―第156話 セカンド ④―
「だりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃーーーーっ!!」
魔神と竜騎士、中空で繰り広げられる大盤狂わせの衝突は、見る者に異様な印象を与える戦い方だった。
途切れ途切れの映画のフィルムのように、何の予備動作もなくフェブリルの姿が消失し、次の瞬間、雪彦の背後に現れては勢いよく回し蹴りを放つ。
雪彦はそれを片手で難なく弾き飛ばし反撃に移ろうとするが、いつの間にか彼女の姿は5mほど離れた正面にまで下がっていた。
第二位階となって強化された動体視力でもまるで捉えきれないほどの瞬間移動。
どれだけフェブリルの動きに注目していても、何の前触れもなく視界からパッと消えては至近距離に現れ、一撃離脱を繰り返していく。
雪彦の攻撃はすべて空を切るばかりで、一見すればフェブリルの方が優勢かに見えた。
しかし、
「軽いな」
彼女の唯一にして最大の欠点により、雪彦にとっては何の脅威にもならなかった。
どれほど速かろうが、肝心の攻撃が蚊のひと刺しにすら届いていないようでは倒せる道理もない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
加えて、交戦からまだ1分ほどしか経っていないにも関わらず、フェブリルは絶えず息切れを見せている。
演技であれば大したものだが、見るからに彼女は戦い慣れしていなかった。
そもそも、彼女の動きは常軌を逸したスピードによる移動では断じてない。
その正体は時間制御――フェブリルが持つ唯一にして最大の『魔法』である。
ライン・ファルシアにて、死にかかった有翼人の時間を逆行させて、その怪我をなかったことにしたのと同じ芸当だ。
しかし、時間を支配するという神にも等しい所業――その制限や負荷は尋常なものではない。
今のフェブリルにできるのは、ほんの数秒雪彦の時間を停止させ、その隙に死角にまわりこんで攻撃という繰り返しだけだった。
いかに反則じみた『魔法』だとしても、攻撃の瞬間には時間停止を解除しなければならない。
そして、これ以外に特筆した能力を持たない今のフェブリルでは、第二位階の装甲を撃ち抜くほどの攻撃力を持たないのも致命的だった。
そんな事実など知る由もない雪彦だったが、少なくともフェブリルの乱入は彼にとってプラスにはたらいていた。
「お前には感謝しなければならないのかもな」
「なに、言ってんの……」
「お前のおかげで、飛鳥の精神を極限まで追い詰めることができた。ああ見えて奴は自尊心の塊だからな。女、それもお前のような子供に窮地を救われたなど、誰が許そうともあいつ自身が絶対に許せまい」
「それはっ……!!」
フェブリルには、眼下で倒れ伏したままの飛鳥の様子を見る覚悟はなかった。
彼女とて、そんなことは今朝の戦いから見ていて分かっていたのだ。
2人の戦いに水を差し、ましてや飛鳥が負けそうだから助けに入ったこと。それが彼にとって、何より辛い事実であることくらいは。
下らない意地など張っている場合か――そう正面から投げかけることができればどれほど楽か。
だが……わずか数ヶ月程度の付き合いでしかないフェブリルでも、飛鳥をずっと近くで見てきたなら嫌でも理解できてしまう。
フェブリルから見たらちっぽけにすら感じられるその矜持が、彼にとっては命より重いのだと。
だが、それでも、
「死んじゃったら、全部終わりなんだから」
命より大切なものなんてない。
大切な人がどれほど悲痛に苦しもうと、飛鳥に生きていてほしかった。
それで自分が嫌われようと、どう思われようと構わなかった。
主を守るは使い魔の使命。
フェブリルは息を整え、再び瞬間移動による猛攻を浴びせかけた。
――よぉ。これまた無様にやられたな?
ヘドロの海の中にいるような、重くて苦しい感覚。
目を開けるのも、誰だか知らない奴の言葉に耳を傾けるのもおっくうだった。いかにも性格が悪そうな子供の声がガンガンと頭に響くが、ぎゅっと目を閉じ、耳を塞いで意識からシャットアウトする。
自分で自分が分からなくなって、頭がどうにかなりそうだった。
――そのままお寝んねしてていいのかよ?
