―第12話 魔女の鉄槌―
今回は怖い女ばっかり出てきます。
「ギィアアアアアァァァ!!」
蒼天を切り裂く男の悲鳴。ほんの数秒前までこちらを嘲笑いながら猛攻を加えていた劉功真が、
「五月蠅い」
「ゴ、ガッ――」
大地に這い蹲っていた。そして、白亜の衣装に身を包んだ手弱女が男の喉笛を踏み砕いて蹂躙する様は、リーシェにとっては夢でも見ているかのような現実感に乏しい光景だった。
――悪魔だ。
リーシェが彼女――クロエ=ステラクラインに感じた思いはただそれのみ。
劉の卑劣なる能力により武器を奪われ、為す術なくその兇拳にかかる寸前。
「ふふ、まさかいきなり貴方に出逢えるだなんて……なんて幸運なんでしょう!!」
鈴の鳴るような涼やかな声と共に降り立ったクロエを前に、劉もリーシェも蛇に睨まれた蛙になったかのように指先一本たりとも動かせなかった。
彼女の姿は――二挺拳銃で武装していたとしても――およそ戦いには似つかわしくない華奢な容貌だった。
しかし、彼女と視線を合わせた途端、二人は本能で理解してしまった。
「とりあえず……劉功真でしたか。今から縊り殺して差し上げるので、逃げないで下さいね?」
絶対強者という存在を。
彼女は捕食者であり、自分は被捕食者であるという自然の摂理に。
魔女が小さく嗤う。
たったそれだけで、リーシェの心臓は、死にたくないと悲鳴をあげるが如く早鐘を打つ。
劉も同様に、無意識であろう右手で心臓を掴み、表情は絶望に染まって蒼白だった。
しかし、劉功真とて人工英霊。ましてや眼前に佇むのは不倶戴天の敵である『魔女』。
どんなに実力差があれ、奴に天誅を下すは我が主命であるぞと、震える心臓を叩き己を奮起させた。
「グ……ハハッ! これは好都合、まさか貴様の方からやってくるとはな。クロエ=ステラクライン――この『魔女』め!!」
「抵抗するんですか?……ふう、まあいいですけど。来るならさっさと来てくれますか? どうせ死ぬんですから」
「ウ……ウオオオオォォ!!」
恐怖を振り来るように劉は咆哮し特攻する。しかしそれは自暴自棄そのものであり、その行為がもたらす結末はすでに確定していた。
なんということはない。
クロエが構えた銃剣――そこから放たれた魔の弾丸が、劉の剛腕を瞬時に鉄屑に変え、すかさず両足を銃撃で貫通。
ただそれだけ。
そう、ものの数秒で劉功真のすべての戦闘能力を壊滅させただけだ。鋼鉄の飛沫をあげながら倒れ伏す劉の脳天へ無造作に銃口を向けた。
「さて、と……」
「ヒイッ――!!」
感情の消えた双眸でクロエは劉を見下していた。
劉はあまりの激痛と恐怖で、その精神もまた完膚なきまでに壊滅させられていた。脚を動かすことも出来ず、芋虫のようにのたうつだけの姿にクロエは大仰に嘆息した。
「……別に、貴方個人に恨みはありません。篠崎さんや鈴風さんに対しての所業も、その行動が《パラダイム》の上層部からの指示であろうとそうでなかろうと、私はそれを糾弾するつもりはありません」
「で、では!!」
恨みはない。
意外ともいえる魔女の言葉は、劉にとっては救いの福音であった。
クロエにとって、劉功真が美憂や鈴風に危害を加えた事自体は、彼女を憤怒させる理由にはまったくならない。
そして劉の凶行が、命令によるものなのか、自己判断によるものなのかという責任の所在がどちらだったとしてもどうでもいい。
クロエが劉を撃滅するに至る理由はただひとつ。
そして、クロエ=ステラクラインの戦う理由もまたひとつだけ。
「でも、貴方は飛鳥さんを怒らせた。だから、貴方に生きる資格なんて微塵も存在しない。ああ大変、なんて気持ちの悪い毒虫でしょう。飛鳥さんの御心を煩わせる害虫は、私が1匹残らず駆除しなくては……」
