―第147話 フルテンペスト・ディスチャージ ⑤―
その思考は電光のように速く。
その動きは竜巻のように荒々しく。
その一撃は疾風のように鋭く。
この時、楯無鈴風は今まで見たこともない強者の領域へと到達していた。
「飛べ……」
4枚の機動翼が淡く発光し、爆発的な推進力を生み出す。
空の騎士であるリーシェすらも置き去りにするほどの超速飛翔。地上から飛び立ち、瞬きの間に1体のアルゴルの眼前に辿り着いていた。
「ぬぅっ!?」
完全に反応が遅れていたアルゴルの驚愕をよそに、鈴風はあえて大振りな槍を使わず、左の手の平を相手の腹部に押し付けた。
ずん、と重たい風が吹き抜ける。
「なに、が……」
アルゴルは、その音で自分の身体に風穴を開けられたことに気付かぬまま、力を失い地上へと墜ちていった。
今のは武装と呼ぶほどのものではない。
体内で精製、圧縮した粒子混じりの大気を放出した空気砲。しかし、以前にレイシア相手に使った同じ技とは威力がケタ違いであった。
墜落するアルゴルを一瞥することもせず、鈴風は再びウイングを稼働させ次の分身へと狙いを定める。
「「「見事見事、一切の躊躇なく殺しにかかったな。そうだ、それでいい。戦場とはかくあるべきだ」」」
にやにやと薄気味悪い顔が何十個も並んでいる光景は、鈴風の不快感を煽るには充分過ぎるものだった。
「さっさとかかってくればいい。1人残らず撃ち落としてあげるから」
鈴風は一瞬、これが自分の口から出た言葉なのかと疑ってしまった。これほどまでに冷徹で、殺意に満ちた声を出せるものだったのかと。
今さら、何を迷う必要がある。
今さら、何に縋りつこうというのか。
意識の隅に走ったわずかなノイズに眉をしかめながら、鈴風は再び空を駆けた。
「「「因子同期――」」」
次の能力が来る。
だが、何が来ようともすべて解析し、そしてすべてを凌駕する。“ジェットセッター・フルテンペスト”は、あらゆる能力を追い抜くことに極限まで特化させた能力だ。
よって、アルゴルが手札を切ってくるほどに、鈴風を更に強化していくことになる。
「“暴虐要塞”」
その身を鋼の如く硬質化させる能力。
だが、それは『進化』する前に既に見せており、二度も同じ手は通用しない。
機械槍の横薙ぎによって、哀れ分身は胴体から泣き別れとなった。
「“鉄機掌握”」
地上に乗り捨てられていたショベルカーなどの重機が空に浮かび、工場から蜂の群れのように機械の欠片が殺到してくる。これらが文字通り鋼鉄の嵐となって、鈴風に向かって弾丸のように撃ち込まれてきた。
だが……竜巻の化身となった鈴風にとっては、この程度はそよ風に等しい。
全身を大きく捻じり、両手で携えた槍に力を集中。槍の刀身部分が変形し、ジェットエンジンばりの轟音を放ちはじめた。
「やああああああああっ!!」
一閃。
槍から放たれたのは技術も何もない、ただの暴風。
だが、その規模は凪いだ海面を荒立たせ、襲い来る巨大な鉄の礫をそのままアルゴルの軍勢へと押し返すことすら可能だった。
1人はショベルカーに押し潰されそのまま地面の下敷きに。
また1人はネジや機械部品が散弾銃のように襲い掛かり、全身に無数の穴を開けたまま絶命した。
掌握したはずの鋼鉄の反乱にアルゴルたちが浮き足立った隙をついて、鈴風は最大速度で敵陣の渦中に飛びこむ。
すれ違いざまに槍を払って1人の首を落とし、動きを止めようと掴みかかってくる1人の襟首を掴み返して別の個体にぶん投げる。飛んできた分身の身体を受け止めた瞬間を狙って槍を勢いよく投擲。2人まとめて腹部を串刺しにした。
「……?」
ばらばらと墜落していくタキシード姿の男たちを見送り、ここで鈴風は息を整えようとしたが、ここまでの動きを見せたにも関わらずまったく疲労を感じていない。
今の鈴風は、わざわざ声を出して驚くような感性など持ち合わせていないが、今回ばかりは敵に包囲されている状況であっても、思わず動きを止めてしまうほどの驚愕だった。
(いくら何でも……変わりすぎなんじゃ)
ついさっきまで、自分の力に振り回されながら何とか形にしていた程度のレベルだったのに、今となっては心・技・体、どれをとっても古強者にも引けを取らない段階にまで向上している。
