―第143話 フルテンペスト・ディスチャージ ①―
凍れ、凍て付け。
寒さに震え、凍えて果ててしまうがいい。
これは『試練』だ。
かつて、地球を支配していた恐竜どもが乗り越えられなかったこの『試練』。
これを生物が克服し、踏破し、支配したのは『進化』の力だ。
ならば今一度見せてみよ、その生命の輝きを。
お前の炎で全てを焦がし、『進化』の果てへと導く篝火となれ。
――進め。
――進め!
――進め!!
「――っ!?」
その声は、窓の外に広がる吹雪が呼び寄せた幻聴だったのだろうか。
知らない、だがどこかで聞き覚えのある男の声に、飛鳥は思わず周囲に視線を巡らせた。
「うにゃ? いきなりどーしたのぉ?」
いつも通り、鮮烈な赤が印象的なフーデッドジャケットの胸ポケット内で舟をこいでいたフェブリルが、突然の飛鳥の動揺にもぞもぞと顔を出してきた。
「いや、なんでもない。ちょっと気を張り過ぎか……いいからポケットの中に戻ってな、寒いだろ?」
「ひっくしゅっ! うん、そうするの……」
飛鳥は彼女を安心させるように指先で頭を撫でてやり、そっとポケット内に戻していく。
断花重工の屋外にある運用試験場。
5月にあったランドグリーズ暴走事件の舞台となった場所から、飛鳥は吹雪に隠れた海岸線の向こう側――《パラダイム》の拠点と思われる氷漬けの塔の姿を見つめていた。
『ヴァレリアさんが、回復した鋼さんを連れてこちらに戻ってきているそうです。どうします、2人が戻るのを待ちますか?』
右耳に取り付けた小型通信機から、指令室の鳴海双葉の声が飛んでくる。
援軍の知らせに喜びつつも、飛鳥は小さく首を横に振った。
「いえ。俺たちが出ている間、ここが襲われる可能性もあります。それを考えると、ヴァレリアさんと刃九朗には守りの要としてここにいてほしいです」
時間は既に17時をまわっていた。
先の戦闘による負傷が回復するまで、飛鳥たちは《八葉》での足止めを余儀なくされていたのだ。
霧乃からの連絡で、ひとまず学園側の安全が確保されたことを知った飛鳥は、体調が全快すると同時に反撃に打って出ることにした。
ただでさえぶ厚い雲に覆われ薄暗かった空が、更に夜の闇に覆われていくのはあまり望ましくはなかった。
夜になるとより一層気温は低下する。この状況下で電気やガスなどのインフラ設備が沈黙でもしようものならまともに対応もできないだろう。
凍死者が出てしまう前に、一刻も早く吹雪の根源を断たねばならなかった。
(一蹴までもがあんな目にあって……もう、これ以上奴らの好きにさせるわけにはいかない)
冷静でなどいられるものか。
《八葉》の医務室に運びこまれた悪友の無残な姿。
一命をとりとめたことには喜ぶべきだったが、何の力も持たない彼までもを巻き込んでしまった事実は、罪悪感という名のナイフとなって飛鳥の心を鋭く抉っていた。
もっと自分が強ければ――なんて考えは傲慢だと分かっている。
だが、そうできる可能性を持っておきながら、実際には何もできなかったという現実がある以上、力不足は単なる言い訳にしかならない。
雪混じりの向かい風が、飛鳥の顔をしたたかに叩き付けてくる。
(第二位階……俺はまだ、奴らと同じ土俵にすら上がれていない)
加えて、更に飛鳥を焦らせる要因であるのが、人工英霊の次の段階である第二位階の存在だ。
今朝に対峙した奇術師アルゴル、別動隊を襲撃した劉麗風、そしておそらくは、雪彦もその段階にまで到達している。
極め付けには、この春に人工英霊化したばかりの鈴風までもが、不完全とはいえ第二位階に足を踏み入れていた。
(どうして俺だけ、なんて考える時点でもうダメなんだろうな)
胸の奥底から染み出てくる黒い感情――それが劣等感であることなど百も承知している。
