―第137話 白き御旗を掲げよ ⑦―
一蹴は“ホワイトフラッグ”の背中に装着されていた大型の剣を両手で携え、勢いよく抜き放った。
全長5mを超える白銀色の大剣、その刀身には至るところに細長い噴出口が開いていた。
(燃料の節約なんざ考えてる余裕はねえ!!)
柄にあるスイッチを押し込むと、噴出口からは眩いばかりの電光が溢れ出した。巨大な閃光花火が強烈に燃焼しているような不可思議な刀身だった。
これぞ、対艦用陽電子ブレード“アガートラーム”。
過去に飛鳥たちが交戦したブーステッド・アーマー“ラーズグリーズ”が装備していたレーザーブレードの技術を、最新鋭の特殊合金であるリュミエール鋼製の機械剣に反映させた代物である。
炭素結合を遥かに凌駕する剛性を持つ実体剣と、プラズマ化した電子の炎による超高熱の光学兵器――その双方の特性を併せ持ち、およそ地球上に断てない物質はないであろう科学の魔剣。
食らうべき敵を求めて荒れ狂う陽電子の熱が、機体越しからでも感じられた。
本来、生身の人間相手に振るうにはあまりに過剰火力であるはずのこの兵器。
そんな最強の剣を手にした一蹴は、内心で、
(くそっ……まるで通用するとは思えねぇ)
逃げも隠れもせず、正面で腕を組んで待ち構える金色の獣相手には不足だと感じていた。
言いようのない不安を感じながらも、一蹴の頭の中に『後退』の2文字はなかった。
出力全開、正面突破。
元より、それ以外の選択肢など存在しないのだ。
「しゃあっ!!」
上段に大きく振りかぶった姿勢のまま、推進器を点火。
示現の太刀を彷彿とさせる、一刀両断の決意を込めた飛び込みで、機械仕掛けの白騎士は金色の獅子の目前へと瞬時に肉薄した。
シグルズは避けるでも防ぐでもなく、右の拳を握りしめ、腰溜めに構えていた。
「くらいやがれえええええええええっ!!」
「来いやああああああああああああっ!!」
技巧も策も必要ない。
正真正銘、これこそが真っ向勝負。
6mの巨人が振り下ろす巨大な鉄塊を、2mの大男が裸の拳で迎え撃つ。
この、あまりにアンバランスな一騎打ちは、人間の英雄が神話の怪物に挑みかかる、御伽話の1ページにも似ていた。
生身の人間を押し潰すには充分過ぎる重量と慣性。陽電子レーザーの激熱も相まって、まず原型を留められる生命体など無きに等しい科学の一閃を、
「悪くねぇ、悪くねぇが……軽過ぎんぞクソガキぃっ!!」
その男は、振り上げた拳でいとも容易く受け止めていた。岩や鉄をも瞬時に蒸発させる熱線の業火を、温いと言わんばかりに口角を上げながら。
重きは強く、軽きは弱い。そんな当たり前の物理法則を嘲笑うように、シグルズの鉄拳が“ホワイトフラッグ”の鉄刀を、刀身の半ばから真っ二つに叩き折っていた。
(反則だろ、こんなもん……!!)
一蹴の頭の中には、『チート』なんていう下らない単語が浮かび上がっていた。
向かう敵すべてを造作もなく薙ぎ倒し、弱点と呼べる弱点も存在しない。
神に愛されているのかどうか知らないが、運命が、世界が、この男のためにすべての勝利と栄光をお膳立てしているようにしか見えなかった。
折れ飛んだ“アガートラーム”の切っ先が、轟音と共に地面に突き刺さった。
茫然としている場合ではない。
絶望するにはまだ早過ぎる。
この結果は、認めたくはないが予想できていた。
「覚悟、決めるか……」
よって、次なる一手も既に決まっていた。
「さぁて、それじゃあ空の旅と洒落こもうじゃねぇか!!」
剣を折られた後の一蹴の行動は極めて迅速だった。
背面の推進器を全開出力で起動。自棄にも見える真正面からの特攻を仕掛けていった。
「おいおい、やけっぱちか――――って、おおおっ!?」
殴りかかるでも投げ飛ばすでもない、ただその身を武器とした体当たり。
その愚直さこそが、シグルズにとってはむしろ奇手として映っていた。
7tの鋼鉄の塊が、戦闘機ばりの速度で向かってくるのだ。いかに無双の超人であろうが、単純な物理法則によって“ホワイトフラッグ”の表面装甲に叩き付けられ、その身は自然と地面から離れていく。
「ヤ、ロォ……そういう、ことかよ……!!」
横向きの凄まじいGに身動きが取れなくなったシグルズは、ここで一蹴の思惑に感付いた。
だが遅い。既にシグルズの身体は“ホワイトフラッグ”によってグラウンドを横断し、フェンスを突き破って学園の外へと吹き飛ばされていた。
一蹴にもまた、心臓が破裂しそうなほどの重力の洗礼が圧し掛かってきていた。
(堪えろ耐えろよ矢来一蹴! お寝んねするにはまだ早えぞっ!!)
