―第161話 幻冬去りて夏来たる―
突如、真夏の白鳳市を襲った異常気象。
その収束は実にあっけないものだった。
街中を覆い尽くしていたまるで幻を見ていたかのように跡形もなく消え去り、一部都市機能にもダメージはあったものの、そこは最先端の技術発信都市。わずか1日足らずで街は元の喧騒を取り戻していた。
それから1週間後。
事件の後始末もひと段落しようやく自由な時間ができた飛鳥は、暇だからとついてきたフェブリルを伴い、休日を使っていくつかの用事を済ませておくことにした。
用事は2つあった。
まずひとつ目は、今回の事件で大怪我を負った友人のお見舞い。
先にすずめ荘で療養中のクラウを訪ねてきたのだが、
「ぶ、部長……なんですか、その黒くてうねうねして変な匂いを醸し出している物体は」「ふふふ、腕によりをかけて作った自信作なのです。一口食べれば元気もりもり間違いなし!!」「いや、これは……食べたら元気どころかむしろトドメさされそうな気が……」「もぅ、クーちゃんは我がままなんですからー。仕方がないからわたしが食べさせてあげるのですよー。あーんしてほしいですか? それとも、く・ち・う・つ・し?」
そんな会話が外にまで聞こえてきたものだから、部屋の扉をノックするのが躊躇われたのだ。
ちょっと時間を置いてまた来ようかと扉の前で悩んでいた飛鳥に対し、後ろから肩を叩いてきたレイシアが、
――邪魔だからさっさと帰れ。
と、親指でくいっと出口を指差しながら目で訴えてきた。
どうやら、クラウも修羅場に入るみたいだ。つい先日まったく同じような思いをした飛鳥には、これからの彼の苦労が痛いほど理解できた。
お大事にー、と小声で呟きながら忍び足ですずめ荘を後にした飛鳥の耳に、
「そ、それじゃあ口うつ――」「さぁあなたの専属美少女ナースレイシアさんが来てやったわよー。どんなケガもすぐ忘れられるような熱烈看病で、今すぐ天国に連れて行ってあ・げ・る♪」「レッシィ!? ね、ねぇ、どうして看病と言いながら、そんな力いっぱい拳を握りしめているのかな?」「だから言ってるじゃない、天国に連れて行くって。なぁに大丈夫、痛いのは最初だけ、最初だけだから」「……あのさ、レッシィ」「あによ」「その台詞、なんだかエロい「よし逝ってきやがれええええええっ!!」ぎゃあああああああああああっ!?」「く、クーちゃああああああああああんっ!?」
心配するのもアホらしいほどに元気いっぱいなクラウの悲鳴が聞こえてきた。
続いて、学園で大立ち回りを演じた一蹴が入院している病院にも顔を出したのだが、
「来るんじゃねぇ」
と、病室の扉ごしに釘を刺されてしまった。
これは名誉の負傷だ、お前に心配される筋合いはねぇ、俺が勝手に暴れて勝手にケガしただけだから、と頑なにお見舞いを拒否されてしまったのだ。
「ボコボコにされてみっともない姿を見られたくないんでしょうよ。まったく、変なところで意固地というか、馬鹿みたいにプライドが高いというか……」
先にお見舞いに来ていた、彼の幼馴染である加賀美沙羅の言葉だ。
そういう彼女は特に追い出されることなく、すんなり病室に入って甲斐甲斐しく世話を焼いている様子だったので、どうやらこちらでも飛鳥は邪魔者のようだった。
なんだかなぁ、と思いながら病院を後にした飛鳥の耳に、
「どんな無様な姿をさらしているかと思って来てみれば……意外と元気そうですね」「お? 誰かと思ったらこの間のロリっ子じゃねぇか」「その呼び方はやめなさい、今すぐ挽き肉にしてやりましょうか」「悪い悪い。で、フランちゃんも見舞いに来てくれたのかい?」「……一応、貸しがありますから。何もしないままでは主人の面子に関わります」「素直じゃないねぇ」「一蹴? ちゃんと大人しくしていますの……って誰ですの貴女あああああああっ!? い、一蹴……まさか一蹴の女の趣味が、こんな」「おい沙羅、いきなり入ってきて盛大な誤解かましてんじゃねぇ!!」「もう帰っていいですか」
