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AL:Clear―アルクリア―   作者: 師走 要
STAGE4 氷夏
169/170

―Intermission05 2年1組夜浪先生 ―

 外では焼け付くような太陽の光が降り注ぎ、四方八方から(せみ)の鳴き声がミンミンカナカナツクツクホーシと大合唱。

 先日白鳳市を襲った大雪のことなどあっという間に忘れさせるほどに、今年の夏は一段と暑かった。

 7月17日。

 これは、1学期の終わりを迎えた学園で起きた出来事である。


「それじゃあ通知表渡していくわよー。呼ばれた順から前に出てらっしゃーい」


 特にこれといったトラブルもなく終業式が終わり、教室に戻った2年1組夜浪先生は、学期末の恒例行事である通知表の受け渡しにとりかかっていた。


「ブラウリーシェ=サヴァンさーん。……ま、まぁ、留学生だものね。慣れない日本だったものね。仕方がない仕方がない」


「や、やめてくれ! そんな無理矢理に気を遣ったような発言をしながら遠慮がちに渡してこないでくれ! もうそれだけで中身が分かってしまうから!!」


 まずリーシェについては、ある程度予想通りだったが軒並み低空飛行の成績だった。

 しかし彼女は5月に転入してきて、右も左も分からない状態で頑張ってきたのだ。そんなリーシェの頑張りを落第レベルと切って捨てるのがあまりに気が引けた霧乃は、下手な慰めの言葉をかけることしかできなかった。

 続いて、


「楯無鈴風さーん。出直してこい」


「いきなりひどい言われよう!? 担任が生徒にかける言葉とは思えない!!」


 こちらはこちらで予想通り、このクラスきっての問題児の番である。

 授業中に堂々と居眠り、早弁(午前の授業中にお弁当を食べてしまうこと)、成績は言わずもがな壊滅的。

 リーシェとは違いこちらは完全に素行の問題だったため、霧乃は何の躊躇もなく鈴風に言葉の暴力を投げつけることができた。それも教師としてどうなんだ、というツッコミは彼女には聞こえない。


「鋼刃九朗くーん。……ちっ」


「なぜ舌打ちをした。特に問題のある成績ではなかったはずだが」


 最も予想外だったのがこの鉄面皮だ。

 授業態度は(霧乃の授業を除いて)模範的であり、成績も総じて上位をキープ。理系科目においては学園トップクラスという秀才ぶりを見せていた。

 これまで彼に振り回されて散々な目にあった霧乃としては、ここらで一度ぎゃふんと言わせたい思惑があったりしたのだが……これではぎゃふんと言うのは霧乃の方だった。


「日野森飛鳥くーん。……うんうん、大変よくできました。霧乃お姉ちゃんが花丸を押してあげよう」


「公私混同はほどほどにしてくださいね……?」


 ようやくまともな通知表の受け渡しができた瞬間だった。

 授業態度、成績ともに優等生そのもの。《八葉》の仕事やこれまでの騒動に巻き込まれつつも、こうやって勉学を疎かにしないのは非常にポイントが高かった。それを言うなら他のメンバーも同じだろうとか、どう見てもえこひいきだろうとか、そんな言葉は一切聞こえていない。


「レイシア=ウィンスレットさーん。……普通ね。何もコメントが思いつかないほどに普通ね」


「……いやいやいやいや他にもっと言うことありますでしょうよどう見ても私の時だけ他の面子に比べて評価が手抜きっぽいというか明らかにテキトーに返してますよねってか普通って何ですか普通ってある意味一番リアクションに困るんですけどあのちょっとさっきからどうしてこっちと目を合わせようとしないんですか」


