―第136話 白き御旗を掲げよ ⑥―
さて、ほんの数分だけ時間を遡ろう。
体育館の地下に(いつの間にか)造られていた、1階の運動スペースと同じくらいの広さの空間。コンクリートで塗り固められただけの灰色の格納庫の中心に、『それ』はあった。
純白に輝く鋼鉄。
西洋の騎士鎧を思わせる、洗練された流線型の輪郭。
背後に取り付けられた、ぶ厚く長い大刃が二振り。
稀代の天才発明家が作りだした、人類の新たな爪牙。
“ランドグリーズ”から更なる発展を遂げた、新世代の量産試作機――その名を、ブーステッド・アーマー“ホワイトフラッグ”と言う。
「ぐあああああああ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇっ! 手足が雑巾絞りされてるみたいに痛ええええええっ!!??」
その“ホワイトフラッグ”の内部で絶叫をあげている矢来一蹴の両手と両足は、ごちゃごちゃとした機械パーツによってその付け根から拘束されており、少し離れて見れば十字架に貼り付けにされた救世主のように見えなくもなかった。
往年のアニメに出てくるようなロボットの搭乗席を想像していた一蹴だったが、いざ入ってみればスイッチもレバーもなく配線や基盤が剥き出しになった空間に、手足を挿し込む空洞しかなかった時点で気付くべきだったのだ。
「何を大の男が女々しい泣き声あげているんですか。それはあなたの動きを、機体がそのまま追従してくれる運動変換機構です。変換率の調整がまだ不完全ですので、使用者の肉体に著しい負担がかかりますが」
「……おい、なんか聞きたくなかった単語がいくつか出てきたぞ。不完全? 著しい負担? ホントに大丈夫なのかよ、コレ」
「別に死にはしないから大丈夫ですよ……たぶん?」
「死ななきゃ何やってもいいってわけじゃねぇんだぞ! てか多分ってなんだ多分って!!」
一蹴の背面にあった小さなスペースでは、一緒に搭乗したフランシスカが腰に着けた機械から一本のケーブルを取り出し、手近な配線に繋げて何かを調べているようだった。
なお、ブーステッド・アーマーは全長6m程度で、操縦席もはっきり言って非常に狭い。
“ホワイトフラッグ”も例外ではなく、とてもではないが2人乗りできるような余裕などありはしないのだ。
「やはり陽電子反応炉の出力が上がらない。動力の制御盤は、確か……」
情報の確認が上手くいかなかったのか、ケーブルを引っこ抜いたフランシスカは、今度は一蹴の正面にある制御盤に向かって手を伸ばし始めた。
(ぬ、ぬおおおおおおおおおっ!!)
一蹴の背後から手を伸ばしている格好となるため、自然とフランシスカの胸の辺りが後頭部に押し付けられる形となっていた。
痩せぎすのくせにしっかりと感じられる胸の柔らかさと、至近距離から漂う女の子特有のフェロモンじみた香りに、自ずと鼻息が荒くなった。
「こんな緊急事態に発情してるんじゃない、猿ですかあなたは」
吐息が感じられるほどに密着しているのだ、当然ながらフランシスカにもすぐバレた。
ぐぅの音が出ないほどの正論に、一蹴は何の言葉も返せなかった。
だが、彼女の言う通りだ。今はラッキースケベに喜んでいる場合ではなく、数分後には再び鉄火交わる戦場に飛び込むことになるのだから。
自分が皆の窮地を救えるヒーローになれるとは思っていない。ブーステッド・アーマーの1体程度で戦局を覆せるような状況でないことくらい、一蹴は嫌でも理解していた。
「でも、なんだって俺に操縦させるんだ? お前さんの方がこいつには詳しいんだろ? あの博士も俺達にこいつを渡してすぐにどっか行っちまったし」
「マスターは製作者であって使用者ではありません。そして、人工英霊である私にはこの“ホワイトフラッグ”は無用の長物なのです」
それは、言葉通りの意味なのだろうか。