クロエ=ステラクラインのすべては、日野森飛鳥のためだけに存在する。
――飛鳥さん以外の有象無象になど一切興味がない。
――飛鳥さんに害を為す存在がのうのうと生き永らえているなど吐き気がする。
――だからもう、その醜い姿を見せないで、呼吸をしないで。
――どうかお願いだから、この世から跡形もなく消え失せて下さいませんか。
どこまでも純粋で、魂が凍りつきそうな程に凄絶な狂気の表れだった。
「頼む、助け「さようなら」」
恥も外聞もかなぐり捨て絞り出す劉の懇願の叫びを一顧だにせず、クロエは引き金に手をかける。命を奪うという行為を前に、彼女の心はとても静やかだった。
しかしその静寂の殺戮劇を、遠方からの爆音と閃光が遮った。
「アスカ――!?」
「え……飛鳥さんっ!!」
荷電粒子と紅炎が遠空を染めた。
その光爆の正体を知るリーシェは思わず声を荒げ、その名を聞いたクロエは戦慄に身を震わせ光が奔った空の方角を見上げた。
瞬間、眼前の『害虫』はクロエの意識からは完全に消え失せ、弾丸の如き疾走で光源めがけて駆け出していく。濛々と砂塵が舞い上がる空間の中で、リーシェは茫然とクロエの背中を見送る他なかった。
「おのれ……おのれおのれおのれぇ! この恥辱、決して忘れぬ……覚えていろ、貴様ら全員この世界からは生かして帰さんぞ……!!」
劉は赫怒に彩られ般若の如き凶相を見せながら、手負いの獣にも似たくぐもった叫びをあげた。
そしてリーシェが我を取り戻すよりも早く、瞬きの間に姿を消していた。
足取りすら分からぬ、まるで霞のような消失劇にリーシェは制止の声をあげる暇もなかった。追いかけるのも難しいか、と舌打ちした。
ひとり取り残された形となったリーシェは、全身の負傷を確認しながらゆっくりと立ち上がった。未だ雷撃による痺れが若干残るが、戦闘行動に支障はないだろう。
彼女の剣は思ったよりも近く――崖下の岩肌に突き刺さっていた。愛剣を手放さずに済んでリーシェは安堵した。
体勢も整ったところで、自分も飛鳥の助太刀に赴こうと双翼に力を込めようとしたが、
「スズカ、羽虫?……どこへ行ったのだ、あの二人は?」
ここで2人の姿がないことにようやく気付いた。
もしかすると戦闘に巻き込んでしまったのかと背筋を凍らせるが、鈴風たちがいた場所の近くに洞穴を発見。
入口に降り立つと、随分と奥行きがある事が理解できた。
ああ、あの2人の性格なら……
『冒険だー! 探検だー!!』
こんな風に意気揚々と突撃していったんだろうなぁ……とリーシェの脳裏に思い浮かぶ能天気な鈴風の声。
飛鳥も気掛かりではあるが、どうやら先の闖入者は彼の仲間のようだ。
口惜しくもあるが、飛鳥は彼女に任せて、自分は鈴風たちを優先すべきだろうと判断し、暗闇へと足を踏み入れていった。
「あいたっ! まったくどこまで奥へ行ったのだ……あのじゃじゃ馬どもめ」
ほんの少し前の鈴風とまったく同じ光景。
がんがんと壁や天井に頭をぶつけながらリーシェは真っ暗の中でひとり悪態をついていた。
選択を誤るということは、後悔するということだ。
あの時、ああすればよかった。
こちらの道ではなく、別の道を選んでいたらより良い結果を得られたというのに、と。
後悔しない生き方などない。
人生は選択の連続であり、それは同時に後悔の連続でもあるのだから。
故に、多くの人は決意するのだ。
後悔のない人生を。正しくても間違っていても、自身の選択に誇りを持ってしっかりと歩いていこう。
そういった確固たる意志を胸に抱き前へと進む人間は強く、美しい。
だが、それは翻って言えば『諦観』なのではないか?
2つの道があって、どちらかの道しか選択出来ないというのは、それは自分が片方しか選べないと決めつけているからではないのか?
