―第13話 愚者の踊り―
感覚が研ぎ澄まされる。
今なら、放たれた銃弾さえ見切って躱せるであろうという確信。
本人の預かり知らぬところで、彼女はすでに人を超えかけていた。
「誰っ!!」
突如背筋が凍るような気配を感じた鈴風は、背中に担いだ鉄槍を引き抜き、背後の影に向け大きく薙ぎ払った。刹那瞬動、常人離れした反射速度による斬撃が、立ち並ぶ培養槽を3基まとめて両断した。
当の鈴風自身が驚いたほどの超反応による神速斬を、しかし襲撃者はこともなく躱してのけた。
「…………」
「乙女の背後に忍び寄るなんて、男の風上にもおけないね。いったいどこのどなたさん?……あれ、アンタは」
真一文字に分断された培養槽から滝のように中の液体が流れ出した。
その水音を聞き流しながら、鈴風は闖入者の影――その正体を視界に収めた途端、なんだか既視感を覚えていた。
眼前で悠然と佇む長身の男が纏うは蒼色の甲冑、背には純白の双翼。そしてリーシェと同じ若草色の髪。
言葉にはし難いが、存在感や雰囲気といったものがブラウリーシェ=サヴァンに近しいと感じられた。
「まさか、あなたはジェラールさん? どうしてこんなところに――――って、んなっ!?」
疑問符を浮かべる鈴風だったが、突如目先に迫った蒼の太刀に驚愕する。
電光の如き反応で跳躍、薄皮一枚のところで回避しバックステップで10メートルほど一気に距離をとった。
先の一刀が、眼前の男――ジェラール=サヴァンによる、鈴風を殺傷するための斬撃であることは言うに及ばず。
当のジェラールの表情は能面じみており、鈴風の生命を摘み取ろうとした行為に何の感情も持ち合わせてはいないようだ。
瞳の色は濁りきっており、総身はフラフラと風に揺れる案山子のように力無い。生気に乏しい――人形じみたと言うよりは、あらゆる事象に疲弊しきった、今にも崩れ落ちてしまいそうな危うい雰囲気。
何故リーシェの兄である彼がこのような場所に五体満足でいるのか。
どうして会話もないまま問答無用で自分を手にかけようとしたのか。
疑問は尽きないが、今は唐突に訪れた命のやり取りに集中する他ない。
楯無鈴風は戦いの素人であると、誰に言われずとも理解していた。
そんな人間が下手な思考に頓着しようが最後、首から上が胴体とさようならしていてもおかしくはないのだから。
(それにしても……いったいどうしちゃったんだろ、あたし)
あまりの違和感に全身が寒気に震えた。
気配察知からの鮮烈な初撃、先程の紙一重の回避。
偶然や火事場の馬鹿力だとしても、本来の鈴風には決して実現できるはずがない。
それは、絶命の危機に身を投げ出している現状の中で、冷静に戦局を分析出来ている自身の思考もだ。
これはつまり、武道における三大要素――心技体、そのすべてが飛躍的に向上したとでもいうのか。
右手に携える蒼鉄の槍に視線を向けた。この武器による恩恵だろうか?
確かに巨岩を貫き切り裂くこの鋭刃であれば、実力以上の攻撃を繰り出すことも出来るだろう。
(……違う。これは身体の奥、まるで細胞ひとつひとつが活性化しているような)
自分でもよく分からないが、どうやらこの世界に来てから随分とパワーアップを遂げているようだ。
とはいえ、力を手にした高揚感というよりも、自分という存在が知らない誰かに弄繰り回されているような嫌悪感の方が強い。これはいかなる魔法か、あるいは呪いなのか?
理屈はどうあれ、今は戦闘の真っ最中。
嫌だ怖いと駄々をこねている暇などないし、むしろ戦う事が出来るのであれば好都合。最大限利用させてもらうとしよう。
……では、どこまでやれるか試してみようか?
