―第18話 少女達の戦場―
絶え間なき前進を。
揺るぎ無き一歩を。
苦難、絶望、何するものぞ。そこのけそこのけ、嵐が通る。
風の人工英霊、楯無鈴風の精神武装は実に単純な論理で構築されていた。
「さぁて、かっ飛ばしていこうか!!」
右脚を後ろに、しっかりと大地に踏み下ろした。
瞬間、踵に搭載された大型の機構が唸りをあげる。それは拳銃の撃鉄のようであり、キリキリと限界まで引き絞られた弓のようでもあった。
膝を曲げて、左手を軽く地面に添える彼女の姿は、まさしくスタート直前の短距離走者だった。
――照準合わせ。
――射出準備、完了。
――3・2・1。
「なっ!?」
――0。
撃鉄が落ちる、火花が奔る。
そして弾丸は撃ち放たれた。
文字通り、弾丸として放たれた鈴風の射速はさながら雷光。
そんな神速の突進を回避出来たのはひとえにジェラールの研ぎ澄まされた反射能力の為せる技であった。
失敗作の烙印を押されたとはいえ、ジェラールはヴァルキュリア――人工英霊を超える存在として生み出されたものだ。
本来であれば、生まれたての人工英霊風情に後れをとる事などない。
(見えなかった、だと……)
しかし、先の回避はどう言い繕おうと完全にまぐれだったのだ。
直感に身を委ねて側面に跳び逃げていなければ、確実に自身の肉体は貫かれていた。
過ぎ去った疾風は、両脚の装甲でギャリギャリと大地を抉り削っていきながら約50メートル近くまで到達し、ようやく停止していた。
「我ながらなんてスピードだよ、まったく……こいつはまた結構なじゃじゃ馬だね」
地面との強烈な摩擦にも傷ひとつ付かなかった、自身の新たな脚を見つめて鈴風は息を呑んだ。
思えば、これは自分の精神が創りだした武装なのだ。この暴れ馬は鈴風自身の性格をそのまま具現化させたようなものである。
それ故に、誰かに解説を求める必要などない。
鈴風は自身の両脚、及び手に携える新生した長槍の機能をすべて理解していた。
まず、先の電光石火の如き瞬動を実現した脚甲。
よく短距離走のスタートダッシュが爆発的な加速などと称されるが、鈴風の場合は本当に爆発しているのだ。
踵に設置されたパーツは拳銃における遊底であり、これを大きく駆動させた上で撃鉄を落とし、大地という雷管を叩いた際の反動で鈴風の全身を一気に発射させる。
更に、炎による熱量制御を可能としている飛鳥のように、鈴風にもまた固有の能力がある。
自在空圧制御能力というべき、風と大気を意のままに操る力。
鈴風の体内から発生した風には特殊な素粒子が含有されており、その気流、圧縮率を自由に設定できる。
極限まで圧縮した空気を周辺に展開させることで、銃弾程度であれば容易に軌道を逸らすことができる障壁として機能させたり、空圧の解放エネルギーで敵を吹き飛ばすなど、その気になれば無数の戦術を組み立てることが可能となっていた。
「……吶喊ばかりじゃ芸が無いね。それじゃあ、次!!」
「調子に乗るなよ小娘がぁっ!!」
機械槍の刀身が駆動、展開される。
そして隙間より鋭く噴出する煌く風。屈辱と激怒に絶叫し、悪鬼さながらの形相で迫るジェラールに静かにその切っ先を向けた。
「切り裂け、烈風!!」
その咆哮に対し、脳内で凄まじい危険信号を鳴らしたジェラールは咄嗟にブレーキをかけた。
その反応は正しかった、鈴風が放った薙ぎ払いを限界まで上体を反らして回避できた――はずだった。
「バカな、確かに躱したはず――」
しかし振るった翠槍の軌跡は、見事ジェラールの甲冑を断った。
斜めに走った切断面を見てジェラールは戦慄する。
その正体は不可視の刃――槍の切っ先から前面に延長される形で構築された、高濃度の素粒子で形成された真空刃だった。
とはいえ、それは鎌鼬とは少々趣が違う。
夢の無い話だが、そもそも風で人を斬るというのは不可能とされているのだ。
自然現象的に発生する気圧差や旋風では、人間の皮膚を損傷出来るほどの切断力は獲得し得ない。
ここで登場するのが人工英霊としての能力だ。
機械槍の内部で精製された素粒子を圧縮結合させ放出することで、空気の刃として展開したのだ。
この発想は、炎を物質化させた飛鳥の烈火刃と全く同じ要領。
『烈風刃』とでも呼ぶべき、風を物質化させた無二の武器として昇華されていた。
超速疾走、斬鉄貫通。
そのすべては、彼に追い付くために。
立ち止まっている暇なんてないのだから、いつだって全速力で、壁を砕いて駆け抜けろ!!
