―第146話 フルテンペスト・ディスチャージ ④―
第二位階に到達した鈴風から放たれる戦意の風は、『進化』前とはまるで別人。
いや……もう既に、同一人物とは言えないのかもしれない。
全身に増設された精神性物質形成能力の装甲には、特に変わった点は見られない。
逆に、明らかに剣呑な雰囲気を見せているのが、腰の後ろから天を突くように伸びる4枚のブレード。おそらくは可変式の飛行翼だろうが……金剛石すら容易に切断するであろうあの鋭さ、それだけで済む代物には見えなかった。
そして何より、まるで意思を感じられない、光を失った彼女の瞳。
意図的に誘導したとはいえ、侮りが過ぎたかと、アルゴルに後悔の念を植え付けるには充分過ぎる変貌だった。
「さて……そちらのお色直しも終わったところで、まずは小手調べといこうか」
「……」
しかし、未だ奇術師の余裕を崩すまでには至らず。
まずは新しい力を見定めるべく、アルゴルは“虚飾まみれの幻霊”を発動、自身を透明化させて鈴風の攻撃をじっくり観察する構えを見せた。
アルゴルの気配が急速に薄まっていくのに気が付いたのだろう、鈴風は表情をぴくりとも動かさないまま手に持った機械槍を持ち上げ、無造作に水平へと払った。
名刀もかくやの風の斬撃が、アルゴルの肉体に襲いかかり――何事もなく、透過していく。
「残念。直接打撃ではなく飛び道具で様子を見ようとした点は、思慮が深いと評価できるが……その程度で攻略の糸口が見えるほど、『我々』の能力の底は浅くないぞ?」
「……そう、分かった」
感情が乗らない機械的な反応を見せる鈴風だったが、アルゴルはその返答に妙な感覚を覚えた。
今、彼女は「分かった」と言ったが――いったい、何が分かったのだ?
まさか、何をやっても敵わないとたやすく納得したわけでもなし。
では、彼女は何を知った? 何を理解した?
答えの出ない自問自答を続けるアルゴルをよそに、槍を振り抜いたまま微動だにしない鈴風の口から、実に単純明快な回答がもたらされた。
「解析、完了」
「なっ……!?」
その呟きと同時、鈴風は再び逆の方向へと槍を振り抜く。
アルゴルは、一切の余裕を消失させながら身を屈め――風が通り過ぎた。“虚飾まみれの亡霊”であらゆる攻撃を受け付けない状態でありながら、彼は鈴風の二撃目をなりふり構わず回避したのだ。
はらり、と。
アルゴルの目の前からひと房の、自分の髪が落ちていった。
「解析……まさか」
その言葉と、たった今自分の能力が無効化されたところから、導き出される回答などひとつしかない。
「その力は、もうあたしには通用しない」
これは、いわば能力に打ち勝つための対抗プログラム。
「なるほど……能力発動時に放出される相手の“祝福因子”を取り込み、その能力に一時的に適合。そこからその因子に対するワクチンプログラムを精製することで、私の能力を上書きしたのか。これはこれは、何とも恐ろしい」
あらゆる異能に対応し、攻略するために誕生した究極のカウンター。
もちろん限界もあるだろうが、極めれば、彼女はすべての人工英霊にとってのまさしく天敵と化す。
ともかく、これ以上幽霊になっていても何の意味もないということだ。アルゴルは苦笑いしながら能力を解除し、両手を振り上げて鈴風の行いを褒め称えた。
「そうだ、その輝きだ! 今の君は、この戦場において誰よりも輝いている! 理性を放棄し、あるがままに自身の欲望を解放した――それこそが、すべての人工英霊が求めるべき『意志』の力だ!!」
瞬きした途端に全身を切り刻まれ、首を落とされそうな状況下でありながら、アルゴルは心の底から喝采を叫んでいた。
まだ道半ばとはいえ、楯無鈴風には『進化』のその先を目指す資格を見出すことができたのだ。
これが喜ばずにはいられようかと、アルゴルは感極まった様子で言葉を続けた。
「もしかすると、君なら辿り着けるのかもしれないな。《パラダイム》が追い求める夢の最果て――“AL:Clear”の領域に」
鈴風にとっては、また聞き慣れない単語が登場した。
アルクリア。
第二位階に到達した時にも耳にした記憶があるが、その意味はまるで理解できなかった。
いや、鈴風としては理解するつもりも、その必要性もない。
『進化』の直前に言った通り、黙らせる。
「知らない。黙れ」
ここに至って、鈴風は初めて“ジェットセッター・フルテンペスト”の全能力を起動させた。
4枚のウイングスラスターが駆動し、背面から扇状に展開される。
腰を低く落とし、右脚を後方に、クラウチングスタートに近い構えをとる。
第一位階では脚部装甲に銃の撃鉄に似たパーツが付いていたが、第二位階においては、踵を覆うような形で全5つの噴出孔に換装されていた。