人工英霊は生身でも強いのだから、いちいちパワードスーツを着込んで戦う必要性がないということか。
それとも――
「操作マニュアルです。1分で目を通してください」
フランシスカが正面の操作盤を動かすと、目の前に操作方法が記された電子情報板が表示された。
視界を埋め尽くすほどの夥しい情報量だったが、幸いにもいくらかは既に見たことのある情報だったため、軽いおさらい程度の感覚で読み終えることができた。
(沙羅の機械いじりに付き合ってきた甲斐があったってことか……)
一蹴の幼馴染にして、《八葉》が誇る天才科学者である加賀美沙羅の近くで、こういった最新技術に触れる機会が多かった一蹴だからこその理解速度だった。
躯体操作、武装の選択、各部推進力の調整、もろもろ頭の中に入った。
あとは実戦で体感しなければ分かるまい。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「そっちから話を振ってくるたぁ珍しい。どうしたよ」
ケーブルを収納し、搭乗席から出ようとしたフランシスカが、何かを思い出したのように振り向いてきた。
「あなたは何の力も持たない人間であり、特に戦うべき理由もないはず。なのにどうして、あなたはここまで来たのですか?」
「戦う理由なら充分あるさ。いつおっ死んじまうか分からねぇ状況で、友達や先生が必死になって頑張ってんだ」
一切の迷いなく、一蹴は真っ直ぐな瞳でそう言い切った。
理屈ではないのだ、こういうものは。
不良くずれの冴えないガキであろうと、男として――いや、ひとりの人間として曲げられない『意地』というものがある。
手足を包み込む鋼鉄の感触を確かめながら、一蹴は高らかに宣言した。
「そんな時に自分ひとりが背を向けてちゃあ、男が廃る。例え次の瞬間に死んじまったとしても、俺はこの選択に後悔なんてしやしねぇさ」
ただ、胸を張りたかっただけなのかもしれない。
一蹴が大切な友人と認めた少年少女たちは、誰もが傷付きながらも立ち止まらず、眩しいほどに力強い意志の光を見せつけていた。
同じ目線で、隣に立って、頼って、頼られて。
矢来一蹴が彼らを無二の親友と認めているのと同じように。
どうか、彼らにとっても、矢来一蹴がかけがえのない友であると誇ってほしい。
そんな青臭い、馬鹿な男の意固地な思いがそうさせただけなのかもしれない。
「……要するに、勢いでここまで来たただの馬鹿なのですね。よく分かりました」
「ひっでぇ解釈! でも、間違っちゃいねぇわな、はは」
割と心を打つ台詞だったのかもしれないが、当のフランシスカは普段通りの無表情でバッサリと切り捨ててきた。
だが、がっくしと肩を落とす一蹴の耳に聞こえてきた、ほんの微かな声が。
「(別に、嫌いではありませんが)」
フランシスカが去り際に残していったその言葉が、馬鹿な男には万の勇気を与えるものなのである。
背面の装甲が閉じられ、正真正銘一蹴は冷たい鋼鉄の中でひとりきりになってしまった。
「くっ……くははははははっ! いいぜいいぜ、燃えてきたぁっ!!」
――最高だ。
一蹴は、間違いなくこれまでの人生で一番の高揚感に包まれていた。
どんなお題目を並べていながら、自分はほとほと子供なのだと、改めて思い知らされる。
「ピンチもピンチ、大ピンチの状況。そこに単身乗り込む俺。極め付けには、いい女からの愛のささやきと来たもんだ! これで興奮しないなら男じゃねぇよなぁ!!」
アドレナリンが沸騰してきたのが自覚できるほどに、一蹴はこの状況にとことんまでに酔いしれていた。
だが、心の芯の部分は至って冷静。
(陽電子反応炉からのエネルギー供給が不安定だな、武器の方に回すのは控えた方がいいかね。使える武装は実弾系と背中に付いた長物くらいか。火力で押し切るような戦い方は土台無理だ、と)
湧き上がる万能感はすぐさま打ち消す。
この機体は確かに他のブーステッド・アーマーよりも遥かに性能は高い。
