―第15話 風と翼、月語り―
何の変哲のない学生がいきなり超常の力を手に入れる、とは異能バトルものではよくある話。けれど、そこにはそれぞれ葛藤や悩みがあって然るべき。今回はそこを掘り下げています。
「……眠れん」
深夜。
リーシェの家で眠りにつこうとしていた鈴風だったが、どうにも目が冴えてしまっていた。
普段はとても寝付きが良い彼女であるが、今日は色々と考える事が多かったためか頭脳が未だにフル回転を続けていたようだ。
研究施設内で見た惨状もそうであるし、先程飛鳥の前では毅然としていたつもりだが、自分が自分でなくなるというのはそう簡単に割り切れそうにはない。
恐怖も不安も決して拭いきれるものではないのだ。
窓の外を見やると、そこには大きなお月さま。
元いた世界と天体の運行が同じかどうかは不明だが、柔らかな光が地上を照らす様は理屈抜きの美しさだった。
散歩でもしようか、と鈴風は制服に着替え始める。
枕元で丸まって眠りにつくフェブリルを起こしたら可哀想だ、出来るだけ音をたてないようにゆっくりと。
「くかー……」
可愛らしい寝息を聞きながら部屋を後にする。
そういえばリーシェの姿がない、彼女もまた外に出ているのだろうか。散歩がてら探してみようかと思い立ち、鈴風は家の外へと踏み出した。
「うう、寒……」
流石の高山地帯、月夜に吹く向かい風は相当の冷え込みだ。
それでも少し肌寒い程度の感覚なのは、向上した身体能力の恩恵によるものか、それとも単なる慣れか――そのようなことを考えながらゆっくりと歩き出す。
闇夜といえど、地表を照らす月光で都会人の鈴風が驚くほどに道は明るかった。そよそよと風にゆれる草原を見ていると、なんだか急に全力疾走したい衝動がこみ上げてきた。
特に抗う理由も無い、無心になって身体のおもむくまま駆け出した。
慣れない考え事で頭が火照ってしまっていたので、頬を撫でる冷たい風が実に心地良い。
(綺麗な世界だな)
空と月、大地と緑。鈴風の視界を占めるただそれだけの光景が途方もなく美しい。ジョギング程度のスピードに歩を緩め、空を見上げながらそう思った。
つい先日まで都会の真ん中で学園生活を謳歌していた自分が、いきなりこんな天国と見紛うような場所に立っている事に未だに現実味がわいてこない。ふと気が付いたらそこは自分の部屋のベッドで、実は今までの出来事はすべて夢でしたと言われても納得出来るほどに。
今日に至るまでに様々な経験をしてきたのであろう飛鳥やクロエならいざ知らず、楯無鈴風の世界には、超人や天使や異世界などといった非常識の存在などどこにもなかったのだ。
当たり前、と言えば当たり前だ。
親しい隣人が、実は炎を出す超人や拳銃振り回す魔女でした。
異世界には天使が住んでいました。
世界中で暗躍している怪人達。
おめでとう、あなたももうすぐその怪人の仲間入りだよ!!
