―第14話 勇者のココロ―
「では、私は長に報告をしてくる。お前達は休むがいい。私の家を好きに使ってくれて構わん」
一向はオーヴァンに帰還し、報告のためメトセラの下に飛び去っていったリーシェを見送った。
各々、話す事や考えることも大いにあることだろうし、翌朝まで自由行動ということになった。
空は薄い茜色に染まっていた。
お腹がすいたと嘆く鈴風とフェブリルは食べ物を求めて走り出し、残された飛鳥とクロエは今後の事を相談しながらゆっくりと集落内を歩き始めた。
「それにしても、随分と早くこちらに来られたんですね?」
「沙羅さんの発明の賜物ですね。……とはいえ、彼女もここまで早く飛鳥さんを探知できたことに驚いていたようです」
誰かにお膳立てされたように、至極あっさりと異世界への道筋が発見された――とは、クロエをこの世界へと到達させた立役者こと加賀美沙羅の言である。
劉功真は、飛鳥の追撃を回避すべくこの《ライン・ファルシア》に逃走した。
であれば、当然飛鳥を含め敵側の人間には、この世界への道筋が解らなくなるよう隠蔽するのが常道だろう。
自身の領域に誘き寄せて返り討ち、という考えだった可能性もあるだろうが、それは世界を跨いでまで行う策とも思えなかった。
それに、そもそも彼等の本拠地はここにはない。
そうなると、考えられるのは屋上で邂逅した男――リヒャルト=ワーグナーによる手引きの可能性か。
リヒャルトは劉たちが所属する組織である《パラダイム》の首魁なのだが、その行動には謎が多い。
そもそも、敵であるはずの飛鳥をこの世界に誘ったのは、他でもない彼自身なのだ。それがどのような思惑によるものなのか、飛鳥には知る術がない。
「今は考えていても仕方がないか。クロエさん、俺達が帰還すること自体は問題ないんですか?」
「はい。あちら側からの座標誘導が48時間後にありますので、その時に。……でも飛鳥さん、こちらでの問題を解決しないまま帰るつもりはないんでしょう?」
解っていますよ、とクロエは苦笑の表情を見せた。
そもそも『世界移動』などそう簡単にできるものではない。今回クロエが容易に飛鳥達に合流出来たのも、様々な要因が重なった上での偶然なのだから。
そのため一旦元の世界に帰還すると、恐らく《ライン・ファルシア》に再訪するのは極めて困難となるだろう。
「鈴風が見たという研究施設、そしてあの人工英霊も放置は出来ませんから」
「あの気狂いした頭の女ですね……確かに、生かしてはおけません。もう1匹の目障りな害虫諸共、然るべき裁断を下さねば」
柔らかな笑顔を一転させ、クロエは能面の如き無表情で淡々と吐き捨てた。
死神すら可愛らしく思えるほどの冷たい殺意を漂わせる彼女の目を見て、飛鳥は全身をぞくっとさせた。
飛鳥に危害を加えた者は、一切の例外なく何人たりともすべて完膚なきまでに撃滅する。
妖精や天使と見紛うほどの可憐な容姿の内に存在する、暴虐と破壊の化身であり、世界に数人しか存在しないとされる、最凶最悪の鬼札である『魔女』。
それが、クロエ=ステラクラインの本来の姿だった。
彼女の戦闘能力は、その実飛鳥よりも遥かに高位にあたる。
あらゆる暴力も、財力も、権力も、彼女をなびかせることは叶わない。
そのため、本来であればクロエが誰かの下につく事などありえないのだ。
しかし、
「えーと、クロエさん? 俺が言えた義理ではないですけど、あまり無茶しないで下さいね? 何よりも大事なのは、皆で無事に帰る事なんですから」
「むぅ……やつらを許しは出来ませんけど、飛鳥さんがそう仰るのなら」
柔らかい声で諫める飛鳥に、クロエは不満げに口を尖らせながらも首肯した。
この通り、クロエは飛鳥専用なのだ。
彼女の立ち位置は常に飛鳥の隣であり、これまでも、そしてこれからも彼女はそのスタンスを崩すつもりはない。
それもこれも、
(うぅ……鈴風さんが羨ましい。私も敵に捕まって、それから飛鳥さんに颯爽と助けてほしかった……チクショウ、無駄に強い我が身が憎い!!)