だが、過剰分泌された脳内麻薬が、その激痛をとことんまでに無視させた。
木々を薙ぎ倒しながら落ちるように坂を下り、道路のフェンスを突き破って、2人は白鳳市の空へと舞い上がった。
(あとは、どっか、人のいない場所まで……!!)
一蹴の狙い。
それは民間人や怪我人の多い学園を抜け、戦場を移動させるための突撃敢行だった。
学園を包囲していたフランシスカクローン達がすべて沈黙していたのが幸いであった。一蹴はそこまで気が回っていなかったが、まだ残存勢力がいた場合、もう学園側に戦える人員は残っていなかったのだ。
残る敵がシグルズ1人だったからこそできた、捨て身の大技である。
カメラアイを下に向ける。普段は見上げるばかりの高層ビル群を眼下に収め、今更ながら一蹴の背筋にぞぞぞと冷たいものが上ってきていた。
(これ……落ちたら死ぬんじゃね?)
ほんの少しだけ冷静になってしまった一蹴は、後先考えないにも程があったかと手遅れな反省をしていた。
下手に街中に落ちて、民間人を巻き込んでしまっては本末転倒だ。一蹴は海の方を見やって、無人の湾岸区域へ向かって推進器の方向を調整した。時速300㎞近い速度のフライトで、切り裂く空気の悲鳴が喧しかった。
「その身を投げ打って仲間の命を助けるために、か。泣かせるじゃねぇか」
だが、それでも機体の正面にへばり付いたシグルズの余裕綽々といった声だけは、いやにはっきりと耳に届いていた。
もう驚きはしない。相手は銃火器でも魔術でも倒せない化け物だということはよく分かっていた。
急降下を始める。心臓が持ち上がる気味の悪い感覚に耐え忍びながら、一蹴は眼前に迫り来る死の瞬間から目を逸らすことなく――
「挽き肉になりやがれええええええええええっ!!」
暗闇色の深い海の中へと、見事着弾した。
腹の中を無遠慮に掻き回される感触、鉄がひしゃげて砕ける轟音、鳴り止まない機体損傷の危険信号。
視覚も聴覚も軒並みダメになってしまっていたが、冷たい水の感覚がない点にだけは安堵した。海に沈んで窒息死は苦しそうだったから……などという下らない理由からだったのだが。
急いで意識を回復させる。
カメラアイが落下時の衝撃で破損したのか、搭乗席内は真っ暗だった。身体の節々が燃えるように痛かったが、ひとまず五体満足らしい。明るい場所で見たら実は血みどろの重傷でした、という可能性もあるが今は気にしないことにした。
手足の関節部位も揃ってお釈迦になっていた。
かろうじて脚部の推進器だけが無事のようで、どうにかして地上に帰還しようともがいてみることに――
(っ!? やっべぇ!!)
全身の細胞が一気に活性化した。
何も見えない、何も聞こえない。
……だが、間違いなくヤバい!!
野生の勘でしかなかったが、この危機感はほぼ確信だった。
正面の装甲を隔てたすぐ向こう側から、恐ろしく膨れ上がった殺気を感じ取ってしまったがために。
「あーやってられっかよ、こんなチート野郎相手なん―――――」
もはや、悪態をつくことすら許されなかった。
目の前の空間からいきなり腕が伸びてきた、としか言いようが無かった。
板チョコレートみたいに、いとも簡単に胸骨がパキパキと割られていく。背中を押し上げる衝撃に、呼吸どころか心臓を動かすことすらまともにできず。
「ごはっ――!?」
海の底からいきなり直上に射出された。
機体は再び空中に舞い戻り、そして錐揉みしながら湾岸ブロックに勢いよく墜落した。
この時、一蹴が即死という運命に至らなかったのは、土壇場の根性の賜物か、神が与えたもう奇跡だったのか。
それとも、
「あーチキショウが。こんな雪の日に寒中水泳する羽目になるたぁな……ある意味今日一番効いたぜ、こいつは」
敵手の単なる気まぐれだったか。
“ホワイトフラッグ”の機体は、もはや人型だったことすら疑わしいほどに大破してしまっていた。
紙切れ同然に風穴を開けられた腹部装甲。あまりの無茶な特攻に、全身の鋼鉄はひしゃげて美しい純白が見る影もなくなっていた。
全身の関節部からは断続的に電流火花が迸っており、いつ動力炉に引火して爆発炎上してもおかしくない状態に成り果てていた。
海水で濡れた身体に苦い顔をしながら、シグルズは白いガラクタと化した“ホワイトフラッグ”の装甲に手をかけ、みかんの皮でもむいているかのような気軽さで、力任せに引き剥がしていく。