――お前の大事な使い魔ちゃんが、あんな必死に戦ってるってのに。
――情けないご主人様に代わってな。
あまりに正論で、あまりに残酷な事実だった。
言い返そうにも、何の言葉も浮かんでこない。
もう、何も見たくない。
もう、何も考えたくなかった。
――おいこら、逃げ出してる場合じゃないだろうが。
――お前がどうなろうと勝手だが、あの子や他の連中はどうするつもりだよ。
「……俺に何ができるって言うんだよ」
――ようやくしゃべったか。
「お前が誰か知らないけど、見てたんだろ? 周りには偉そうにふるまっておきながら、結局はこのザマだ。俺は弱い、救いようがないくらいに弱いんだよ」
自分の口から出ていることを疑うような発言が、せきを切ったかのように飛び出していた。
――だから、諦めるのか?
「そうだよ。みんな俺より強くて立派なんだ。俺ひとりいなくなったところで、誰も困らない、誰も悲しまない」
――だから、もう戦わないと?
「そうだよ! こんな俺なんて、誰も必要としてくれない! 誰の役にも立てない、誰の力にもなれない、ましてや誰かに助けられないと生きていけない俺なんて、それこそ死んだ方がマシだ!!」
喉が潰れんばかりの叫びを、声しか聞こえない誰かに叩き付けた。
しばらく、声が返ってくることはなかった。
呆れてどこかへ行ったのか、さっきの絶叫で逃げ出したのか、どちらでもいい。
それにしても……心の内に溜め込んでいたものを吐き出したおかげか、何だか胸の奥がすっと軽くなった気がした。
だんだんと襲ってくる眠気が心地よい。
二度と目覚めないとしても構わない、このまどろみに抗うことなく意識を――
「……待て。俺、さっきなんて言った?」
激情に駆られるがままに吐き出したさっきの自分の言葉。
それは、心の奥底から出てきた、まごうことなき本音だった。
「おいおい……それじゃあ、なにか? 今まで俺がやってきたことは、すべて誰かに必要とされたかっただけってことか?」
一度冷静になって、先の発言をよく考え直してみると……だんだんと顔に熱が宿っていくのが分かった。
冷静に、冷静に。
今まで自分がたどってきた行動が、本当はどういう意図で行われていたのかを考えてみることにした。
これまでの戦いで、他人に頼らず自分の力だけで何とかしようと思ったのは?
「みんなから頼られたかったから」
姉をうならせるような料理を作りたいと思ったのは?
「姉さんに、褒められたかったから」
フェブリルにかばってもらったことがこんなに屈辱だったのは?
「格好悪いところを見せて、あいつに失望されるのが、怖かったから……」
自問自答を繰り返し、飛鳥はようやく自分自身の本質に気が付いてしまった。
つまり、日野森飛鳥という人間は……
――格好付けたがりの、かまってちゃん。
――おいおい、どこの中二病だよお前。
「う……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!??」
清々しいほどに直球で的確な人物評だった。
恥ずかしい、なんてものではなかった。
今までの行動や言動を、そういう意識でやっていたのかと考え直すと、自分という存在がたまらなく馬鹿で阿呆で救いようのない人間にしか思えなくなっていた。
――そういや、いつぞやクロエさんにこんなこと言ってたよな?
――誰かが危険な目にあっててそれを見捨てるようじゃ、それはもう俺じゃない、とか。
「あああああああうおああああああああっ! チキショウ言ったなそういうの! アホか、アホなのか俺は! あああああこっぱずかしいいいいいいいいいいいっ!!」
さっきよりも、別の意味で死にたくなってしまった。
というかもう後腐れなくさっさと殺してほしかった。
――くっははははははは!!
「クソッ、遠慮なしにゲラゲラ笑いやがって! さっきから何なんだよお前は!!」
――俺のことなんざどーでもいい。
――そんなことより、今の気持ち、忘れるなよ?
無邪気な子供のような声が一転、父親のような強く優しい声色となって飛鳥の耳に優しく響いていた。
知らない声……知らない、はずだ。
自分の記憶をさかのぼってもまったく見当が付かなかった。
――雪彦が言ってただろう? 自分を押し殺しても第二位階には進めないと。
「……あ」
まさか。
そういうことなのか。
自分を押し殺すことが駄目なのであれば、即ち。
――さぁ行ってこい日野森飛鳥!!
――ありのままのお前で、全力でぶつかってこい!!
