―第157話 セカンド ⑤―
同じころ、鈴風はダメージを負った身体のままで海面すれすれを滑空していた。
飛鳥の助けになるべく急いで駆け付けようとはしていたが、アルゴルとの一戦での消耗は馬鹿にならない。正直言って、翼を出して飛ぶだけでも精いっぱいといった様子だった。
これでは加勢したところで足手まといにしかならないだろう。
だが、それでも何もしないでじっと待つなんて、鈴風には耐え難かったのだ。
「あれ……?」
水平線の向こう側に見える巨大な塔を目指して飛び続ける鈴風だったが、ふと全身にぶつかる空気の質感が変わった気がした。
刺すように冷たい雪混じりの強風が、いつの間にか消えていた。
それと入れ替わるように身体を包むのは、まるで春の陽だまりを思わせる優しく、温かな風。
鈴風は戦場であることも忘れて眠たくなるくらいの心地よさを感じながら、
「なんだか、元気になったかも……」
鈴風は自分の肉体に起きた異変を一言で言い表していた。
気絶寸前だったコンディションが、いつの間にか普通に戦えるほどの状態にまで治っていた。いくら人工英霊の治癒能力と言っても、これはいくら何でも早すぎる。
理由は分からない。だが、この熱を持った力がどこから流れてきているのかだけは、確信を持って答えることができた。
「そっか……飛鳥、やっぱり飛鳥はすごいよ」
まるで我がことのように、鈴風は華が咲くような笑顔を見せた。
その昂る気持ちに応じた4枚の翼が翠色に輝き、今までとは比にならない加速で鈴風を決戦の地へと誘った。
「飛鳥さん……?」
そして《八葉》で応急手当を受け、遅れて運用試験場から飛鳥のもとへ飛び出そうとしていたクロエにも、その異変は届いていた。
心臓の奥からじわじわと溢れてくる、強く雄々しい熱の波動。
右手で胸をそっと押さえ、クロエは飛び出そうとした足を引っ込めていた。
「お嬢? いったいどうしたんですかい?」
「荒谷さん、やっぱり私たちはここで飛鳥さんたちの帰りを待ちましょう。どうやら……もう私たちの出る幕ではなさそうです」
「ええ!? そ、そうなんすか」
その声を受け、完全武装して今にもボートに乗り込もうとしていた、剛四朗率いる『打金』の面々の足も同じようにピタッと止まっていた。
剛四朗たちは、さっきまで我先に飛び出そうとしていたのに、いきなり落ち着き払った様子でストップをかけたクロエの急変に、揃って首を傾げるしかできなかった。
そんな彼らの戸惑いようを一切気にすることなく、クロエは空を見上げて小さく吐息をこぼした。
(信じて、待っています。これでいいのでしょう? 飛鳥さん……)
いつの間にか雪は止み、途切れた雲の隙間からは、おぼろげながらも優しい月の光が差し込みはじめていた。
黄昏時の氷海の上で、決戦の火蓋は切って落とされた。
「だりゃあっ!!」
「ふんっ!!」
開戦の握手を交わすかのように、最初に放たれたのは共に右の正拳。
赤と蒼の拳がぶつかり合い、激しい衝撃波が大気と海面を激しく震わせた。
さっきまでの戦いなら、飛鳥の両腕は為すすべなく凍結の一途をたどっていたが、第二位階となった今、そうなる気配は微塵も感じさせなかった。
いや……むしろ結果は逆転していると言っていい。
凶暴な茜色の輝きを放ち続ける飛鳥の手甲に対し、雪彦の手甲は段々とその姿を崩し融解をはじめていた。
「今度は、俺の熱の方が上みたいだな?」
「そのようだ……なっ!!」
炎と氷のエネルギー対決は飛鳥に軍配。
雪彦はその事実に特に驚くこともなく、伸びきった飛鳥の拳目がけて右膝をかち上げてくる。飛鳥はすんでのところで腕を引き、後退。
そのまま逃がすまいと氷の騎士が突貫してくるが、飛鳥にとっては狙い通りだった。
背面に伸びた8本の尾羽を球を描くように伸ばし、正面で重ね合わせる。意に介さずと放たれた雪彦の右拳を受け止めながら、その腕全体に絡み付いて拘束した。
「鳥の羽というよりまるでタコだな! 位階が上がって随分と悪趣味になったものだ!!」
「好きでやってるわけじゃないんだけどな? それより……そのままでいいのか?」
憎まれ口の応酬を繰り返しながら、飛鳥は雪彦の腕を溶かすどころか灰化消滅させるつもりで尾羽に熱エネルギーを集中していく。
瞬間、雪彦の腕を中心に金色の炎が立ち上った。
氷が燃えるという奇怪な現象を目の当たりにした雪彦は、
「くそっ!!」
面食らいながらも左手に長大な氷の太刀を作り出し、8本の翼を切断しながら後方へと飛び退いた。
