―第144話 フルテンペスト・ディスチャージ ②―
《八葉》における戦闘要員というと、飛鳥、ヴァレリア、竜胆のような化け物ばかりが目立つ印象だ。
「お、おい……なんだよ、あれ」
だが、『部隊』である以上、彼ら以外にも戦士と呼べる者は何人も存在する。
超人的な特殊能力を持たずとも、存在そのものが生物のカテゴリからかけ離れた者ではなくとも、それは戦えぬ理由にはならない。
プロテクターに身を包み、対特殊生物用にチューニングされた自動小銃を構える男たちは、《八葉》第六枝団『打金』のメンバーだ。
金属を打つ――即ち『鍛える』という分野に特化したこの部隊は、《八葉》において人材育成や新武器の試験運用などを任されている。
運用試験場にて、日課である基礎訓練を行っていた彼らは海の向こう側からとんでもないものを発見してしまった。
「あの、隊長。俺の気のせいでしょうか? なんか、変なマジシャンみたいな男が、海の上を走って近付いてきているように見えるんですけど」
「もしそうなら、ここにいる全員が夢でも見てんだろうよ。……残念ながら現実だ。外見からしてたぶん、『雷火』の若頭が言っていた人工英霊だろうな」
強面だけど面倒見がいいことで社内では有名な『打金』隊長、荒谷剛四朗は、目をこすって現実を疑う部下を叱咤しながら、すぐに迎撃の構えを取らせた。
今この場にいる部隊は総勢20人。その全員が、剛四朗の課した厳しい訓練を潜り抜けてきた百戦錬磨の兵士である。
突然の襲撃に慌てるでもなく、一糸乱れぬ動きで横一列に構えた隊員たちを誇らしく思いながら、剛四朗は高らかに開戦の音頭を轟かせた。
「始末書なら俺が書いてやる、無駄弾なんざ気にせずとにかく好きなだけ引き金を引きやがれ! 総員、全力で撃ちまくれええええええええええっ!!」
計20丁のアサルトライフルの発砲が、静かな波打ち際に花火よりやかましい爆音を響かせた。
海の向こう側へと吸い込まれていく無数の鉛玉。その到達点は、すべてがただ1人の人間へと向かっていた。
「ほほう、これはなかなかに熱烈な歓迎であるな」
生身の人間相手には間違いなく過剰火力。
数秒後には全身がもれなく挽き肉になるほどの死の未来を、当のこの男は、
「こうでなくてはな! 道化たるもの、観衆の目を惹いてこその華である!!」
それだけ注目されている、と解釈し歓喜の声をあげていた。
純白のタキシードに、シルクハットを片手で押さえながら水上を疾走するアルゴル=クェーサーという男は、その風貌だけでなく、内面までもが道化としての気質で構成されていた。
「では、魅せて参ろう――因子同期『イオ=セリアス』。“虚飾まみれの亡霊”発動」
彼が唱えし言霊は、彼の中に蓄積された他の人工英霊の因子情報をもとに、その能力を模倣・再現する。
アルゴルの全身の輪郭が水に映ったようにぼんやりとし始めたのと同時、銃弾が彼の身体を通り過ぎた。
驚愕に震え銃撃の手を止める兵士たちに、アルゴルは一層愉快な笑みを浮かべた。
今回使用した能力“虚飾まみれの亡霊”は、幽霊のごとくあらゆる物理攻撃をすり抜ける性能を持つ。
更にオリジナルの彼女であれば、姿はおろか音や気配すらも消し去ることも可能だが、コピーでしかないアルゴルの能力では、せいぜい物質透過がやっとであった。どの道、目立ちたがりな道化師である彼は、自分の姿を消すつもりなど毛頭なかったが。
「さぁ、舞台に辿り着いたぞ諸君! 最初にダンスのお相手をしてくださるのはどなたかな?」
「止めんじゃなぇ、撃ち続けろおおおおっ!!」
ひらりと軽やかなステップで地上に降り立った死の魔術師相手に、叩き上げの兵士長が選んだのは攻撃続行。
様々な角度から撃ち込まれる銃弾が、アルゴルの身を音もなく貫通していく。