こっちもこっちで心配なさそうな騒ぎ声が聞こえてきた。
どこもかしこも修羅場だった。
「もう夏だって言うのに……俺の周りは揃いも揃って春真っ盛りなんだなぁ……」
「同じ穴のムジナ。今の飛鳥にはぴったりの言葉だと思うんですけど?」
中途半端ではあったが無事にお見舞いも終わり、飛鳥たちは近所の公園で一休みしていた。フェブリルが肩の上に座って、至極もっともな文句を言ってくるが無視。
先日の真冬の空気が嘘のように、暴力的な夏の日差しがじりじりと肌を焼く。
抜けるような蒼い空もこの暑さの前では何のありがたみもなく、飛鳥は少しだけ以前の異常気象が恋しくなった。
近くの自動販売機でスポーツドリンクの缶と紙パックのオレンジジュースを買った飛鳥は、ちょうど木陰に入っていたベンチに腰を下ろした。
「ほれフェブリル、脱水症状になるといけないからちゃんと飲んどきな」
「あいっ」
ストローを指したオレンジジュースを受け取ったフェブリルは、肩から飛び降りて飛鳥の隣でちうちうと美味しそうに飲み始めた。
飛鳥もアルミ缶のプルタブを引いて、ゆっくりとスポーツドリンクを喉に通していく。
「そういえばアスカ、もうひとつの用事って?」
「しばらくすれば分かるよ」
2つ目の用事について、フェブリルが紙パックを全身で支えながら問いかけてきた。
別に教えてあげてもよかったのだが、待ち人はもうすぐそこまで来ていたのだ。
うだるような暑さが続く中、いきなり公園の中を涼しげな風が通り抜けた。
「……随分とくつろいでいるな」
「よう雪彦。お前の分の飲み物はないから自分で買ってこいよ?」
待ち人来る。
ベンチにもたれかかっていた飛鳥の前に、いつの間にかひとりの男が立っていた。
くいと眼鏡を持ち上げながら、待ち人――霧谷雪彦は呆れた表情でこちらを見下ろしていた。
隣のフェブリルは驚きのあまりぽかんと口を開いたまま動けずにいた。誰を待っているのか思ったら、数日前に自分たちと殺し合いをしていた相手だったのだからそりゃあ驚きもするだろう。
数日前、いきなり飛鳥宛てに雪彦から連絡があり、一度会って話をしようということになったのが2つ目の用事である。
特に示し合うこともなく、飛鳥は固まっていたフェブリルを持ち上げてシャツの胸ポケットに放り込み、雪彦は空いた隣の席に腰を下ろした。
「それで? 俺が勝ったんだから約束通り話してくれるんだろうな?」
「馬鹿を言え。いつ俺がお前に負けた」
確かにあの戦いの決着はうやむやになってしまっていたが、互いに自分が負けたなどとは露ほどにも思っていなかった。
以前の殺し合いが嘘のような、まるでかつての親友同士に戻ったような気安いやり取りに、2人揃って苦笑した。こんな言い争いをするためにわざわざ会いに来たわけではないだろうに。
「とりあえず、今回は引き分けにしておこう。それで何も話さないというのもフェアじゃない気がしてな……ひとまず、話せる範囲のことは教えてやる」
「なんでそんな上から目線なんだよ……」
腕を組んでうんうんと頷く雪彦の態度に、どうにも納得がいかない飛鳥だった。
ともあれ、聞いておきたいことは山ほどあった。
「俺に戦いを挑んできた理由っていうのは、俺を第二位階に引き上げるためだった……ってことでいいのか?」
「第二位階への『進化』は単なる通過点に過ぎない。《パラダイム》が真に求めているのは、第二位階のその先――『進化』の最果てである“AL:Clear”への到達だ」
「アルクリア……」
第二位階到達時にも耳にしたその言葉。
その意味はまるで分からなかったが、それが《パラダイム》という組織の目的だということには何故かすんなりと納得がいった。
「これまで《パラダイム》が俺達を試し、まるで成長を促すようなやり方をしてきたのも、そのためだと?」
「そういうことだ」
今までの戦いを思えば、その事実はさして驚くことでもなかった。
