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AL:Clear―アルクリア―   作者: 師走 要
STAGE4 氷夏
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―第159話 セカンド ⑦―

 灰色の雲の隙間から覗く沈みかけの夕日だけが、その戦いの見届け人だった。


「うおらあああああああああああああああああああっ!!」


 凍り付いた海の上で、2匹の獣が暴れ狂う。

 炎を纏った飛鳥の拳が雪彦の胸を貫いた衝撃で、“ヤドリギ”の鎧に致命的な亀裂が入りぼろぼろと崩れ落ちていった。


「ぐっ……があああああっ!!」


 第二位階(セカンドフォーム)を解除され、血反吐を吐き出しながらも、雪彦は裸になった握り拳で飛鳥の顔面を強打してきた。

 鼻の骨が砕けて、鉄錆の匂いが喉奥に充満する。

 たたらを踏みながらもなんとか立ち止まるが、ここで全身から力が流れ出ていく感覚が襲ってきた。どうやら飛鳥も第二位階の維持が限界のようだった。

 強烈な眠気が、飛鳥にさっさと倒れてしまえと催促してくる。

 身体中の細胞が、もうこれ以上は動けないと叫んでくる。


「ざっ……けんな!!」


 そんな肉体からの悲鳴を、飛鳥はすべて一顧だにせずねじ伏せた。

 肉が千切れようと骨が砕けようと、このケンカ(、、、)を止めたくない。

 本能のおもむくままに右脚を振り上げ、眼前の男の腰をしたたかに打ち付けた。


「……っ!?」


 ここより先、2人はもう人間らしい言葉を発することはなかった。

 相手を殴り、蹴り、完膚なきまでに叩き潰す。

 それだけしか考えることができない、野生の獣と成り果てていた。

 拳と拳がぶつかり合う。肩から先の感覚が分からなくなった。

 槍のように鋭く繰り出したつま先が、相手のみぞおちに深く食い込む。それと同時、側頭部に衝撃、吐き気がするほどに脳が揺さぶられた。

 首筋を噛み切らんと、歯を剥き出しにして懐に滑り込む。がちん、と空を噛んだ音が鳴った。

 下顎から跳ね上がるような一撃。両足が地から離れ、視界が真っ暗になった。


(……なんで俺、こんなことやってるんだろ)


 わずかな浮遊感の中、飛鳥は意識の隅っこでぼんやりとそんなことを考えていた。

 今、自分がどこにいるのか。

 いったいどうして殴り合いのケンカなどしているのか。

 何か大事な理由があって、何か大事なことのために戦っていた――本当にそうだったのかどうかすら、もう定かではない。


(まぁ……いいか)


 ずしん、と背中から氷の大地に倒れ込み、腹の奥から空気が無理矢理に吐きだされた。

 もう、痛みはほとんど感じられなかった。まだ手足がちゃんと付いているかどうかも分からない、夢でも見ているかのようなふわふわとした心地の中、立ち上がる。

 口の周りを血で汚した男が、何かを叫びながらこちらに向かってくるのが見えた。大きく拳を振り上げて、今にも自分を叩き伏せようとしている。

 それは倒すべき敵だったのか。分かり合えると思って、でも分かり合えなかった親友だったのか。

 何もかもがあやふやで、何をどうすればいいのかも分からない。

 だから――搾りかすの力をすべて結集し、その場でぐっと堪える。

 そして、飛鳥の眉間に鋭い氷の殺意が突き刺さった。


「…………ははっ」


 視界に映る男は勝利を確信したのか小さく笑みを浮かべていた。

 きっとこれが、最後の力をこめた渾身の一撃だったのだろう。

 確かに鋭く、重い、首から上が吹き飛んでしまうかのような拳だった。

 視界が斜めにずれていく。

 もう立っていることさえままならない状態で、飛鳥は、


(なんかムカつくから、とりあえずぶん殴ろう)


 心の底から湧きあがる本能からの訴えに従うことにした。

 暗い闇に閉ざされようとしている視界に映る、その澄まし面に向かって――弱々しくも猛々しい、炎の衝撃を解き放った。

 もう目を開けていることすら億劫だった。

 どうなったのかは分からない。

 倒れたのは向こうか、それとも自分なのかさえも不確かだった。

 それでも――この一撃が、長いようで短い、この凍り付いた夏を溶かしていったことだけは、間違いない。

 

 






 ―――ん!


 ――さん!