冷たい風に全身を打ち付けられながらも、一向に頭だけは冷えそうになかった。
頭の中に嫌な熱が残ったまま、飛鳥は《八葉》の会議室へと足を戻した。
「飛鳥さん、その……あまり思い詰めないでくださいね?」
部屋に入って飛鳥に対し、クロエの開口一番がこれだ。どれだけはっきりと苦悩が顔に出ていたのか、疑うまでもないようだった。
魔術的効果を最も発揮できるという純白のコートをふわりとなびかせながら、クロエは飛鳥の顔を心配そうに覗き込んでくる。間近に迫った彼女の顔と甘い匂いに飛鳥の動悸が激しくなるが、大丈夫ですよと軽く笑いかけ、そっと肩を押して距離をとった。
「いよっし、完全回復準備万端っ! あたしはいつでも行けるからね」
ライトグリーンのジャケットにキュロットスカートという戦闘服に身を包んだ鈴風が、屈伸運動をしながら飛鳥に向かって快活な笑みを向けてきた。
流石は飛鳥と同じ人工英霊。たった数時間の休息で、先のダメージなどまるで無かったかのようにピンピンしていた。
「ところで飛鳥、ご相談がひとつ。あたし、さっき新しい力に目覚めたって言ったよね?」
「第二位階のことだな。もう使いこなせるようになったのか?」
「それは、まだ何とも言えない感じだけど……それよりね」
珍しく神妙な面持ちの鈴風からの相談。
第二位階がらみの話が、また飛鳥の中の劣等感をちくちくと刺激してくる。だが、とっても素直な鈴風さんにそんな裏心なんてあるわけもなし、何か悩みでもあるのだろうか。
表情を見るに、かなり深刻そうな様子だ。まさか、第二位階になったことによる副作用でもあったというのか?
「新しい能力の名前、どんなのにしようかなーって! いやぁなかなか決まらなくて困ってたんだよね「一瞬でも真面目に心配した俺がバカでしたっ!!」あんぎゃーっす!?」
普段通りのボケをかましてきた鈴風に、飛鳥は普段通りどこからともなく取り出したハリセンで脳天をスマッシュ。どう考えてもこんな漫才やっている場面ではないのに、条件反射で動いてしまう自分のツッコミ気質が心の底から嫌になった。
「いつつ……ねぇ、いつも思うけどそのハリセンってどこから出てくるの?」
「うるさいよ。空気を読まないお馬鹿さんを成敗しなさいって、神さまが授けてくれてるんだよ、きっと」
「神さまが認めたツッコミ!?」
鈴風はわざとらしく頭を抱えながらその場にしゃがみ込んだ。
この子はいったい何がやりたかったのだろうか。
「やっといつもの飛鳥になったかな? 少しは気持ち、楽になった?」
「……ああ、そういうことか。しかし、ツッコミ入れてる俺がいつも通りって言うのも複雑なんだが」
にかっと歯を見せて笑いかけてくる鈴風に、飛鳥は彼女に気を遣われていたのだとようやく理解した。
まさかボケまっしぐらな幼馴染にまで心配されようとは。
不甲斐ない気持ちが強かったが、それでもどこか胸の内が温かくなっていた。
「……」
そんな光景を一歩下がった場所から見守っていたクロエは、喜怒哀楽が読み取れない、複雑な感情を顔に出していた。
「クロエさん?」
「いえ……なんでもありません」
気になった飛鳥が声をかけるも、はぐらかされてしまった。
さっきの自分と鈴風のやり取りの中に、どこか彼女の琴線に触れる部分があっただろうか? 飛鳥は少しばかり考えるが、当のクロエはあまり追及してほしくはなさそうだった。
わずかばかりの胸の軋みを感じながら、飛鳥は会議室の奥に移動した。
「そういうわけで、現状戦力として動けるのは俺、クロエさん、鈴風の3人だけとなる。もうしばらくしたら学園にいたメンバーがこっちに来るから、《八葉》の守りはそっちに任せて、今この場にいる3人で海の上にある塔まで向かう」
