―第142話 愛しき人形達の哀歌 ⑤―
周辺の哨戒も終わり、学園の状況もようやく落ち着きを取り戻してきた。《八葉》にいる飛鳥たちも心配しているだろうと、霧乃は保健室を出て連絡をとることにした。
「――と、言うわけなのよ。私らも揃ってボロボロになっちゃってね。避難してきた人達のことを考えると、学園をガラ空きにするのもまずいだろうし」
『そうですか……ともかく、全員が無事だっただけでも充分過ぎます。霧乃さん、みんなを護ってくれてありがとうございました』
「うん、いいってことよ……」
飛鳥のお礼に対し、霧乃は素直な気持ちで応じることができなかった。電話を切り、霧乃は片手で自分の頭を抱えてしまった。
あれで護ったと、果たして言い切れるものなのだろうか。
こんなザマで、何が《九耀の魔術師》だ、“黒の魔女”だ。
クロエのことを散々馬鹿にしておきながら、自分は自分でこの体たらく。情けなくって涙が出そうだった。
誰もいない廊下でひとり、窓の外を見上げる。
「テレジア姉さんが見てたら間違いなく説教されそうだわね、まったく……」
今は亡き“腐食后”――テレジア=ウィンスレット。
ただ魔導の深淵のみを追い求める人格破綻者の集団である《九耀の魔術師》において、ただ唯一、霧乃が人として尊敬していた人物。
常に気高く、厳しくも優しい。
そんな彼女に憧れていた。
「私は、あの子たちにとっていい先生をやれてますかね?」
テレジアの娘であるレイシアを任されている身として、今の自分は彼女に胸を張っていられるだろうか。 20歳にも満たない子供にばかり辛い役目を押し付けて、これまで自分はどれほど彼らの力になれたというのか。
先の敗戦からずっと、こんな調子で自己嫌悪ばかりだ。
真散やレイシアたちまで同じような様子だったものだから、今や保健室は揃ってお通夜ムードである。
(あげくの果てに、あの変態科学者が妙ちきな機械をこしらえてきたもんだから……!!)
“ホワイトフラッグ”だの『システム・アイテール』だの、小難しい用語を引っ張り出してこられても、理系は壊滅で機械音痴な霧乃にとっては、正直さっぱりぽかんであった。
というか、あの男はどうしてさも当然のようにこの場にいるのか。
認めたくはないが、霧乃とアルヴィンはそれなりに長い付き合いだ。今さら過去を蒸し返してどうこうするつもりはないが、5月にあった事件のことを考えると、無条件に信用していいものかどうかも疑わしい。
しかし、《パラダイム》撃退は彼の助力があったからこそ成ったというのも事実。
さっき全力でぶん殴っておきながら、どう接したものか悩みどころだったのだ。
「……で、そこの変質者はいったいそこで何やってるわけ?」
ぼうっと窓の縁に手をかけて空を見上げている霧乃だったが、さっきから背後で、声をかけようかどうか決めあぐねておろおろしていた白衣の男性に見かねてつい声をかけてしまった。
いい年して何やってるんだか、とツッコみたくなる気持ちを抑えつつ、振り向く。
「や、やぁ霧乃。こんなところでいったい「うっせぇ気安く呼び捨てにしてんじゃないわよ」……分かっちゃいたけど、嫌われたもんだね」
無精ひげを撫で付けながら苦笑するアルヴィンの砕けた態度が何だかイラッとしたので、ついつい霧乃は憎まれ口で応戦していた。
本当に、こんなところでいったい何をやっているのだか。
アルヴィンは霧乃の敵意丸出しの態度にも動じる気配を見せずに言葉を続ける。
「僕とフランシスカはそろそろお暇させてもらうからね。友人に一言挨拶くらいしていこうかと思ったのさ」
「友人、ね……」
勝手な言い草だった。
学園を卒業した霧乃が、単身当てもない旅に出て辿り着いたイギリスの地――そこで出会ったのがアルヴィンだ。
確かに、魔導と科学という正反対の道を進みながらも、互いの努力を認め合えるよき友であったことは否定しない。
だが、その関係を叩き壊したのは当のアルヴィン自身だ。
「フラン……正直、彼女と同じ顔した人間をあんな大量に見ることになるとは思わなかったわ。悪い夢でも見てるみたいだった」
「その点に関しては、僕も遺憾だった。僕が彼女のクローンを作ったのは、こんなことのためなんかじゃなかった」
「目的の問題なんかじゃないわよ……」
この男はまるで分かっていない。
人間のクローンを、ましてや大切な女性を複製するという行為そのものが、どれほど愚かしく、狂ったものであるのかを。
「もういいわ、率直に言ったげる。……あの子はもういない、フランは死んだのよ。あんたが愛したフランシスカ=アーリアライズは、もう絶対に帰ってこない」
「……」
霧乃とアルヴィンが道を違えた決定的な理由は、フランシスカ――飛鳥たちが出会ってきたクローンではなく、オリジナルの彼女の存在にあった。
オリジナル・フランシスカ――ここでは愛称であったフランと呼ぶが――は、アルヴィンと同じ研究者であり、霧乃と出会った時点で2人は婚約者の関係にあった。