このまま撃ち続けても効果がないのは剛四朗とて理解している。
「いつまでも、その状態が続くわけじゃねぇだろう?」
だが、こういった発生効果が高い能力には往々にして時間制限がついていることを、これまでの経験でよく知っていた。
ならば、この幽霊状態が解除された瞬間こそがアルゴルの最期となる。再び別の能力を使われる前に蜂の巣になる未来は確定していた。
「ぬっ!? ……なるほど、愚直の中にも策ありか。これはこれは、君たちの認識を見誤っていたようだ。筋肉質の坊主頭といえば、総じて体力だけの突撃バカだという偏見を改めねばな」
「手前は今すぐ全国の坊主に詫びて死ね!!」
大変失礼な差別的発言に業を煮やした剛四朗は、隊員に更なる火力の集中を指示。
常に弾丸が当たっている状態を維持さえすれば、あとは時間切れを待つだけだ。仮にあちらから攻撃を加えようとも、その時には実体化することは免れない。
よって、この時点でアルゴルは詰みだったといっていい。
「まさか、普通の人間が私をここまで追い詰めようとは――侮っていたとはいえ、これには賛辞を送らねばなるまい」
「今さら殊勝な態度を見せても遅ええっ! お前ら、絶対に射線軸から逃がすんじゃねぇぞ!!」
彼の能力が剛四朗の推測通りのものだった、と仮定したならだ。
「……ところで。私はいつ、2種類の能力が同時に使えない、なんて諸君に伝えたのかな?」
けたたましい銃声は鳴り止まず。
だが、剛四朗にとってはその発言がすべての音を停止させていた。
冷や汗が頬をつたう。
アルゴルが人差し指を天に伸ばし、怪しげな呪文を唱え始めた。
「楽しませてもらった礼だ、ぜひ受け取ってくれたまえ。――因子同期『劉麗風』。かき鳴らせ、“曇鏡雷公鞭”」
「お前ら逃げろおおおおおおおおおおっ!!!!」
不測の事態でありながら、すぐさま撤退を指示した剛四朗の判断は的確だった。
だが、悲しいかなすべてが遅すぎた。
人間にとっての一秒とは、人工英霊にとっては欠伸をしてもまだ余るほどに長い間だった。
いかに鍛錬を積もうとも、人の足で雷光から逃げおおせることなどできるわけがない。
稲光が空を染め上げる。
隊員たちの顔が絶望に染まる。
枯れんばかりの絶叫が途絶える。
そして――
「烈火刃肆式、“葬月”!!」
「光子魔術展開式08――“星屑の鏡面結界”」
雷光は、更なる光輝にて覆い隠された。
隊員たちの頭上に展開された、8枚のドーナツ状の光輪。
そしてその輪を繋げるように張り巡らされた、鏡の防壁。
雷と剛四朗たちの間に割り込む形で展開された、二段重ねの光炎の守護に、アルゴルは無意識に口角をつり上げた。
「お早い到着だな『反逆者』! ますます楽しい舞台に「あたしもいるぞおおおおおおっ!!」……人の口上を遮るとは、礼儀がなってない」
天使の光輪と鏡張りの多面体が見せるプリズムに見入っているところを切り裂くように、翠色の光が一直線に飛び込んできた。だが、“虚飾まみれの亡霊”は未だ発動中、哀れ烈風の一突きはそのまますり抜けて反対方向へと流れていった。
いったい何者――と、疑問を浮かべる必要などない。
雷撃が光輪に吸収され、鏡の表面で散って消えていくのを見届けた後、アルゴルはそれぞれの術者へと視線を向けた。
「先駆けはまた貴様か。その堪え性の無さにはほとほと呆れかえるな」
エネルギーチャクラムである“葬月”を消滅させ、鋭い目で睨み付けてくる日野森飛鳥。
「こんな下らない演劇は今回限りで廃業としましょう。貴方の命をもって幕引きとして差し上げます」
殺気を隠そうともせずに凄絶な二丁拳銃を構えるクロエ=ステラクライン。
「わっととと!? ブレーキ、ブレーキ! 鈴風は急に止まれないーっ!!」