一介の女子学生にそんな事を矢継ぎ早に言われても、
(……きょとーん、なんだよねぇ。スケールがでかすぎてどう反応したらいいのやら)
どうにも遠い話に思えてしまう。
とはいえ、飛鳥達と肩を並べて戦う意思表示をした以上、そのような危機感のない考え方は問題なのかもしれない。
これから先、自分はどうやって変わりゆく自身の世界と向き合っていくべきなのか。
答えの出ない袋小路に陥りそうになった鈴風の耳に、甲高い金属音が聞こえてきた。
「どうしたの、リーシェちゃん? なんだか集中出来てないみたいだけど」
「……いやなに、少し疲れただけだよ。今日はここまでにしようか」
夜天を舞う2つの翼。
いつもの日課である剣の稽古を行っていたリーシェとミレイユだったが、今回は珍しい事にリーシェが終始防戦一方となっていた。
騎士団内ではリーシェの剣の実力は頭ひとつ飛び抜けている。
逆にミレイユは騎士団内でも見習いの立場であり、両手に構えるカタールの動きもまだまだ剣に振り回されている。そのため、本来であればリーシェがミレイユ相手に苦戦することなどまず有り得ないのだが、当の彼女は心ここにあらずといった様子で剣捌きもどこか精彩を欠いていた。
揃って地面に降り立ち、リーシェは大きく息を吐く。
心配そうにこちらを見つめるミレイユの眼差しに、何故か心がちくりと痛んだ。
「なあ、ミレイユ。お前はどうして騎士になろうと思ったんだ?」
「……どうしたの、いきなり?」
「答え辛かったら別にかまわない、気になっただけなんだ。どうして、そうまで頑張って強くなろうとしているのかと思ってな」
これまでは、一度たりとも気にした事のない疑問だった。
リーシェにとっては、騎士であるという事は至極当然のことであり、そこに疑問を差し挟むという発想そのものがなかった。
だが、どうしてだろうか。
飛鳥や鈴風との出会いを経て、自分にとっての『当たり前』に疑念を感じるようになった。
「変なリーシェちゃん。騎士になって皆を守る、そのために剣の腕を磨いているんだって、リーシェちゃんいつも言ってたじゃない。それは私も、他の騎士の皆だって同じだよ?」
「あ、ああ……そうだな、その通りだ」
よどみの無いミレイユの回答。
概ね予想通りの言葉だったが、リーシェはその言葉に何故か寒気を感じていた。
人々の守護のための存在、それが騎士だ。
普段は住民同士の諍いを収めたり周辺の警備をする程度の仕事だが、時には凶暴な害獣を対峙したり、最近では機械仕掛けの獣や外界からの侵略者を相手取る、とても危険な仕事である。
リーシェ達は誰に強制されたわけでもなく、誇りを持ってその使命を全うしてきた。
(……どうしてだ?)
私は何故騎士をしているのだ――いや、違う。
私は何故騎士になりたいと思ったのだ?
いくら記憶を遡っても出てこないのだ。
ブラウリーシェ=サヴァンが騎士を志した瞬間の記憶がどうしても思い起こせない。
兄であるジェラール=サヴァンが行方不明になったから?
……否。私はその前からすでに騎士だった。
他の騎士の姿に憧れて、私もそうなりたいと思ったから?
……違う。私は誰かを目標にしたことなんてない。
守りたい人がいた?
……なんだそれは。守護とは騎士の義務であって、自身がそれを希った事なんて……?
ここまで考えて、リーシェはようやく自分の思考の異常さに気が付いた。
(これではまるで、私は最初から騎士だったようではないか!!)
思い出せないのだ、騎士ではなかった頃の自分の姿を。
剣を握って戦う以外の記憶が、全くと言っていいほど存在しない。
おかしいだろう? それじゃあ私は生まれた瞬間から剣を振るっていたとでも言うのか?
精神が混濁して吐き気がしそうだ。どうして、どうして、どうして――
「……リーシェちゃん。顔、真っ青だよ? 本当に大丈夫?」
「大丈夫だ……すまんがミレイユ、先に戻っていてくれ。私は少し休んでから行くよ」
力無い笑顔で応えるが、本当に笑顔を作れていたかどうかリーシェには自信が無かった。
痛々しげな表情でこちらを何度も振り返りながら飛び去っていくミレイユを見送り、大きく息を吐く。
騎士団の長が、なんたる体たらくか。
