―第24話 Lady Black ②―
このお話はラブコメ要素を多分に含んでおります。ある意味一番難産だったわこのくだり。
「ほーらフェブリル、エビフライだぞー」
「わーい! はぐはぐはぐ……」
「あのグロテスクな甲殻類が、調理ひとつでこれほどまでに化けるとは…………うむ、美味っ!!」
昼休みの屋上。
澄み渡る青空の下で、友人達と食べるお弁当の味はまた格別だ。
更に、色とりどりのおかずを持ち寄って皆で分け合うなんて、これぞまさに青春を謳歌していると言っていい。
普段の飛鳥は、クロエや鈴風、仲の良いクラスメートと共に昼食をとることが多いが、5月に入り、いつものメンバーに2人の新入りが加わった。
「玉子焼きだぞー」
「おおっ、こいつは黄金色に輝くタマゴ様! あむあむ…………ふわとろ~♪」
小さく千切った出し巻き玉子を、雛鳥がエサをねだるが如く、膝の上に座っていた少女の口に放り込んだ。
頬いっぱいに好物を詰め込んで幸せそうな表情をする、端から見れば精巧な人形にしか見えない全長約15センチほどのチビッ子が、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら次を催促してきた。
「アスカ、つぎっ! はやく、はやくー」
「もう少し野菜も食べようなー。……レタス」
「しゃくしゃくしゃくしゃく」
「ごぼう」
「ぽりぽりぽりぽり」
「レモン」
「ミギャァーーーッス!? か、果汁が!? 弾ける果汁で目が、目があああああっ!?」
酸味溢れるレモン果汁が目に入り、コロコロと転がりながら悶絶する使い魔の名はフェブリル。
自称、あらゆる悪魔を統べる『魔神』であるというのだが……飛鳥の膝から転げ落ち、柑橘系の思わぬ力の前に悲鳴をあげる彼女からはまったく想像ができない。
「ふん、行儀悪くがっついて食べるからそうなる。ああ、白米が美味い……」
「ホント美味しそうに食べてくれるよな、リーシェ。作った人間としてはそりゃあ嬉しいんだけどな」
「飛鳥の作った食事をとっていると、しみじみ思うのだ。私が今まで食べてきたものは『料理』などではなかったのだと! オーヴァンにいた頃の食事なんて、ただ焼いただけの肉だとか、果物丸かじりくらいしかなかったものなぁ……」
そんな光景を横目に、飛鳥お手製の弁当に舌鼓を打つのはリーシェ――ブラウリーシェ=サヴァンだ。
彼女の意思の強さをそのまま表したような鋭い目付きに、モデル顔負けのすらりとした体型、若草色の長髪が風になびく様は、それだけで絵になりそうなほどに浮世離れしていた。
リーシェは元々異世界《ライン・ファルシア》に住まう有翼人の騎士だったのだが、紆余曲折あって、現在はクロエと同じくこの白鳳学園の留学生として学園生活を送っている。
「しっかし、思えばリーシェちゃんも随分この学園に馴染んだよな。最初は借りてきた猫みたいにガッチガチに緊張してたのによ?」
「うるさい黙れ気安く呼ぶなイッシュー」
「……ほらな?」
「えらく嫌われたもんだな、一蹴……」
コミュニケーションをとろうとしても、すげなくリーシェに切り捨てられてしまう。2人のこのやり取りももう何度目だろうか。
隣でしょんぼりと肩を落としながら購買のパンをもそもそと齧っている矢来一蹴は、学園入学時からの友人だ。
強面の顔と金色に染めたツンツンの頭髪から、外見は不良以外の何者にも見えないのだが、実は仲間思いで義理堅い男である。
そんな一蹴が、なぜ出会って数日のリーシェにこうも悪しざまに扱われているのか?
