―第23話 Lady Black ①―
2章のタイトルは直訳で『鋼の咆哮』。今回は各話のタイトルも英語で統一してみます。
それは、拳銃と呼ぶにはあまりに巨大だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……!!」
闇夜を駆ける1人の男。
暗がりに溶け込むような漆黒の軍服は、《パラダイム》所属の人工英霊であることを言外に示していた。
こんなはずではなかった。
自分は人を超えた存在――生物の進化を促す奇跡の物質“祝福因子”に適合し、異端の能力を獲得した“人工英霊”だ。
達人の刃を難なく見切り、迫り来る銃弾の軌道を読み取って躱すことができる。
そして能力――個々人によって異なるが、男には全身を鋼鉄の如く硬質化する異能の力があった。
「なぜだ……なぜ俺の“暴虐要塞”が、こうも簡単にぃっ!?」
“暴虐要塞”と男が名付けた能力は、一度発動すれば戦車砲の直撃にも砕かれず、またその重厚堅牢と化した肉体をそのまま対象に叩きつけるだけで、一撃必殺の鉄槌となる。
攻防一体である男の異能の前には、生半可な銃火器では蚊が刺したようなものであり、どんな装甲であってもすぐさまその拳で撃砕されるのみ…………そのはずだった。
「こうも簡単に、砕かれちまうんだ!?」
しかし、走る男――否、逃げる男の全身には無数の亀裂が走っており、まるで誤って踏み付けたプラモデルのように、左腕は二の腕辺りから圧し折られていた。
簡単な仕事のはずだったのだ。
イギリス・ロンドン、その郊外で武装した男がしばしば目撃されている。そこは《パラダイム》の拠点にほど近い場所であるため、速やかに対象を討滅するべし――
『クハハハハッ! 機関銃でもミサイルランチャーでも、俺にかかればすべて豆鉄砲よぉ!!』
仲間達にそう息巻いていた昨日の自分を殴り殺してやりたい。
激痛に悶える暇すら惜しいと、ひたすらに走る。恐怖と焦燥に塗れた頭で、男は考えていた。
自分の身体をこうもズタズタにしたあの兵器は一体何なのか?
擲弾筒のような爆発性はなかった。
自分の装甲を破壊したのは、雷の如き速度で放たれた、たった一発の弾丸によるものだったのだ。
では対物ライフルか?
威力だけで考えれば納得できるが、そんなものを片手で、立ったまま撃てるものか?
ああそうだ、手掛かりがもうひとつだけあった。
それは『音』だ。
引き金が引かれ、弾丸が射出される直前、確かに『音』がしたのだ。
――バチッ、バチバチッ。
そうそう、こんな音。
千切れた電線から生じるような電流火花の音が…………たった今、背後から聞こえた。
「――――あ」
振り返る時間など存在しなかった。
随分と、自分の腹の風通しがよくなっているな、と。
奇妙な感想を抱いたのが最後、男の意識は永遠の闇に閉ざされた。
それは、人間と呼ぶにはあまりに冷たい瞳をしていた。
敵対象の沈黙を確認した黒髪の男は、右手に『装着』していた拳銃をだらりと下ろした。
拳銃と呼称はしたが、その全長はゆうに2メートル近く、更に銃身と一体化した大型のブレードは、さながら恐竜の牙を思わせるほどに凶暴な外観だ。かろうじて銃の形をした鉄塊の先端には、放たれた銃撃の残滓――這いずる蛇を思わせるような紫電が絡み付いていた。
『要塞』の名を冠する重装甲を難なく貫いた銃撃の正体――それは、近年ようやく実用可能かと叫ばれるようになった超兵器。電磁力によって加速された銃弾を撃出する雷神の一投。
電磁加速砲剣“ヴァイオレイター”。
世界中の軍隊が喉から手が出るほどに欲してやまない、白兵戦で運用するにはあまりに破格の威力を持つ戦術兵器、それを男は腕の一振りで『消失』させた。
無数の輝く粒子と化して消滅していく銃剣をしばらく見つめた後、男は懐から取り出した携帯端末をコールした。
『……やっと電話のやり方覚えたのね。それで? 追っ手は上手く撒いたの?』