「飛鳥さん!!」


「っ!? …………え、あ、ク、クロエさん?」


 耳の奥がしびれるほどの大声に、飛鳥の意識が急速に浮き上がってきた。

 目の前に飛び込んできたのは、目尻に涙の粒を浮かべたクロエの顔。吐息が感じられるほどの至近距離に思わず飛びずさろうとしたが、首から下がまるで石にでもなったかのように動かせなかった。

 目覚めたばかりで意識がはっきりとしない飛鳥は、とにかく状況を把握しようと首を動かす。

 今横たわっているのは、どこかの砂浜だろうか。すぐ隣に、ぷかぷかと氷の塊が浮いた波打ち際が目に入った。

 見上げた空は夜の闇に包まれていて、雲ひとつない暗闇を大きな月が優しく照らしている。

 身を切るような寒さも感じられない。夏の暑さを含んだ風が頬に触れていた。


「あの、クロエさん……いったい、なにが「飛鳥さぁんっ!!」っていだあああああああああああああああああっ!!」


 どういう状況なのかを確認しようとするも、感極まった様子のクロエが全力でぎゅうと抱きついてきたことにより中断。全身を締め付ける抱擁(ハグ)により、身体中から思い出したように激痛が蘇ってきた。


「ああああああああ、ご、ごめんなさいっ!?」


 その絶叫にクロエが慌てて身を離したところで、飛鳥はさっきまで海上で雪彦と戦っていたことを思い出した。最後の最後で強烈なパンチをお見舞いできたところまでは覚えているが、そこから先がぷっつりと途絶えていた。

 クロエがいる以上、少なくともここが天国というわけではないだろうし、とりあえずは無事だということは理解できた。

 飛鳥は何度か深呼吸を繰り返し、ようやく四肢の感覚が戻ってきたのでゆっくりと立ち上がる。


「飛鳥さん、まだ横になっていた方が……」


「いえ、大丈夫ですよ。それより、クロエさんはどうしてここに?」


 彼女の全身をよく見ると、ところどころに包帯が巻かれていたり、純白のコートの端々が黒く焦げてしまっていたりと、満身創痍の有り様だった。


「はい、実は――」


 アルゴルと麗風を撃破した後、そこに全身ボロボロになったシグルズが乱入してきたらしい。

 竜胆との戦いは引き分けに終わったらしく、彼は暴れ出すこともなく、気絶したアルゴルを担いでどこかへと去っていったそうだ。麗風の名前が出なかったことに関しては、クロエの複雑な面持ちを見て触れないことにした。


「こちらもまともに戦える状態ではありませんでしたので、みすみす取り逃がす形になってしまいました。申し訳ありません……」


「いえ、クロエさんの判断は正しかったですよ。本気で奴を倒しにいくなら、こっちも万全の状態じゃないと」


 下手にシグルズを追撃したところで、一方的にこちらの被害が増えるばかりだっただろう。学園から移動してきていたメンバーが間に合っていれば話は変わっただろうが、もしもの話をしても仕方がない。


「その後、霧乃さん達がこちらに来てくれましたので、私はこうやって飛鳥さんを捜しに来たんです。砂浜に打ち上げられていたお姿を見た時は、本当に心臓が止まるかと思いましたよ」


 どうやら飛鳥は、雪彦を倒すと同時に気絶して、そのまま海へダイブしてしまっていたらしい。

 下手をするとそのまま溺れ死んでいたかもしれない。鈴風にあんな啖呵を切っておきながら、なんとも締まらない結末だったようだ。

 浮かんだ涙を指先でぬぐうクロエに対し、飛鳥は心配をかけた申し訳なさでちくりと胸を痛めた。


「雪彦は?」


「いえ、見ていませんが……」


 決戦の舞台になった海上に近いこの砂浜に打ち上げられていたのは飛鳥だけだったそうだ。

 どこか別の場所に漂着しているのか、それとも……


「あのまま海の藻くずに――いや、ないな」


 いくら全身ボロボロになろうと、第二位階の人工英霊があの程度で死ぬとは思えない。

 結局、あの勝負はどちらが勝ったと言えるのか。

 勝てば雪彦が飛鳥の命を狙う理由を教えてもらう約束だったが、これでは約束を守ってもらえそうにない。


(引き分け……ってところかね)


 青春マンガの1ページみたいな話ではあるが、言葉ではなく、拳で語り合ったことで、少なからず雪彦の意思が伝わってきた気がするのだ。

 飛鳥を追い詰め、第二位階へと導くような挑発的な態度。

 その力を確かめるように、策も何もない正面からの戦いを挑んできたこと。


(俺の能力を『進化』させることが、あいつにとっては必要なことだった……?)


 こちらを試すような態度で戦いを仕掛けてくるのはアルゴルも同じだったが、雪彦の場合は、もっと切羽づまった事情があるようにも感じられた。

 なぜこちらを強くしようとするような立ち回りをするのか。

 なぜ『進化』を求めるのか。

 なぜ、飛鳥でないと(、、、、、、)いけないのか(、、、、、、)