それは……
「こぅらぁ! 一蹴、見つけやがりましたわよ!!」
「げ……沙羅の奴もう嗅ぎつけてきやがったか」
屋上の重い扉をケンカキックで蹴り開け、憤懣やるかたないといった表情でこちらに近付いてくる女生徒――加賀美沙羅が一蹴に叫びかけてきた。
これには複雑なようで、実は全然複雑ではない事情がある。
それは数日前、リーシェの編入初日のこと。
「ブラウリーシェ=サヴァンだ、リーシェでいい。皆、よろしく頼む」
「う、美しい……」「女神や、女神がおる……!!」「うわぁ、すごい綺麗な顔」「スタイル滅茶苦茶いいじゃないのよ、あの子」「しかもあの媚びない姿勢、つっけんどんな態度がまたいい!!」「これはクロエ会長の対抗馬出現か?」
飛鳥と鈴風が所属する2年1組はその日、大いに湧いた。
そして、今や学園のアイドルと化しているクロエと互角に渡り合えるほどの美貌を持った第二の留学生の話は、瞬く間に学園内を駆け巡った。
噂の美少女をひとめ見たい、あわよくばお近づきに……などと考える輩でリーシェの行く先すべてが野次馬で埋め尽くされるという事態が起きたのだ。
動物園のパンダ状態となってしまったリーシェは、周囲の好奇の視線に対して毅然とした態度をとり続けてはいたのだが、内心では、
(こわいこわいこわいこわいこわいこわい)
完全にビビってしまっていた。
声をかけるとビクッと背筋を震わせ、相手が飛鳥だと分かると露骨に安堵の表情を見せる。
鎧姿でない時の彼女は、外面には見せまいとはしているが、実は結構気弱な性格になってしまうらしい。
人の噂も七十五日とは言うものの、リーシェにとっては初めての学園生活だ。
ストレスなど感じず伸び伸びと過ごしてほしい――そんな親心(?)を思いながら、飛鳥はどうしたものかと頭を悩ませた。
そして、つい先日の話。
「……増えてる?」
「ふ、ふふふふ、飽きもせずにしょうのない奴らだな(ひぃぃぃ、もう無理ダメ助けて!!)」
リーシェに群がる野次馬の数は減るどころか、むしろ増加の一途を辿っていた。
憮然とした態度の中に時折見え隠れする、おどおどと小動物のように縮こまる姿。そのギャップに悩殺される者が続出したためである。
流石の飛鳥もこれ以上は見過ごせなかった。
お菓子に群がる蟻の大群にも似たリーシェ包囲網を前に、飛鳥の堪忍袋の緒が切れそうになった……その時。
「おいおいおいおい、俺の女に近付いてんじゃねえぞ、てめえら!!」
雷が轟いたかのような怒声に、教室が水を打ったかのように静まりかえった。
この声の主こそが、学園内で評判の札付きの不良(外見上は)である一蹴だった。
そんな彼の怒号と凶貌によって、野次馬達は蜘蛛の子を散らすように退散していった、というのが事の次第である。
「――だからそんなに怒るなって。ああでも言わなきゃ、思春期の男子どもは絶対諦めなかったんだしよ」
「そういう問題ではない! 貴様のせいで、あれから周りの学友たちの態度が若干引きぎみになってしまったんだぞ!!」
しかし、この一件により2つの大問題が浮上した。
ひとつめ。
一蹴の『狂言』により、リーシェが既に不良のお手付きであると勘違いした彼らは、それ以降リーシェに付き纏うどころかむしろ避けて通るようになってしまったのだ。
折角リーシェが仲良くなっていたクラスメート達も、心なしか彼女と一線を引いて接するようになってしまった。
「私の……私の友達100人計画をどうしてくれる!!」
つまるところ、壮絶なイメージダウンに繋がってしまったのだ。
編入早々『不良の女』という言われのない称号を付けられてしまったリーシェの怒りも尤もである。
「純粋無垢な乙女の心を弄んだ罪は、マリアナ海溝よりも深いですわよ? 今すぐ死んで詫びやがりなさい、一蹴。今なら幼馴染のよしみで、私が介錯して差し上げますわよ?」
「だから、そんなつもりはなかったんだって! てかなんで関係ねぇ沙羅がそんなに怒り狂ってるのかが俺には理解できん!!」
そして問題その2。
今回の騒動を聞き付けた沙羅が烈火の如く怒りだしたのだ。
とはいえ、この話に沙羅は全く関わっていないはずなのに、どうしてこうも怒りを露わにしているのか?
……当事者である一蹴以外はすぐに理解していた。
それは、今の沙羅の格好が《八葉》での研究作業の時のような、ぼさぼさ頭や瓶底眼鏡ではなく、朝から時間をかけてしっかりとケアしたのであろう艶やかに流れる黒髪、知的な印象を感じさせるお洒落なハーフフレームの眼鏡でおめかししていることからも明らかだった。
薄く化粧もしているのだろうか、桜色の唇からは確かな艶が感じられた。
「ぐ……ぎ……ともかく、と・も・か・く! 例えその場を凌ぐためとはいえ、『付き合ってる』だなんて嘘をつかないように! 最初聞いた時心臓止まるかと思ったんですから!!」
「心臓止まるだなんて大袈裟な。俺に彼女ができるのがそんなに驚くような事かよ?」
「鈍感」「朴念仁」「ああ、鈍感だな」「……アスカ」「お前に共感する資格はない」「ん?」
リーシェとフェブリルからの思わぬツッコミに、飛鳥は疑問で目を丸くした。
男性陣と女性陣の間に、言い様のない隔たりを感じた飛鳥と一蹴であった。
……さて、そろそろ現実に目を向けよう。