「ああ。もう二度と追ってはくるまい」
5回目のコールで出た相手の女性に、男は淡々と事実のみを伝えた。
その発言から、相手を殺害することにより撒いたのだと察した女性は、苦々しさを隠そうともしない声で告げた。
『殺すな、だなんて確かに言わなかったけど。……それでも、少しは躊躇ってほしかったわね』
「言っている意味がよく分からん。どういう意味だ、霧乃」
『別に、分かんないならそれでいいわよ。ともかく、明日には日本に発つんだからさっさと戻ってきなさい。遅れるようなら置いてくわよ』
「了解した」
相も変わらず思考の読めない女だ――そんな考えをおくびにも出さず、あくまで事務的に、機械的な応対をして終話した。
空の闇が和らぎ、陽の光がゆっくりと空を満たしていく。気付かない間に、どうやら夜が明けてしまったようだ。
しばらくはイギリスの空も見収めだ。
柄ではないが、別れ際にしっかりとこの空を目に焼き付けておくのもいいだろう。
「日本、か」
無意識に呟いた声が白んだ空へと溶けていく。
自分の生まれた国らしいその場所に行けば、見つかるのだろうか。
自分の――鋼刃九朗という男の、存在理由というものが。
このがらんどうの魂に火を付ける何かが、そこで見つかる事を期待して。
鋼刃九朗は夜明けの空の下を歩き出した。
これより開幕するは鋼鉄の舞踏会。
硝煙と火花、銃弾と撃剣、意地と信念。
自分達の持つあらゆる存在をぶつけ合い、そして雄々しく叫ぶのだ。
――いざ、殺し合おう。
――これより先は、男と男の戦いだ。
桜色に満たされていた並木道が葉桜の緑に移り変わっていく中、大型連休も終了し、いつも通りの日常が流れていった。
日の出と共に起床し、皆で朝ごはんを食べ、賑やかに登校し、学園の仲間達と勉強に部活に勤しんで。
そんな当たり障りのない日常こそ、日野森飛鳥の愛すべき日常だ。
「ふあぁ……」
白鳳学園、講堂。
週に一度の全校朝礼が行われている中、飛鳥は隣で、明らかに話を聞く気がありません、と言わんばかりに大きな欠伸をする亜麻色の髪の少女――楯無鈴風の肩を軽く小突いた。
「おい鈴風ー、真面目に聞いてた方がいいぞー」
「だって朝から眠いんだもん……別に面白い話してくれるわけでもないしさ……」
その気持ちは分からなくもない。
どれほど時代が移り変わろうと、校長先生の話が無駄に長く心地よい睡眠を促すものであるのは、もはやお約束の域であろう。
かく言う飛鳥も必死に欠伸を噛み殺していた。
『続いて、生徒会長よりの通達です』
ようやく催眠講義が終わったらしい。
放送部員のアナウンスと共に、周囲の生徒達の肩がぴくりと震えた。どうやら眠気と戦っていたのは飛鳥達だけではなかった様子。
そして先程までの弛緩した雰囲気が嘘のように、全校生徒が襟を正し背筋を伸ばして、壇上に上がった少女の一挙一動に視線を釘付けにしていた。
「皆さん、おはようございます。生徒会長、クロエ=ステラクラインです」
爽やかな風が吹き抜けたような透明感と、それでいて芯の通った美しい声が講堂内に稟と響き渡った。
宝石のような輝きを称える白金の髪が小さく揺れる。
新雪を思わせる透き通った白い肌、その容貌はまるで妖精めいた可憐さで、大半の生徒が思わず感嘆の溜息をついてしまうほどだった。
白鳳学園生徒会長、クロエ=ステラクラインは理知的な微笑みを浮かべながら、連絡事項を澱みなく告げていった。
「――7月には『五行聖祭』も控えています。競技の練習の際、グラウンドや体育館の使用申請は生徒会を通してお願いします。無理をした結果当日になって出られない、といったことにならないよう怪我には細心の注意を払いましょう」
『五行聖祭』とは、一般的な学園でいうと体育祭のことである。
しかしこの白鳳学園でのそれは、通常とは段違いの規模で開催される都市全体を舞台とした『戦争』だ。まだ先の話ではあるが、誰もが楽しみにしてやまないお祭り騒ぎ。