今更か弱いヒロインを演じる事の出来ないクロエの、これが精一杯のアプローチだったのだ。
いつだって貴方の傍にいたい。
でも面と向かっては恥ずかしくて言えません。
なんとも不器用な乙女心だった。
「む、むむぐー! むっむぐぐむっむぐむむぐーむー!!(あ、飛鳥ー! こっち来て一緒に食べようよー!!)」
「はぐはぐはぐはぐはぐはぐ!!」
オーヴァンの中央に位置する広場では、多くの有翼人が肉や野菜、果物を持ち寄って祭りの屋台さながらの賑わいを見せていた。
貨幣取引という文化を持たない彼らは、このように自分で調達した食料を他の物と交換するために、この中央広場に集まるのだそうだ。
鈴風は木串に大ぶりの獣の肉を刺して豪快に焼き上げたものを口いっぱいに頬張っており、フェブリルは林檎のような果物に無心にかぶりついていた。
口の回りが肉汁でべとべとになっている鈴風を見て、飛鳥は大仰に嘆息しながら近付いていった。
「あぁもう、汚し過ぎだろう……ほら、じっとしな」
「うにゅうにゅ……」
飛鳥は制服のポケットに入っていたハンカチで鈴風の口を拭ってあげた。
鈴風は恥ずかしそうに頬を赤らめていたが、抵抗することなくされるがままになっていた。
そんな光景を見てぎょっとしたフェブリルが、クロエの耳元に近付いてこんなことを問いかけた。
「ね、ねぇ……あの2人っていつもあんな感じなの?」
「ええ、残念ながら。まったく、飛鳥さんは鈴風さんを甘やかしすぎなんです!!(う、羨ましい……私にもして欲しいけど、絶対引かれちゃいますし……)」
腰に手を当てたクロエは、もう何度見てきたであろうこの甘々な光景に憤慨した。
基本的に飛鳥は世話焼きな性格で、特に身近な人間相手にほどその傾向が強い。
とはいえ、日野森家の面々――しっかり者の姉と、唯我独尊の義兄、折り目正しいクロエと、飛鳥が世話をやく要素がない――に対しそのスキルが発動する機会は極めて少ないため、自然と唯一の手のかかる子である鈴風に矛先が集中したのだった。
ここで、現在に至るまでに日野森家で繰り広げられた飛鳥のお節介ぶりを抜粋してみよう。
『ほら、今日の弁当は鈴風の好きな出汁巻き玉子入れといたから。……毎日は駄目、栄養バランスが偏るだろうが。というかお前はもっと野菜を食べなさい、この間ブロッコリー残してただろ!!』
『制服のボタン取れてるぞ? 俺が付けておくからちょっと貸しなさい。……しわだらけじゃないか、アイロンもかけてやらないと』
『こーらー、炬燵に入ったまま寝るんじゃありません。……なに、部屋まで連れて行け? しょうがないなぁ、まったく(お姫様だっこで布団まで運んだ)』
いくら家族同然の幼馴染とはいえ、少なくとも同年代の異性相手(しかも男側から)への発言ではないだろう。むしろこれは、
「おかーさんだ……」
完全に鈴風のおかんと化していた。
成程、そりゃあこれでは2人がラブロマンスに発展するような事はないだろう。
長い付き合いでお互いを大事に思っていて、何故恋愛関係になっていないのか不思議でならなかった2人の関係。フェブリルの謎がこれでひとつ解けた。
クロエとて、飛鳥と鈴風の間にはまだ恋愛感情というものが存在しない事に気付いていたため、あまりに近しい2人の距離に辟易しつつも強く言及することはなかった。
それにクロエには、今まで人工英霊として戦う飛鳥を支えてきたというアドバンテージがあったため、さほど危機感を感じていなかったのだ。
しかし、今回の異世界騒動によってその均衡が崩れ去ろうとしていた。
「飛鳥さんに色目を使っているわけでもなし、今までは大目に見てきました。しかし、背中を預ける相棒としての居場所までも奪うつもりであれば私も容赦しません」