「あたしの風を、止められるなんて思うなよ!!」
「――――鈴風が?」
「うん、ここにいる人達を守るためにひとりで……リーシェも後を追っていったみたいだけど」
「相変わらず無茶ばかりしてくれますね……!!」
その頃、中央広場に到着した飛鳥は、途中で合流したクロエと一緒に倒れていた村の住人達を介抱しながら、ここにひとり残っていたフェブリルから事の顛末を聞いていた。
有翼人の正体、ジェラールの目的――この世界を一度リセットしようとしていること――ひと通り聞き終えた飛鳥とクロエは、さほど驚くことなく言葉を続けた。
「やはりか、そう考えるとすべて辻褄が合ったな。騎士達が使っていた武具は、最初から俺達の世界で作られたものだった。道理で、リーシェやミレイユさんも自分が使っている武器の出所を知らなかったわけだ」
「衣食住の文化が古代レベルだったのに対し、戦争に関わる部分のみ異様に発達していたのはそのためですか」
遥か太古に造られた伝説の武具――などであれば実にロマンティックだったのだろうが、どうやらこの世界には、そのような『ファンタジー』の要素はどこにもないようである。
要するに《ライン・ファルシア》という世界全体が、いわばAITの兵器実験場として作られた場所だったのだろう。
それは有翼人――ヴァルキュリアだけではなく、
「彼らの武具を分析してみましたが、どうやらウルクダイトのような自律型金属細胞で構築されているようです。とはいえ、その硬度や靱性は段違いでしたが」
「AITが開発した新型の金属といったところですかね。おそらくはその運用実験も兼ねていたんでしょう」
「いつの間にそんなことやってたの……?」
「昨晩にですよ? 飛鳥さんのご指示です」
事も無げに言い放つクロエのあまりに迅速な分析に、フェブリルはぞっとした。
命の危険に臆することなく立ち向かっていった鈴風の勝負度胸にも充分驚いたが、飛鳥とクロエはそういうレベルではない。
そもそも、飛鳥達がこの世界にやって来てからまだ3日しか経過していない。クロエに至っては一晩だ。
この短時間、しかもこのような未知の環境下で、徹底して合理的に状況を分析し、自力でこの世界の裏側を解き明かした2人の思考とはいったいどうなっているのだ!!
「もしかして、最初から疑ってたの? この世界のこと」
「そんなの、当たり前だろう(でしょう)?」
何を今更、と首を傾げた2人の声が重なった。
人工英霊や魔女といった、常識外の存在である飛鳥とクロエが言っても説得力はないかもしれないが、2人は理屈で証明できないものは原則疑ってかかる性分なのだ。
自分自身の能力や、眼前にいる悪魔の存在を全否定しているのかもしれないが……神秘学とて科学で証明できるのが今の世の中だ。
あらゆる事象には原因と結果があり、中には人智を超えた技術や現象もあるだろうが、決して証明できないものなどないと考えていた。
「見知らぬ状況で一番怖いのが、目の前のものをそういうものだと割り切ってしまうことだ。強力な武器や能力、異世界なんていう未知の空間。それらがいったいどういうものなのか、何も知らないまま放置していたんじゃあ、いざという時対処に困るしな」
飛鳥は苦笑しながら自分自身の力の詳細を思い浮かべた。
炎の武装転用ひとつとってもそうだ。
既存の武具兵器をどこまで再現できるのか、構成される質量に限界はあるのか、精神力効率を考慮した場合どういった形状が戦闘に適しているのかと、この通り枚挙に暇がない。
ただでさえ得体の知れない力なのである。
充分な分析や見直しを重ねて、その安定性や信頼性をしっかりと確保する必要があったのだ。
「《パラダイム》とこの世界の住人が無関係とは思えませんでしたし……そう考えれば、まず最初に身内を疑うのは当然でしょう?」
「それは、そうかもだけど……」
本当に彼らは、自分の知っている『人間』なのか?