だが、肝心の一蹴自身は操縦の素人であり、機体そのものもテスト無しの起動開始直後のぶっつけ本番ときたものだ。
その上、相手は刃九朗を圧倒するほどの強敵、化け物。悲しくなるくらいに勝てる気がしなかった。
……死ぬかもしれない。
「それがどうした。必死こいて戦ってる友達に背中を向けちまうくらいなら、それこそ死んだ方がマシってもんだろ」
全身の震えは武者震いだ。そう自分に言い聞かせた。
背中の後ろから、緩いエンジン音の唸りが響いてきた。ようやく動かすことができそうだ。
地下からロボットが動き出すなら、壁か天井のどこかが開いて華麗に発進するのが世の常である。一蹴はその瞬間を今か今かと待ち受けた。
そこに、ピピピッという単調な電子音が鳴りだした。どうやら外部からの通信、機体の横からこちらを見上げているフランシスカからのようだ。
『何をボサッとしているのですか。天井突き破ってさっさと行ってください』
「力技にもほどがある!!」
まさかの発進口がないというオチだった。
下手に暴れてこの辺りの地盤が倒壊しないのかと心配になったが、この地下格納庫の位置は学園から少し離れているらしいので、たぶん大丈夫とのこと。ますます発進するのが怖くなってきた一蹴だった。
「ええい、ままよ! “ホワイトフラッグ”、出るぜぇっ!!」
機具に覆われた右腕を後ろに振りかぶる。その動きを読み取った機体がそのまま一蹴の動きを再現し、握り拳を形作った。フランシスカが外に出たのを確認した一蹴は、足の裏の感触で探り当てたペダルをゆっくりと、力を入れて押し込んでいく。
背面と脚部後ろにあったジェットノズルが一斉に火を噴いた。
跳躍。ジェット出力で飛び上がった勢いそのままに、思い切り右手を天へと突き出した。
鉄筋コンクリートで補強された天蓋をあっさりと割り砕き、押し寄せてきた土の雪崩を物ともせず上昇、上昇。カメラアイが雪混じりの土で見えなくなろうとも意にも介さず。
「のぼれええええええええええっ!!」
天に昇る龍が如く。
純白の機械龍はついに仄暗い土の下を抜け出し、広い空へと躍り出た。
地上に出たのを確認した一蹴は、すかさず視界が戻ったカメラアイで眼下の状況を確認。
どうやら通学路の坂道から少し外れた、木々が生い茂る山の中腹だったようだ。人の姿が無かったことにひと安心。発進早々、罪のない人を跳ね飛ばすなど洒落にならない。
「よし、行くか」
進むべき方向は決まっている。推進器の出力を更に引き上げ、雪降る空を切り裂き飛翔した。
そんな一蹴が霧乃たちのところへ駆け付けたタイミングは、神の采配であったかのようにギリギリ、かつ絶妙なタイミングだった。
「ぶっ潰してやらあっ!!」
シグルズが霧乃の身体を放り投げると同時、一蹴の視界はあまりの怒りで真っ赤に染まりきった。
右脚を前へと突き出し、重力と推進器の出力を合わせた急降下の飛び蹴り。7tの機体重量と高速落下の勢いにより、生身の人間などトマトより簡単に地面の染みにしてしまう破壊力を秘めた一撃だった。
「どこのクソガキか知らねえが、威勢だけは立派じゃねぇか! だが、温い軽いトロい甘ぇぞ舐めてんかテメエエエエエえええッ!!」
だが、それでも真下に佇む怪物にとっては軽過ぎた。
一蹴はその獰猛な邪気に感付きはしたが、蹴り足を止めるにはもう遅い。
激突。
衝撃。
「ぐ、おおおおおおおおお……!!」
「はははぁっ!!」
大質量の鋼の蹴撃と、豪力の獅子の拳打。
その衝突はグラウンド内に局地的な地震と暴風を巻き起こした。
右足の先から脳天まで一気に衝撃が走り抜ける。血管、骨、臓器が片っ端からズタズタにされていく激痛に、一蹴は猛烈な吐き気を催したが、歯が砕けるほどに強く噛みしめて耐え忍んでいた。
(ちっきしょうが……! あの野郎、まるで蚊に刺されたくらいの感じで軽くあしらいやがった!!)
