―第140話 愛しき人形達の哀歌 ③―
フランシスカの背中を追い、リーシェが辿り着いた屋上は閑散としていた。
フェンスの上にわずかばかりに雪が積もっているだけで、他には何も飾られていないコンクリートでできた灰色の地面ばかり。骨身に染みる寒さも相まって、どこか物悲しさを感じさせる光景だった。
「改めまして、私はフランシスカ=アーリアライズ。人工英霊の軍事転用計画の過程で生み出された、量産型クローンの1体です。……もっとも、私は光栄なことにマスターのお傍仕えが許された個体でしたので、下に転がっている個体とは別格の処置を頂戴しておりますが」
「……ブラウリーシェ=サヴァンだ」
互いに固い表情のまま、妙な距離感での自己紹介だった。
少なくとも、こうして理性的な会話ができている時点で、目の前の彼女がその他のクローンとは異なる存在であることは証明されている。特に戦闘の意思がないのも確か。
リーシェはフランシスカに気取られない程度に、肩に入れていた力を少しだけ緩めた。
「マスターとは、誰のことだ」
「我々フランシスカや『鍛冶師』鋼刃九朗。そして、あなた方ヴァルキュリアシリーズをこの世に生んでくださった偉大なる創造主。知らぬとは言わせません」
知っている。
深い深い記憶の奥底で、ガラス越しに自分に笑いかけてくれていた男の顔を、リーシェはおぼろげながら覚えていた。
少しばかり目を閉じ、忌まわしい過去を掘り起こす不快感と、わずかばかりの寂寥を感じながら、ゆっくりと当時の光景を思い出した。
「確か……アルヴィン。そう呼ばれていたような気がする。……ん、アルヴィン? はて、この名前、最近どこかで聞いたような」
こちらの世界にやってきてから現在に至るまで、リーシェは過去の記憶を振り返ることなどまるでなかった。だからか、今しがた自分で口にした名前が、これまでの飛鳥達との会話にも登場した人物に符合することに今さら気付くという、彼女の天然さ(というかお間抜けぶり)を露呈させることとなった。
あれ、実は結構重要なことを見逃していたんじゃ……と、ちょっぴり動揺し始めたリーシェをよそに、
「そこまで覚えていて……どうして、あなたは!!」
フランシスカから返ってきたのは紛うことなき、生きた怒りの感情。
人のことを言えた義理ではないが、感情などないと思っていた人形の少女から、これほどまでの激情が放たれたことにリーシェは思わず目を見開いた。
「付き従い、首を垂れ、マスターからの命令を忠実に実行する。それが我々に与えられた有一の存在意義でしょう!!」
「な、なんだと……?」
先ほどまでの無表情が嘘のように、彼女の色素の薄い顔を彩るのは怒り、憎しみ。突然の変貌に、リーシェは思わず一歩後ずさった。
今にも武器を持って飛びかかってきそうな様子のフランシスカだったが、リーシェは不思議と警戒心を抱くことはなった。
「それ以外の生き方などありえない、考えることすら許されない! それをあなたは……お前はぁっ!!」
言葉づかいもかなぐり捨てて、ただ荒ぶる感情のまま叫ぶ。
ぶ厚いコートの襟を掴まれ、犬歯を剥き出しにして叫びかかってくるそんな少女の姿が、なぜか――
(悲しい、な)
奇妙な親近感と、どうしようもない哀れみ。
まるで駄々をこねている妹を見ているような、そんな不思議な感覚だったのだ。
怒りを向けられた理由。同族だったのだ、嫌でも理解できる。
フランシスカは、マスターであるアルヴィンの命令に従う――それ以外の生き方を知らないのだ。いや、知ることが罪だとでも思っているのだろう。
自分はどうだっただろうか、とリーシェは自分の過去を顧みた。
《ライン・ファルシア》でただ騎士として振る舞っていたころの自分であれば、今のフランシスカの発言に強く同意していたことだろう。
定められた生き方を、定められたままに生きなければ。
それが自分の、騎士としての使命だと信じて疑わず、それに反する生き方など想像も付かなかった。