飛鳥を支えるための力が欲しい――そんな鈴風の希求は、クロエの目から見てもとても純粋で力強い。
その意志を否定するつもりはないし、むしろ共感すらしている。
だからこそ、クロエは鈴風を認めるわけにはいかないのだ。
――我ながら、何とも器の小さいことか。
容姿も性格もまるで違う2人だが、進む道はまるで同じ。
すぐ隣を走っていても、決して交わる事の無い平行線なのだ。
「ああ、そういえば……鈴風、フェブリル。ちょっと話があるからこっちおいで」
ふと、飛鳥が何かを思いたったような様子で2人を手招きした。首を傾げながらも警戒心ゼロで素直に近付いてきた2人に、飛鳥は満面の笑みを浮かべて、
「なあ2人とも。あの時、俺は戦う前に「待っていろ」と言ったよな? それなのに勝手に動いて敵の施設に侵入してきたわけだが……申し開きは?」
「「…………あ」」
静かな怒気をにじませながら、先程までの独断専行に対してお説教を開始した。
オーヴァンに帰還するまでの間、特に話題にも上がらなかったので「あれ、怒ってないのかな?」「た、助かったー!!」などと鈴風達は内心安堵しきっていたのだが、ところがどっこいそうはいかない。
「本当はな? 色々手掛かりも持って来てくれたし、お前達の方から言ってくるなら不問にしようとは思ってたんだよ。けどな……黙ってたらスルーしてくれるとでも思ったのかな?」
「「ギクーッ!!」」
2人の心境は、さながらテストの成績が悪かったのを母親に言いだせなかった子供のようであった。
多くの有翼人達が往来する中央広場――その一角で仁王立ちする母親役の飛鳥と、その正面に正座している鈴風とフェブリル。
大層間抜けな光景であった。
(あれ、やっぱり危機感なんて感じる必要なかったんでしょうか?)
買い被りすぎだったのだろうかと、クロエは半泣きで正座している好敵手をやるせない面持ちで見つめていた。
「……おしおきっ!!」
「ぴぎゃすっ!?」
「フギャーッ!?」
これで手打ちだと言わんばかりに、飛鳥渾身のデコピンが2人の額に炸裂した。悶絶する鈴風、軽く吹き飛んでグルグルと目を回すフェブリルを見て、
「異世界くんだりまで来て、いったい俺は何をやっているのか……」
教育ママが随分と板に付いてしまった事に気付き、飛鳥は大きく溜息をついた。
と、ミニコントも終わったところで。
「鈴風、体の調子はどうだ?」
フェブリルをクロエに預け、飛鳥と鈴風は広場の喧騒から離れた手頃な岩に並んで腰かけた。
先日から気にはなっていた鈴風の身体の変調。
その原因に思い当たるところがある飛鳥は神妙な面持ちで鈴風に問い掛けた。
「うーん……相変わらず絶好調過ぎるんだよね。相当歩いて走ってきたのに、殆ど疲れが残ってないし。……それに、あの研究所の中でジェラールさんと戦った時、まるで自分が自分でなくなった様な感覚だった。なんて言えばいいのかな……身体の中でジグソーパズルが組み立てられてるみたいというか」
鈴風の答えに、飛鳥は顎に手をあて考え込んだ。
あまりに似ているのだ。
飛鳥の脳裏に7年前の炎の惨劇が思い起こされる。あの時、死の間際に得た力の流入と己が存在の変質、それと今の鈴風が感じている変調が別物だとは考えづらかった。
「もしかすると、鈴風。お前は人工英霊になりつつあるのかもしれない」
「何となくそんな気はしてたけど。……でもどうしてだろう。“祝福因子”だっけ? あたしはそれをもらった覚えはないけど」
人工英霊への存在変化。
この推測が正しければ、奇しくも鈴風が望んだ結果であると言えるのだろうが……そもそも人工英霊とはどのようにして成るものなのか?
