―第17話 嵐を呼ぶ女―
――希望は強い勇気であり、新たな意志である。
マルティン=ルター
蒼鉄の槍の柄を、砕けても構わぬとばかりの馬鹿力で強く握りしめる。思わず目を背けてしまいたくなる周囲の惨状に、鈴風は思わず歯噛みした。
背後のリーシェが何か言いたげにしているが、流石にこの状況、悠長に後ろを向いている余裕は存在しない。
申し訳ないと思いながらも鈴風は背後からの傷ついた蒼騎士の視線を黙殺した。
「これは、あんたがやったの?」
聞くまでもない事ではある。
だが、それでもはっきりと本人の口から聞いておきたかった鈴風はあえて眼前のジェラールに問い掛けた。
「あの時のエトランゼか。邪魔をしなければ命を長らえることも出来ただろうに。後ろの女を庇っているつもりか? 人工英霊でもないただの人間風情が」
「ああそうだよ、その通り。リーシェはあたしの大事な友達なんだ、助けようとするのは当たり前ってもんさ……それで、あんたはジェラールさんだよね? どうしてリーシェを斬ろうとしてたんだ。妹なんだろ、大事な家族なんじゃないのか!!」
「家族?……そんな訳ないだろうが! 我々は単なる実験動物だ。兄妹だと、家族だと! 口を慎め、虫唾が走るわ!!」
暗き憤怒の炎を瞳に宿し、激昂しながら斬りかかってくるジェラールの一刀を大きく跳躍して回避。そのまま相手の頭上を飛び越え、背後をとるような形となった。
とはいえ、ゆっくりと振り向くジェラールには全く隙がない。鈴風もそれはよく分かっており、下手に突撃するつもりはなかった。
しかし、これでジェラールの意識をリーシェから切り離す事ができた。そういう意味では、鈴風の初手の動作は満点と評価していいものだった。
じりじりと擦り足で後退しながら、更にリーシェとの距離を離しにかかる。
元よりこの戦い、積極的に攻めていくメリットは極めて薄い。
理由のひとつは、単純な力量差。
ジェラールとの戦闘はこれで2回目となる鈴風だが、あの時は相手がほとんど棒立ちであったため、こちらの攻撃を当てることができて、かつ離脱も容易ではあった。
だが今回は、相手は完全に戦闘態勢をとっている。
流石の鈴風でも、今のジェラールに真っ向勝負で勝てるとは思っていない。
そしてもうひとつが、救援の可能性。
これだけの騒ぎになっているのだ、時間が経てばすぐに飛鳥かクロエが駆けつけてくるはず。そのため、事態の収拾のみを目的とするのであれば、鈴風は応援の到着まで時間稼ぎに徹しさえすればいいのだ。
「けど、それじゃあ……」
だが、それでは間に合わないかもしれない。
オーヴァンの土地はかなり広大である。2人がこの事態に気付くまでには幾許かの時間を要するだろう。
そしてこの場にはリーシェを含め、重傷を負っている者が多い。
すぐに適切な処置を行えば一命は取り留めるかもしれないが、この状況下では誰ひとりとして身動きがとれない。
救援が来た頃にはもう手遅れだった、という展開も充分考えられる。
我が身かわいさに、助けられたはずの命を見殺しにするなど許されるわけがない。
しかし、どうするべきか。
まさかジェラールと交戦しながらリーシェ達の手当てをするわけにもいくまい。
誰か他に頼める人材がいればいいのだが……
(……スズカ、スズカ)
「フェブリルちゃん? え、なに、どこからしゃべってるの?」
焦燥する鈴風に、どこからともなくフェブリルの声が飛んできた。
しかし声はすれども姿は見えず。視点は眼前の狂騎士から離さずに、意識のみを周辺の空間に広げてみた。
(屋根の上に隠れてるの。ちなみに今の会話は念波通信で伝わってるから声に出さなくていいって)
(おお……初めてフェブリルちゃんの悪魔っぽいところを垣間見た気がする)
心の中で思ったことがそのまま相手に伝わる不思議な感覚に、戦闘中でありながら感心してしまうあたり、鈴風は相当に図太い神経を持っているようだった。
フェブリルもそう思ったのか、つい呆れたような口調になってしまう。
(そんな事言ってる場合かい……ともかく皆の怪我のことなら、そいつをここから引き離してくれさえすればアタシがなんとかするよ。……できる?)