「お前は欠陥品だ! マスターの手から逃げ出し、心を暴走させた失敗作だ! ここで排除してやる!!」
喉が枯れそうなほどに絶叫を浴びせかけ、フランシスカは腰に収めたコンバットナイフに手をかけた。
リーシェは、私が憎いのか、と言い返そうとした。
だが、言えなかった。
「ああ、そうだな……私は欠陥品だ。創造主に従うつもりもなく、誰の指図も受けないまま、勝手気ままに生きている。きっとそのマスターとやらも、私の壊れぶりにほとほと呆れかえっていることだろうな」
ナイフの先端を喉元に突き付けられ、血の玉が肌を伝っていた。あとほんの少し刃が奥に進むだけで、出血多量で簡単に死ねるだろう――リーシェはどこか他人事のようにその事実を黙認していた。
反撃しようと思えば、いつでもできた。ナイフ以外のまともな武装を持たないフランシスカが相手なら、この状況から形勢をひっくり返すことくらいわけはなかった。
だが、やらなかった。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる……」
ナイフを持つ手には、まともに力などこめられていなかった。
軽く息を吹きかけるだけで崩れ落ちてしまう砂の城のように、彼女の殺意は見せかけだけの張りぼてに過ぎなかった。
空を見上げる。
相変わらずの曇り空、しんしんと降り注ぐ冷たい雪。
見ていても何の面白みもない、うんざりするほどの真っ白な空だった。
リーシェとて、兄の仇である彼女に言ってやりたいことは山ほどあった。
何があろうと絶対に許すことなんてできないし、この手で仇をとってやりたいという気持ちがあったのもまた確か。
だが、それでも、
「ころして、やる……ころ、して……」
尻すぼみに小さくなっていく彼女の慟哭を聞いていると、その気持ちがひどく揺らいでしまう。たとえこの場で仇をとったとしても、ただ悲しみだけが積み重なるだけだと知ってしまったからか。
(兄様、申し訳ありません。私はどうやら、まともに仇討ちもできない、いくじなしの臆病者だったようです)
彼女の瞼から地面に零れ落ちる水音を、今だけは聞かないふりをすることにした。
ずっと上を向いたままだったものだから、リーシェの顔面には薄らと雪が積もり目元を覆い隠そうとするほどだった。でも、今更しれっと下に向き直るのも格好が付かない。
いつまでこうやっていればいいんだろうと本気で悩み始めたところで、
「それで気を遣っているつもりですか? 顔面雪だるま状態で格好も何もありませんから、さっさと下を向きなさい」
そんな内心を読み取ったかのようにフランシスカからの声が飛んできた。リーシェはやれやれと呟きながら顔を下ろし、両手でしゃかしゃかと雪を払い落とした。
「ふえっくしょいっ!!」
と、同時に大きくくしゃみ。
まるでおっさんみたいな声を出してしまったことにちょっぴり自己嫌悪しながら鼻をすすり、フランシスカの方へと向き直る。
「……あなた相手に真面目な話をしようとした私が馬鹿でした」
「く、くしゃみひとつでそんな反応されるのはおかしいと思うぞ! だって生理現象なのだぞ、回避しようとしてできるものではないのだぞ!!」
「くしゃみだけが原因だと思っている時点で手遅れです」
頭を押さえながら大袈裟に溜め息を吐き出すフランシスカの態度に不満が残るリーシェだった。
とりあえず、普通に話ができる雰囲気に戻ったのでよしとしよう。
さっきまでの感情的な様子がなかったかのように、彼女の表情は機械的で無機質なものに修正されていた。今のは忘れろ、と言外に釘を刺しているつもりだろうか。従ってやる義理などないが、また話がこじれてもいけないので、リーシェは話題を切り替えることにした。
「今回の《パラダイム》の襲撃、そしてこの異常気象。お前はどこまで知っている?」
目の前の少女は貴重な情報源だ。
先ほどのフランシスカではないが、私情に駆られて必要な情報を見失っては目も当てられない。そんな冷静な判断に自分でも少し驚きながら、リーシェは現状把握と対策に意識を集中することにした。