「ちぇいさぁっ!!」
両足に力を込め、叫びと共に鉄床を蹴り抜いた。その一足は風を切り、瞬時にして蒼の騎士の目前にまで迫った。
とはいえ真剣を人に向けるのはまだ些かの抵抗があるのか、槍は持たず背負ったまま。
幽鬼の如き無機質な佇まいを見せるジェラール、その下顎目掛けて大きく蹴り上げた。半身を反らして難なくされるものの、それはまだまだ想定内。
頂点までぴんと伸ばしきった右脚を、燕返しよろしく今度は一気に急降下。体躯は相手側の方が大きい為、踵落としで脳天狙いとはいかないが……
「動くんじゃあ、ないっ!!」
狙いは最初から頭ではなく足であった。
ジェラールの鋼板の具足に覆われた右足の甲目掛け、地面に縫い付けんがばかりに渾身の力で踏みつけた。
爆薬でも仕込んであったかのような炸裂音と共に、鉄骨に覆われた研究棟が激震した。そしてその衝撃が周辺の培養槽に亀裂を入れ、あらゆる場所から洪水が溢れだしていた。
しかし、鈴風にはそんな周囲を気にかける余裕はない。
「キ、サマ」
「っく!?」
死者の慟哭にも似たジェラールの声。至近距離で視界に捉えた奈落の闇を思わせる暗き双眸に、鈴風の背筋が凍りついた。
――この距離はまずい、離れろ!!
脳から走った危険信号に従い、空いた足で強かに相手の胴を蹴りつけ、その反動で後方に跳び逃げる。その蹴脚に、右足が床にめり込んでいるジェラールは反動で吹き飛ぶ事なく、鉄の柱になったかのように直立不動するのみだった。
血気盛んが過ぎたかと、鈴風は猛省した。
急激に向上した身体能力とは、まさしく麻薬だ。
正常な判断力や分析力もそうだが、特に危機回避能力――こいつには勝てない、戦っちゃ駄目だという考え方を容易に奪い去ってしまう。
更に、今の自分の力はあまりに得体が知れない。
訓練で徐々に慣らしていくのならともかくとして、このようなぶっつけ本番、死線ぎりぎりの状況下でみだりに振るうものではないだろう。
今必要なのは、冷徹なまでの状況判断。
優先順位を間違うな、何が一番大事かってそりゃあ決まってるだろう。
「フェブリルちゃん、逃げるよ!!」
「あ、アイアイ!!」
無事に生きて帰る、それ以外に何があろうか。
鈴風は天井近くで2人の戦いを見守っていたフェブリル目掛けて叫んだ。
大慌てで飛び付いてきた小さな悪魔が肩にしっかと掴まった事を確認すると、鈴風はなりふり構わず出口に向けて全力疾走を開始した。
途中、培養槽が破砕して床に打ち捨てられたヒトらしきものが視界に入った。とてつもない生理的嫌悪感に吐き気を催すが、それよりも、
「キサマ……キサマラァァァァッ!!」
背後から突き刺さる殺意の剣から逃れることに、鈴風の意識は全力で向けられていた。
逃げろ逃げろ逃げろ――絶対に振り向くな!!