「僕とフランは、いわば比翼の鳥だった。互いが互いを必要としていて、どちらが欠けても生きていけないほどに」
「そうね。あの子はいつも無愛想で無口だったケド、あんたを見る目はいつだって優しかったわ。よく覚えてる」
霧乃は別段アルヴィンに対して恋慕の情などありはしなかったから、フランを交えてドロドロの愛憎劇になることはなかった。それでも……幸せそうな2人を、どこか羨ましく感じていたことは否定できなかった。
だが、そんな幸福な毎日は長くは続かなかった。
「当時研究していた先天的人工英霊――ヴァルキュリアの暴走事故に巻き込まれて、彼女は壊れてしまった。だから早く直さないとフランがかわいそうだ」
「何がなんでも死んだとは認めないわけね……」
「死んだ人は生き返らない、それは当然の真理だ。だが、壊れたものなら直せる。だからこそ、僕はAITの技術を利用し、《パラダイム》と手を結んで『進化』の追求に手を貸した。すべては、フランの修復方法を模索するために」
もし、今のアルヴィンの言動を天国のフランが聞いてたら何と言うだろうか。確かめる術などないが、それを思うだけで霧乃の胸がきしりと痛んだ。
今、こうやって理性的に彼と会話できているように見えるが、根本的な部分で2人のコミュニケーションはすれ違いを続けている。
「……できると思ってんの? 今のあんたは、まさしく第二のフランケンシュタインよ。その結末くらい知ってるでしょ?」
生命創造という禁忌を犯した先に生まれたのは、ただの怪物だった。
いくらフランと同じ遺伝子の複製を作り出そうと、それはフランシスカではあってもフランではない。
今日、敵として散々交戦した彼女らが、霧乃と笑い合っていたフランと同一人物であるはずがないのだ。
「もちろん。だが僕は彼とは違う。SPTという未来の技術、『進化』を促す“祝福因子”。これらはすべて、不可能を可能にする新たな力だ。この力を更に発展させていけば――僕にできないことなんてない」
その発言は、まさしく狂気に溺れたフランケンシュタインのよう。
だが、当のアルヴィンの表情は、壊れた破戒者の笑みではなく、
「だったらなんで、そんな辛そうな顔してんのよ」
涙をこらえ、現実を認めようとしない意地っ張りな子供のようだった。
ああ、結局のところ。
彼は信じたかったのだ。
この世に奇跡はあるのだと。
願い続け、求め続け、進み続ければ、必ず自分が望む結末に辿り着けるのだと。
「つらい? 何を言ってるんだい君は。科学に苦難はつきものだよ。そんな分かりきっていることにわざわざ「あーもういいわようっとうしい!!」いっだあっ!?」
ようやくアルヴィンの本音が見えてみた霧乃は、わざとらしい溜め息をひとつ吐き出し、下手な強がりを見せようとする馬鹿な男の脳天目がけて思い切り拳骨を落とした。
あいにく、この男相手に胸を貸してあげるようなラブロマンスを展開するつもりはさらっさらない。
「そういえば、ここが襲われたそもそもの原因はあんたの発明品とやらのせいだったわよねぇ……この落とし前、どう付けてもらおうかしら?」
「え!? いやそれは、さっきの魔術師の彼が言うように僕だけのせいじゃないと思うだけど……」
「それはそれ、これはこれよ。ともかく、きっちり落とし前付けるまでは逃がさないわよ。差しあたっては……この事件が終わった後、学園にいる全員に晩ごはん奢りなさい。いい居酒屋知ってんのよ~」
いきなり雰囲気が変わった霧乃に面食らったアルヴィンだったが、彼女の意図を察したのか諦めるように苦笑し、両手をあげた。
「……あぁ、分かった分かった降参だ。本当に仕方がない奴だね君は。いったん言い出したら聞かないのは相変わらずだ」
「そりゃあ、たかが数年で人間変わりゃしないわよ。今夜はとことん飲み明かすんだから、覚悟しときなさい」
ヤケ酒くらいには付き合ってやる。
霧乃は以前にアルヴィンとそんな約束をしていたのを思い出していた。
フランの代わりに慰めてやるなんて性分ではないし、それを彼が望んでいるとも思えない。
だが……愚痴くらいは聞いてやってもバチは当たらないだろう。
乱暴にアルヴィンの肩に腕を回し、馬鹿みたいに笑いながら廊下を歩き出す。
(これで、いいのよね? フラン……)
いいではないか、問題の先送りでも。
辛いことがあるなら泣いていいし、八つ当たりしてもいいし、たらふく酒に酔って忘れてしまったっていい。
人間はそんなに強くない。
強くなくていい。
「落ち着いたら弟くん達も呼んで祝勝会ってのも悪くないかしら。あー他人のお金で飲む酒の美味しさは格別だからね、楽しみ楽しみっ♪」
「ち、ちょっとは加減してほしいんだけど。僕も今じゃそんなにお金ないんだから」
戦況の雲行きはいまだ晴れず、傷付き倒れる者ばかりが増えていく。
それでもここに、馬鹿な大人が2人。
虚勢だろうと強がりだろうと、彼女たちは今、笑っていた。
次回より再び飛鳥視点。