故に、日野森飛鳥は考え――そして至ったのだ。
より良い選択肢を選ぶのではない。
すべての選択肢を選択するという荒唐無稽な回答に。
『――最優先撃破対象の、増殖を確認?』
機械的に無機質なフランシスカの状況確認、しかし彼女の声色には明らかな戸惑いが滲んでいた。
その理由は、眼前で武器を構える3人の日野森飛鳥である。
3人の飛鳥は、それぞれ別の武装――緋翼二刀、破陣大剣、赤鱗手甲を形成し散開、焔を滾らせ走っていた。
必滅の双撃砲を起動し、迫る烈火の瞬影に照準を向けようとするフランシスカ……だが、遅い。
正面から手甲を構えて突進すると同時に、もう1人の飛鳥がすでに後方へと回り込んでいた。武装ユニットのCPUが瞬間反応、黒鉄のブレードとクレーンアームを背後に展開、迎撃させる。
フランシスカ=アーリアライズ自身は機械のようではあるが、決して機械ではない。紛れもない元人間――人工英霊のひとりである。
そして8脚から成る複合武装鎧“ブラックウィドウ”も、彼女の身体の一部などではなく、あくまでもAIT製の機械武装の一種に過ぎない。
“ブラックウィドウ”の迎撃行動は操縦者による手動制御と補助AIによって成り立っている。つまり、人が戦車に乗り込んで操従するのとなんら変わりはしないのだ。
つまるところ、
「――オオオオオッ!!」
『――――!!』
直上から迫る第三波。破陣を大上段に構えて殺到する飛鳥の姿に、機械蜘蛛の主の思考は凍結した。
高機動、重装甲、大質量による三点同時突破を前に、彼女も武装AIも最適な状況判断を下すことが出来なかったのだ。
荷電粒子砲は赤鱗の防波壁に阻まれ霧散。
ブレードアームは緋翼の剣流に受け流され、残る二門の重機関砲は破陣の一刀による剣風で悉く銃弾を撃ち落とされる。
炎の斬撃と打撃の応酬による焦熱連撃は、少しずつ、だが確実にフランシスカの堅牢な装甲を削り取っていく。攻守はすでに逆転しており、勝敗が決するのは時間の問題だった。
機関砲2門、撃砕。ブレード融解。荷電粒子砲、沈黙。
敵武装を悉く無力化させながら、しかし飛鳥の心中は焦燥で満ちていた。
精神物質で形成された飛鳥の分身――“紅炎投影”と称される、烈火刃と同じ熱エネルギーで構築された2つの影は、本来飛鳥が選ばなかった選択肢をなぞるように射出される。
陽炎のように揺らめきながら、しかしいち物質として顕現した紅蓮の残影は幻などではなく、敵対象に触れ、斬り、砕くことも可能だ。
無数の選択肢に対し、その内ひとつを選択するのではなく、自身と烈火の分霊を用いてすべての選択を網羅する。
間違いなどある筈がない。
正誤の区別なく、自身が選択し得るあらゆる判断を実行に移せるのだから。
その上、各分身にはそれぞれ別の特化武装を展開できるため、後出しジャンケンよりも質が悪い、いわばジャンケン三手の全部出しに等しい反則技を実現出来る。 だが、
「ぐ、あ……」
苦悶の呻きをあげ、流した汗は瞬時に蒸発する。
自身と2人の紅炎投影、計3人分の武装構築と選択判断。
即ち、今の飛鳥には先程までの単純3倍の情報処理能力が要求されている。それは最早人間ひとりの脳には処理しきれない情報過多だ。
そして武装構築のための精神力と体力の消費も当然3倍以上であり、燃費など一切考慮されていない悪辣仕様ときている。
瞼の裏で火花が奔る。
思考が朧になりつつある。
頭脳は過剰熱量で融解しかかっており、烈火刃の構築も覚束ないほどに体力も限界にきている。
早く、速く決着をつけなければ――
「あと、ひとつ!!」
自身を鼓舞する叫びと共にクレーンアームを根元から切断した。
これで蜘蛛の八脚はすべて沈黙、残るは丸裸となったフランシスカ本体のみ。同時に、2つの影は陽炎と化して消失した。
残る全力を振り絞り、飛鳥は双刃を手に黒を纏う白き人形を断ち切るべく疾走を続けようとした。
「……な、があっ!?」
『――捕獲』
だが、フランシスカの背面の機構が突如変形、9本目の武器脚が肉薄した飛鳥を捕えた。
武装は8本のみという刷り込み――蜘蛛を彷彿とさせる造形が、そのまま擬態として機能していたのだ。