迷いを抱えたまま振るう剣で、いったい何が守れるというのか。騎士としての誇りに、存在意義に戸惑いを持った者に戦う資格などありはしまい。
ふと、空を見上げる。
上天の月から降りる冷光がリーシェの総身を纏う鎧を煌びやかに照らしていた。今の、汚泥にまみれたような自身の心とはまるで正反対だな、と自嘲する。
「あれ、もう終わりなの? もうちょっと観戦してたかったんだけどなー」
「スズカ……いつのまに」
背後からの鈴風の声に、リーシェはぴくりと背を震わせた。
どうやら先程からミレイユとの稽古を見ていたようだが……驚いたのはそこではない。
――彼女の気配に全く気が付かなかった。
飛鳥並みの練達者ならともかく、戦の素人であるはずの、しかも気配を隠すそぶりすらしていなかった鈴風の存在に声をかけられるまで気付かなかったとは。
これが戦場ならとっくに死んでいた。
とことんまで錆付いてしまった自身の感覚に最早言葉も出なかった。
「はいはい、ちょっと隣失礼しますよー。……なんだか眠れなくてさ、よかったら何か話でもしようよ」
こちらの返答を待たず、鈴風はリーシェの隣にどっかと座りこむ。
いつも通りの能天気な表情――かと思ったが、どこか彼女の顔に影を感じた。
出会って数日程度の付き合いでしかないが、鈴風の思いつめたような表情は初めて見る。もしかすると、今の自分もこんな顔をしているのだろうか。妙なシンパシーを感じたリーシェだった。
「……少し、私の話を聞いてくれるか」
だからだろうか。
同じ騎士団の仲間であるミレイユには話せそうになかった自分自身への懐疑を、この少女には聞いて欲しいと思ったのだ。
生まれてからの事を、今日に至るまで微細に記憶している人間などまずいないだろうが。リーシェの記憶は、成程確かに『異常』であった。
「つまり……リーシェは気が付いたら騎士になってて、どうして自分が騎士をやってるのか、騎士になるまでの自分がどんなだったのか思い出せなくなったってこと?」
「ああ。これまではそこに疑問を持ったことなんてなかった。だが、お前や飛鳥と出会って思ったのだ。お前達は明確な意志や信念をもって剣を振るい、大悪に立ち向かおうとしている。……では私はどうなのだろう、とな」
守りたい人がいる、追い付きたい人がいる。
そんな2人の意志は誰かに示されたものでは決してなく、大いに悩み、傷つき、考えて考えて……そして下した己が自身の決断によるものだ。
だが、リーシェにはそれがないという。
剣を握り、人々を守り、騎士の誓いに誇りをたてた――そこに至るまでの心象背景が存在しない。
人生を山に例える話はよく聞くだろう。
麓から始まり、様々な人生経験という山道を歩きながら、自分が目指す夢や目標――それぞれの山頂に向かって進んでいく。
それに当てはめるのであれば、いわばリーシェは山頂から登り始めたようなものなのだろう。
ブラウリーシェ=サヴァンは、既に騎士という到達点に立っている。最初から完遂しているのだ。
しかし、鈴風はそれを羨ましいともずるいとも思えない。
なんとなく、ではあるが――エベレストの頂に挑む人の気持ちが解るような気がした。
身も蓋もない話だが、ただ頂上に行くのであれば、ジェット機でもなんでも使えば簡単に到達出来る。しかし、それで到達したと喜ぶ人間などいないだろう。
どれほど危険が待ち受けていようとも、否、むしろ困難だからこそ登って、登って、登って……命がけで頂上を目指すのだ。
だからこそ、意味がある。
到達するであれ、途中で涙ながらに断念するのであれ、彼等の道程はすべからく称賛されてしかるべきだ。
過程あってこその結果。
努力あってこその達成。
青臭い考えだと一蹴されるかもしれないが、少なくとも鈴風はそう信じている。
「……今なら、さ。リーシェの気持ちが分かるかも。あたし、もしかすると飛鳥と同じ人工英霊になるかもしれないんだ。つまり、何もしていないのにいきなりドカーンッ! って強くなるみたい」
「そうなのか?……その割にはあまり嬉しくなさそうだな」
「嫌ではないよ? けど、嬉しいのと辛いのが半々ってところかな。……飛鳥に追い付くための力が手に入るのはすごく嬉しい。けどこの力はきっと、これまでのあたしを否定しちゃうものでもあるんだよね」