(できるに決まってんでしょうが、ここでやらなきゃ女が廃るってね)
思わぬところからの支援により、負傷者に対する懸念は払拭された。
これであれこれ考える必要はない、後は眼前の不良兄貴をがつんと一発おしおきしてやればいいだけだ!!
不敵な笑みを浮かべだした鈴風に対し、ジェラールは一瞬訝しむような表情を見せていた。
だが、彼女の戦闘能力はすでに看破されている。人工英霊でもないただの人間相手、圧倒的能力差で一気に押し込んでしまえばいいと考えたのだろう、特に動じたりすることはなかった。
「何を企んでいるかは知らんが無駄だ。……まずはその癖の悪い両足から斬りとってくれる!!」
どうやら先の戦闘で思いっきり――それこそ床が陥没するレベルで――足を踏みつけられた事を根に持っていたようだ。
低い体勢で突進し、地面すれすれを飛行する猛禽の如く鈴風の右膝目掛けて血濡れの刃を走らせた。
「あぶなっ!? よっ、はっ、とっ!!」
鈴風はそれを小さく後ろに跳躍して回避。
続いて来る二の太刀、三の太刀も危なげではあるが後方へと下がりながら躱し続けることができた。
神速の兇刃をこうも何度も躱せたとなると、最早ただのまぐれとは言えないだろう。そもそも当の鈴風が一番驚いていた。
とはいえ、懐に飛び込まれると槍の間合いが殺されてしまう。
一度仕切り直すために、鈴風はジェラールに背を向け一目散に走りだした。そうはさせんとばかりにジェラールもまた大地を蹴り彼女の背中を追ってきた。
(よし、喰い付いた!!)
追いすがる狂戦士の殺気を背中にひしひしと感じながら、鈴風は心の中でガッツポーズをした。
背筋が氷に変わってしまったような感覚に震えが止まらないが、これでリーシェ達のいた広場から相手を引き剥がせた。
……問題はここからだ。
楯無鈴風は、どうやってジェラール=サヴァンをブッ飛ばせばいいのか。
広場から距離をとってひたすらに走っている以上、自分自身への救援は殆ど期待できない。飛鳥やクロエに頼るのではなく、正真正銘、鈴風自身の手でこの窮地を乗り越えなければならない。
さぁ、今こそ心に秘めた勇気の力を示す時だ。
「さて、と……」
2つの嵐が去っていった中央広場。
大空を駆け抜けていた翼の民達は、今や大地に全身を縫いつけられ文字通り失墜していた。そんな姿に思うところがあるのか、フェブリルは苦々しい表情を浮かべた。
(堕ちた天使、か。別に本物の天使じゃないんだろうけど、やっぱり見てるとイライラするんだよね)
フェブリルにとっては、彼女達有翼人の存在はどちらかというと嫌悪の感情が先に立つものだった。
理由はいくつかあるが、一番の理由としては彼女達の外見が『天使』そのものだったからである。
理屈ではない、目があった瞬間殺意が――とまではいかないが、少なくとも仲良くしようという気持ちにはなれなかったのだ。
忘れ去られがちだが、そもそもフェブリルは『悪魔』と呼ばれる存在である。
偽物とはいえ、天使の姿をしている有翼人に対して良い感情を持てないのは当然といえば当然だろう。
そのため彼女個人の意思としては、別段リーシェ達がここでのたれ死のうが一向に構わなかったのだ。
しかし、
「……そうもいかないよね。こいつらが死んだらアスカ達が悲しんじゃう。できるだけの事はやってあげないと」
今のフェブリルは飛鳥の使い魔だ。
極力彼の意向に沿ってあげるべきだと考える彼女は、何だかんだで義理堅い悪魔なのであった。
周囲を見渡す、誰も彼も負傷は深刻だ。
幸運にも一撃で絶命している者はひとりもおらず、止血と消毒さえすれば危機は脱せられるだろう。
とはいえ、身長15センチのフェブリルではまともに包帯を巻くことすらままならないだろう。彼女自身もそれは承知している。
では、どうするのか?