「だったら俺に執着する必要なんてどこにもないだろう。それこそお前なりシグルズなり、人工英霊だったら誰でもよかったんじゃないのか?」
「かもな。だがお前も体感した通り、次の段階への『進化』は極限的な状況でしか発生しない。そのために、お前達を追い込んで土壇場の馬鹿力を期待したのかもしれん」
随分とはた迷惑な話だった。
しかし、そこは雪彦も推測の域を出ないようだ。もしかすると、また別の理由があるのかもしれない。
どちらにせよ、それは《パラダイム》の思惑であって雪彦自身の考えではない。
「お前はどうして、そこまでして“AL:Clear”とやらを追い求める?」
日野森飛鳥の『進化』を誰よりも切望していたのは、他ならぬ雪彦だった。その動機が、まさか“AL:Clear”に対しての、単なる知的好奇心だけというわけではないだろう。
その質問に対し、雪彦は小さく息を吐き出し、どこか思い詰めた様子でこう答えてきた。
「なぁ飛鳥。……もしも、死んだ人間が生き返るって言われたら、信じるか?」
いきなり妙な質問を返されたことで、飛鳥は一瞬言葉に詰まってしまった。
何の気もなく聞いてきた雰囲気ではない。飛鳥は少しだけ考えて、しっかりと雪彦の目を見据えながら答えた。
「人間、死んだらおしまいだ。いくら魔法や奇跡で生き返ったところで、それは別のナニカだろうよ」
「……そうか」
雪彦はそう答えたきり、空を見上げて何もしゃべらなくなった。
飛鳥の答えに対して思うところがあったのか、そもそもどうしてこんな質問をしてきたのかすら分からなかったが……それが、雪彦にとってはとても大事な意味を持つものだったかもしれない。
お互い、しばらく何も言葉を交わさずベンチの後ろに背中を委ねていた。
飲み切ったスポーツドリンクの缶から滴が落ちて、地面に染みこんでは消えていく。
乾いた風が頬を撫でて、フェブリルが口を挟むタイミングを計りかねてポケットから顔を出したり引っ込めたりを何度か繰り返したところで、
「それじゃ、今日のところはここまでだ」
雪彦が立ち上がり、左手を軽く上げながら背中を向けた。
引き留めるべきだったのかもしれない。他に聞いておきたいことはたくさんあったはずなのだが、ほとんど思い出せなかった。
「次に会ったら、また戦うのか」
「そうだな。お前がパラダイム側に来ることがありえないように、俺がそちら側につくこともありえない。『進化』の最終地点にたどり着くまで、この争いが終わるなどとは思うなよ」
それは宣戦布告であり、また忠告でもあった。
この戦いを終わらせるには、結局のところ戦う以外に道はない。
そんなどうしようもない事実を突き付けたまま、雪彦は公園を後にしていった。
木々に隠れて見えなくなるまで、飛鳥は親友だった男の背中を見つめていた。
「追いかけなくてよかったの?」
ポケットから顔を出してきたフェブリルがこちらをじっと見上げてくる。
どう答えたらいいものか少し迷う飛鳥だったが、
「いーんだよ、これで。俺達は、これくらいでちょうどいい」
初夏の青空に向かって、そんな言葉を溶かしていった。
ベンチから立ち上り、雪彦が出ていった方とは逆方向の出口に向かって歩き出す。
次に出会うのがまた戦場で、そしてまた命を燃やす戦いになるのが必定だったとしても。
「殴りあうことでしか分かり合えない場合だってあるんだよ。男ってのはそういうもんだ」
「……変なの」
日野森飛鳥と霧谷雪彦の関係は、割り切ってしまえばそういうものだ。
理屈ではない、暑苦しい男の考え方に対し、フェブリルは終始首をひねるばかりだった。
「そんなことより、夕飯の買い物して帰るぞ。今日はお前がリクエストしてた焼肉にするからなー」
「なんとっ、今夜はパーティーではありませんか! そうと決まればダッシュだよアスカ! 美味しいお肉はいつまでも待ってくれないんだからね!!」
今年の夏は、いつにも増して騒がしくなりそうだ。
ご飯の話をするだけでコロッと態度が一変した使い魔に苦笑しつつ、飛鳥は初夏に彩られた空の下を歩いていった。