―第153話 セカンド ①―
さあ、心するがいい。
この壁は、お前という人間の行く先を占う運命の分かれ目だ。
己を知り、己に立ち向かい、己に勝利せよ。
その先に、お前が望む次の世界が待っている。
日野森飛鳥が創り出す烈火刃の設計思想は、あらゆる局面、あらゆる相手にも対抗し得る汎用性の高さにこそある。
壱式・破陣は、すべてを力で押し潰す大型剣。
弐式・緋翼は、速度と軽妙さに長けた二刀。
参式・赤鱗は、ぶ厚い装甲をも貫き穿つ重鉄甲。
肆式・葬月は、光学兵器を吸収し、多数の敵を一度に切り裂く8枚の円月輪。
伍式・火車掛は、高速移動と飛行を可能とする飛翔剣。
陸式・火群鋒矢は、長距離狙撃にも対応した射撃兵装。
そして――
「あ、アスカ! 前見て前見て何か撃ってきたっ!!」
ウツボにも似た凶悪そうな形相をした氷蛇の口から、巨大な氷の飛礫が次々と吐き出された。当然、狙いはこちらに向かってだ。
まだ距離は離れているが、その氷塊が家ひとつをまるごとペシャンコにできるくらいの規模があるのは明らかだった。
「上に飛ぶぞ、しっかり掴まれ!!」
「えっ!? そんなこと急に言われてもぎょえええええっ!?」
飛鳥はそう言うと同時に、火車掛の機首を真上に向けた。
遊園地のアトラクションよりも遥かに速く、遥かに急激な身体の上昇に、フェブリルがポケット内で言葉にならない悲鳴をあげていた。
別に彼女だって空を飛べるので、遠くへ放り投げて安全圏まで下がっていてもらってもよかったのだが……
(さっきから異様な視線を感じる……あまり離ればなれになるのも後が怖いしな)
流れ弾が離れたフェブリルの方に向かうことを危惧したのが一番の理由ではある。
加えて、氷の蛇が出てきたあたりから、飛鳥はどこからか誰かに見られて――いや、観察されている感覚を拭えなかった。
最初は雪彦かとも思ったが、奴が相手ならもっと隠さずに殺気をあらわにすることだろう。おそらくは別の人間……だが、その視線がどから来ているのか、近いのか遠いのかもはっきりと把握できない。
冷たい風を切り裂き上昇しながらも、後ろの首筋がチリチリと焦がされていくような感覚がどうにももどかしかった。
(って、集中を切らしている場合じゃない!!)
打ち上げ花火のような紅蓮色の軌跡を立ち上らせる飛鳥たちを打ち落とすべく、高層ビル並みの巨大さを誇る青蛇の口から次々と氷塊が吐き出されていく。
迎撃――しかし火車掛による飛行状態を維持するため、飛鳥自身は武装の変更を行えない。
ならばと、飛鳥は壱式・破陣を装備した自分自身』を紅炎投影で3体形成した。落下速度も利用して、3m超の大剣で巨大な氷の球を力任せに叩きつける。
「返すっ!!」
そのまま、分身たちは野球のバッターさながらに振り抜いて氷塊をそのまま氷蛇の口の中へ打ち返した。
全長100mはあろうかという怪物がのたうちまわるのを見下ろしながら、飛鳥は分身を解除すると同時に火車掛による上昇もストップさせた。
「きゅうぅ…………はっ!? ここはどこ? アタシはリルちゃん!!」
圧し掛かるGが解除されたところで、フェブリルがポケットからもぞもぞと頭だけを出してきた。記憶は飛んでいないようで何よりだった。
だが、残念ながら命綱無しのジェットコースターはこれで終わりではなく、ここからが本番だった。
「よーし、それじゃあここから急降下行くぞー。シートベルトはないからもう一回ちゃんと掴まってろよー?」
「……………………え?」
引き攣った笑顔でこちらを見上げてくる使い魔に、飛鳥は満面の笑みで返した。
上昇があるなら下降がある、それはもう自然の摂理なわけで。
「もうやだこんな絶叫マシーン! アタシ降りるうううううううううっ!!」