「否定?」
「うん。こう見えてあたしも剣を習っててね。その腕前を競う大会なんかがあって、絶対一番になるぞーって張り切って練習してたんだけど。こうなっちゃうと、もう無理かな。皆と同じように竹刀を持つわけにはいかないよ…………ああ、だからか」
鈴風はこの世界に来る直前の、飛鳥との会話を思い出していた。
剣道部の大会を明日に控え、しかし美憂の負傷で欠員がでたため、鈴風が飛鳥に助っ人を依頼した時のことを。
『それでもだ鈴風。部員でもない人間がしゃしゃり出て、それで勝っても嬉しくないだろう? 鈴風が今までずっと頑張ってきたのは知ってる。だからこそ俺もそんなことで鈴風や剣道部の皆に泥を塗りたくはないんだよ』
あの時の飛鳥の表情には、どこか眩しいものを見るような、自分では決して手が届かないものに想いを馳せる憧憬にも似た感情が滲み出ていた。
鈴風はその言葉を、剣道部の問題は剣道部のみで解決すべき、外野の手を借りるのはズルだろうと解釈していた。
その解釈は決して間違いではないし、飛鳥もそういう意味で彼女に伝えた筈だ。
しかしその裏には、人工英霊である自分が出るという事は、鈴風達が必死になって積み立ててきた努力を嘲笑う結果になるという恐れがあったのだろう。
自分も同じ立場になりつつあることで、ようやく気が付いた事実だった。
(こんな思いを、飛鳥はずっと昔からしてたんだろうなぁ……あたしの知らないところで、飛鳥はずっとひとりぼっちだったんだ)
過去を思い返すと、空港の事故より後、飛鳥が他の誰かと一緒に遊んだり運動をしているところをほとんど見た事が無い。
鬼ごっこでも、サッカーでも、それこそ剣道でも同じ事だ。
人工英霊が入れば一瞬で興ざめであろう。即ち強制的な身体能力の飛躍は、同時に他者との隔絶を意味していた。
――でも、それでもいい。
「やはり、辛いか?」
「うん、それでも……飛鳥の隣に立って、あなたはひとりじゃないよって言ってあげられるのなら、それでもいい」
無くなってしまうものがある。
お前の歩いてきた道は無意味だったのだと、積み立てた努力を否定されてしまう。だが、そのかわりに得られるものとて確かにあるのだ。
――そうだ、元よりあたしは宣誓したはずだ。
――必ず飛鳥に追い付いてやるんだって。それがあたしの進む道なんだ。
ずっと悩んでいた、頭の中のもやもやが晴れた気がした。
それはとても単純な事。
自身を取り巻く世界がどれほど目まぐるしく変わったとしても、目指す場所は決まっている。ならば前を向いて、ただひたむきに走っていけばいいだけの事だ。
いきなりすっきりとした面持ちとなった鈴風を、訝しげにリーシェは見つめていた。
「うんうん、難しく考え過ぎてたよ。ありがと、リーシェ! おかげで、あたしがこれからどうすればいいのか分かった気がするよ!!」
「う、うむ……何もした覚えはないが、助けになれたならなによりだ」
「そういうわけで、お礼に一言アドバイス。難しく考えなくていいんじゃない? 過去ももちろん重要なんだろうけど。大事なのは、今どうしたいのかだと思うよ」
「今、どうしたいのか……」
「そうだよ! 心の向くまま、気の向くままに生きてたら、きっと見つかるよ。リーシェだけの『希望』ってやつが。……それでも見つからなかったら、一緒に探そう? 友達なんだからさ」
鈴風のよく通る声は、リーシェの心の内側に滲みわたるように響いた。
(友達、か。思えば、そう言われたのは生まれて初めてかもしれないな)
同じ想いを共有し他愛もない話ができる相手とは、その実とても得難いものであろう。からからと無邪気に笑う新たな友の横顔に、リーシェは心の中で感謝の言葉を紡いだ。
「今宵は、月が綺麗だ」
「そうだねぇ……これでお団子もあれば完璧なんだけど」
揃って月を見上げる。
気のせいではないだろう――夜空を彩るその煌きは、先程よりもずっと優しく二人の姿を照らしていた。
力を得た事で失うもの。多くの小説がとりあげるテーマだとは思いますが、そう簡単に割り切れるものでないだろうし、割り切るべきでもない。どうしてもさらっと終わらせたくはなかったので書いた話です。