「――逆巻け」
鈴の鳴るような透き通った声が周囲の空間へと広がっていく。
その一言を引き金に、時間が蹂躙された。
チクタク、チクタク、チクタク……大きな古時計が針を刻むような音が聞こえる。それをBGMに、広場で繰り広げられるのは奇々怪々な光景。
大地を流れる血液が逆流した。
周辺に四散した鎧の欠片が浮き上がり、パズルを組み立てるように破壊された鎧の隙間に入り込む。
それはビデオテープの逆再生を見ているかのようで、とても現実とは思えない光景だった。
「これで、よし」
時計の音が消える。
周囲に倒れる人々の傷は、その着衣に至るまで何事もなかったかのように元通りになっていた。
……否、正確には何ごともなかったことにしたのだ。
大きく息を吐くフェブリルの表情には色濃く疲労が見えていた。
『時間逆行』という神の領域に等しい奇跡の業。彼女の力の消耗も相当のものであった。
方法はどうあれ、これでフェブリルの役目は無事達成できたわけだが、彼女はもうひとつだけやっておきたい事があった。
時間操作を唯一しなかったひとりの騎士――リーシェに向かってゆっくりと飛んでいく。
「はっ……誇り高き騎士サマがいい格好だね」
「お、お前は、いったい……」
フェブリルは満身創痍の騎士に向け、嘲りの声を躊躇なく浴びせかけた。
頭上に浮かぶ小さな悪魔に対して、恐れを隠しきれずに震えた声で応じるリーシェの姿は、何も知らない第三者が見れば滑稽に見えてしまうだろう。
「そんなことはどうでもいいよ。……どうしてアタシがアンタだけ治さなかったか、分かる?」
「いや……」
「見てたんなら分かっただろうけど、さっきの魔法は時を巻き戻すもの。それは肉体だけではなく頭の中、つまりは記憶も含めて丸ごと全部無かったことにするんだよね。つまり、アンタがさっきお兄さんから聞いた真実とやらも綺麗さっぱり忘れちゃうわけ」
フェブリルは、リーシェの顔に触れんばかりの距離までふっと一気に近付いた。そんな彼女の浮かべた笑みは、正しく悪魔そのものといった邪悪なものだった。
「けど、それじゃあ駄目だ! だってアンタその話を聞いて絶望したんでしょ、死にたくなったんでしょ? それを無かったことにするだなんて、アタシがするわけないじゃない! すべてを忘れて楽になんてさせてやるもんか。もっと苦しめ、もっと泣け、地べたを這いずりまわって惨めにもがけ!!」
「…………」
リーシェは絶句した。
これまでは、小さな体躯で飛鳥や鈴風の頭にしがみつき、空を飛ぶか噛みつくかくらいしかできない愛玩動物(のようなもの)としてしか、フェブリルを認識していなかった。それは飛鳥達他の面々も同じ認識には違いなかったのだが。
しかし、彼女は悪魔なのだ。
人間の心、その闇の部分につけこみ、恐怖や絶望を糧とする忌むべき存在。
眼前で悪意に満ちた言葉を吐き、凄惨極まる笑みを浮かべる彼女こそ、本来のフェブリルの姿なのだろうか。
「つまんないの。たかだか生まれ方がまともじゃなかったくらいで、こうも簡単に壊れちゃうなんて。アスカやスズカが見たらなんて思うだろう?……幻滅するだろうね。頼りになる騎士サマが、実は人に指示された生き方しか出来ない木偶人形だったんだから」
だったら、どうして。
どうしてこの悪魔はこんなにも泣きそうな顔をしているのだろうか?