頭の奥でぷちんと何かが途切れる感覚。
それと同時、飛鳥は弾かれるように立ち上がった。
周りの光景が変わっているわけではない。さっきまで倒れていた氷の舞台のままだ。
違和感――あ、と思わず小さな声を発していた。
肉体のダメージが、無くなっている。さっきまでボロボロに壊れていた骨や筋肉なども異常はなく、むしろ戦闘前よりも力を増しているように感じられた。
さっきまで話していた声のことも含め、分からないことだらけだ。
状況の理解に頭が追い付かない飛鳥だったが、
「あうっ!?」
頭上から響いてきた少女の悲鳴で我に返る。
反射的に両腕を左右に開き、落ちてきたフェブリルを全身で受け止めた。
「フェブリル! お前……大丈夫か!?」
「あ……アスカ。ごめんね、アタシじゃダメだったみたい……」
外傷はほとんど見受けられないが、息切れが激しく明らかに無事ではなさそうだった。
それでも辛そうな様子を見せようとはせず、ただ泣きそうな表情を受かべて飛鳥を見上げてきた。
「アスカに辛い思いさせて、何の役にも立てなくて。こんな役立たずの使い魔でごめんなさい、ごめんなさい……」
うわ言のように謝罪の言葉ばかりを繰り返すフェブリルの姿を見て、飛鳥は、
「そっか、お前も俺と同じ気持ちだったんだな」
「え……」
彼女を労わるように精いっぱいの笑顔を浮かべてそう言った。
誰かに必要とされたい。
だから頑張ろうと思えるし、一生懸命になることができる。
今のフェブリルのように、誰かのために身体を張って戦うことができる。
これのどこが恥だというのか?
どこが間違っているというのか?
自分のことをここまで思ってくれていたフェブリルのおかげで、飛鳥はようやく先に進めそうだった。
「ありがとうな、フェブリル。お前のおかげで頑張れそうだ。あとは……ご主人様に任せとけ」
「アスカ……うん、頑張れ」
ポンッと軽い音が鳴った後、フェブリルの身体は元の小さな状態に戻っていた。
安全な場所もなさそうだったので、飛鳥は気絶した使い魔をいつもの胸ポケットの中に入れてやった。
なに、問題ない。
使い魔ひとり守りながら戦えなくて、何がご主人様だ。
「なぜ……もうそこまで回復している? 全身の骨を砕いたはずだが」
困惑した様子の雪彦が、ゆっくりと氷の舞台に降り立っていた。
兜に隠れて表情は見えないが、どうやら驚きを隠せないでいるようだ。ようやくあの澄ました態度を崩せたか、と飛鳥は内心ほくそ笑んでいた。
「生存本能による火事場の馬鹿力で急速に再生したのか? その打たれ強さは称賛に値するが、それだけで俺との力の差を――」
「ごちゃごちゃうるせぇぞ、キザ野郎が」
……静寂が、場を包み込んだ。
あまりに雰囲気が違い過ぎる飛鳥の発言に、雪彦は顔が見えずとも完全に面食らっていることが見て取れた。
「はっ。普段はすかした態度をしているが、想定外のことが起きたらすぐに慌てるのは相変わらずみたいだなぁ、おい?」
「な、な……」
喉からついて出てくる乱暴な言葉づかいは、これまでの飛鳥とはまるで別人だった。
いきなり態度が豹変した飛鳥は、人差し指をちょいちょいと手前に向けて明らかな挑発を見せた。
「ほれ、悔しいならさっさとかかってこいよ。それとも何か? お前は俺の様子がちょっと変わった程度で怖気づくような臆病者だったのか?」
「先の間に何があったのか知らんが、あまり調子に乗るなよ……」
狂気じみた低い声をあげる雪彦の姿が、飛鳥の視界から消失した。
視認することすらままならず、どこから襲い掛かるかも分からない恐怖に対し、飛鳥は――ただ、無造作に右脚を後ろに振り抜いた。
「が、ぁ――!?」
堅いコンバットブーツの靴底が、鎧に覆われた雪彦の腹部に深々と突き刺さっていた。
竜の鱗を思わせる堅牢さを持ったスケイルアーマーから、勢いよく亀裂が走っていく。雪彦は慌てて背後へと飛びずさり、ひび割れた部分をかばいながら低く構え直していた。
どうして、さっきまで手も足も出なかった飛鳥が、こうもたやすく第二位階の雪彦に一撃を加えられたのか。
雪彦の頭の中に渦巻いているであろう疑問は、わざわざ言葉にしなくともすぐに氷解するほどに、あまりに簡単すぎる問いだった。
「まさか……お前っ!!」
ずんと地面に足を落とす飛鳥を前に、雪彦は無意識に一歩後ろに下がっていた。
「窮地に陥ったヒーローが仲間の力を借りて立ち上がる。馬鹿げたくらいにお約束な展開だが……だからこそ、燃えてくるってもんだ!!」
すべての力を気炎と化して。
日野森飛鳥は、ついに『進化』への階へ足を踏み入れた。
他人のために何かをしてあげたい――それは偽善だ。
どんなお題目を並べようと、人は自分のためにしか生きられない。
『必要とされる』という見返りを求めるだけの、偽りだらけの愚かな男だ。
「だが、それの何が悪い?」
必要とされることをねだって何が悪い?