「暴れるなって、下手に外に出た方が危ないんだよお前の場合は!!」
半泣きの表情で必死に逃げ出そうとするフェブリルを、飛鳥はなだめすかしながら再びポケットへと押し込んでいく。別に意地悪でやっているのではない。別に彼女の反応が面白いからちょっとからかいたかったわけではないのだ。
ポケットの縁をひしっと掴みながら「大丈夫? ホントに大丈夫だよね?」とでも言いたげな不安げな上目遣いをしてくるものだから、少しだけ申し訳ない気持ちになってしまった。
飛鳥は軽く深呼吸をし、息を整える。
そして火車掛を解除すると同時に、漆式・桜蓮軛の発動に意識を集中させた。
浮遊するジェットボードが粒子状に消えていき、飛鳥たちはそのまま重力の導きによって、真下で蠢く氷の大蛇の口元に向かって加速していく。
意識を自身の内側へ。
壱~陸式では為せないことを為す―-“桜蓮軛”の形成コンセプトは実にシンプル。
思い切り下へ伸ばした右足を中心に、分解された粒子がらせん状に結集していく。
「ま、まさか……」
その様子を見ていたフェブリルが、胸元で震えた声を出していた。
右足を軸として構築された新たな武装は、見る者にたったひとつの回答しか与えなかった。
「ド……ドリルだあああああああああっ!!」
ドリル。
もうそれ以外に形容する言葉など有り得ない。
右足の付け根からすっぽりと覆われた精神感応性物質形成能力の装甲は、その尖端に至るまで渦を巻くように重ねられており、そのところどころにバイクの排気口にも似たブースターノズルが設置されていた。
何より、特筆すべきはその巨大さ。
足の付け根から先端までの長さは3m以上にもなり、まるで逆さに括り付けられたクリスマスツリーのような不可思議な外見だった。
その影響で地上ではまともに運用ができない――そもそも歩けないが――という致命的な欠陥を抱えている“桜蓮軛”だったが、このように航空爆弾の要領で落下させれば話は別だ。
ブースター、点火。
それと同時に多重らせん構造となった脚部装甲が夥しい火花を吐き出しながら回転を開始した。
「あ、これ死んだ――にゃぎゃああああああああああああっ!!??」
すべてを諦めきった顔を浮かべていたフェブリルは、心臓が口から飛び出してきそうなほどの急降下を前に、興奮した猫以上に甲高い悲鳴をあげていた。
そしてようやく回復したのか、ゆっくりとこちらに向かって首を向けてくる大蛇だったが……もう遅い。
「さぁて、ブチ抜くぞ」
真上に向いてぽかんと開いたままのその口目がけ――突貫。
氷蛇の体内を悠長に観察している暇などなく、軌道上にあった氷でできた筋肉や骨を、触れるそばから磨り潰して薙ぎ払い、爆破していく。
そして、その先――蜘蛛の巣状に張り巡らされた防壁の中央に、男がひとり佇んでいた。
「捉えたぞ、雪彦!!」
まさかこんな荒業で自分のもとまでたどり着くとは思っていなかったのだろう、弾かれるようにこちらを見上げた雪彦の表情は嘘偽りのない驚愕で染まっていた。
「なんて出鱈目な……ちぃっ!?」
雪彦は真上に両手を掲げ、ぶ厚い氷の壁を作り出してドリルの進攻を防ごうと身構えた。
だが、いかにも即席で作り出した氷の盾程度で、この地中貫通爆弾もかくやの“桜蓮軛”の勢いを遮ることなど不可能だろう。
半透明の結界に風穴を開けるべく、飛鳥はドリルの回転出力を更に上昇させた。
「貫けええええええええええっ!!」
「こ、の……!!」
鏡のように磨き抜かれた氷壁に、わずかに、しかし少しずつ確実に、ぴしぴしと小さな亀裂が広がっていく。声に苦渋をにじませる雪彦の様子に、飛鳥はこのまま一気に押し切ろうとするが、
――離れろ!!