「あなたに教える義理など「今さっきの件を、マスターとやらに言いふらしてもいいのだぞ?」……ちっ」
彼女を弱みを握れたという意味では、文字通り怪我の功名だったようだ。
明らかに苛立ちながら舌打ちするフランシスカに話の先を促した。
「これは、《パラダイム》があなた方に課した『試練』なのです」
「試練……?」
試練。
つまり、自分たちは試されているということ。
襲われる理由としては、あまりに違和感が強い言葉だった。まだ世界征服の第一歩だとか言われた方が現実味があったくらいだ。
「『反逆者』あたりはこの一言でおおよそ理解するでしょうけど、あなたには一から説明しなければなりませんか。やれやれ……」
「まるで私が頭の出来の悪い子みたいに言うのはやめてもらえるか?」
リーシェの批難の声を無視しながら、フランシスカは抑揚のない声で続ける。
「先月の“傀儡聖女”襲撃――あなたはその場にいたそうですが、戦いを通して、何か違和感を感じませんでしたか?」
「違和感? いや、そんなことは無かった……はずだ。みんな無事で、生きて勝利することができた。私がどこまで貢献できたのかは分からんが」
「ええ、そうですね。しかし、あの《九耀の魔術師》に加え、《パラダイム》の中でも最強と称されるシグルズ=ガルファードまでもを相手取り、戦力差は絶望的だったにも関わらず……よく、誰も死ななかったものですね?」
あ、とリーシェは間抜けな声を発してしまった。
そうなのだ。
これまでの戦いは、どれも広い地域に及ぶ大規模の戦闘が連続していた。それも、民間人を巻き込みながらの危険な綱渡りばかり。
もちろん、その結果は飛鳥達の活躍によるところが大きいわけだが、それだけではどうにもならない部分だってあったはずなのだ。
「はっきり言って、“傀儡聖女”やシグルズが本気を出していたならば、あなたは今この場にはいなかったことでしょう。今しがたこの学園を襲撃した私のクローンたちもそうですが……その気になれば、これまでの戦場はとうにあなた方や関係のない民間人の血で染まっていたはず」
「なんだ、それは……だったら奴らは、あえて手加減していたとでも言いたいのか」
死者が出なかった。
これまでの戦いの凄惨さを思えば、それはとんでもない快挙だったのだ。
飛鳥やクロエなどはとっくに気付いていることだったが、《パラダイム》が関わる戦いというものは、相手を殲滅することを第一目的としたものではなかったのだ。
お前の力を見せてみろ、俺を楽しませろ――それは、命を奪い合う快楽に飲まれた戦闘狂としての発言だったのだろう。
だが、それが単なる個々人の欲求の表れだけではなく、《パラダイム》という組織における総意だったのだとしたら?
「《パラダイム》が求めるのは『進化』。既存の生命体の枠組みを超え、未だ見ぬ新たな地平に到達するために、彼らは進み続ける者を求めている。より高く、より強く、より大きく――己が『進化』の最果てを目指すために、彼らはあなた方を必要としているのです」
一切の感情のぶれもなく言い切ったフランシスカに対し、リーシェはなぜか胸の動悸が強くなってくるのを抑えきれずににいた。
繋がる。
繋がってしまうのだ。
《ライン・ファルシア》においてリーシェ達ヴァルキュリアが作られ、管理されていた理由。
彼女らを食らい、更なる強さを手にしようとしたかつてのフランシスカの存在意義。
『セカンド・プロメテウス』により高度に発展した科学技術、それにより作られた機械
じかけの尖兵たち。
そして、“傀儡聖女”やシグルズが飛鳥達を見逃した理由。
そのすべてが、繋がる。
「すべては……私たちを、強くするため。そして、強くなった私たちを平らげ、自身が更に強くなるため、だと言うのか?」
「ええ。ありとあらゆる存在の力を底上げし、そのすべてを凌駕して、『進化』の階段を上り詰める。それが、《パラダイム》という組織の目的です」