槍を突き出したままアルゴルの身体をすり抜け、エメラルドグリーンの脚甲で地面をギャリギャリと削りながら勢いを殺している楯無鈴風。
しかし彼女はどこまで行くのだろうか。もう豆粒にしか見えないくらいの彼方まで吹っ飛んで行ったのだが、戻ってくるまで待つべきなのかアルゴルは割と本気で悩んだ。
視線を飛鳥に戻すと、「あっちゃー」とでも言わんばかりに手で目元を覆って上を向いていた。苦労人の顔だった。
息を切らしながら猛ダッシュで舞い戻ってきた鈴風の頭にハリセンが叩き込まれ、ぴよぴよと目を回してようやく落ち着いたところで、彼女はアルゴルの方に向き直ってビシッと言い放った。
「でたな変態ピエロめ! 返り討ちにしてやる!!」
「あ、うむ。ここは受けて立つ、と言えばいいんだろうか……些か返答に困ってしまうな」
色々と雰囲気が台無しになってしまい、道化ぶりに関しては勝てる気がしないな、と苦笑いしか浮かばないアルゴルだった。
少々、場の空気が思わぬ方向に迷走いようとしていたが、ともかく飛鳥たちはギリギリのところで駆けつけることができた。
「若頭、すまねぇな。結局お前さんらに押し付ける形になっちまう」
「荒谷さん……いえ、おかげで被害を最小限に留めることができました。ありがとうございます」
申し訳なさそうな顔をして頭を下げてくる剛四朗に、飛鳥は本心からの礼を述べた。
もし彼らが食い止めていなければ、どこまで戦線が押し込まれていたか分からない。
本陣である《八葉》の建物まで攻められることは避けたかった飛鳥としては、侵攻を波打ち際で留めてくれた『打金』の奮闘は非常にありがたかった。
「後は俺たちが。それと……お礼じゃないですけど、戦いが終わったら鳴海隊長に荒谷さんのこと、上手く言っておきますから」
「お、おう! まぁ、若頭がそこまで言うなら仕方がねぇなあ! たまにゃあ若いもんにも華を持たせてやらんとな!!」
アルゴル以外にも襲撃者はいるかもしれない。
彼らには《八葉》の守りを固めてもらいたかったがために、少しでも剛四朗への鼓舞になるかと思い口走った言葉が、思いのほか彼の純心にクリーンヒットしていた。
「おらお前ら、一旦本部へ帰投する! 周囲の警戒を怠るんじゃねぇぞ!!」
「「「うっす!!」」」
実に体育会系な点呼を取り、『打金』一同は足並みを揃えながら戦場から離れていった。
大人の恋心を利用したようで飛鳥の心にはちょっぴり罪悪感が芽生えたが、本人が喜んでいるのだからまぁいいか、と自分を納得させた。
さて、後顧の憂いを断ったところで、
「仮にも敵前で、よくもそこまで気の抜けたやり取りができたものだ。危機感がないと憤ればいいのか、豪胆と評価すればいいのか」
待ちぼうけを食らって声色に苛立ちが乗りだしたアルゴルへと向き直る。
「どうした奇術師? 随分と余裕のない様子だな、普段の飄々とした態度が見る影もないぞ?」
何も、飛鳥はわざとこんな態度や言動をとっているのではない。
先月の戦いにおいて、“傀儡聖女”ミストラルに行ったのと同じ手口だ。
アルゴルのような無駄に知恵の回る、かつ上から目線で見てくる相手には意外と有効なのだ。
更に、アルゴルは『試練』を授ける立場であるがゆえに、まず自分から攻撃してくることはない。要するに、飛鳥から見てすれば挑発し放題なのだ。なお、鈴風のあれは完全に不本意な事故である。
(焼け石に水程度だろうがな……これくらいの意図は読まれているだろうし)
アルゴルが冷静さを取り戻そうと軽く息を整えている間に、飛鳥は現在の状況に思惟を巡らせる。
まず、奴が単独でこの場に来ているということ。
先程から熱源探知の能力で広範囲の熱源を探っているが、アルゴル以外の反応は感じられない。囮と見るのが自然だが……しかし、今さらそんな回りくどい真似をするだろうか?