 いくつもの戦いの中で、何ひとつとして謎が解けることはなく、ただ雪彦や《パラダイム》に対する疑念が積み重なるばかりだった。

 夜空に浮かぶ月を見上げる。

 こうして無事に異常気象も解決したわけだし、みんな無事に生き残ることができた。

 ならば今は、それを純粋に喜ぼう。


「それじゃあ、帰りましょうか。みんな心配してるでしょうし」


 飛鳥はにこやかに笑いかけ、手を差し出す。だが、クロエはどこか思い詰めた様子で俯いたままだった。


「帰る前に、飛鳥さんにお話ししておきたいことがあります。その……途中だった、昨日のお話の件で」


「クロエさん……?」


 昨日の話――彼女とのデートの最後に飛鳥が切り出した、2人の将来のこと。

 激戦の数々でつい意識から流してしまっていたが、季節外れの雪が降り出したことで有耶無耶になっていたのを思い出した。

 夜の波打ち際、ここには飛鳥とクロエの2人だけだ。

 邪魔が入らないこの場所で、ちゃんと伝えておきたかったのだろう。顔を上げたクロエの表情は、どこか強い決意を感じられるものだった。

 飛鳥にとっても、逃げずにしっかり向き合うべき問題だ。居住まいを正し、真正面からクロエの瞳を見据えて彼女が話し始めるのを待った。


「私は、弱い女です。自分ひとりでは何もできなくて、飛鳥さんのお傍で、お力になることだけが私の生きがいで、私のすべてです」


「……」


 クロエの独白を、飛鳥は声をかけることなく黙って聞いていた。

 穏やかな波の音と、少しだけ肌寒い風の感触が2人の間を通り抜けていた。


「もし叶うならば、ずっとこの街にいて、飛鳥さんの隣でこれからも――そう、思っています」


 クロエにとっても、飛鳥にとっても、この瞬間は自由を許された猶予期間(モラトリアム)だ。

 人工英霊と《九耀の魔術師》。

 今でこそ姉や《八葉》のメンバーなど、頼りになる大人たちに甘えていられるから今の環境が成り立っているが、いつまでもこんななあなあ(、、、、)な関係を続けられるわけではない。


「でも……私の両手は、もう罪もない人々の血で真っ赤なんです。1年前、飛鳥さんに初めてお会いするまでの私がしてきたことを思えば、私の罪は、死んでも償いきれないでしょう」


 どんな理由があったとしても。

 それが、他人に利用されるだけの、まるで人形のような生き方だったとしても。

 クロエ=ステラクラインは、これまで数えきれないほどの無辜(むこ)の人々の命を奪い去ってきた。


「遅かれ早かれ、私は地獄に落ちるでしょう。……それは、もういいんです。覚悟もしていますし、今までしてきたことを思えば、当然のことですから」


 苦しそうに言葉をつむぐクロエに対し、飛鳥は下唇を噛みながら感情的な声を出すのをぐっと堪えていた。

 そんなことはない。クロエさんは悪くない。

 昨日までの飛鳥なら(、、、、、、、、、)、おそらくはそういった答えを返したのだろう。

 だが、今の飛鳥は(、、、、、)あえてそれを選ばなかった。


「来年の春――学園を卒業したら、私はイギリスへ帰ります」


「……っ!!」


 予想できていた答えだった。

 しかし実際に、今にも泣き崩れそうな顔でその言葉をぶつけられたことで、飛鳥の心臓が潰れそうに軋んでいた。

 だが、まだだ。

 まだ耐えなければ。

 辛そうな様子をクロエに見せて、心配させてはならない。


「私は、怖いんです。私ひとりが地獄に落ちるならまだいい。でも、私と関わってしまったばかりに、飛鳥さんたちまで巻き込んでしまうことが!!」


 クロエはずっと、迷っていたのだ。

 今の生活が幸せで、ずっと手放したくないくらいに温かで。

 でも、そんな自分勝手な欲望のせいで、大切な人たちを不幸な目に遭わせてしまうかもしれない。


「愚かな女だと笑ってください。私は身勝手な願望を優先させて、それで飛鳥さんたちを不幸にしてしまうことなんて、まるで考えていなかったのです」


 自分のせいで周りに迷惑をかけるのは嫌だ。でも、この幸福な日々を失うことに耐えられない。

 だから、これから先のことなんて考えたくなかった。


「それでも、どうか……せめて、卒業まではここにいさせてください。お願い、致します……」


 ほろほろと涙のしずくをこぼしながら、クロエは顔が見えなくなるくらいに深く頭を下げてきた。

 ようやく聞くことができた、クロエの本音。

 これが、彼女が将来のことを見据えようとしなかった本当の理由。


「……」


 飛鳥は少しだけ目を閉じ、伝えるべきことをはっきりと頭の中で組み立てた。

 さぁ、いつまでも女の子に頭を下げさせているわけにはいかないぞ。

 彼女は逃げずに、ちゃんと自分に向き合ってくれた。

 ならば、今度はこちらの番だ。

 すぅ、と大げさに息を吸い、心の準備を済ませる。

 ある意味、雪彦との戦いよりもよっぽど緊張する瞬間だった。

 ここで伝えるべき言葉は――


「あんまり、こういうことを言いたくはないんですが……クロエさん。俺のことをバカにするのも大概にしてもらえますか?」


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