いかに第二位階になったとはいえ……今の自分は本当に楯無鈴風なのかと疑念を抱いてしまうほどに、この『進化』は異常極まっていた。
(……ううん、今はそんなどうでもいい。それよりも)
小さく頭を振って雑念を意識から追い払い、鈴風はさっきから動きを見せようとしないアルゴルたちに向き直った。
「驚くのも無理はない。第二位階の力とは、もはや第一位階とは別の生命体と言っても過言ではないくらいに隔絶されたものだ。それだけ、この段階に辿り着ける人工英霊とは両手で余るほどに少ないわけだが」
「……随分と余裕だね? じきにあんたの能力も解析できる、そうなったらどれだけ分身に隠れようが無駄だよ?」
鈴風は無意識に口元を緩ませ、こちら側の絶対優位をはっきりと叩き付けた。
実際、アルゴルの能力は8割方の解析が完了している。
相手の因子を読み取ってその能力を模倣する――要するに、猿真似しか能のない、怖れるに足らない力だ。
アルゴルが第二位階になったところで、ほとんど手応えも感じない。この調子であれば負ける要素はなく、分身に紛れた本体が見つかった時が奴の最期だ。
鈴風は冷静な思考を維持しながら、その実ほぼ勝利を確信していた。
「ふむ……どうやら小手調べと称して遊び過ぎてしまったか。これ以上君を調子付かせるのも業腹だし、そろそろ我が第二位階の神髄をお見せするとしようか」
「減らず口を」
それでも余裕ぶった態度を崩そうとしないアルゴルに、鈴風から苛立ち混じりの声が飛ぶ。……この時鈴風は気付いていなかったが、彼女は心を凍らせたはずなのに、ちらほらと感情の揺れが出始めていた。
これ以上何を繰り出すかは知らないが、次こそ必ず仕留める。
必殺の決意を胸に、鈴風は再び槍を召喚し油断なく構え直した。
だが……それは、
「「「因子同期――日野森飛鳥」」」
鈴風にとって、最悪とも呼べる地獄の幕開けだった。
ゆらり、とアルゴルの姿が陽炎のように揺らいだかと思うと、次の瞬間には、
「あ、あ……ああああ」
数十人の日野森飛鳥が、楯無鈴風に向かって炎の剣を突き付けていた。
言葉にならない激情が、鈴風の胸の奥からマグマのように溢れだそうとしていた。
これが、まだ解析しきれていなかったアルゴルの能力のひとつ……彼は能力者の外見までもを複製できるということだ。
いや、彼の能力が模倣である以上、想定されて然るべきものだった。驚くようなことでもないだろうし、外見が変わった程度でこの戦局に影響することなどまずないだろう。
しかし、鈴風にとってはいかなる攻撃よりも彼女の傷を抉る光景だった。
「「「それじゃあやろうか、鈴風」」」
「――っ!!」
飛鳥と同じ口調で、召喚した二刀の烈火刃を手で遊ばせながら、アルゴルたちはじわじわと包囲網を狭めてくる。
顔も、声も、まるで同じ。
一見すると怖いかもしれないけど、よく見たらルビーみたいに綺麗な目も。
口うるさい時もあるけれど、いつもにこやかで優しい笑顔も。
偽物だと分かっているはずなのに、なぜか……懐かしい、とすら感じてしまった自分を今すぐ殺してやりたくなった。
「「「何を馬鹿みたいに突っ立ってるんだ? 敵の前に立ったら一瞬の隙が命取りだって、何度も言ってきただろうが」」」
歯が砕けんばかり強く噛みしめ、槍を握り込んだ手の平からはじわりと血が滲み出た。
やめろ、しゃべるな、黙れ。
鈴風の中にある大切な何かが、踏み付けられて無残に汚されていく。
「お前なんかが……」
『進化』によって調整された氷のように冷静な思考能力が、みるみる内に赫怒の炎によって溶かされていく。
鈴風は光を失った目を血走らせ、魂の奥底から大気を震わす叫びをあげた。
「お前なんかが、飛鳥を語るなあああああああああああああああああああっ!!」
目の前が真っ赤に染まる。
殺せ、殺せ、殺せ――理性も本能が総動員で、奴を今すぐ死の淵へと叩き込めと鈴風を駆り立てていた。
4枚の機械翼から発生した暴走じみた出力が、鈴風を弾丸のように解き放つ。
すぐさま眼前に迫った飛鳥の顔に、肉体が反射的にブレーキをかけようとする。
この世で一番傷付けてはならない人に槍を向けるという、吐き気がするほどの罪の意識。
(あれは敵だあれは敵だあれは敵だあれは敵だあれは敵だあれは敵だぁっ!!)