「もう、いいよ。もう無理に言わなくていい」
「……何言ってんのさ」
つまるところ、彼女はリーシェに発破をかけてくれていたのだ。
飛鳥とは剣を交えて互いの腕前を認めあい、鈴風は友だと言ってくれた。
フェブリルは今のリーシェの姿が、そんな彼らの信頼に泥を塗るような行為であると思ったから、こうやって怒っているのだろう。
(……本当に、本当に不甲斐無い。騎士失格だな、私は)
リーシェはそんなお節介な小悪魔の真意に気付いて強く自省した。
「もう大丈夫だよ、フェブリル。確かに私は空っぽの人形みたいなものなのだろうが。……それでも、それでも私は」
「…………」
「私は『騎士』だ。それが他人に作られた役割だったとしても、人々を守る盾として、敵を撃ち払う剣として、私は彼らに恥じぬ『私』でありたい」
きっと自分には、それ以外の生き方なんてできないと思うから。
だったらせめて、こんな自分を認めてくれた人達のために、できることをしたい。
生まれて初めて、リーシェは心からそう望んだ。
それこそが彼女の『希望』。
空虚な精神にひとつだけ宿った、明確で強い意志の表れだった。
覚束ない足取りで立ち上がるリーシェを、フェブリルは神妙な面持ちで見守っていた。できの悪い妹を見つめる姉にも似た、厳しくも優しい、そんな表情だった。
「……馬鹿なヤツ。やっぱり、アタシはアンタが嫌いだ」
「そいつは残念だ。私としては、お前とも仲良くなりたいと思ったけどな?」
「うるさい、行くならさっさと行っちゃえ」
冗談めかした口調で笑うリーシェに、フェブリルはそっぽを向いてしっしと手を振った。照れ隠しなのは分かっているから、何だかとても微笑ましく見えた。
さあ、行こう。
頭の中はぐちゃぐちゃで、まだ自分はどうしたらいいのか、はっきりとは見えてこないけれど。
(スズカ、どうか無事でいてくれ)
今はただ、友のために走ろう。
出血が収まってきたとはいえ、まだまだ身体は本調子には程遠く、一歩踏み出すごとに激痛が全身を苛んでいた。
けれどそれで構わない。痛いのは生きてる証拠だ。
この痛みも苦しみも、前へと進む力と変えて――本当の意味で、自分自身の意思で踏み出した一歩は、どこまでも力強い一歩だった。
「はぁ、はぁ、はぁ、ちくしょう……」
「どうした、鬼ごっこはもう終いか?」
がむしゃらに全力疾走を続け、どこをどう走ってきたかも分からなくなったころには鈴風の全身はズタズタに切り刻まれていた。
人間離れしかかっているとはいえ、鈴風とジェラールの身体能力は次元が違う。
なんとか逃げて続けていると思っていたが、実際のところは、ただあの堕天使に遊ばれていただけだったのだ。
その気になればいつでも鈴風の足を止めることができたジェラールは、後ろから真空を伴った斬撃を飛ばし、彼女の総身をじわじわと切り裂いて嬲っていたのだ。
「リーシェの兄貴だっていうからどんな人かと思ったら、まさかここまで性根が腐ってたとはね……」
軽口をたたきながらも、鈴風の体力は既に限界だった。
身に纏った制服は見るも無残な状態で、四肢からはとめどなく鮮血が溢れている。意識は朦朧として、一瞬でも気を抜いたら二度と目覚めない眠りについてしまうという確信があった。
激痛を通り越し眠気すら感じてきた状態に戦慄した鈴風は、血が出るのもおかまいなしに口の中を強く噛んで無理矢理意識を保つ。
「キサマに話しても詮無きことだが……我々は人工的に作られた生体兵器に過ぎん。リーシェ――お前と共にいたあの女も、いくらでも替えのきく実験体のひとつに過ぎないんだよ! それでもあいつを庇い立てするのか?」
貴様が友だと言った女は、心など持たないただの人形なのだ――獣じみた狂笑を浮かべるジェラールの口から語られる真実は、友を助けるために戦う鈴風の戦意を挫くには充分過ぎるだろう。
だが、
「そんなのどうだっていい! リーシェはあたしの友達だ。綺麗な翼で空を飛んで、すごい剣の使い手で、いつも自信満々で皆を守ってる格好いい騎士なんだ。あたしはそんな彼女に憧れてて、いつか肩を並べて一緒に戦いたいと思ってる。過去がなんだ、生まれがなんだ、あたしはそんな今のリーシェを助けたいんだ!!」
――生体兵器? 実験体?