悪夢に苛まれる心地を振りきるように、一直線に出口に向かって駆けていく。怒れる狂獣の咆哮を置き去りにして。
「ぜぇ、ぜぇ……ここまで、来れば……」
「スズカ……大丈夫?」
部屋を飛び出し、ここまで来た道を爆走して数分。
なんとか撒いたかと安堵した鈴風は、両手を膝につけて大きく息を吐き出した。フェブリルはそんな鈴風に声をかけながら、小さな手で彼女の背中をさすっていた。
鈴風は少しだけ呼吸を止め、耳を澄ました。
……無音だ。激しく動悸する自分の心拍以外は何も聞こえない。
どうやら追ってくる様子はないようだ。大きく深呼吸すると、じきに息切れも収まった。
「なんだかもう頭の中がこんがらがっちゃったよ。謎が謎を呼ぶ、どころの騒ぎじゃないってあれは!!」
「あの水槽の中にいたのって……やっぱりあの手羽先女、なのかな? それに、さっき襲ってきた人……」
「メトセラさんが言ってたジェラールさんだと思う。顔や雰囲気がリーシェそっくりだったし。……でもあれじゃあまるで獣だ。あれ以上戦おうとしてたらどうなってたか。うう、寒気してきた」
「それにしても、スズカって結構強かったんだね? さっきの動き、アスカにも負けないくらいだったよ?」
「そりゃ言い過ぎ。でも、あたしにもよく分からないんだよ。自分で言うのも何だけど、あれは異常だ。まるで人工英霊になったかのような……」
2人揃ってうーんと唸った。
何かしらの収穫があればと思っての潜入劇だったが、いたずらに疑問を作るだけで終わってしまったような……そもそも頭脳労働には向いていないであろう両名だ。ここで悩んでいても成果は出るまい。
「まあ、考えていても仕方がない。それに、飛鳥に聞いてみたら分かるかもだし? 大事なのはホウレンソウだよ!!」
「……何それ?」
社会人にとっては常識といえる三大用語。報告、連絡、相談の事である。
聞きかじりの知識で言った鈴風だったが、少なくとも独断専行でここに潜入したあんたが言っていい台詞じゃあないだろうと、フェブリルは内心でひとりごちた。
……と、そこに聞こえてきた足音。
甲高い金属音を響かせながら迫る気配に、二人は思わず背筋を震わせた。
「ギャー! 余計な話してるんじゃなかった!!」
「あれ、アタシ達どっちから来たんだっけ!?」
慌てふためく鈴風とフェブリルをよそに、足音はすぐそこまで迫っていた。
「「き、来たぁぁぁぁ!!」」
そして現れた蒼鉄の影。
時間切れだ、さあ迅速に選択しなければ。
迎撃か、逃走か。さもなくば、迷った瞬間即座に終わるぞ。
ああしかし、2人は動けない。
目覚ましい進化の片鱗を見せたとはいえまだまだ実戦初心者の鈴風と、そもそも実戦自体無理があるフェブリルにそれを求めるのは酷であろう。
「……スズカ、羽虫? こんな所にいたのか……というか、なにをやっている?」
しかし、鈴風達が邂逅したのは蒼の暴獣ではなく蒼の騎士。
戦々恐々とした面持ちでお互いの身を抱きしめ合っていた2人(あまりの体格差にフェブリルは抱き潰されそうになっていたが)を見て、首を傾げるリーシェであった。
「くぅーっ! 太陽が眩しいぜぇっ!!」
「生きてるって、素晴らしい……」
洞穴を出て、溢れる陽光の眩しさに思わず唸る鈴風と、しみじみと命の有難みを噛みしめるフェブリル。
結局のところ、研究所の捜索は打ち切りとなった。
このままリーシェを交えて捜索再開することも考えたのだ。だが鈴風の脳裏によぎる、研究棟での彼女に似た実験体達と、ジェラールの凶荒。流石にあのショッキングな光景をリーシェに見せるのは憚られたのだ。
問題の先送りなのかもしれないが、こういった場合の『専門家』に相談してからでも遅くはないだろう。
さてさて、飛鳥はどこへ行ったのだろうか。
鈴風はきょろきょろと周囲を見渡し彼の姿を探した。
「あ、いたいた。飛鳥…………って、まてやコラ」
どうしてあなたがここにいるんだコンチキショウ。