 以下省略。

 特筆すべきこともなかったのでこの場面は終了である。





「夏・休・みー! きゃっほう、あたしたちは自由だー!!」

「いえーいっ!!」


 一学期最後のホームルームが終わった瞬間、生徒たち(と部外者のチビッ子1匹)は揃って歓喜の声をあげていた。

 喜び勇んで教室を後にする子供たちの背中を見送りながら、自分にもあんな頃があったわねー、と霧乃は少しばかり懐かしさに浸っていた。

 しかし、中には夏休みを返上してこの暑い中学園に来なければならない人間だっているのだ。

 それは霧乃たち教師陣は当然のごとく含まれている。

 そして残るは――霧乃はきゃっきゃわいわいと跳ねまわりながら教室を出て行こうとするひとりの女生徒の肩をぐっと掴んだ。


「たってなっしさんっ♪ 赤点祭りで補習まっしぐらなあなたは、い・の・こ・り・よ?」


 全身をカタカタと震わせながら、今にも泣き出しそうな形相で振り返った鈴風に対し、霧乃は満面の笑顔で言い切った。この反応……絶対に補習と分かっていて逃げ出そうとしていた様子だった。


「……あ、あたしの自由は?」


「あるわけないでしょ」


「あたしの、サマーバケーションは?」


「なぜわざわざ英語で言ったのか。喜びなさい、私と2人っきりのドキドキ個人授業で全日程予約済みだから」


「……マジすか」


「マジよ」


 他に誰もいなくなった教室で、2人は無言のまましばらく佇んでいた。なお、フェブリルは危険な気配を察知したためさっきどこかへ飛んで行った。

 頬をだらりと汗がつたう。

 やかましかった(せみ)の鳴き声が、どこか遠くに感じられた。

 一時の静寂。そして、


「い、いやだあああああああああああっ! 夏休み! 海に山にお祭りがあたしのことを待ってるっていうのに、こんな仕打ちはあんまりだあああああああああああっ!!」


「うるっせええええええええええええっ! 私だって休日出勤してアンタなんかとこのクソ暑い教室で2人きりなんざ嫌に決まってんでしょうが! 返せ! 私の貴重な休日を返しやがれええええええええええええええっ!!」


 揃って噴火したひとりの教師とひとりの生徒による魂の叫びが、真夏の空へと溶けては消えていった。





 それから数時間後。


「はい、今日の補習はここまでよ。……ほら、死んだ魚みたいな目してないでさっさと帰んなさい」


「夏休み……あたしの、夏休み……」


 ヒグラシの鳴き声が赤くなった空に染み込んでいくころ、霧乃先生のドキドキ個人授業(夏休み延長戦)にようやくひと区切りが付いていた。

 ゾンビみたいな足取りでよろよろと教室を出ていく鈴風を見送り、職員室に戻る途中、


「あら、こんな暑い中精が出るわねぇ」


 パァンッ! と小気味のいい音が剣道場の方から聞こえてきた。

 てっきり生徒たちは全員帰ったものだと思っていたが、どうやら練習熱心な子が残っていたようだ。

 近くの自販機でペットボトルの水を買ってきた霧乃は、竹刀がぶつかり合う音が消えたのを見計らって、剣道場に足を踏み入れようとしたが、





「部長……好きです! 私と付き合ってください!!」





(ふおおおおおおおおおおおおおおおっ!?)


 唐突に始まった愛の告白に、思わず扉の近くに身を隠した。

 やばかった。

 あと一瞬判断が遅れていたら、一世一代の告白シーンに堂々と入り込んで場の空気をぶち壊しにするところだった。

 おそるおそる、扉の端から中の様子を窺ってみる。

 告白された部長――村雨蛍は明らかに狼狽した様子で、どう答えを返せばいいのか困り果てている様子だった。

 端から見ている霧乃だって、その気持ちはよく分かる。

 いや、いきなり「好きです」なんて言われたら困惑のひとつもするだろうとか、そういう問題ではない。


(相手の子も、女の子やん……)


 夕暮れ時の剣道場で巻き起こる超展開。

 お年頃の学生だもの、恋愛沙汰のひとつやふたつ、目にする機会もあるだろうと思っていた霧乃だったが、まさか女の子同士の告白シーンに遭遇しようとは夢にも思わなかった。

 ちょっとした冗談、ちょっとしたお茶目で言ってみただけ、なんてことは――


「あ、あの、(ひいらぎ)さん? 分かっているとは思いますが、私もあなたも女ですよ?」


「私、本気なんです。性別の違いなんて些細(ささい)なこと。男も女も関係ない、私は村雨部長のことが好きなんです!!」


(いやいや関係大ありでしょうよ!!)