「おーい坊主、生きてってかー。大口叩いておきながら、これくらいでくたばってんじゃねぇぞー」
搭乗席で頭を垂れて気絶していた一蹴の胸ぐらを掴み、一息で機体から引きずり出した。
機体と同じく、こちらもこちらで重傷だ。
頭部からはぽたぽたと血が滴り落ちており、拳を打ち込んだ胸板は歪に陥没して目を覆いたくなるような惨状だった。
だが、生きている。
確かにシグルズは相当に手加減して拳を放ちはしたが、先の玉砕覚悟の急降下と相まって、まず常人では生きていられないほどの衝撃だったはず。
「いいね、いいねぇ。無力と知りつつも、男の意地だけでここまで命を張れるヤツなんざそうはいねぇ。ただの人間にしとくには惜しいくらいだ」
敗北を知らぬ絶対強者。
そんなシグルズの目線だからこそ、無力な者の強さというものに、憧れにも近い好感を抱いていた。
元より、最新型のブーステッドアーマーを使おうが、一蹴とシグルズの力の差を埋める要素としては不足に過ぎた。それはお互いによく分かっていたことだろう。
一蹴のした行動は、地を這う虫が、鳥のように空を飛ぼうとする行為に等しい――蛮勇、無謀、暗愚の極みだったと言える。
だが……シグルズは、そんな一蹴の愚直さがいたく気に入っていた。
強き者が力を振るい、敵を倒す。
これは何も驚くことではなく、心を揺さぶるものでもない。
魚が海を泳ぎ、鳥が空を飛べるのと同じくらい、当たり前のことなのだ。
だが、この男は違っていた。
弱者であると知りながら、手が届かないと分かっていながら、それでも死にもの狂いで立ち向かってきた。シグルズはそれを滑稽だと、力の差も理解できぬ愚か者だとは思えなかった。
地を這う虫が空に憧れる――そんな行いを、一笑に付すことなどできなかった。
「う、あ……」
「弱いヤツから死んでいくのが戦場の常ってもんだが……俺は今、かなり気分がいい」
呻き声をあげながら吐血する一蹴の耳元に顔を寄せ、シグルズは一言だけ呟いた。
「今回は見逃してやるよ。面白ぇもんを見せてくれた礼みたいなもんだ。遠慮なくとっとけ」
「ん、だと……」
瀕死の状態、それも意識があるかどうか定かではない中でも反抗の姿勢を止めない少年の姿に、シグルズは感極まって大声で笑い出した。
「くっははははははは! そうそう、そういうところが面白ぇんだよ! ……次に会う時
にどうやって楽しませてくれるのか。期待して待ってるぜ」
言いたいことを言い切ったシグルズは、一蹴の身体を無造作に地面へ放り投げた。
力無くコンクリートの地面に転がった男を一瞥した後、シグルズはあちこちに散らばった“ホワイトフラッグ”の装甲のひとかけらを手に取り、コートのポケットへ仕舞い込んだ。
「ま、全身持ってこいなんて言われちゃいなかったしな。これで文句はねぇだろ」
《パラダイム》がこの機体を求めている理由など知らないし、興味もない。表面装甲のひとつでお偉方が納得するとも思えなかったが、それこそシグルズにはどうでもいいことだった。
「あぁ、今日もいい戦争だった――」
満足げな笑みを浮かべながら、金色の獅子は豪雪吹き荒れる向こう側へと姿を消した。
《パラダイム》最強の人工英霊、『戦争屋』シグルズ=ガルファード。彼を打倒するに至る者は、未だ現れず。
だが、この戦場の中で多くの人間の『強さ』に触れられたことに、彼は概ね満足していた。
これにて、白鳳学園を強襲した《パラダイム》との攻防は、一応の決着がついたことになる。
結果だけ見れば、死者をひとりも出さずに戦い抜いた学園側の勝利とも捉えられるが……
「な、さけ、ねぇ……」
一蹴は血みどろの手を伸ばし、声にならない声を、冷たい曇り空へと投げつけた。
これを勝利と呼べるものか、と。
誰もが悲壮な決意を掲げ、命を投げ出す覚悟で立ち向かった結果がこれだ。
負傷者多数。敵勢力の大半は無効化できたものの、大将格たったひとりに毛ほどの傷も付けられず。あげくの果てには見逃された。
それも、大義や理念などもない、ただ戦いたかったなんていう下らない行動の持ち主によってだ。
弱い、弱い、お前は話にもならないほどに弱過ぎると――学園にいた誰もに等しく、その事実が刻み込まれ。
白鳳市を覆う吹雪は、さらに激しさを増すばかりだった。