少し離れた岩棚で座り込む飛鳥の姿を視界に収め、思わず笑みがこぼれる鈴風だったが、その隣で「ここは私の指定席ですわよオホホホホ」と言わんばかりに、こちらに挑戦的な視線を送る白金色の髪の乙女の姿を確認した途端、彼女の笑顔は凍りついた。
「……なんでいるの?」
「飛鳥さんあるところ、クロエ=ステラクラインありですよ。ところで、先ほど飛鳥さんにお話を伺いましたが、随分と面倒を起こしてくれやがったみたいですねぇ……」
「それはそれはどうもすいませんでしたー(棒読み)。本当に悪いと思ってますよ、飛鳥には」
「…………(怒)」
全く心がこもっていない鈴風の謝罪に、クロエのこめかみに青筋が走った。
交錯する二人の視線が周囲に絶対零度の殺気を放出し、何事かと見守るフェブリルとリーシェを戦慄させた。
「あれ、なんでだろう……さっきよりもずっと生命の危機を感じるんですけど?」
「これほどの闘気……2人とも、只者ではないな」
一角の武人であるリーシェですら震えが止まらないのだ。2人の視殺戦(有り得ない言葉だが、こうとしか表現できない)がいかに凄まじいかがご理解いただけたことだろう。
そして完全に板挟みになってしまった飛鳥は、
「ああ、空が青いなぁ……」
全力で視線を逸らして現実逃避していた。
鈴風とクロエがこのような犬猿の仲となって、もう半年は経つだろうか。
うっすらとではあるが、不仲の原因が自分にある事を理解していた飛鳥は、基本的に2人の口論に対して強く出る事が出来ない。
何故なら、
「助けてもらって素直にありがとうとも言えないんですか、鈴風さんは?とんだ礼儀知らずですね」
「確かに、あたしは飛鳥にたくさん助けてもらいましたよ? それにはすごく感謝してるし、申し訳ないとも思ってる……けど先輩には、これっ! ぽっちも! 助けてーなんて頼んだ覚えはないですしー」
「ウフフフフフ……調子に乗るなよ後輩」
「アハハハハハ……先輩だからって偉そうにしないでよね」
どうやって仲介しろというのか。
ともかく、言葉を交わせば喧嘩腰。並んで歩けば飛鳥の隣をめぐって牽制打の応酬。2人の間には、出逢ったら殺し合えの協定でもあるのだろうか?
折角の再会だというのに、何故か陰鬱な気持ちに沈んでいく飛鳥であった。
飛鳥とリーシェの負傷、そして鈴風が持ち帰った情報も踏まえると、いったんオーヴァンへ帰還した方がいいだろうという飛鳥の意見に全員が頷いた。
戦力としては特級といえるクロエの参戦により、敵人工英霊への対応にも余裕ができたとはいえ、相手戦力も未知数だ。
あまり無理はせず、まずは目先の問題をひとつずつ解決していくべきだろう。
元の世界に戻る方法に関しては、クロエがこちらの世界に来られた以上、今は棚上げしておいて問題あるまい。
現状の問題は、とりわけ3つ。
まず1つは、相手側の戦力。
劉功真や量産型の機械兵器はともかくとして、追加戦力として投入されたフランシスカ=アーリアライズは底の知れない存在だ。
当初は高火力の戦術兵器の操縦者に過ぎなかったが、仮面を外した彼女はまさしく血に餓えた獣。重力操作の能力という手札も強力ではあるが、これは種が知れれば対処自体はそう難しいわけでもない。
むしろ何をしてくるか分からないという、身体能力や固有技能のみでは測れない要素こそ飛鳥にとっては脅威だった。
2つ目が、鈴風の体の変調。
不調どころか絶好調を通り越しているとは彼女本人の談だが、身体能力の急激向上という点に、飛鳥はひとつ心当たりがあった。その予想が外れていて欲しいと飛鳥は思うが、残念ながらそれはほぼ確信に等しかった。いずれ鈴風本人にも伝えなければならない。
そして3つ目。
リーシェには聞こえないように鈴風から聞いた話だが、山奥の施設内で行われていた研究について。
これこそが、飛鳥がこの世界に対して感じていた『違和感』――それを確信に変えるものだった。
少なくともここは、いわゆる剣と魔法が彩る『御伽話』の世界ではなく。
ここが張りぼての舞台と知らず、哀れな道化が演じるばかりの三文芝居に過ぎないという事実に。