 完全に目が本気だった。

 そして言動も色々と問題だった。

 いつもは凛としてクールな蛍だったが、流石にこんな状況では慌てるしかなかったようだ。

 恋の炎に狂った部員の女の子がじりじりと近付いてくる。そして蛍はじりじりと後ろに下がっていく。壁際にまで追い詰められ、半泣きの状態であわあわと口を動かす彼女の姿は、ライオンを前にした子ウサギのようだった。

 そして、助けを求めるように視線を泳がせていた捕食対象蛍ちゃんと、入口で固まったまま動けなかったデバガメ教師霧乃さんの視線が交錯した。

 ――以下は、2人が目線だけで会話した内容となっております。


(うげっ!? 見つかった!!)


(ちょっと夜浪先生! いかにも嫌そうな顔してないで助けてください!!)


(いやぁいくら何でも生徒同士の恋愛に首突っ込むほど、私も空気を読めない女じゃないからね)


(そんなこと言ってる場合じゃないことくらい見たら分かるでしょう!? この子の顔見てくださいよ! 目が血走ってて普通に怖いんですって!!)


(そこは……ほら。若者ゆえの愛の暴走というか? 部長だったら男らしく受け止めてやんなさい)


(絶対イヤです! というか誰が男ですか)


 実は結構余裕そうじゃね? とも思ったが、これ以上神聖な剣道場で百合(ゆり)の花を咲かせるのも問題だろう。

 霧乃はやれやれと溜め息をつきながら、禁断の愛のシーンを止めるべく2人の間に割り込んでいった。

 さて、どうやってこの修羅場を収めればいいものか。

 ぎろりとこちらに振り向いてきた女子部員の目は、完全に殺しにくる者の目をしていた。どうしてこんな普通の子が、並の魔術師とは比較にならないほどの殺気を放っているのか……恋の力とはおそろしい。

 しかし、霧乃は経験豊富な大人の女性であり、数多の死地を潜り抜けてきた歴戦の強者である。こういった相手の対処法などいくらでも思いつくのだ。


「とうっ」


「きゃいんっ!?」


「ええええええええええええええっ!?」


 瞬きの間に女生徒の背後に回り込み、首筋に手刀を一発。尻尾を踏まれた犬みたいな悲鳴をあげた彼女は、そのままぐったり。まさかの力技で解決しにかかったことに、蛍はびっくり。

 映画のワンシーンのごとき鮮やかな手際だった。

 なお、どうして首の後ろを叩いただけで気絶させられるのかとか、そういう部分に触れてはいけない。


「ひ、柊さんっ!? ちょっと夜浪先生、いくら何でもこんな――」


「安心なさい、みねうちだから」


 そういう問題ではない。

 どこからツッコめばいいのか分からなかった蛍だったが、形はどうあれ助けられたのは事実なので、それ以上の追及をすることはなかった。

 柊と呼ばれていた女子生徒は、保護者に連絡して迎えに来てもらい無事に帰宅。

 なんやかんやあって、剣道場には霧乃と蛍の2人だけになった。


「とりあえず、お疲れ様。ちょっとぬるくなっちゃったけど、はいコレ」


「あ、ありがとう、ございます……」


 霧乃はここに来る前に買っておいたペットボトルの水を投げ渡す。時間が経ちすぎてあまり口を付けたくない温度になっていたので、受け取った蛍は何とも言えない微妙な表情をしていた。


「それじゃあ、あんまり暗くならないうちに帰んのよ~? 最近は色々と物騒なんだからね」


「……待ってください」


 ひらひらと手を振りながら剣道場を後にしようとした霧乃の背中に、さっきまでとは違う固い声色で待ったをかけられた。


「どうして……そうやって普通に接してくるのですか」


「どういう意味かしら」


「分からないとは言わせません。私は《パラダイム》の人工英霊。先生はその場にいなかったとはいえ、以前に私が日野森さんや鈴風さんを襲ったことはご存知でしょう」


 日本刀のような鋭さでこちらを睨みつけてくる蛍の視線を受け、霧乃は特に怖気づくこともなく普段通りの態度で頷いた。


「ええ、そうね。弟くんから聞いてたから、よく知ってるわよ。……で? それがどうしたの(、、、、、、、、)?」


「どうしたって……! あなたにとって私は明らかな敵でしょう! いつ再び、日野森さんやあなたたちに刃を向けるか分からない相手を前に、どうしてそんな危機感のない態度ができるかと聞いているんです!!」