――だからどうした、あたしの知ってる今のリーシェには関係ない!!
当人達にとっては、自身の存在意義を見失いかねるほどの『過去』。
しかし、鈴風が見据えているのはいつだって今、この瞬間だ。
戦う意思に曇りなし、結んだ友情に翳りなし。
楯無鈴風の信念に、ジェラールの言葉はなんら効力を発揮することはなかった。
「さあ、覚悟しやがれこの不良兄貴め! 泣いて謝るまで許してなんかやらないからな!!」
轟、と風を切り走る。長槍を両手でしっかと握りしめ乾坤一擲の刺突を放った。
閃光と見紛うほどの速度で放たれた撃槍、常人には視認すらできずに貫かれることだろう。
「残念だったな」
……相手が常人でさえあれば。
ジェラールの肩目掛け繰り出された槍は、右手で造作もなく掴み取られその動きを停止させていた。
「クッ……この、離せぇっ!!」
押しても引いても鋼槍は動かない。槍の尖端が壁に埋め込まれてしまったかのようにびくともしなかった。
冷静に考えれば、ここは一旦槍から手を離して距離をとるべきだったのだろう。
しかし、鈴風がそれに気付いた頃には、
「勇気と無謀を履き違えたな。ここは人間が立てる場所ではない」
すでに剣は振り下ろされていた。
鈴風の視界に珠のように紅い宝石が飛び散った。
「ア――――」
自分が斬られたことを認識したのはその後だった。
肩から胸、腰にかけて一振り。
防具など一切身につけていない鈴風の身体はいとも簡単にその刃を受け入れてしまい、肉も、内蔵も、骨も、あっという間に蹂躙された。
景色が斜めに傾く。
嘲り笑うジェラールの姿がゆっくりと闇へと消えていく。
生きるために必要な、とても致命的ななにかが、穴のあいた風船みたいに抜けていくのが分かる。死に際にしては思ったよりも冷静だな、と鈴風は茫然としていた。
――寒いな。
――ああ、これは結構怖いな。これが『死ぬ』ってことなんだ。
消えかかった蝋燭の灯のように薄暗い意識の中で、鈴風は死の恐怖を実感していた。
痛いのは嫌だ、死ぬのは怖い。
誰だってそうだ、当たり前のこと。
それでも、鈴風のこれまでの人生で、そういった事を肌に感じられるような経験など殆どなかったのだ。
死の危険と隣り合わせの世界だなんて、テレビのモニターごしの自分が知る由のない世界だと思っていたから。
けれど、今自分が立っているのはそういう場所だ。
痛いのが当たり前、死ぬのが当たり前。
それを理解した上で、自分はこの場所にいるのではなかったのか?