「3人だけって……それで大丈夫なの? せめて、他のみんなが戻ってきて全員で行った方が」
「それができれば苦労しません。あちらの規模は未知数、動きも神出鬼没で、いつどこからどれほどの部隊が強襲してくるか知れません。ならば、下手に被害が拡大する前に一気に本丸を落とそうというのです」
作戦の意図としては、概ねクロエが言った通りで間違いない。
今朝から現在に至るまで、戦場となった場所は白鳳市内の各地に散らばっていた。
少なくとも、第二位階に到達した人工英霊が4人、フランシスカのクローン兵士、街中に散見された自律兵器、と底が見えない勢力だ。
それに、この強行策を決断するに至った理由がもうひとつある。
「今、湾岸区域で竜胆さんがシグルズを押さえてくれている。敵側の切り札を封じている今を逃すわけにはいかない」
第八枝団隊長にして、飛鳥にとっては戦いの師匠にあたる断花竜胆。
ヴァレリアと並ぶ、現《八葉》における最強の手札がぶつかっている以上、あのシグルズとてただでは済むまい。
有象無象の雑魚であれば、今この場にいるメンバーだけでも蹴散らすのは容易だ。
よって、
「残る3人の人工英霊さえ対処できれば、解決の糸口は見えてくる。この吹雪の原因があの塔にあるのは間違いないだろうし、どの道攻めに行かないと事態は動かんさ」
「なるほどー。そういうことなら合点だ!!」
「今回は私もお手伝い致します。謎の武装勢力からの防衛行動と言えば、私の活動を咎める者などいないでしょう」
ここに、3人だけの若き決死隊が結成された。
今回、特にクロエの能力が立場上のしがらみ無しに発揮できるのは大きい。
《九耀の魔術師》、“白の魔女”の称号を持つ彼女であれば、いっそたった1人で敵勢力を壊滅させることとて不可能ではない。
あまり彼女に頼り切りになるのは望ましくないが、攻撃の要になってくれることは間違いない。
「飛鳥さん。もうすぐ夜が来る上、あの雲行きです。光がほとんど射さない場所では、私の力は半減されてしまいます。あまり大規模な魔術は使えませんので、そのつもりで」
「そうでしたね。大丈夫なんですか? 厳しそうなら後方で――」
「まさか。この程度の枷で後れをとるほど私は甘くありませんよ。むしろ、手加減をする手間が省けてちょうどいいくらいです」
流石は魔術師の頂点と言うべきか。
挑戦的な笑みを浮かべる彼女は、年齢不相応の風格すら漂わせている。
(これ以上、置いてきぼりなんてごめんですから)
その余裕のある表情に、少しだけ別の、焦りにも似た感情が見え隠れしていたことに飛鳥は気が付かなかった。
さて、そうと決まれば行動開始だ。
チビドラゴンのエントは、鳴海隊長に預けてある。寒さには極端に弱いらしく、外を連れ回すわけにもいかなかった。
フェブリルは――
「アタシはついてくからね! そろそろ魔神のおそろしさってやつを見せつけてやるのだ!!」
いきなり服の胸のポケットからひょこっと顔を出し、必死の猛アピール。
さっきからずっとこの主張を曲げようとしなかったため、仕方なく連れて行くことに。
では3人、改め4人で行くことにしたところで、飛鳥の無線機に再び通信が入った。
『日野森さん、敵襲です! 数は1、おそらく今朝に現れた人工英霊です!!』
「向こうからおいでなすったか……!!」
まるでこちらの挙動を読み取ったかのように機を狙った敵襲。
思わせぶりなタイミングに、どこか作為的なものを感じたが……悩んでいても仕方がない。
「みんな行くぞ、この狂った冬を終わらせる!!」
「はい。飛鳥さんの背中は私がお護り致します」
「よっしゃあっ! この鈴風さんにまっかせなさいっ!!」
「やっちゃうぞー!!」
気合いは充分、戦意は満タン。
決戦に向かう一歩を、揃って前へと踏み出した。