本来、今はこうやって呑気にランチタイムに興じている状況ではないのだから。
「さてみんな。甚だ不本意であり、極めて遺憾なんだが、確認しなければならないことがあります――――なんでアンタがここにいるんでしょうか、霧乃さん」
「あれれ、青春群像劇はもうおしまい? もうちょっとだけ観戦したかったわー」
最初から、飛鳥の後ろで痴話喧嘩をケラケラと大笑しながら眺めていた新任教師――夜浪霧乃に総員で向き直った。
できれば永遠に気付かないフリをしていたかった。でもそうもいかないから胃が痛い。
この場にクロエがいないのは僥倖だった。
今日は生徒会の仕事でここにはいない彼女と霧乃が鉢合わせしたら、間違いなく手がつけられなくなる。
とはいえ、今朝の講堂で既に接敵してしまっているため、衝突が早いか遅いかの違いに過ぎないのだが。
「何はともあれ、お久しぶりね弟くん。会うたびにどんどん格好良くなっちゃって、お姉さん嬉しいわ。最後に会ったのは、ここにクロエ置いていった頃だから……1年ぶりか」
「霧乃さんもお元気そうで何よりです。あんなドッキリみたいな登場さえなければ諸手を振って歓迎したんですけど。……ところで、ここの教師になるって本気ですか?」
「本気よ、本気。ちゃんと教職免許持ってるし。なんつーの、こう、久々に青春したくなったっていうか?」
「知りませんがな」
「《九耀の魔術師》の一柱、“黒の魔女”様が日野森さんと旧知の仲なのは存じていましたけれど、まさか教師として侵入してくるとは。ここまで型破りな女性だったなんて……クロエもそうでしたが、魔女というのは変人ばかりですのね」
「あっはっはー♪ まともな人間が魔術なんて非常識、クソ真面目に極めるわけないじゃなーい♪」
「うわ、爽やかに言いきったよこの人……」
飛鳥と沙羅による棘のある言葉にも一切動じる様子のない霧乃に、思わず溜息。しかし、相変わらずの破天荒ぶりにどこか安心してしまう自分もいたことに、飛鳥はちょっぴり複雑な気持ちになった。
夜浪霧乃との付き合いの長さは、鈴風とほぼ同等、約10年近いものである。
飛鳥の姉の綾瀬とは学生時代からの親友(姉は全否定していたが)で、その繋がりで幼少の頃の飛鳥とも交流があった。
折り目正しく、厳しい態度をとる姉とは真逆の性格で、朗らかで人懐っこい霧乃の方に、小さい頃の飛鳥はよく懐いていた記憶がある。
その延長で、少々甘酸っぱくも苦々しい思い出があるのだが……あえて語る必要はあるまい。
と言うより、思い出したくもなかった飛鳥だったが、
「そういえば弟くん。小さい頃私に「大きくなったら霧乃お姉ちゃんと結婚するー」って言ってたわよね?」
「なにその狙い澄ましたかのような古傷抉り!? アンタ絶対心読んでるだろ!!」
まさかの心の声干渉という色々な意味での反則技の前に、少年の硝子のハートが悲鳴をあげた。
リーシェも、フェブリルも、沙羅も一蹴もこちらを白い目で見つめてきた。
なんでこんな麗らかなお昼時にいきなり公開処刑されにゃならんのだ、と心の中で毒づいた。
「……ねえ、アスカ」
「なんだいフェブリルさん」
「相手は、選ぼ?」
「おいコラちょっと待てやそこの小動物。なんで初対面のアンタにそこまで人間否定されにゃあかんのよ?」
憐れむような仕草でてちてちと飛鳥の膝を叩くフェブリルに、今度は霧乃がツッコむ番だった。
……ともかく、このように霧乃は愉快な人物であるわけだ。
高校卒業と同時に彼女はイギリスへ留学、向こうで何があったのかは不明だが……近年再会した頃にはいつの間にか《九耀の魔術師》として大成していたのである。
理由は聞けない。
聞いたらきっとロクな事にならないから。
「それで? そろそろ聞かせてもらいましょうか霧乃さん。いったい俺に――俺達に何をさせるつもりですか?」
「……ここにいるのは、全員関係者ってことでいいのかしら?」
小さく頷く。
リーシェとフェブリルは身内であるし、沙羅はそもそも《八葉》の所属。
一蹴は違うのだが、こちら側の事情をよく知っている。聞いておいてもらって損はないだろう。
「オーライ、それじゃあ聞いてもらうわね。1ヶ月前、私がイギリスのとある施設から連れてきた男……鋼刃九朗と名乗る男について」
「鋼、刃九朗……」
無論、初めて聞く名前だ。
……しかし、何故だろうか。
おそらく、否、間違いなく自分とこの男は長い付き合いになる――言いようもない予感が飛鳥にはあった。
鋼鉄の魂を持つというその男、ともかく会ってみなければ話も進むまい。
今どこにいるのだろうか?
「あー、それがね? 空港までは一緒だったのよ。けどさ、ほらお手洗いまでは目も届かない訳じゃない? その上アイツ、私の言うことあんまり聞いてくれないはねっかえりでねぇ……」
「もう言いたいことは分かりましたが、一応聞きましょうか。……そいつ、どこ行った?」
「……はぐれちゃった、てへ」
嫌な予感ほどよく当たる、というもので。
案の定、霧乃絡みの出来事はやっぱり厄介事から始まるのだ。
平和な学園生活がまた一歩遠のき、飛鳥は陰鬱な気持ちを隠そうともせずに、綺麗な青空に向かって大きく息を吐いた。
次の話はきっとシリアス。……きっとシリアス。