こちらの殲滅を狙うなら、最初からシグルズや他の人工英霊をまとめてぶつけてくれば済む話だ。今朝の戦いからそうだったが、《パラダイム》は常に戦力を小分けにして投入してきている。
「心配せずとも、今のところここには私しか来ておらぬよ。伏兵の心配など不要だ」
「聞いてもいないのにベラベラとどうも。そんなことを言われて、はいそうですかと信用すると思うか?」
「騙すつもりなどまるでないのだがね。私としては、諸君によそ見をしてほしくないだけだ。心ここにあらず、といった状態で舞台に上がられても迷惑だからな」
詐欺師じみた格好をしておきながら、嘘や欺瞞を嫌うとは。ますますアルゴルという男が分からなくなる飛鳥だった。
彼の発言が真実であれ偽りであれ、為すべきことは変わらない。
全力で撃破し、その勢いで海上の塔まで駆け抜ける。
両隣のクロエと鈴風に目配せし、3人がかりで一気に叩き伏せようと全身に力を込めたところで、
「見つけたぞ、反逆者ああああああああっ!!」
「飛鳥さん、うしろ!!」
「なにっ――!?」
突如、飛鳥の背後から迸った、まさしく雷鳴のごとく荒々しい叫び。
0から100へ、急激な殺意への対応を求められた飛鳥は、ほぼ無意識の反射行動で振り向くと同時に両手を頭上へと跳ね上げた。
袈裟懸けに落ちてくる雷閃、それを、
「ぐ、ぬ……」
「きさまぁ……」
白刃取り。
手の平で挟み込み、刀身から漏れ出る電撃に歯を食い縛りながら、何とか脳天すれすれのところで押し留めていた。
結局のところ、アルゴルは嘘をついていたのかと思ったが、
「言ったろう? 今のところはと。1秒先の未来のことまで保証した記憶はないがね」
「ああ、そうかよ……!!」
意趣返しのつもりか、いたずらが成功した童のような笑顔を向けてくるアルゴルの表情が途方もなく腹立たしかった。
「こんのビリビリ女! 飛鳥から離れろっ!!」
「ちっ、また貴様か!!」
一瞬遅れて反応した鈴風が、雷剣の担い手に向かって槍を薙ぎ払う。舌打ちしつつ飛鳥から離れた女の顔は、憎悪と怨念に満ちた悪鬼羅刹そのものだった。
劉麗風。
かつて飛鳥が打倒した劉功真の姉にして、今では復讐の鬼。
どうやら誰かから弟の死の真相を聞いたのだろう。瘴気すら漂わせるチャイナドレスの女の殺意は、すべて飛鳥1人に向けられていた。
3対2の構図。
飛鳥はどう動くべきかと判断に迷ったが、
「飛鳥さん……あの女は私が相手をします」
「クロエさん?」
麗風に負けず劣らずの殺意を瞳に漲らせた白の魔女が、飛鳥の視線を遮るように復讐鬼との間に身を滑らせた。
背中越しでも嫌でも分かる。
クロエは、完全にキレていた。
「邪魔をするな魔女めが! 私の復讐を阻むというなら、まずは貴様から滅ぼしてくれる!!」
「飛鳥さんを危険に晒してしまった――すべては、一度ならず二度までもこの女の蛮行を見逃した私の責任です」
今朝の戦いの時、麗風に妙な手心を加えさえしなければ、たった今こうやって飛鳥が殺されそうになることなどなかった。その事実は、クロエの存在理由を根底から揺るがしかねない大罪であった。
「申し訳ありません。しばし、単独行動をお許しください。……ここから先の私は、あまり見てほしくありませんから」
クロエは横顔だけ振り向いて悲しげに笑う。
次の瞬間、この地を覆っている寒波を塗りつぶすほどに凍り付く怖気が、周辺にいる人間すべての動きを停止させた。
「いいだろう、先の借りをここで清算してくれる。功真を侮辱した罪は重いぞ、我が天雷にて裁きを下す!!」
飢えた狼ですら逃げ出すほどの咆哮とともに、麗風が再び真正面から疾走を開始――
「ぎゃあぎゃあとわめくなクソババア」
――できなかった。
否、できなかったというよりは、クロエのものとは思えないほどにあり得ない言葉が発せられたと同時、彼女らの姿は煙に巻かれたかのように忽然と消え失せていた。
いったいどこに、と飛鳥と鈴風が周囲を見回そうとしたところで、1km近く離れた運用試験場の中央から視界を埋め尽くすほどの雷光が撒き散らされた。
光輝と雷電、その激突はもはや視覚で捉えられる領域ではない。助太刀しようにも、飛鳥の力量では物理的に追い付けない戦いであった。
飛鳥は後ろ髪を引かれる思いでアルゴルの方へと意識を戻す。
「ふむ、意外な展開になったな……『反逆者』を連れて行ってもらおうかと思っていたが、魔女殿に阻まれたか」
腕を組んで思案顔をするアルゴルの言動からして、どうやら麗風には飛鳥の相手をしてもらいたかったようだ。
……どうしてだ?