今すぐ死にたくなるような罪悪感を、怒りと憎しみの炎で無理矢理に塗りつぶす。
が、そんな精神と身体がちぐはぐな状態で、十全に力を発揮することなどできるわけもなく。
「断花流弧影術――“揺”」
「なっ!?」
しかも、第二位階になったアルゴルであれば、模倣されるのは能力や見た目だけではない。飛鳥が修めていた断花流弧影術の技の冴えすらも、彼は精密に再現しきる。
烈火の二刀が鈴風の槍を挟み込むように動かされ、ほんのわずか横に、その刺突の道筋を逸らされた。
崩された、と鈴風が体勢を立て直そうとした時点で手遅れだった。
「背中がガラ空きだぞ? 陸式・火群鋒矢」
背後からその名が聞こえてきた瞬間、鈴風の背筋が凍り付いた。
機械翼からの加速で急速離脱を図ろうとするも、
「うあああああああああああっ!?」
頭上から、左右から、背後から、弩型の烈火刃射撃形態――陸式・火群鋒矢による一斉砲火が、鈴風の全身を焼き尽くしていく。
いかに第二位階とて、鈴風の武装はあくまで速度重視の軽量型だ。こと守りにおいては決して標準以上の評価を得ることはない。
高熱をまとった巨大な矢が鈴風の脇腹をかすめ、肉を抉り取っていった。
激痛に身をすくめたところに、今度はエネルギーチャクラムである肆式・葬月が四方八方から雨あられのように押し寄せてくる。
純粋な熱量兵器であるあの円月輪には、いくら風を放って押し返そうにもすべてすり抜けてしまう。
難なく鈴風の間合いの内側に到達した天使の光輪が機動翼を破壊し、槍の尖端を融解させ、手足をじわじわと切り裂いていく。
「うぐぅっ!? こ、このぉっ!!」
籠手型の格闘兵装、参式・赤鱗を腕に纏った飛鳥たちが懐に滑り込んでくるのを、刀身が熱でひしゃげた槍を振り回して追い払う。
だが、そのあまりに隙だらけの挙動をみすみすアルゴル――いや、飛鳥が見逃すわけがない。
鈴風の真上から大きな影が射す。
「あ――」
3m超の大型剣、壱式・破陣の無骨な刃が振り下ろされるのを、鈴風は茫然としたまま見上げていた。
脳天から足の先にまで伝わる鈍い衝撃。
落ちている、と認識する間もなく、鈴風の意識もまた一瞬で落ちていった。
「……こうして『反逆者』の能力と技を借り受けていると、つくづく思う。もし彼が“祝福因子”に対して平均値以上の適合率を持っていたならば、間違いなく全人工英霊の中でも5指に入る実力者になっていたことだろう」
墜落した鈴風を追い地上へ降り立ったアルゴルは、既に変身も分身も伴わない元の状態に戻っていた。
「う……あ……」
「惜しむべきは、ただただ出力の低さだ。あらゆる戦局に対応できる武装群、常に強者を相手取るために構築された技術。そこに私の第二位階としての出力を加算したのが先の結果だ。心技体として問うのであれば、彼は常に『体』で他者に劣っていたがために、残る心技をとことんまで追究しようとしたわけだな」
鈴風が能力で創り出した翠色の軽鎧は、破陣の一撃に耐え切れずに粉々に砕け散っていた。
背面のウイングスラスターも根元から断たれ、これ以上飛ぶどころか、立ち上がることすらままならないほどの惨状だった。
さっきからアルゴルが喋っている内容も、話半分でしか聞き取れない。一応、飛鳥のことを褒めているであろうことだけは何とか理解できた。
それはそうだ。飛鳥がすごいことなんて最初から知っている。当の彼の能力でここまで叩きのめされたというのに、鈴風はどこか誇らしく思えた。
「だが……解せない。少女よ、どうして君は彼の能力を解析しなかった?」
「……」
「どれほど芸達者であろうが、彼の能力はただの熱量操作に過ぎない。君なら容易に克服し、反撃することとて容易だったはずだ」
訝しげに尋ねてくるアルゴルだったが、鈴風はその疑問に答えてやるつもりなんてなかった。
別に解析ができなかったわけでも、難しかったわけでもない。
単に、やりたくなかったからだ。
べらべらとアルゴルが口上をたれている間に、何とか立ち上がれるくらいには回復したようだ。
「あんた、なんかには……死んでも分かんないだろうね……」