本能からの警鐘が頭の内側から叫ばれた瞬間、反射的に“桜蓮軛”の形成を解除、氷の壁を思い切り蹴って空中へと飛び退いた。
「いい判断だ。だが」
先ほどとは打って変わって、雪彦はしてやったりといった不敵な笑みを浮かべていた。
さっきの苦しそうな様子は演技だったのかと気付く前に、飛鳥の身体は次の行動へと移っていた。
武装形成、迎撃――そのすべてを却下し選択したのは、雪彦に背中を向けること。
飛鳥が空中で身をよじって、胸元をかばうように身体を丸くするのを見計らったかのように、氷の盾から無数の氷柱が投射された。
「ぐ、ううっ!?」
「アスカッ!?」
太ももや肩に鋭く冷たい針が突き刺さっていくが、飛鳥は躱そうとはしない。
下手に大きく動いてしまい、無防備なフェブリルに当たってしまうのだけは絶対に避けたかったのだ。
飛鳥は受け身も取れないまま、雪彦が立つ不安定な舞台に落下する。氷柱が刺さった箇所に炎を纏わせて一息に蒸発させながら立ち上がった。
申し訳程度に張られた薄氷の足場は、思い切り踏み込めば今にも割れそうな気配を見せていたが……少しばかり踏み足に力を入れてもびくともしない。
「悪いフェブリル、怪我ないか?」
「あ、アタシは大丈夫だけど……そんなことよりアスカの方が」
「この程度、蚊に刺されるのと大して変わらないさ。……さ、ここまで来れば大丈夫だろ。ちょっと離れててくれな」
フェブリルの服の襟元をひょいと掴み、外へ出してやる。
明らかに足手まといになっていることに罪悪感を感じているのだろう、飛鳥の右肩に着地した彼女は目尻に涙を浮かべながらこちらを見つめていた。
「ごめんなさい……アタシが付いていくなんて言わなかったら」
「いーから気にするなって。一緒にいてくれるだけで充分ありがたいんだからさ」
元より飛鳥は、フェブリルを戦力として考えたことなどない。
それに、彼女はマスコット役としていつも周りを元気付けてくれている。だったら、それだけでも付いてきてもらった意味はあろうというものだ。
彼女に気を遣っていることを否定はできないが、それでも紛れもない飛鳥の本心だった。
何か言いたげなフェブリルの頭を人差し指で軽く撫でてやる。
「うにゃー、なでるなー」
頭を振って弱々しく抵抗したチビ使い魔は、拗ねた様子でぴょいっと肩から飛んで離れていった。相も変わらず和ませてくれるなー、などと場違いな感想をもらした飛鳥だったが、
「……そろそろいいか?」
「あ、すまん。律儀に待っててくれたのか」
頭に手をやって困り果てた表情を浮かべていた雪彦からの声を受け、意識を再び切り替えた。
やはり、と言うべきか。
明らかに隙だらけだったにも関わらず、雪彦は飛鳥を追撃しようとはしなかった。
4月に学園で交戦した時からそうだが、少なくとも雪彦は恨みつらみで戦いを挑んでくる気配を見せなかった。
何かしらの思惑があるのは疑う余地もないが、それがどうして自分を殺そうとすることに繋がるのか。
「どうして俺と戦いたがるのか――理由は教えてくれないのか?」
「知ってどうする。知ったら黙って首を差し出してくれるのか?」
駄目元で問いかけてはみたが、とりつくしまもなく見事に平行線だった。
結局、語るならば口ではなく拳でということか。
弐式・緋翼の双剣を両手に召喚し、切っ先を雪彦の方へと突きつけた。
「だったら約束しろ。お前が勝ったら俺の命など好きにして構わんさ。だが……俺が勝ったら、洗いざらいすべて話してもらうぞ」
「大きく出たな。俺としては願ったりの条件だが……今朝の戦いの時点で分かっているだろう? 今のお前では俺には絶対に届かん。第一位階から進めないでいるお前と、第二位階に立っている俺との格差はそれだけ隔絶されているということだ」
喜色半分、呆れ半分といった声色で、雪彦は淡々と事実のみを述べてきた。
そんなこと、言われなくとも実感していた。
今朝の連絡橋での一戦で明らかに手を抜かれていたこと、先ほどの“桜蓮軛”の一撃がああも容易く防がれてしまったこと。
だが、だからと言ってそれが退く理由になるはずもない。
「格差があるなら埋められるまで走ればいい。それだけだ」
それは、雪彦よりも自分自身に投げかけた言葉だったのかもしれない。
「その意気やよし。ならば、そこに発破をかけてやろう。今白鳳市を覆っている異常気象の根源は、この氷の蛇を通した俺の能力によって展開されている冬の結界だ。つまり……この氷夏を止めるには、俺を倒すほかないということだ」
「分かり易くてありがたいな、まったく!!」
右手に日本刀型の氷刃を作り出しだらりと構える雪彦に対し、飛鳥は少々やけっぱちに答えながらその場で剣を横に素振りした。
言葉を交わすのはここまで。
あとは――ただ、目の前の敵を打ち倒すことのみに専心する。お互いに足を前に踏み出し、ゆっくりと距離を縮めていく。
一歩。
まだ刃が届く間合いではない。
二歩。
小さく呼吸をひとつ。
三歩。
剣を握る手の指先にまで力を浸透させていく。
四歩。
少しだけ、死んだ両親のことを思い出した。
――五歩。
そのすべてを忘却し、二振りの刃を繰り出した。