しかし、
(俺の場合、それどころではないんだよなぁ……)
五行聖祭を迎える前に、飛鳥には乗り越えなければならない問題が待ち受けているのだ。
飛鳥は確かにこの白鳳学園のいち生徒ではあるが、同時にいち就業者でもあった。
(いきなり隊長に抜擢されたかと思ったら、その直後に『魔女』のお相手ときた。……ああ、胃が痛い)
断花重工傘下、独立治安維持組織《八葉》。
一般の組織の手に負えない、超常の存在によって引き起こされる事件や事故に対応するための民間警察。
とはいえ先日の異世界騒動を除けば、基本的に学業を優先するように言われている飛鳥の出番はそれほど多くはなかった。
……ところが、今回の話はそうもいかない。
《九耀の魔術師》と呼ばれる世界有数の『魔女』のひとりが、飛鳥を名指しして近くに来日するのだ。その道の人々にとっては、大統領来日よりもセンセーショナルな出来事なのかもしれない。
その上、彼女がいつどこから来訪するのか一切不明であるのが始末に負えない。
少なくともここ数日内、おそらく飛鳥個人に対して接触してくるのだ思われるが……
「それでは、本日の連絡事項はこれで――――え、新任の先生? 聞いてないですよ、私?」
困惑するクロエの声が聞こえ、飛鳥は思考の海から現実に帰還した。
クロエにしては珍しく狼狽した様子で、壇上に上がった生徒会役員と話しているが……どうやら想定外の出来事のようだ。
二言三言の会話の後、大きく咳払いをしてクロエは手渡された書面に目を通しながら、
「……失礼しました。突然ではありますが、本日から当校に赴任された新しい先生をご紹介します。ええと、名前は……夜浪、き、りのおおおおぉッ!?」
「ブフォオッ!?」
「ギャーッ!? ちょっ、ばっち、バッチい!? 飛鳥いきなりどしたのさぁっ!?」
突如、気が狂ったかのように絶叫した。
そしてその名を聞いた飛鳥は思いっきり噴き出した。
更に噴き出した方向にいた鈴風に唾がべっとりと付いてしまい悲鳴をあげられた。
いきなりの生徒会長ご乱心に講堂は騒然としていた。……最も騒然としていたのは飛鳥とクロエであったのだが。
「な、な、なななななな……なんじゃこりゃああーーーーッ!!」
普段のたおやかな言葉遣いをかなぐり捨て、生徒会長が叫んだ。
わなわなと肩を震わせながら、クロエは通達が書かれている用紙を穴があくほどに凝視していた。
半ば恐慌状態と化した彼女と目が合った。
その泣きそうな瞳が訴えてくるのはただひとつ――緊急事態、緊急事態である。
(飛鳥さん、飛鳥さぁーーーーんっ! え、えらいこっちゃ、えらいこっちゃですよぉ!!)
(お、落ち着いてクロエさん!? ともかく深呼吸――――してる場合じゃないよなコンチキショウ!!)
視線の会話でこの事態をいかに収拾すべきか頭を悩ませる2人だったが、どちらも見事に素敵に混乱していたため、まともな意思疎通になっていなかった。
と言うより、既に|手遅れだった。
「――はぁい、少年少女たち!!今日も元気に青春してる?」
混乱の極地に至ろうとしていた空間が、その声によって水を打ったように静まりかえった。
壇上の袖から、堂々とした足取りでクロエの隣にまで歩を進めてくるスーツ姿の女性。
艶やかな黒髪をなびかせ、ぴんと背筋を張り、不敵な笑みを口元に浮かべながら――
「今日からこの学園で先生やらせてもらう、夜浪霧乃よ。好きな言葉は『略奪愛』、座右の銘は『強行突破』。……あらあら、どうしたの生徒会長さん? そんな間抜け面で固まっちゃって」
「こ、この、いけしゃあしゃあと……この悪女がぁ」
「悪女じゃなくて『魔女』でしてよ? 同胞さん」
傍若無人を絵に描いたような“黒の魔女”。
夜浪霧乃との再会が、飛鳥達の日常を大きく揺るがし、そしてここから『鋼』との邂逅へと歩き出すこととなる切っ掛けだった。
超人達の絢爛舞踏、第二幕。
これより開演といこう。