今朝の戦いに始まったことではなく、アルゴルは飛鳥に対して並々ならぬ興味を示していた。率先して挑みかかってくるならともかく、他の仲間に譲ろうとするとはどういう風の吹き回しか。
「今朝とは打って変わって、今度は俺を邪魔者扱いか? どういう風の吹き回しだ」
「ああ、そういう意味ではないよ、安心したまえ。私個人としては、ぜひ君と続きを楽しみたいのだが……先程、君の友人に釘を刺されたばかりでね。残念ながら、ダンスの続きはお預けなのだよ」
「……雪彦か」
アルゴルの発言で、雪彦は第三勢力などではなく、純粋な敵――《パラダイム》の尖兵であることが確定した。
いくら何でも、雪彦までもが麗風のような電光石火の移動術を持っていることはあるまい。この近くにはいないだろうと判断できた。
畢竟、奇術師の視線は残る1人に向けられることとなる。
「そういうことで、私のお相手は必然的に絞られるわけだ。……そこな風鳴りの少女よ。ぜひ一曲、ご一緒いただきたいのだが」
「ん、あたし?」
いきなり話を向けられて困惑気味の鈴風だったが、すぐさま気を取り直して鉄槍を抱え直した。
アルゴルの都合など知ったことではないので、飛鳥も並んで烈火の二刀を顕現させた。
「2対1が卑怯だなんて言わないだろうな」
「まぁ、当然そうなるか。だが……そんな無粋な真似を、彼が許すとでも思うのかな?」
「どういう意味――」
呆れを含んだ溜め息を吐くアルゴルを問いただそうとする飛鳥だったが、第六感が鳴らすけたたましい危険信号によって、とっさに一歩後方へと身をよじった。
その一瞬の後、ひゅん、という風切り音とともに鼻先すれすれを何かが通り過ぎた。
「ひ、ひいいいぃ……」
海の向こう側から飛来し、飛鳥の眼前を通り過ぎ、驚愕のあまり変な片足立ちのポーズのまま固まる鈴風の足下に突き刺さっていたのは――見覚えのある、氷で作られた一本の矢だった。
(あの塔から撃ってきたのか!? 目視で狙い撃てる距離じゃないぞ!!)
氷矢の射手がいるであろう海上の塔から、飛鳥たちが立っている場所までざっと10㎞近い距離が開いている。
最新鋭の戦車砲や光学兵器であれば――それでもとんでもない精度だが――まだ理解もできるが、いくら人工英霊の武装とはいえ、人間が弓矢を使って狙撃できるような条件ではなかった。
飛鳥も長距離射撃に適した武装である陸式“火群鋒矢”を所持しているが、ここからは目視で対象を確認することすら困難な対象を正確に射抜くなど、まず不可能だ。
「こ、これって、もしかして……」
下手に動いていたら自分の足が串刺しになっていた鈴風さんは、全身を寒さではない別の理由でガクブルさせながら飛鳥に問いかけてきた。
「雪彦め……余計な真似をしたら撃つとでも言いたいのか」
「ははは、彼は意外と嫉妬深いのだな! 人は見かけによらぬものだ」
どうやら、今回釘を刺されたのは飛鳥の方らしい。
お前の相手はこの俺だ、よそ見などしてくれるな――全身を粟立たせるほどの闘気が海岸線の彼方から伝わってくるようだった。
間違いなく、雪彦の狙いは飛鳥1人。
ここに留まっていると、周りに無用の被害を与えかねない状況になってしまった。
「飛鳥、行って」
「鈴風?」
迅速な判断を求められる状況下で、冷静かつ的確な決断を下せたのは鈴風が先だった。
少女は少年を心配させまいと、戦地のど真ん中で会心の笑みを見せる。
「だいじょぶだいじょぶ、あたしだって強くなったんだから。こんなペテン師あっという間におしおきして、すぐに追いかけるからさ」
「お前……ああくそ、分かったよ! だが無理だけはするなよ! しばらくしたら他のみんなが帰ってくる。それまで耐えきれればいいんだからな!!」
「合点だ! 飛鳥こそ気を付けてね。この美少女相棒鈴風さんが駆け付けるまでの辛抱だっ!!」
2人とも緊張感などまるで見せようとしない、気安いやり取り。
互いが互いを思いやり、相手の重荷になりたくないという、優しいすれ違いだった。
飛鳥は塔の方へと全身を駆動させ、振り向くことなく全力で走り抜ける。
「フェブリル、起きろ!!」
「びりびり~……えっ! なんですか、もうご飯の時間ですか!?」
ポケットの中に格納したまま麗風の電撃を受けてしまったため、とばっちりで感電していたフェブリルを揺り起こし(ダメージどころか夢心地だった彼女の耐久力の高さに驚いたが)、伍式“火車掛”を錬成。外見上は幅広の大剣に見えるその武装をジェットボードのように乗りこなし、そのままの勢いで海上へと飛び出した。
「残念ながら、今から2人きりで敵陣目がけて弾丸ツアーだ! 振り落されても拾ってやれんから死ぬ気で掴まってろ!!」
「弾丸ツアー!? ち、ちょっと待って、アタシまだ心の準備があああああああああああっ!?」
フェブリルにとっては、まさしく安全装置の無いジェットコースター。思わず泣き叫んでしまうのも無理はなかった。
武装の後方から噴き出る爆炎が、竜の尾のように長く伸びていく。
海面を鋭く切り裂きながら、1人と1匹は決戦の地へと飛翔していった。