発生した炎の影響で、2人が立っていた氷の浮島に次々と亀裂が入っていく。じきに沈むのは目に見えているが、両者はまったく気にすることもせずその場に佇んでいた。
小さく深呼吸をした飛鳥は、改めて自分の肉体に起きた変化に驚愕していた。
第一位階の時とは比較にならないほどの力が全身を駆け巡っている。背中からすぐさま再生した8枚の尾羽や両手両足の装甲など、追加武装の運用も問題ない。
急激に増大した力に振り回されることなく、飛鳥は第二位階が保有する全能力を掌握していた。
護法刻印No.8“プロメテウス”の恩恵により、この力の情報が自動的に脳内に流れ込んでくる。そこから、鈴風やアルゴルから聞いていただけで分からなかった情報も明らかになっていた。
護法刻印とは、人工英霊を形作る源であった祝福因子が変質したものだ。
第二位階に到達するには、祝福因子との適合を極限まで高める必要があり――それが自分を押し殺さないことにどう繋がるのかは不明なままだが――その係数が一定以上に到達することで、どこからか護法刻印の構成情報が『配布』される。
飛鳥は“プロメテウス”、雪彦は“アルゴル”、鈴風は“ゲイルスキュール”というように、伝説上の神や英雄などの名からとった各人専用の因子を元に、まったく新しい能力として発現したのが第二位階だ。
(あの“AL:Clear”とかいう言葉……どこかで聞いた気がする)
第二位階になる直前に耳にした、機械的な音声とのやり取り。
そこに含まれていたアルクリアという言葉が、人工英霊という存在にとって重要そうな意味を持っていることは明らかだった。
(“プロメテウス”からの情報にも、それだけは含まれていなかった。どういうことだ?)
いきなり頭の中に詰め込まれた情報の整理に苦心する飛鳥だったが、今は後回しでもいいだろう。
「驚いたな……成り立てだというのに、もうそこまで力を使いこなしているのか」
「おかげさまで。心配しなくても、慣れない力に振り回されたから負けた、なんて言い訳するつもりなんてないぞ」
「ははっ、思ってもないことを。そもそもお前、負けた時の想定などしていないだろう?」
「……だな」
雪彦から投げかけられた言葉が、能力のみならず飛鳥の意識も変化していることに気付かせてくれた。
これまで飛鳥は、常に自分より強い者と相対していたためか、いかなる時も負けた場合のことを視野に入れつつ戦っていた。
数ある戦術の内、逃げるのだって立派な戦い方だ。それは今でも間違っていないと思っている。
だが、今となって思えば、それは一種の諦めだったのかもしれない。
自分は弱いから、負けても仕方がない――無意識に、そんな甘えを自分の中に溶け込ませていたのだろう。
まったく、そんな意識ではいくら努力しても強くなれるわけがないだろうに。
飛鳥はついさっきまでの自分の考え方を、まるで他人事のように苦笑しながら頭の中から切り離した。
さぁ、続けようかと四肢に力を入れる飛鳥だったが、雪彦の背後、遥か向こう側からキラリと光る何かが近付いてくることに気付く。
ジェット機ばりの轟音を撒き散らしながらどんどんと近付いてくるその姿は、
「鈴風っ!?」
「あーーすーーかぁーーーーっ!!」
海面を切り裂き、満面の笑みをたたえて、こちらにぶんぶんと手を振りながら飛んでくる幼馴染の姿だった。
鈴風はキキーッ! という音が聞こえそうなほどの急ブレーキをかけつつ飛鳥に向かって正面から突撃してこようとしていた。
「ど、どうしよう! とーーまーーらーーなーーいーーーーっ!?」
「…………」
飛鳥は仕方がないなぁと思いながら、両手を広げて受け止める準備をしようとしたがよく考えてたら胸ポケットにしまったままのフェブリルが潰されそうな気がしたので、当たる寸前のところで闘牛士よろしくひらりと回避した。
「ひーーどーーいーーーーっ!!」
鈴風は手足をわたわたさせながら、向こう側にすっ飛んで行った。虚しくこだまする悲鳴を聞いて流石に申し訳ないと思った飛鳥は、八尾を飛ばし彼女の全身に巻き付かせてこちら側に引っ張り込んだ。
「……女の子の抱きとめ方としてはあんまりじゃない? なにこれ、触手プレイ?」
「次同じこと言ったら本気でぶつからな」
飛鳥は炎の尾羽を元に戻し、すとんと隣に降り立った鈴風の姿を今一度確認する。
彼女の全身は傷だらけではあったが、意外と元気そうだった。そして、背面から伸びた4枚の機動翼が、彼女もまた第二位階の力を掌握したことを示していた。
