―第158話 セカンド ⑥―
それは、もはや人間対人間の戦いを遥かに超えた構図だった。
上空へ飛び上がった飛鳥は、背中の八翼を扇状に展開。そこから羽の形をしたエネルギー弾を雨あられのように地上の雪彦目がけて射出した。
対する雪彦は手に持った大太刀を無造作にひと振り。その剣風で、殺到する炎の羽をことごとく氷結させながら撃ち落としていた。
目くらまし、けん制、あるいは少しでも手傷を与えられれば上出来と思っていた飛鳥だったが、こうもたやすく弾き落とされるのは予想外だった。
だが、射撃武装が通用しないと分かっただけでも成果は充分。
真剣勝負ならばやはり接近戦に限るかと、飛鳥は両手を正面に掲げた。
形成――烈火刃・金烏一文字。
わずか1秒ほどの集中で精製された烈火刃は、これまでに使用していた7形態のいずれとも異なる、全長1.5mほどの幅広の大剣だった。
巨大な鳥類の翼を思わせる、なだらかな曲線を描いた片刃の刀身――護法刻印“プロメテウス”から開示された構成情報を元に作られた新たな牙は、赤色を通り越して金色に輝く灼炎を纏い、これまでの烈火刃とは比較にならない熱量を放っていた。
使い慣れない間合いに少しだけ違和感を覚えたが、じきに慣れるだろう。
肩に担ぐように構えた飛鳥は、
「だありゃああああああああああああっ!!」
飛行能力を解除し、重力の勢いそのままに真下の氷騎士に向かって大剣を振り下ろした。
地上の雪彦から見れば、それは隕石の落下にも等しい恐怖だった。正面から打ち当たるのを拒否した雪彦は、足場にしていた氷塊から飛び逃げた。
その直後、飛鳥が地表に着弾した衝撃で――海が爆発した。
雲まで届かんばかりの水柱が立ち上り、周辺は大嵐もかくやの津波で荒れ狂う。
「ふ……ははっ!!」
あのまま突っ立っていたら、よくて全身が木っ端微塵だっただろう。雪彦は装甲の内側で引き攣った笑いをこぼした。
静まる気配を見せない荒波を突き破って、紅蓮色の発光体が再び上空へと飛び出してくる。
周りに漂っていた無数の氷塊も、もう足場にできないほどに砕かれて吹き飛ばされていた。
今度は空中戦――特に示し合う必要もなく、雪彦は氷の大太刀“汀一文字”を手に飛鳥のもとへと真っ直ぐに飛翔した。
夜の帳が降りようとする暗い海の上で、目も眩むような金色の大剣と、吸い込まれそうに深い蒼をたたえる大太刀が真っ向から激突。一瞬、真昼のような輝きが辺りを覆い尽くした。
身の丈ほどもある長大な剣と刀が、小枝でも振っているかのような気軽さで縦横無尽に暴れまわる。衝突のたびに、けたたましい金属音とともに桜色の火花が空を彩っていた。
百を超える剣戟の後、鍔ぜり合いの格好となり互いの目線が正面からぶつかり合う。
――その面、このままたたっ斬ってやる。
完全に一致していた互いの思惑とは裏腹に、重ねられた剣の勢いには明らかな差が出はじめていた。
「――ッ!!」
飛鳥が持つ金炎の刃が、徐々に雪彦が持つ氷結刃の刀身に食い込んでいく。そのまま溶断し、雪彦の胴体まで一刀両断するまでそう時間はかからなさそうだった。
正面からの力比べでは勝てないと踏んだ雪彦は、半身をずらしつつ太刀を握っていた手をぱっと離し、飛鳥の斬撃を紙一重の距離で見送った。
力ではなく技でいなされた飛鳥は、無粋な真似しやがってと言わんばかりに歯噛みする。そして、空振りしたせいで隙だらけとなった背中に雪彦の鋭い蹴り足が叩き込まれた。
「ヤロォ……ッ!!」
再び背骨が砕けそうな激痛に耐えながら、飛鳥は空中で反転しつつ体勢を立て直した。
振り向いた視界いっぱいに、強烈なしなりを帯びた氷竜の尾が迫っていたことには特に驚くことなく大剣を投げ捨て、先ほどの焼き直しのように両腕を使ってしっかりと掴み取った。
「ぬっ!?」
無論、もうこちらの腕が凍り付くことなどない。尻尾の先端を思い切り握りしめて、飛鳥は再度全身をコマのように回転させはじめた。
本来、多種多様な技術による絡め手の戦術を得意としていた飛鳥だったが、第二位階に到達してからはその大半を頭の中から放り出していた。
小細工なしの力技。
小手先の技術に逃げることを止めた飛鳥の戦闘スタイルは、荒ぶる獣のように粗野で凶暴で、しかし純粋な力に満ちたものだった。
「海の底まで……沈んできやがれええええええええええええっっ!!」
空中で繰り広げられる、上下左右360度に回転し続ける超変則型ジャイアントスイングの果て、飛鳥は真下の海面に向かって思い切りぶん投げた。
ようやく落ち着きを取り戻した海面が再び波を打つ。並の人間なら海面に衝突した時点で全身が弾け飛んでいてもおかしくない衝撃だが……第二位階の人工英霊には大したダメージにもならないだろう。
じきに浮上してくるであろう雪彦を迎撃すべく、飛鳥は更なる一手を打つ。
紅炎投影、起動。
現状態での、熱分身の展開可能数を確認。
1.2.3.4……
「かぁっ!!」
ミサイルのように勢いよく水中から飛び出してきた雪彦だったが、空を埋め尽くす異常極まる光景を見て完全に硬直してしまっていた。
浮上した雪彦を包囲するのは……総勢99体の日野森飛鳥。