投げ出された霧乃や他の面々に意識を割く余裕など一切なかった。
反発の勢いそのままに、シグルズから大きく飛び退いて距離をとる。先の一撃で、関節などの駆動系に甚大な被害が出ていることを、視界のあちこちに浮かび上がる危険信号が知らせてきた。
正面、こちらを向いてにやにやとした笑みを浮かべるシグルズは“ホワイトフラッグ”の機体を見て気付いたようだ。
「ほー、そいつがリヒャルトの言ってた新型のブーステッドアーマーか。そっちから出てきてくれるたぁ手間が省けたぜ。……おい、その機体の搭乗者! 大人しくそいつを差し出すってんなら、テメエの命だけは見逃してやってもいいぜ?」
「ん? なんでえオッサン、あんたこいつが目当てだったのかよ。……こいつを渡して大人しく帰るってんなら、考えなくもねぇけど?」
シグルズの目的がこの“ホワイトフラッグ”であることは初耳だったが、交渉材料として使えるのであればそれでも構わない。
仲間たちが見るも無残に蹂躙され、腹の奥が煮えたぎりそうな心地でもあったが、全員が無事に生きていられる選択肢があるのであれば、一蹴は恥も外聞もかなぐり捨てて命乞いをする覚悟はあった。
だが、
「いっちょ前に交渉人気取りか坊主? ……だが、そいつは聞けねぇ相談だ。確かに俺は、上からその機体の奪取を命令されてきたさ」
それは、あくまでシグルズを、上層部からの命令に忠実な戦士として見た場合の選択肢に過ぎない。
「けどな、俺自身の目的はそうじゃねぇ。俺はとにかく戦いてぇ、誰でもいいから強ぇヤツとギリギリの命の駆け引きをしてぇんだよ!!」
シグルズ=ガルファードは、誰よりも戦争を愛している。
目的のための手段として、力を振るうのではない。
手段こそが目的であり、それは本来の目的が達成されてしまう限り、叶うことがない。
「そのためだったら何だってやるさ。女子供を殺しもするし、無抵抗の人間を笑いながら引き千切ってやるとも。それで世界中の誰もが俺を恨んで、全力で殺しに来てくれるのならもう大歓迎だ! だからテメェも、簡単に諦めてくれるなよ? 頼むから俺に、死の恐怖ってやつを刻み込んでくれやぁ!!」
永遠の闘争を、終わりなき戦いを。
だからどうか、俺を憎んでくれ。
恨んでくれ。
……殺してくれ。
最強の凶獣は、己が死の恐怖に飢えていた。
狂った欲望でありながら、どこか悲哀すら感じられる獣の咆哮に、一蹴は、
「まぁ、オッサンの気持ちは分からんでもねぇさ、強者特有の孤独ってヤツかね。けどな……そんな駄々こねるガキみたいな理由で人様に迷惑かけてんじゃねぇぶっ殺すぞこのクソ野郎がああああああああああああっ!!」
僅かばかりの理解を示した後、そのすべてを否定した。
ああ分かる、分かるとも。
かつて強者だった一蹴には、痛いほどに理解できる感情だった。
だからこそ、許せない。
ガキ大将がそのまま大人になってしまったかのような、歪みきったこの男の存在が――まるで、自分自身を鏡に映して見ているかのようで。
「そうだ、そうだよそれでいい! 悪くねぇぜ坊主、その怒りと憎しみ、全部まとめてぶつけてきやがれえええええええっ!!」
吠えて荒ぶる、悪童2匹。
どれほど超科学の武器で全身を包もうと、どれほど超常の力を身に付けようと。
この戦いは、単なる子供の喧嘩だったのだ。
一蹴は「かつて強者だった」と記載していますが、これは昔はチート持ってましたという意味ではなく、あくまで普通の子供の枠組みとしての『強者』です。