女郎蜘蛛というよりはメデューサの蛇髪だったか、と飛鳥は自身の迂闊を悔やむ。
隠し腕の正体は四股に分かれた鉄爪腕。
蜘蛛の巣に迷い込んだ蝶の如く、飛鳥の胴体はその四肢で厳重に拘束されている。鉄爪が身体に食い込む、もうほんの少し力を込められるだけで飛鳥の肉体はコマ切れとと化してしまうだろう。
絶体絶命の危機に、飛鳥は挽回の手段を消耗した思考力で検索し始めるが、全身の激痛と無茶な能力運用の反動で思考はすぐに散り散りとなる。
ぴしり、という亀裂音が小さく鳴った。
どうやら最後の一刀がフランシスカの顔を覆うバイザーに命中していたのだろう、真っ二つに砕けて地面に落ちた。
彼女の容貌が白日に曝された。
先の機械的な言動、口調から、さぞ人形のように無機質な眼なのだろう、と飛鳥は思っていたが……
「――フフッ♪」
視線が交錯した瞬間、飛鳥の心臓が凍りついた。
彼女の金色の両眼は、まるで獲物を前にした肉食獣のように爛々と輝いていた。
無機質や無感情など絶対にありえない、これは本能と欲望に満ち満ちた原始の激情。
「ああ……なんて、なんておいしそう」
桜色の口唇が小さく動く。
それが舌舐めずりであると気付くのに飛鳥は数秒の時間を要した。
身動きのとれないこちらに向けて、フランシスカは恍惚の眼差しを送っていた。
表情だけ見れば、まるで恋する乙女のように可憐な容貌だが、瞳の奥から滲み出る殺意と狂気が彼女を『捕食者』として確立させていた。
「……さっきまでとはまるで別人だな。人形かと思ったが、一皮剥けば実は人食い蜘蛛とは」
「実際別人なのだけどね。……それにしても驚いたわ、日野森飛鳥さん。如何に人工英霊でも、小国の軍隊程度なら余裕で壊滅出来るこの武装を制するなんて思わなかった。炎なんて飽きるほどに喰らってきたけど、貴方はどうやら別格のようね。……ますます美味しそう」
「それはどうも。俺も、君が随分と過激な性格なようでびっくりしたよ。美味しそうというのは褒め言葉と受け取っていいのかな?」
「もちろん! こう見えても、私結構美食家なのよ? こんなこと、私が気に入った……そう、自分の身体の一部にしたいと思えるほどの存在にしか言わないのよ? 光栄に思ってほしいわ。…………ところで、こんなお茶濁しの会話で体力回復を謀っているんだろうけど、無駄だからね?」
「ちっ……」
邪気を漂わせながら嘲り笑うフランシスカに隙はない。
現状、打開策は無し。朦朧とする頭脳が辛うじて出した結論に飛鳥は歯噛みした。
ではどうする、どうしなければならない?
満身創痍であっても、その問いには瞬時に回答出来る。
限界を超えろ、壁を打ち砕け。
逆転の秘策がないのであれば、今すぐ作り出せ。今こそ『進化』への一歩を踏み出すのだ。
『そう、君はまだ淘汰されるわけにはいかない筈だ。不可能を否定し、理不尽を打倒するがいい。それこそが“人工英霊”の存在意義なのだから』
仇敵であるリヒャルト=ワーグナーの声が脳裏に響く。
……幻聴だ、そう理解しつつも今はその言葉に全面同意する。
飛鳥自身がそう名乗ったわけではないが、『反逆者』の渾名は伊達ではない。
現在《パラダイム》に存在する100以上もの人工英霊――彼らと同じ異次元の能力者でありながら唯一、反抗の意志を示した飛鳥に対しての呼称である。
彼をよく知る者、あるいは対峙した者であればすぐに理解することだろう。
日野森飛鳥の真の脅威とは、諦観を許さず、後悔を許さず、限界も不可能も悉く否定する――徹底的なまでの反骨心であることに。
「さあ、楽しい愉しい食事の時間よ! ああ、悲鳴や抵抗は大歓迎よ。だってその方が喰いでがあるじゃない!!」
大きく手を広げ、これから始まる鮮血の宴にフランシスカは最大級の歓喜を見せる。しかしその死の宣告を、まるで聞こえていないかのように飛鳥は双眸を閉じていた。
諦めではない、これは自身への潜行。
力は常に自身の中に在る。
都合のいい奇跡などありはしない、だからこそ頼むのは己が自身の可能性のみ。
多用武装形成、熱分身投射――さて、炎がもたらす可能性は果たしてこれで打ち止めなのか?