装甲に覆われた左の手の平を、そっと地面に押し当てる。アスファルトの地面は雪解けの水に濡れ、触れるだけで凍えそうな冷たさだったが、今の鈴風には何も感じられない。
全身にくまなく力を行き渡らせ――3・2・1。
「死ね」
0。
踏み込まれた軸足を中心に、この運用試験場全体が激震した。
肉食獣のごとき瞬発でありながら、その声はまったくと言っていいほどに平坦。飛鳥たちが見れば、第一位階の時よりも力がこめられているようには見えなかっただろう。
だが、実際の速度は以前と比較するまでもない。
アルゴルの超人域の動体視力でもってしても、その加速は瞬間移動にしか見えなかった。
彼が何か声を発するよりも早く、
「――な」
既に、巨大な槍によってアルゴルの胴体は串刺しにされていた。
鈴風が構え、こちらの懐に到達し、槍を刺し込まれるまで――これら一連の動きを、彼はまったく知覚すらできないでいた。
瞬発力は人工英霊の中でも指折り。
最初にアルゴルが口走った言葉を、見事に自分の身体で実感することとなったのだ。
そして、槍の先端は一切のずれなく左胸、心臓に当たる部分を貫いていた。いくら人工英霊とはいえ、一撃で心臓を破壊されては死は免れない。
これぞ『必殺』。
皮肉にも、鈴風はアルゴルの忠告通り、初手で決め手を繰り出したのだ。
「……?」
だが、当の鈴風の表情は晴れない。
間違いなく一撃必殺だったというのに、明らかにおかしいと全身の細胞が疑問を発していた。
肉を裂き、骨を砕き、臓を潰した感触が手元に残っているというのに、
「いやはや、危なかった。まさかこうも簡単にやられてしまうとはな」
なぜ、奴は倒れるどころか、何事もなかったかのように笑い続けている?
ぞわりと総毛立つ感覚に、鈴風は槍を手放し背後に大きく飛び退く。
脳をフル稼動させながら、相手の能力を読み取るために集中しようとすると――どん、と背中に何かがぶつかった。
急ぎ振り向くと、そこには、
「やあ、また会ったね」
「――!!??」
いつの間にか、背後に回り込んでいた道化の顔。
どうやって自分の速度を上回ったか疑問に感じるよりも早く、鈴風はそのにやけ顔に強化された拳を叩き込んだ。
アルゴルは特に悲鳴をあげるでもなく頭蓋を砕かれ、糸が切れた人形のように力無く倒れ伏した。
(倒した? ……いや、おかしい)
ここで、鈴風はようやく気が付いた。
回り込んできたアルゴルを叩き伏せたのに、背後には、まだ槍が刺さったままのもうひとりのアルゴルが立っていた。
分身の能力――今さら、驚くにも値しない。飛鳥も同じような技を使っていたし、今の鈴風でもやろうと思えば再現できそうだ。
しかし、
「やれやれ、随分とがさつな攻撃であるな」「まったくだ。淑女としてのたしなみが足らんよ」「まさにじゃじゃ馬、と言ったところか」「『反逆者』も苦労していそうだ」
いったい、どれだけの数がいるというのか。
正面、背後、左右、空中と、全方位で飛んでくる道化の笑い声に、鈴風はその場を動けずにいた。
鈴風が瞬きをするたびに、視界に映る純白のタキシード姿の男がぼやけては、みるみる内に『増殖』していく。
「「「それにしても驚いた。まさか、ここまで早い段階で私の第二位階を披露することになろうとは」」」
数十人はいようかと言うアルゴルの軍勢が、寸分のずれなく一斉に声を重ねてきた。鈴風は思わず耳を塞ぎたくなるほどの不快さを感じたが、眉をひそめるだけで耐え忍ぶ。
「「「言っておくが、これは分身なんてちゃちなものではないぞ。これぞ我が第二位階――“醜悪なる舞台殺し”だ」」」
激情を解放し第二位階へ変身を遂げた鈴風とは違い、アルゴルは一切の予備動作や気配の変化を見せることなく、まるでダンスをするような気軽さで『進化』を果たしていた。
これが人工英霊における先達と後進の差。
アルゴルは、『進化』による人格への影響や、強大な力を持て余す様子など持ち合わせてはいない。
「「「ここからは、私も正真正銘の全力だ……最後までこの舞踏について来たまえよ。こうなった私のステップは、少々荒っぽいぞ?」」」
「……消えろ」
気取った台詞で正装の男によるダンスへのお誘いをするに対し、鎧姿の女は一切なびく様子を見せずに切り捨てた。
鈴風の中にいる誰かが、戦え、戦えと、必死に急かしてきているのだ。
その懇願に抗うつもりはない。
元より、それ以外の生き方など自分には許されないのだから。
(そうだ、戦わなきゃ)
駆り立てられるように、鈴風は再度創り出した鉄槍を両手で握りしめ、中空に佇む道化師の群れを睨み付けた。
今朝の戦いでは、同じく第二位階となった麗風に手も足も出なかったが、今の鈴風はあの時とは違う。第二位階として完成された今の彼女であれば、条件は五分と五分だ。
“護法刻印”から供給される無尽蔵の力に突き動かされるように、鈴風は4枚の翼を起動させ空の戦場へと飛翔した。