見栄を張って格好ばかり付けることの何が悪い?
ひとりで生きるのは辛いから、他人とのつながりを求めることの、何が悪い?
人は誰だってひとりでは生きていけない。
誰かと手を取り合い、一緒に歩いていくことを恥だなんて思わない。
たとえ偽善と罵られようと、その偽善を貫き通す。
――『祝福因子』、適合率120%を突破。
――上位階級への昇華処理を、最高権限機構“AL:Clear”に委託・・・・・・error。
――適合者による委託への割り込み、護法刻印No.8“プロメテウス”の開示命令を確認。
――否認、否認、否認、ひ、に・・・・・・・・・・・・承諾を確認。
――全移行工程を完了しました。これより適合者に全権限の行使を譲渡します。
――あなたの往く未来に『進化』の祝福があらんことを。
どんな思いも、どんな心も、貫き通せば『信念』となる。
必要なのは、たったそれだけ。
英雄になるための条件は、たったそれだけだ。
「これが……」
放たれる爆炎、暴れ回る熱風。
雪彦はあまりの炎の勢いに耐え切れなくなり、空へ飛翔して塔の外へと離脱していた。
高層ビル並みの大きさで作られた氷の塔は、荒れ狂う炎の嵐を前に、徐々にその形を保てなくなってきていた。
壁面に無数の亀裂が走り、間を置かずして倒壊が始まる。
命無き氷の蛇は、断末魔の悲鳴をあげることなく大量の氷の塊となって海の底へと消えていった。
巨大な水しぶきが何度も立ち上る中でも、その中心で巻き起こる紅蓮の旋風は変わらず勢いを広げ続ける。
海上にいくつも浮かぶ巨大な氷塊たち、その内でも一際大きい浮島に着地した雪彦は、どこか眩しそうに好敵手の成長をその目に焼き付けていた。
「ようやく成ったか。……ようこそ飛鳥、ここから先が次なる世界だ」
徐々に炎の嵐が小さくなり、そこから出てきた人間大の物体が雪彦のいる浮島に降り立った。
まず視界を埋め尽くしたのは、背面から八つ又に伸びた炎の尾だった。非常識に長いコートの裾のようでもあり、あるいは孔雀の尾羽のような印象でもあった。
両足に履かれたブーツは紅蓮色の脚甲に変化。猛禽類を思わせる鋭い爪が氷の地面に突き刺さっており、触れるだけで燃焼、あるいは引き裂かれる未来を避けられない獰猛さを放っていた。
両腕には参式・赤鱗をよりスマートに作り替えたような、流麗なラインを描く籠手が装着されていた。鋭い爪や重い装甲が無い分、剣呑さはあまり感じられない外見だが……
(あの手に掴まれたら、間違いなく消えるな)
触れた物を一瞬でこの世から消し飛ばす――雪彦は理屈ではなく、本能的にそんな想像を浮かべていた。
今の飛鳥の姿を一言で形容するならば、まさに火の鳥。
日野森飛鳥という名をそのまま体現したかのような、第二位階の顕現だった。
「待たせたな……とでも言えばいいか?」
「ああ、そうだな。これでようやく始められそうだ……尋常なる勝負というものがな」
軽く言葉を交わし、2人揃って小さく笑った。
これでようやく対等。
一方的な蹂躙ではない、比肩する力を持った超人同士の一騎打ちが、ここからようやく幕を開ける。
「さて、時間も惜しいし始めようか。この“ヤドリギ”によって、お前のすべてを停止させてやろう」
「上等。触れるなら、灰も残さずこの世から消し去ってやる」
雪彦の全身から凍てつく強風が放たれるが、そのすべてを押し返さんばかりに飛鳥の全身から火の粉混じりの熱風が解き放たれた。
2人の間で拮抗する極熱と極冷が、互いの力が完全に互角であることを物語っていた。
日野森飛鳥の第二位階、その名を緋々色金真打“八咫烏”。
太陽から生まれし新たな翼を身に纏い、今、飛翔の時。