既に第二位階は解除され、最適化によって変異していた鈴風の精神状態も元に戻っていた。
少し回復したとはいえ、左腕からはとめどなく血が滴り落ち、まともに動かせそうにない。足もどこか折れているのか、立っているだけで鈍い痛みが襲い掛かってくる。
勝てなかった。
それでも、なぜか鈴風の胸の中はすっとしていて、悔しさや死の恐怖なんて微塵もなかったのだ。
「何がおかしいのだ? 君は私に負け、今まさに命を奪われようとしているのに」
「違うね。あたしが負けたのはあんたじゃない。あたしは飛鳥に負けたんだ。だから、笑える。もし、この後すぐに殺されちゃうんだとしても、あたしは心底笑って死んでいける」
「……」
鈴風は自分の気持ちを言葉にしながら、我ながら恐ろしい考え方だなぁと困ったような笑みをこぼした。
「今はあんたにお礼を言いたい気分だよ。だって、おかげでさっきまで悩んでたことが全部吹き飛んじゃったんだもん」
「な、なにを言って……?」
今回ばかりは、アルゴルも余裕の仮面を被り続けることはできなかったようだ。
おそらくは、今の焦り気味の反応こそが、このペテン師の嘘偽りのない素顔なのだろう。
ようやくアルゴルに一杯喰わせてやれた気がして、鈴風はますます上機嫌でにかっと笑う。
「確かに今、あたしは飛鳥より強くなっちゃったのかもしれない。でも……」
それは、考えてみればとても簡単なこと。
飛鳥の一番近くにいた自分が分からなくてどうするよ、と鈴風は少し前の自分をぶん殴りたい気持ちでいっぱいだった。
「飛鳥がこのままで終わるわけないんだ! 追い抜かれたら追い返せばいい。さっきの力みたいに、飛鳥はきっとまた、あたしなんかすぐに追い抜いて強くなれる! それでまたあたしが追いかけて、追い付いて……そうやって、一緒に強くなるんだ!!」
「…………」
呆れてものも言えないのだろうか? 口を半開きにしたまま何も言えないでいるアルゴルの姿が、鈴風にとっては心底愉快だった。
上から目線で人の気持ちを弄んでいたあまのじゃくに、ざまあみろと言ってやりたい気分だった。
「さぁ、そうと決まればあたしも立ち止まってなんていられないよ! こんなところで、こんなペテン師にやられてる場合じゃないってね! よぉしテンション上がってきたあああああああああっ!!」
「ま、待て、待て待て待ちたまえ! この状況下でどうしてそこまで喜べるのだ! これから君は死ぬ、それは抗いようのない運命だ! そうなったらどの道すべてが終わりなのだ、分かっているのか!!」
アルゴルは明らかに動揺しながら、鈴風の暴走ぎみな心境の変化を押し留めようと声を荒げてきた。
ああ、なるほど。
この男、どうやら自分が優位に立っている状況なら、ああも偉そうにふんぞり返れるわけだが、いざ想定外の事態が起きると途端に焦って対応できなくなるタイプか。
まったく、どれほど強かろうが飛鳥に比べれば雑魚じゃないか!!
アルゴルの顔にビシッと指を突き付けて、鈴風は会心の笑みで言い放った。
「そんな柔な精神で、よくもここまであたしや飛鳥のことをコケにしてくれたもんだね。あんたなんか飛鳥はもちろん、あたしの足下にも及ばないよ!!」
「死にかけの身で言ってくれたな……! そんな調子付いた啖呵を切ったからには、私にこれ以上優しい対応など求めてくれるなよ……?」
こんな分かりやすい挑発に乗ってくるあたり、彼にも相当余裕がなさそうだ。
これは今度こそ、死んでしまうかもしれない。
体力は空っぽ、身体はボロボロ。
でも、精神はびっくりするくらいに元気いっぱいだ。
だったら、問題ない。
人工英霊とは、精神を糧に力を成す生き物なのだから。
そして、鈴風が発現させた“ジェットセッター・フルテンペスト”に搭載されていた、もうひとつの能力。
今こそ切り札の切り時というわけだ。
「すうぅぅ……はあぁぁ……」
大きく、しっかりと深呼吸。冷たい冬の空気を身体に循環させ、余計な熱を冷ましていく。
慌てず、騒がず、冷静に。
それでも魂は熱い炎を絶やすことなく。
「フルテンペスト――風雷武装!!」
楯無鈴風よ、その名の通り風となりて進め。
本当の全速力を、今こそ見せてやれ。