思わぬ乱入が入ったことで、雪彦はいかにも機嫌が悪そうな声を鈴風にぶつけだした。
「楯無か。相も変わらず場の空気を読めない奴め」
「むむ、全身かちんこちんになってて一瞬分からなかったけど、その声はユッキーだね。久しぶり……でいいのかな」
一応鈴風も、2人の戦いに水を差す行為だったのは分かっていたのか、少し苦い表情をしながら旧友との再会を果たしていた。
鈴風にとってもまた、雪彦は飛鳥と同じくらい長い付き合いだったのだ。思うところもあるだろう。
しかし、今、この場においては彼女の気持ちを汲んでやるわけにはいかなかった。
「積もる話はあるかもしれんが、取り敢えずお前、帰れ」
「せっかく来たのになんてむごい仕打ち!? そりゃあいきなり間に入ったのは悪かったけど、そんなぞんざいな扱いはないんじゃないでしょーか」
「悪いとは思ってるって。俺のことはいいから、こいつと一緒に先戻っててくれ」
飛鳥はぶぅぶぅと文句を言い出す鈴風の手をとって、ポケットから引っ張り出したフェブリルをそっと乗せた。
さっきよりも血色は悪くないので、じきに目覚めるかとは思うが……どちらにせよ、ここから先の戦いに巻き込むよりは鈴風に預けておいた方がずっと安全だ。
気を失ったままのフェブリルに視線を落とし、何も言わずとも飛鳥の意図を理解してくれた鈴風は、
「ん……分かった。分かりたくないけど、分かった。要するに、あたしもリルちゃんも足手まといだから逃げてろって言いたいんでしょ?」
「そう……だな。うん、その通りだ」
どんなに言い繕っても彼女の言う通りだ。
だから飛鳥は言い訳することも謝ることもしなかった。
流石に怒られるかな、と飛鳥は鈴風の顔色を窺ってみたが……
「うん、了解だよ。リルちゃんと、みんなと一緒に待ってるね」
穏やかな笑顔で応じてくる様子に、思わず口を半開きにして固まってしまった。
「女のあたしが言うのも何だけど……気が済むまで殴り合って、そこから分かり合うのが男ってもんでしょ? だったら、周りに余計な気なんて遣わずに、思う存分大暴れしちゃえ!!」
「鈴風……」
「飛鳥は今まで、ずっと自分の気持ちを抑えて、ガマンばっかりしてきたんだから。……たまの我がままくらい、許してあげる」
まいった。
どうやら鈴風は最初から、飛鳥の心の歪みに気が付いていたようだった。
自分は本当に恵まれているんだなと、じわりと胸の奥が温かくなった。
大輪の笑顔を咲かせた鈴風は、雪彦の方へ向き直ってビシッと人差し指を突き付ける。
「ユッキー、覚悟するんだね。本気を出した飛鳥はすごいんだから! どうしてあたし達と戦おうとするのか知らないけど、絶対に後悔するんだからね! 泣いて謝るまで許してなんかやらないぞ! …………飛鳥がだけど」
結構いい感じに締まりそうだったのに、最後の最後でズッコケそうなオチを持ってくるあたりが鈴風クオリティだった。
ひゅるりと冷たい風が場を駆け抜ける中、これ以上言葉を重ねても泥沼だと察した鈴風は背中の翼を起動させて大空へと飛び立った。
「それじゃあ飛鳥……また後でね!!」
「ああ……すぐに戻る」
互いに親指を立てて視線を合わす。
今は、これで充分。
満足げな表情を浮かべた鈴風は、機動ウイングを高らかにいななかせながら疾風となって海の向こうへと飛び去っていった。
「さて、邪魔な荷物も下ろせたんだ。もう思い残すこともないだろう?」
「ああ、待たせて悪い。それじゃあ、続けようか」
フェブリルを連れた鈴風が去り、この場に残るのは正真正銘2人の男だけとなった。
ここまで律儀にこちらを待ってくれていたあたり、雪彦は純粋に本気の飛鳥と戦いたかったのだろう。
不意打ちや人質など、その気になればいくらでもできただろうに……飛鳥はますます、雪彦の真意が掴めなくなってきていた。
だが……今はもう、どうでもいい。
「なんでだろうな。別にお前が憎いわけでもないのに、無性にその面をぶん殴りたくて仕方がないんだ」
「まったく同感だ。その減らず口を今すぐ黙らせて、もう一度地に這いつくばらせたくてたまらない」
そのやり取りはまるで、昼休みの屋上で遠慮のない口論をしているような――命を懸けた決闘とは思えない、あまりに気安い親友同士のようだった。
口角が吊り上がるのを止められない。それはきっと雪彦も同じだろう。兜で顔を隠しながらも、その内面はきっと飛鳥と変わらないはずだ。
この感情が何であるか、それももう、どうだっていい。
鈴風が言う通り、気が済むまで存分に殴り合えばきっと分かることだろう。