……違うだろう、そんな訳がない。
脳漿をぶちまけても、心臓を抉り出してでも引き摺り出せ。
自身に眠る『可能性』を――
「飛鳥さぁぁぁぁんっ!!」
「……あら、残念」
しかし、今回の『可能性』は内ではなく外から来訪した。
クロエの持つ双銃剣から放たれる魔弾が、飛鳥を拘束していた機械腕を貫通し半ばから圧し折った。
殺到する弾雨を、フランシスカは涼しげな表情で後方に跳躍回避する。
「飛鳥さん、ご無事ですか!!」
「クロエさん……すいません、助かりました」
鉄爪を引き抜き、覚束ない足取りで立ち上がろうとする飛鳥を悲痛な表情で見つめるクロエは、そんな彼の肩に触れようとして思いとどまった。
それでは彼の矜持に傷がつくだろうと判断したクロエは、伸ばした手を握り拳に変えて立ち上がり、背後でニタリと嗤いながら悠然と立つ白貌の少女に向き直った。
「折角いいところだったのに、無粋ねぇ貴女。まあ、メインディッシュの付け合せが来たと思えばいいのかしら?」
「…………」
フランシスカにとっては、クロエもまた喋る肉でしかないようだ。
身の毛もよだつ捕食者の眼光を前に、クロエは何の反応も見せなかった。
金眼と碧眼の視線が交錯する。
風が砂塵を巻き上げる環境音しか聞こえない、刹那の沈黙の後、
「ひとつだけ、確認を。……貴様、飛鳥さんに何をしようとした」
「なにって……ひとつになろうとしてたんじゃない。貴女も御一緒にいかがかしら?」
冷たき殺意を瞳に込めて睨むクロエの視線を、フランシスカはおどけた様子で笑い飛ばした。愛しい彼がそんなに大事なら、いっそ2人まとめて喰らってあげると。
白蝋の髪を持つ怪物の狂気に、白金の髪の乙女の意思は漆黒の憤怒に満たされた。
「食事の作法も知らない餓鬼が吠えるな、汚らわしい。……そんなに空腹なら、鉛弾でも喰らっていろ。さぞ天にも昇る心地でしょうよ」
たおやかな言葉遣いをかなぐり捨てて荒々しく啖呵を切った。
構えた双銃“クラウ・ソラス”の銃口と刃が、彼女の殺意に呼応するかの如く獰猛な輝きを放つ。
魔女の鉄槌――魔女である彼女と、その武装の剣呑さはフランシスカもよく理解していた。
相対した者にとっては必滅、終幕の代名詞と言っても過言ではない白銀の銃剣を前に、彼女は怯む様子もなく告げた。
「是非御馳走していただきたいけれど……ううん、やっぱりやめた。貴女はどうにも口に合わなさそう。食べると胸やけしちゃうわね、きっと」
ケラケラと酷薄な笑みを見せるフランシスカに、クロエも最早限界だった。どの道、飛鳥を傷つけた彼女の存在を、細胞ひとつに至るまで見逃すつもりはない。
飛鳥の奮戦もあり、彼女の武装は壊滅的だ。丸腰同然のフランシスカなど、魔女であるクロエの手にかかれば瞬時に地獄へ叩き落とせる。
言葉はすでに不要。
あとは可及的速やかに、眼前の狂女をこの世から消滅させるのみ。
しかし、クロエはひとつだけ見落としていた。
「――“追跡者に足枷を”」
「な……これは!?」
彼女は人工英霊であり、真なる武器は彼女自身であるということに。その言霊により、クロエと飛鳥は大地に引きずり込まれた。
「ぐぅ……これは、重力制御か……これが奴の能力――!!」
同類である飛鳥は、これが彼女の人工英霊としての特性であると判断した。
飛鳥の熱エネルギー物質化、劉功真の無機質制御のように、彼女は周辺の重力を自在に変更させる能力を有しているようだ。
全身に鉛を括り付けられたかのような感覚に、消耗しきっていた飛鳥は膝をつく。クロエも悠然と立っているように見えるが、その表情には若干の曇りが見えた。