――結局、あたしには覚悟が足りなかったわけだ。
こうやって死に際にまで追い込まれないと分からない。
自分が目指すべき地平、飛鳥の隣に立つというのはこういう事なのだ。
決意しただの、覚悟はできてるだの、偉そうに言っておきながらこの体たらく。我ながらなんと情けない。
きっと今飛鳥の隣に立てているクロエは、このような事など、とうの昔に覚悟して乗り越えているんだろうな、と鈴風は悔しくもあった。
――助けるとか言っといてこれじゃあ、リーシェにも笑われちゃうや。
自分の周りにいる人は皆戦っている。
たくさん傷ついて、いつ死んでしまうかもしれないという恐怖に立ち向かって、前へ前へと進んでいる。
『勇気』が欲しい、と強く願った。
必死に戦っている皆に胸を張れる自分でありたい、と強く願った。
心の中の自分が、今一度鈴風自身に問い掛けてきた。
――さあ、いい加減に覚悟を決めろ。いつまでも時間は待ってはくれない。
――道は既に示されている、後はお前の決断ひとつ。
――これが最後通告だ。
――楯無鈴風よ、人間やめる覚悟はできたか!!
「上等だあああぁぁぁぁっっ!!」
その咆哮は嵐を呼んだ。
「な、なに――!?」
流出した血液は完全に致死量をこえていた。
目の前の、倒れ伏して動かなくなったこの少女が再起動するなど有り得ない!!
鈴風を中心として突如発生した巨大竜巻は、まるで彼女を守護するように展開されていた。
混乱の極みとなったジェラールの脳に搭載されていた知識の中に、ひとつだけこの現象を証明できるものが存在した。
「まさか……あの女……」
飛鳥が懸念したそれが、見事現実としてこの世界に『誕生』したのだ。
「人工英霊になったというのか、この土壇場で!!」
“祝福因子”適合完了、同時に全細胞を最大活性。
損傷個所の再生開始。
戦闘続行に向け適切な能力、性能を設定すべし。
全身の裂傷はすべて完治している。
手足の調子を動かしながら確認するが、先程の大怪我が嘘のようだ。
その上、全身の細胞が強烈に自己主張している。
――あたしはどこまでも速く走れる、どんな壁だって撃ち貫ける。
証明してみせよう、といわんばかりに力を形に変えていく。
まずは両脚。
膝上に至るまで、翠玉を思わせるような装甲が覆い尽くす。そして踵部分には拳銃の撃鉄にも似た複雑なパーツが形成された。
それに伴い、両腕にも同性能の、肘から先を覆い隠す篭手を形成。
簡素な形状だが、手の甲にあたる部分には細い隙間があり、そこから鋭い疾風が噴出していた。
そして握ったままの鋼槍の構築情報を脳内に取り込む。
・・・・・・記憶完了。
その設計図を元にして再構築を開始。
柄の部分はそのままに、刀身はより風を切り裂く事に適した形状に。
更に尖端部分には機構を追加。
徹頭徹尾、敵対象をブチ抜くための要素を盛り込んだ機械槍として昇華。
鮮やかな翠色の脚甲の履き心地を確かめるべく、軽く爪先を地面に当てる――――ズガンッ!!
「……わーお」
靴ずれを整える程度の打ち付けだったのだが、足元には見事な陥没痕が完成していた。
自分で作っておきながら、鈴風はこの武装の剣呑さに思わず冷や汗をかいた。
彼女の戦闘準備が完了するのを待っていたかのように、周囲を覆う嵐が消滅し、驚愕に目を見開くジェラールと視線が交錯した。
「ごめんね、お兄さん。お色直しに手間取っちゃってさ」
「ば、馬鹿な……キサマ、いったい何者だ!!」
その言葉に、待ってましたとばかりに鈴風は獰猛な笑みを浮かべた。
「あたしの名前は楯無鈴風! 今からあんたをブッ飛ばす女の名前だ、しっかり刻んで忘れるな!!」
いざ、吹かせてみせよう勝利の風を。
人呼んで『嵐を呼ぶ女』、これより出陣だ!!
「あたしは覚悟を決めたぞ。どんな奴が相手だって、どんな壁が立ち塞がったって、この脚と、この槍でまるごと突破してやる。……さあ、今度はあんたの番だ。あたしを倒すってんなら、それだけの覚悟を見せてみろ!!」