夜に沈む空を、再び夕暮れのように真っ赤に染め上げる火の鳥の群れに、雪彦の口から思わず諦めの台詞が飛び出していた。
「…………これは、まいったな」
その言葉に応じるかのようなタイミングで、99人の飛鳥は再形成した剣を一斉に大上段に振り上げ……刀身に込められた膨大な熱エネルギーを、三日月型の斬撃に乗せて解き放った。
言うなれば、断花流“天衝刃”――九十九連式。
一撃一撃が、触れるだけで金剛石をも容易に断ち、また氷山を瞬時に爆砕するほどの熱量を持った悪夢のような斬撃だ。
四方八方から降り注ぐ茜色の飛燕を、雪彦は決死の覚悟で躱し続けていた。
だが、例え避けたとしても、超高熱の斬撃が海水に触れて生じた水蒸気爆発により、下から押し上げるように爆発の衝撃波が襲いかかる。
もう、デタラメだ。
まだ食材をすり潰すミキサーの中の方が大人しいだろう。
上から絶え間なく降り注ぐ刃の雨に少しでも触れれば、斬れるか蒸発する。たとえ避けたところで、次は下から水の爆弾が襲いかかってくる始末。
並の人工英霊では、5秒とかからず肉体が消し飛ぶであろう圧倒的暴力の檻だ。
「はあああああああああっ!!」
だが、ここにいるのは凍結を極めた人工英霊、霧谷雪彦だ。
全身の装甲から、空気すら凍てつかせるほどの猛吹雪を発生させ、降り注ぐ灼熱刃を鎮火させていく。
更に、真下で荒れ狂っていた海面までもが、次々とその動きを停止させていき――ついには辺り一面が氷の大地として生まれ変わっていた。
冷気の放出を止めた雪彦は、少し身体をふらつかせながら凍り付いた海面に着地する。
流石に水平線の彼方まで氷漬けにするには至らなかったが……断花重工の敷地がまるごと乗りそうな規模の、氷の人工島ができあがっていた。
そこに、分身を解除した飛鳥も続いて降り立った。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ふぅ……」
雪彦は明らかに息を切らしており、対する飛鳥も表情が優れない。
お互い、先の激突でかなりの力を消耗しており、形成した武器を再構築する余裕もないようだった。
これがただのケンカならば、どちらかが「この辺りで止めにしておくか?」なんて笑いかけたのかもしれない。
「……」
「……」
だが、こんな中途半端な状態で終われるはずもない。
飛鳥には、帰りを待つ仲間たちがいる。信じてくれる人がいる。
退かない理由など、それだけで充分だった。
雪彦にもまた、退けない理由がある。
誰にも理解させることがないとしても、決して負けるわけにはならない理由が確かにあった。
互いに一歩、また一歩とゆっくり距離を縮めていく。
未だ、兜に隠れて表情が見えない雪彦はどうか分からないが、この時の飛鳥は自然と口元を緩めていた。
勝利を確信した笑みでも、戦いの享楽に酔いしれているわけでもない。
ただ……この瞬間が楽しい。
飛鳥はそう思い始めていた。
使命だとか信念だとか、戦う理由は色々あったはずだ。
けれど、今、この瞬間だけは、もうどうだっていいように感じられていた。
2人揃って立ち止まる。
目の前に、倒すべき敵が立っていた。
身震いするほどの冷たい風が2人の間を通り抜けていくが、お互い微動だにすることはない。
どう動く?
どう戦う?
飛鳥は頭の中でここからの戦術プランを組み立てようとしていたが……やめてしまった。
頭の中を真っ白にして、ぐっと手を握り、大きく振りかぶって、
「おおらあああああああああああっ!!」
ぶん殴る。
紅蓮の装甲で固められた鉄拳が、雪彦の顔面にすんなりと直撃していた。
「がっ!? ……ずあああああああああっ!!」
たたらを踏んで一歩後ずさる雪彦だったが、負けじと拳を作って飛鳥の腹に深々とめり込ませる。
飛鳥は胃の中身がせり出される不快な感覚に眉をしかめたが、もう知ったことではない。懐にまで滑り込んできた雪彦の頭に――兜で守られているのも構わず――思い切り頭突きをかました。
雪彦がくぐもった声をあげると同時、竜の頭部をあしらった兜に徐々に亀裂が走っていく。そのまま追い打ちとしてかち上げ気味のアッパーを顎に叩き込んだことにより、首から上の装甲が粉々になって弾け飛んだ。
「はっ。ようやく見せたな、その澄まし面」
「ぬかせ。そういうお前こそ、顔面が血まみれだぞ」
兜が砕けて素顔をあらわにした雪彦に対し、何の装甲も纏っていなかった飛鳥の頭からはとめどなく赤い血がしたたり落ちていた。
それを指摘された瞬間、飛鳥は意識がくらりと歪んだ気がしたが、すべて気のせいと判断した。
同時に右足を振り上げ、ぶつけ合う。
飛鳥は左足――鷹のように鋭く尖った脚部装甲の爪を地面に突き刺し、後ろへ飛ばないよう無理矢理身体を固定していた。雪彦が纏った鎧の足の裏は、おそらくスパイク状になっているのか、不思議と滑る気配を見せなかった。
つまり、地の利で優劣を語る必要などまったくない。
勝敗を決めるのは――拳の重さと、意地の強さのみ。
「ぶっ……倒れろぉっ!!」
「お前が……な!!」
人を超えた存在である、人工英霊同士が繰り広げる最終決戦。
その光景は……まるで、小さな子供のケンカと変わらなかった。