 柄にもなく声を荒げる蛍に対し、霧乃はあぁ、とようやく気が付いた様子でぽんと手を叩いていた。

 確かに、蛍からすればここ1ヶ月間は気が気でなかったのだろう。

 “傀儡聖女”がらみの事件で大暴れしておきながら、こうやって学園にいても何を追及されるわけでもなくただ黙認されている。

 あの事件以来。飛鳥たちから一切なんの敵対行動をとられることがなかったのは、蛍にとっては理解しがたいことだった。


「あなた方は、いったい何を企んでいるのです! その気になれば私などいつでも叩き潰せるとでもお考えですか?」


「別に、みんなで示し合わせてあなたのことを黙認してるってわけじゃないのよ? まぁ、クロエあたりは警戒心MAXで目を光らせてそうだケドね」


 今にも斬りかかってきそうな勢いの蛍にも分かるように、霧乃は少しゆっくりとした口調で諭しかけた。


「弟くんや鈴きちが、どういった気持ちであなたのことを見ているのは本人に直接聞いてみなさいな。ちなみに私にとっては、あなたは生徒だから(、、、、、)ってだけの理由よ」


「っ……」


「どんな事情があって、これまでどんなことがあったのだとしても、こうしてあなたが白鳳学園の生徒としてここに来ている限り、私にとってのあなたは、かわいい教え子のひとりに過ぎないってわけ」


 《九耀の魔術師》として、戦いに身を投じる者としては大甘すぎる判断なのだろう。

 しかしこの学園の教師としての霧乃は、何があろうと生徒の味方でありたい――ただそれだけの思いで蛍と接していくつもりだった。


「そんな理由で……」


「じゃあこっちからも聞くわよ、どうしてあなたは今でもこの学園に来ているの? 身の危険を考えれば、それこそ《パラダイム》の拠点――があるのかどうか知らないケド、そこに身を寄せた方がよかったんじゃない?」


「それは、確かにその通りですが……曲がりなりにも私はこの剣道部の部長です。来月の全国大会に向けてみんな頑張っているというのに、私だけ身勝手な都合で離れるわけにはいきません」


 俯きながら答える蛍を見た霧乃は、ふとこんなことに気が付いた。


(ああ、誰かに似てるなと思ったら……この子、弟くんとそっくりなのね)


 いつも真面目で、周りへの思いやりがあって、責任感が強くて。

 そして、必要以上に自分を縛りつけようとするところなどは特に。

 そう考えると、霧乃は蛍に対して親近感が湧いてきた。


「そうやって部員を気遣ってあげられる優しい子を、私が見捨てられるわけないでしょうが。あなたが(、、、、)私の生徒である限り(、、、、、、、、、)、困っていたら助けてあげるし、悪いことしようとするなら(ケツ)引っぱたいて止めてやるわよ」


「優しいなんて……私は」


 納得しきれてはいないようだが、表情からさっきまでの険がとれたところから、一応はこちらの言い分を飲み込んでくれたようだ。

 これ以上の問答は不要だろう。あとは彼女自身が考えて決めることだ。


(うんうん、我ながらいい先生できてたんじゃないかしら~? これで学園内での私の人気もうなぎのぼり間違いなしってね)


 大岡裁きも真っ青の名采配だと、霧乃の心中では自画自賛が止まらなかった。

 そんな有頂天っぷりが顔に出ていたのか、


「先生、笑い方が気持ち悪いです」


 今までの感動的なやり取りが色々と台無しになるところまでが霧乃クオリティだった。

 夜浪霧乃、24歳独身。

 学園では「ちょっとアホっぽいけどいざと言う時には頼りになる」と生徒たちからもっぱらの評判であった。


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