「では、改めて第2ラウンド……と言いたいところだけど。私もちょっと疲れちゃった。続きはまた今度にしましょう?」
「逃がすとでも思って――」
「思ってるわよ?」
クロエの憤慨をどこ吹く風と受け流し、フランシスカは重力の束縛をさらに強める。総身に圧し掛かる引力の足枷に、クロエは脂汗を滲ませながらも膝を屈する事はない。戦闘行動自体に問題はないが、著しい速度低下は免れないだろう。
それを利用し、フランシスカは羽でも生えているかのように軽やかに跳躍する。逃がすものかと、クロエはぐらつく照準のまま銃弾を放つが、
「心配しなくてもすぐにまた会う事になるわよ。その時は、皆で一緒にパーティーしましょう」
躱す必要のないほどに狙いは外れるばかり。
それを嘲笑いながら、フランシスカは崖下に吸い込まれ視界から消失した。
その直後、使用者が離れたからか重力結界が解除される。クロエは弾かれるように崖先まで駆け眼下の空を見渡すが、彼女の姿はない。
……思わず舌打ちするが、今はそれどころではなかった。
「飛鳥さん!!」
よろよろと立ち上がる飛鳥に駆け寄っていく。
手を差し伸べるべきなのかどうか迷い、中空で手を彷徨わせおろおろとするクロエの姿は、先程までの殺伐とした『魔女』とは同一人物と思えない。
負傷した飛鳥を心配そうに見つめる今の彼女は、どこにでもいる17歳の優しい少女なのだ。
「また無茶ばかりして……それにこれだけの消耗、まさか“紅炎投影”を使ったんですか!? あれほど使っては駄目だと申し上げましたのに……下手をすると脳の神経が焼き切れて死にかねないんですよ! 分かっているんですか!?」
「あ、う……ご、ごめんなさい。分かってはいたんですけど、そうでもしないと勝てないと思ったので」
「……お願いですから、もっとご自分を大事にして下さい。そもそも飛鳥さんはひとりで何でもしようと考え過ぎなんですよ。もっと周りの人に――私に甘えることを覚えるべきですっ!!」
非噴に瞳を潤ませるクロエに、飛鳥は困ったように頭をかいた。
第三者が見れば、この2人のやりとりは夫婦喧嘩以外の何物にも見えはしまい。 学園内でも似たような光景が多く繰り広げられているため、飛鳥とクロエは既に男女の仲であると誤解している者が大多数だったりする。
クロエ個人としては誤解上等であり、鈴風がやたらと2人きりを妨害しようとするのはそのためなのだが……その話は後に譲ろう。
口酸っぱく飛鳥の身を案じる発言を繰り返すクロエに、飛鳥は思わず吹き出してしまう。
「……ははっ」
「むぅ……何が可笑しいんですか?」
「いえ……今のクロエさん、まるで姉さんみたいだなと思って。怒ったり心配したりと忙しないところなんかが特に」
「私、今すごく真面目な話をしているつもりなんですが。――ああもうっ!!笑ってないでちゃんと反省して下さい!!」
緊張の糸が途切れたのだろう、飛鳥は腰砕けになって座り込み無邪気に笑いだした。
如何に戦い慣れしているとはいえ、単独での異世界移動や、ここまで自分以外頼る者のいなかった状況に、飛鳥の精神は無意識に磨耗していたようだ。
クロエもその事が理解出来ていたため、飛鳥の哄笑を咎める気にはならなかった。しょうのない人ですねと、小さく嘆息し穏やかな笑みを浮かべた。
(本当に、無事で良かった……)
逃げたフランシスカも気掛かりではあったが、今は何より飛鳥の無事を喜ぶことにしたクロエだった。