと表情を覗うと、赤点候補者鈴風さんは顔面蒼白になっていた。
別に落第の危機は今回から始まったわけでもなし、どうしてああも戦々恐々としているのか?
「もし、テストの中で一教科でも赤点を取ろうものなら…………ふふっ」
……ガタガタガタガタ!!
三日月型に唇を歪ませ、しかし目元はまったく笑っていない霧乃の冷笑に、鈴風を含め成績に難ありの面々の体が小刻みに震え始めた。
そういえば、と思い出す。
飛鳥達が小学生の時分、試験の成績が悪過ぎた鈴風のテスト答案が霧乃に見つかり、相当に雷を落とされていたことがあった。どうやら鈴風にとってはトラウマになっている様子。
しかしそう考えるとリーシェも危ないのだろう。
こちらの世界に来てまだ数週間、ようやく一般常識が身についてきたレベルの彼女に、高等学校の試験はハードルが高過ぎるだろう。
「ああ、ちなみにブラウリーシェさんは例外ね。来日直後にいきなり高得点取れとか無茶言いやしないから」
「ず、ずるいっ!!」
「…………ほっ」
隣から響き渡る鈴風の絶叫と、背後で胸を撫で下ろすリーシェの安堵の声が教室に響き渡った。
確かに当然といえば当然の采配だ。
しかし、鈴風の反応はまずい。非常にまずい。
完全に笑みを消し、凄みのある表情で霧乃はゆっくりと鈴風の方へ首を向けた。
「なにか文句あるっての、楯無鈴風さん? まさかとは思うケド、全然テスト対策してなくて、このままだと赤点まっしぐら……なんてことは、ないわよねぇ?」
「ア、アハハ、ソンナコトアルワケナイジャナイデスカー。ヤダモウ、センセーッタラジョウダンオジョウズナンダカラー」
「だったら何の問題もないじゃない? もう、いきなり叫び出すから何事かと思ったわよ、ウフフフ」
「アハハハハー……」
さもありなん。
流石は風の子鈴風さんである。完全に墓穴を掘り尽くしてしまった。
恐怖で全身を凍りつかせながら泣き笑いする姿は、あまりにも哀愁が漂っていた。
「あすか……あじゅがぁ……」
「ああはいはい、分かってます。今日からテスト対策しようなー」
涙目で袖口をくいくいと引っ張ってくる鈴風に対し、飛鳥はほとんどオカン口調で優しく声をかけてあげた。
鈴風の明るい明日のためにも、せめて人並みの成績はとらせてあげたい。これは結構スパルタでいかないと間に合わないか、と飛鳥は頭を悩ませることになった。
「一夜漬けは身にならないわよー。テストってのは普段からの積み重ねが物を言うんだからね」
こちらの思考を読んでいるかのような発言をする霧乃と目があう。満面の笑みでウインクしてきたので、飛鳥は無表情のまま目を逸らした。