「“祝福因子”には謎が多くてな。実は俺もそのものを見たことはないんだよ。《八葉》の研究では、“祝福因子”とはナノレベルの物質で、生物と融合してその肉体を作り変えるウイルスのようなものと推測されている」
元より既存科学を超越した存在である人工英霊、それを構築する根源である“祝福因子”の存在もまた、常識のものさしで測る事は困難だろう。
その特異性、その異質さは、飛鳥が身を以て証明していた。
身体能力の爆発的向上、精神の物質化、各人固有の特殊能力――これだけ並べてみると、まるでマンガかゲームに出てきそうな怪物だ。
知らない人間が聞いたら、あまりの現実味のない話に、幼稚な妄想だとすぐさま切り捨てられそうな存在である。
だが、そういう生物であると考えればどうか。
人工英霊をひとつの『生物』として捉えた場合、人間という『生物』と人工英霊をイコールで結び付ける事は難しい。
単純な話だ。
人間に炎が吐きだせるのか、精神力で刀剣を創り出せるのか?
できる訳がない、できるとすればそれは人間ではない別の生き物だろう。
“祝福因子”の生みの親であるリヒャルトが好んで使っていた『進化』という言葉。
恐らく、これがそのまま答えなのかもしれないと、飛鳥は推測していた。
「祝福因子とは人間の『進化』を促すものなのかもしれない。人間の遺伝子情報に作用して、人ならざる存在に突然変異させる。更に言えば、『進化』とは適応のために行われるものだ。俺達人外同士の戦いに巻き込まれた鈴風が、この環境に適応するために無意識に“祝福因子”と結合した……そうも考えられる。しかしそうなると、鈴風がこうなったのは俺のせい、か」
“祝福因子”が空気感染型なのかは不明だが、戦闘状態にあった飛鳥や劉功真の近くにいる時間が長かったのだ、そこから影響を受けていてもおかしくはない。
もし自分が原因で、鈴風を『化物』にしてしまったのであればと考えると……飛鳥の心臓は悲哀と悔恨で軋むように痛んだ。
「ふぅん……じゃあ、もうすぐあたしも火を吐けるようになったりするのかな!?」
「いや、能力には個人差があるから炎とは限らないが……というか鈴風、人の話聞いてたか? お前、人間じゃなくなるかもしれないんだぞ!!」
しかし、鈴風の答えは実に飄々としていた。
あまりに軽い感想、事の重要さが解っていない態度の鈴風に、半ば憤りすら感じてしまい飛鳥は思わず声を荒げてしまった。
「分かってるよ。つまり、飛鳥と一緒になるって事なんでしょ? だったら何の問題もない、むしろ望むところだバッチ来いだね!!」
「お前な……!!」
「それに、言ったでしょ? ひとりでなんて行かせないって」
その発言に、飛鳥は返す言葉が出てこなかった。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、謝ればいいのか。
明朗快活たる鈴風の澄んだ声が、混乱する飛鳥の胸を強く穿った。
人でなくなるという恐怖よりも、自分と同じ道に立つ事が出来る喜びの方が大きい、だなんて――完全に殺し文句だ、分かって言っているのかこいつは。
――人工英霊がなんだ、超人がなんだ。
――俺なんかより、鈴風の方がよっぽど強い『人間』じゃないか!!
「……わかったよ。ただ、調子が悪かったらすぐに言ってくれな? 変に無理するんじゃないぞ?」
「だ、大丈夫だって! 相変わらず過保護なんだから、もう……」
飛鳥は鈴風の両肩に手を置いて、若干過剰気味に心配してきた。真正面かつ至近距離からの強い視線で射抜かれ、鈴風は思わず心臓がドギマギしてしまった。
気を遣いすぎだと、すねた口調で目を逸らしたが、
(一緒の道を進んでもいいんだって、認めてくれたのかな?……だとしたら、嬉しいな。うん、すごく嬉しい!!)
彼女の心中は、飛鳥に認められた事に対する歓喜の感情で満ち溢れていた。
進化だとか遺伝子がどうだとか、難しいことは分からないけれど。
それが少しでも飛鳥の進む道に繋がるのならば、きっとどんな事でも乗り越えていける。
純粋な想い、確固たる決意。
彼女の意志はきっと、誰よりも強くて眩しい勇者の意志だ。