どのような修羅場を潜ってきたら、このような思考や発想に至れるのか。
悪魔であるフェブリルが恐怖を覚えるほどに、それは常軌を逸しているように見えた。
「その話は置いておこう。後、襲われた人達が傷一つなく倒れているのも気になるが……」
「ぎく」
「……まあ無事だったんだし、良しとしよう」
「はぁ……相変わらず身内には甘いんですから」
反射的に顔をしかめたフェブリルの様子に飛鳥もクロエも気付いてはいたが、深く追求するつもりはなかった。
彼女が何かしたのだろうな、とは漠然と察してはいたのだが、少なくとも悪意があってのことではないはずだ。本人が口にしない以上、その意思を尊重しようと飛鳥は考えていた。
クロエとしてはその判断に納得しきれなかったようだが、彼女にとって飛鳥の意見は何よりも優先される。特に口出しするでもなく、無言で応じることにした。
それに今は緊急事態だ。
本来なら、すぐにでも鈴風の下へ駆け出したい飛鳥だったが、
「今はこいつらを何とかしないとな……!!」
戦意を声に乗せ、周辺を取り囲む自動兵器群を睨みつけた。
飛鳥達がこの広場に集結してすぐに、多数のクーガーとストラーダが全面を包囲。昏倒して動けない有翼人達を放置もできないため、畢竟、ここから離れるわけにはいかなくなったのだ。
前後左右、そして上空。
あらゆる方角の景色を鋼鉄の獣達が埋め尽くしていた。
「あ、あわわ……」
「たかだか2人相手になんとまぁ。指示を出した人間がどれだけ臆病なのかが透けて見えますね」
「フェブリル、どこでもいいから俺にしっかり掴まれ。……飛ぶぞ!!」
100にも届こうかとする銃口がずらりと並んでいた。
飛鳥の肩に掴まってぷるぷると震えるフェブリルをよそに、クロエは余裕綽々といった様子で、この機動兵器部隊の指揮官の無能ぶりを嘲笑っていた。
その侮蔑に対する返答だと言わんばかりに、2人に向かって銃弾の嵐が殺到した。
回転式連装銃が激しく回転する。
撃ち終えた空の薬莢が霰のように地面に落ちていく。
戦いの中でしか聴く事の出来ない金属音の多重合奏が飛鳥達の鼓膜をつんざいていった。
二刀と二挺を構え、2人は大きく上空へと跳躍した。地上に倒れている人達に流れ弾が当たる危険を考慮してである。
しかしこれほどの大戦力、飛鳥でもこのすべてを相手取るのは流石に骨が折れた。
「私が一掃します、構いませんか?」
鉄火が飛び散り轟音が唸る中でも、クロエの声は凛と通って聞こえていた。
この程度私1人で充分です、という自信――というよりもはや確定事項として言い放った魔女の提案に、飛鳥は若干の不安を感じていた。
クロエの戦闘能力がどれほどのものなのかは飛鳥もよく理解しており、そこに疑いの余地はない。
この場合不安なのは、
「……やり過ぎなければ!!」
「善処します」
単純な話、この魔女の力は強すぎるのだ。
周辺の被害も考慮すると、あまり彼女に本気を出してもらっては困るのだが、今は時間もない。
内心冷や汗をかきながらも、飛鳥は白金の少女に戦場を委ねることにした。
(では、早々に終わらせるとしましょう)
冷静な受け答えとは裏腹に、彼女の内心は闘志で漲っていた。
別段クロエは好戦的というわけではないが、想い人の眼差しを一身に受けているのだ。両手の拳銃を持つ手にも、自然と力が入ろうというもの。
彼女が携えし二挺拳銃、“クラウ・ソラス”。
その名はアイルランドの民話や伝承に登場する『光の剣』を由来としている。一度鞘から抜かれれば、決して逃れられる者はいないとされる不敗の剣とも称される伝承上の武具だ。
「光子魔術展開式01“裁きの曙光”、起動準備」
そして、すでに剣は解き放たれた。
ならば彼女に抗う者の結末は、既に決定されている。
銃口から展開された光の帯は、正面に巨大な魔法陣を形成した。
クロエに殺到する砲火は、この真白の盾によってそのすべてが無効化されていた。
ルーン文字にも似た独自の言語で編まれた円状の図形は、ロマネスク芸術を彷彿とさせ、初めて見た人間はその神秘的な美しさに思わず目を奪われてしまうだろう。
しかし、
「彼の者どもを追いたて、光の牙を突き立てよ」
それは紛れもない光学兵器だった。
引き金が引かれた瞬間、魔法陣から放たれたのは荒れ狂う灼熱光の大瀑布。
眼前すべてを白日に染め上げる純白の太陽は、大地に墜落する直前、まるで綿密に編まれた糸が解けていくようにして分裂、無数の光の蛇と化して鋼の獣達を喰らい始めた。
これこそが魔術師――その頂点たる存在、《九曜の魔術師》の称号を持つ最強の魔女の力の一端だった。
科学技術の恩恵などでは決してない。
戦術、戦略、概念、理論。
あらゆる事象を『奇跡』という魔業で切って捨てる、荒唐無稽、理不尽の化身。
クロエ=ステラクラインが、生まれながらにして人にあらざる超越者たる証左だった。
魔女の往く道には焦土こそが相応しい。
それを体現すべく、極光は逃げ惑う機械兵器どもを猟犬のごとく追い詰め、白熱の牙にて食い千切る。無数に枝分かれしたホーミングレーザーは、瞬く間に大地を焼き尽くし地上と空中を席巻していた敵性勢力を蒸発し尽くしていった。
その当然の結末に対し、クロエは眉ひとつ動かす事なく悠然と佇んでいた。
「……怖い」
敵の全滅が確認できてなお、飛鳥の肩に掴まるフェブリルの四肢からは震えが止まらなかった。
その理由は最早語るべくもなく、眼前の破壊を巻き起こした魔女であった。
離れていても、たとえ味方であると分かっていても。
その姿が、その存在そのものが、見る者に畏敬と恐怖を叩きこむ。
初見のフェブリルはともかくとして、ある程度見慣れている飛鳥ですら背筋に怖気が走るほどだった。
常人を超えているとはいえ、飛鳥やリーシェの戦闘能力はまだ説明がつく。
しかし、眼前の破壊の嵐はあまりに違いすぎたのだ。
科学理論で推し量ることはできず、人の手で御する事ができるものでもない。 さながら人間大の天災だ。
「本当に、あの人は『人間』なの……?」
フェブリルが飛鳥の制服の袖を強く握る。
そんな使い魔の弱々しい声に、飛鳥は答えることができなかった。
飛鳥が途方も無くいくら力を求めたとしても、決してお前には越えられない壁があるのだと――常に彼女が証明し続けていた。
無論、クロエ自身がそれを意図して行っているわけではないし、飛鳥も別に世界最強の存在になりたいと言うわけでもない。
2人が敵対することなど二度とありはしないのだから、身内で力比べを想定しても詮無きことであると納得もしていた。
しかし、それは日野森飛鳥のすべてを否定していた。
飛鳥もクロエも、そんな互いの事を否応なく理解していた。
だからこそ、そんな純白の魔女の勇姿を、
(不甲斐無いのは分かってる。これもすべて、俺が弱いからだ)
飛鳥はどこか痛みを堪えるような表情で見つめ、
(……飛鳥さん)
そんな少年の瞳を受け、クロエの心にはしくしくと悲哀の雨が降り注いでいた。
――あなたの力になりたい。
――あなたの隣で、その尊き志を支えていきたい。
そんな混じり気のない、ただただ純粋な少女の慕情は、しかしクロエが『魔女』である限り叶うことはない。
それは、鈴風とは全く逆の視点。
楯無鈴風は、自分の遥か先を走る飛鳥に追い付きたいと強く願い、走り出した。
しかしクロエは、自身が望まずとも誰も追い付けない地平にまで至っている。
常に相手を見下ろすことしかできない、絶対強者として生を受けたが故の咎だった。
同じ歩幅で、手を取り合い歩んでいきたいと強く願っても、誰も彼女に追い付けない。
(私では、駄目なんですか? こんな化物みたいな私では、あなたの隣に立つ資格はありませんか?)
力なんて欲しくなかった。
ひとりぼっちになるくらいなら、いっそ私は弱者でありたかった。
そんな悲しみに満ちた声無き慟哭が、いつも魔女の心を涙で濡らしていた。